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第126話 舞い降りた天使
「父様! 落ち着いて!」
「そうだよ、父様がそんなにバタバタしてたら、母様が余計に不安になっちゃうよ!」
取り乱す父親の脚にしがみつき、必死に抑えようとしていたのはノアとカイルだった。その様子は、荒ぶる獣の心を静めるかのようだ。
彼らもまた、生まれてくる弟か妹のことが心配でたまらず、パジャマ姿のまま産室の前に駆けつけていたのだが、あまりにもパニックを起こしている父親を見て逆に冷静さを取り戻してしまっていた。
「ノ、ノア……カイル……! だが、中からエリザの苦しそうな声がする! 私は……私は今すぐ扉をぶち破って……!」
「駄目だってば! 産婆さんが『旦那様は絶対に入れないでください』って言ってたでしょ!」
貴族社会では出産は女性の領域とされ、男性は立ち会わないのが普通だ。単純に衛生面や女性のプライバシーと儀礼的慣習が大きく、そんな理由で男性が産室に入ることはタブーとされている。
しかし、そんな常識がこの男に通じるはずがなかった。
「ええい、知るか! 愛する妻が命懸けで戦っているのに、扉の外で待っているだけの夫などクソ食らえだ!!」
レオナルドは息子たちの制止を振り切り、扉を両手で力任せに押し開けた。
「エリザッ!!」
産室に飛び込んだ宰相の姿に、産婆も侍女たちも「ヒィッ」と悲鳴を上げたが、レオナルドは目もくれず、一直線にエリザのベッドの傍らに膝をついた。
「レ……レオナルド、様……っ」
「エリザ! すまない、代わってやれなくて……本当にすまないっ!」
レオナルドは、汗にまみれたエリザの白く細い手を、己の大きくて分厚い両手で包み込んだ。そして、彼女の手の甲に自分の額を押し当て、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めたのだ。
「あぁっ、私の愛しい人……。痛いだろう、苦しいだろう。だが、私がついている。何があっても絶対に離れない。だから……っ」
「だ、旦那様、お下がりください!」
産婆が慌てて声をかけたが、エリザは痛みの波の中で微かに口角を上げて首を振った。
「いい、の……。このまま、手を……握っていて……っ」
エリザは、レオナルドの手から伝わる熱い体温と深い愛情を感じ取っていた。
この痛みは、愛する人との未来を創り出すための、尊く意味のある創造の痛みなのだ。
そして何より、この世界で最も強くて最も不器用で、誰よりも自分を愛してくれている夫が、自分以上に泣きそうな顔で寄り添ってくれている。
その事実が、エリザに無限の力を与えた。
「はぁっ……んんっ……!!」
「頑張れ、エリザ! 君は強い! 世界で一番美しくて強い女性だ!!」
レオナルドは、エリザの乱れた髪を優しく撫でながら、祈るように声をかけ続けた。
***
痛みと戦う長い夜。どれほどの時間が経っただろうか。
窓の外の暗闇が少しずつ白み始め、やがて雲の切れ間から黄金色の朝日が差し込み、産室の中を神々しく照らし出した。その時である。
「奥様、見えました! もう少しです、次で一気にいきましょう!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
エリザが最後の力を振り絞り、レオナルドの手を強く握り返した瞬間。
「――オギャアァァァァァァァッ!!」
生命力に満ち溢れた高く澄んだ産声が、朝の光と共に辺境伯邸の空気を震わせた。
「おぎゃあ! おぎゃあっ!!」
産婆の手の中に抱き上げられたのは、赤くシワシワの体を必死に動かし、この世界に生まれた喜びを全身で表現している小さな命だった。
「おめでとうございます、旦那様、奥様! とても元気な女の子ですよ!」
産婆の言葉に、産室にいたすべての者が感嘆の息を漏らした。手早く湯で清められ柔らかな純白の布に包まれた赤子は、エリザの胸元へと丁寧に降ろされた。
その小さな頭にはレオナルドと同じ、月光を紡いだような美しい銀色の産毛が、朝日に反射してキラキラと輝いていた。
「そうだよ、父様がそんなにバタバタしてたら、母様が余計に不安になっちゃうよ!」
取り乱す父親の脚にしがみつき、必死に抑えようとしていたのはノアとカイルだった。その様子は、荒ぶる獣の心を静めるかのようだ。
彼らもまた、生まれてくる弟か妹のことが心配でたまらず、パジャマ姿のまま産室の前に駆けつけていたのだが、あまりにもパニックを起こしている父親を見て逆に冷静さを取り戻してしまっていた。
「ノ、ノア……カイル……! だが、中からエリザの苦しそうな声がする! 私は……私は今すぐ扉をぶち破って……!」
「駄目だってば! 産婆さんが『旦那様は絶対に入れないでください』って言ってたでしょ!」
貴族社会では出産は女性の領域とされ、男性は立ち会わないのが普通だ。単純に衛生面や女性のプライバシーと儀礼的慣習が大きく、そんな理由で男性が産室に入ることはタブーとされている。
しかし、そんな常識がこの男に通じるはずがなかった。
「ええい、知るか! 愛する妻が命懸けで戦っているのに、扉の外で待っているだけの夫などクソ食らえだ!!」
レオナルドは息子たちの制止を振り切り、扉を両手で力任せに押し開けた。
「エリザッ!!」
産室に飛び込んだ宰相の姿に、産婆も侍女たちも「ヒィッ」と悲鳴を上げたが、レオナルドは目もくれず、一直線にエリザのベッドの傍らに膝をついた。
「レ……レオナルド、様……っ」
「エリザ! すまない、代わってやれなくて……本当にすまないっ!」
レオナルドは、汗にまみれたエリザの白く細い手を、己の大きくて分厚い両手で包み込んだ。そして、彼女の手の甲に自分の額を押し当て、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めたのだ。
「あぁっ、私の愛しい人……。痛いだろう、苦しいだろう。だが、私がついている。何があっても絶対に離れない。だから……っ」
「だ、旦那様、お下がりください!」
産婆が慌てて声をかけたが、エリザは痛みの波の中で微かに口角を上げて首を振った。
「いい、の……。このまま、手を……握っていて……っ」
エリザは、レオナルドの手から伝わる熱い体温と深い愛情を感じ取っていた。
この痛みは、愛する人との未来を創り出すための、尊く意味のある創造の痛みなのだ。
そして何より、この世界で最も強くて最も不器用で、誰よりも自分を愛してくれている夫が、自分以上に泣きそうな顔で寄り添ってくれている。
その事実が、エリザに無限の力を与えた。
「はぁっ……んんっ……!!」
「頑張れ、エリザ! 君は強い! 世界で一番美しくて強い女性だ!!」
レオナルドは、エリザの乱れた髪を優しく撫でながら、祈るように声をかけ続けた。
***
痛みと戦う長い夜。どれほどの時間が経っただろうか。
窓の外の暗闇が少しずつ白み始め、やがて雲の切れ間から黄金色の朝日が差し込み、産室の中を神々しく照らし出した。その時である。
「奥様、見えました! もう少しです、次で一気にいきましょう!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
エリザが最後の力を振り絞り、レオナルドの手を強く握り返した瞬間。
「――オギャアァァァァァァァッ!!」
生命力に満ち溢れた高く澄んだ産声が、朝の光と共に辺境伯邸の空気を震わせた。
「おぎゃあ! おぎゃあっ!!」
産婆の手の中に抱き上げられたのは、赤くシワシワの体を必死に動かし、この世界に生まれた喜びを全身で表現している小さな命だった。
「おめでとうございます、旦那様、奥様! とても元気な女の子ですよ!」
産婆の言葉に、産室にいたすべての者が感嘆の息を漏らした。手早く湯で清められ柔らかな純白の布に包まれた赤子は、エリザの胸元へと丁寧に降ろされた。
その小さな頭にはレオナルドと同じ、月光を紡いだような美しい銀色の産毛が、朝日に反射してキラキラと輝いていた。
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