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ノーマル:海と魚 梶原 銀之丞
しおりを挟むなん……で……、と目の前で自らと同じだったはずの人間の体がずれ、死ぬ。
しばらく漂うとはいえ死体は残らず消えるそれは、相も変わらず現実感というものがない。
己の鱗をなぞりながら銀之丞は嘆息する。
現実感の喪失はダメだ。
銀之丞は、最初から今までのこのダンジョンというそのものの流れから不快を受け取り続けて居た。
「人、やめちまったな」
階層を渡り、細い道と、それ以外の広い海のような広がりを見せる空間に。
空からの、強い光。それが本当か偽物かは定かではないが、ありし子供の日を思い出すのは悪い気分ではなかった。
足を踏み出せば、とぷ、と深く沈んでいく。道をそれると、そこは海にますます似ている景色。
水に包まれれば、ここが自分のフィールドだと、体は強く伝えてくるようになってしまった。
水がない場所でも動けないなどという弱点はないが、それでも億劫になる。
初めは冗談でサハギンなどと名乗りだし、無理やり楽しむように、おどけるように泳いでみたり、周りと協力体制をとってみたりとしていたが――違和感には勝てなかった。
スキルにより、アイテムにより、銀之丞は特に狙っていたわけでもなかったのだが、変異を遂げてしまったのだ。
人間という生き物から、明らかにはみ出してしまった。
硬い鱗に覆われ、背びれのようなものが背中に展開されている。
顔はかろうじて人のていを保ってはいるが、全力を出そうとすると周りから鱗がぎしぎしと重なり、包み込むようになって凶悪なモンスターのごとき容貌となる。
よそから見れば、それは人の有様ではない。
事実、顔はこのダンジョンでも広まっているほうではあるが――モンスターになったと考え、排除するべきとする勢力も生まれてしまっていた。
(あっちゃいない。しかし、間違いでもない)
現実感が喪失している。
プレイヤーの現状を見て、そう思う。
麻痺して、させられたままなのだと強く強く思う。
物語の主人公にでもなったつもりでいるのは、麻薬のようだ。
操作されているからだけではない、状況から、人の性というものから、よく傲慢さが見える。
銀之丞がそれにしっかり気づけて後悔したのは――もはや、体が人に戻らぬと理解できてしまってからだった。
現実感のなさは、力と注目による万能感は、何があってもどうとでもできるなどという思いを抱かせてしまった。
考えれば、どうにでもなるわけもないのだ。
(どうにでもなるなら、現実に帰っているだろう)
この姿では、この力では。
帰ったとして、化け物と追われ続ける人生となるだろうが。
すぃと、滑るように水の中を移動する。
呼吸はエラもないのに水中でも可能となった。学者ではないが、どうなっているのかと己の体ながら興味が湧くも、学者ではないから、その疑問も動くうちに霧散する。
(このダンジョンはいつまで続く? クリアしたら、どうなる?)
恐怖。
体が変わった。
力を得た。
今までの人生では、明らかに必要のないほどの持ち物を、強引に渡され、調子に乗って新しく勝手にいらない荷物を背負い。
(クリアが、いままでの現実に帰還することだとしたら? ――俺は、人間に戻れるのか? 体が戻ったとして――俺は)
モンスターも、人も。
(記憶丸ごと書き換えでもしてくれるっていうのか? そうじゃなかったとして、クリアすればどこにいく? 何が起こる)
もはや、体が戻ったとしてまともに生きていく自信がなかった。
経験が、記憶が、全てが夢のように過ぎ去るものだったとしても。
帰還すれば万事解決平和でハッピーエンドとできるような性格に開き直れないことは確信できるものであった。
現実感の喪失。麻痺。
(運営とやらは、よく知っている。ただそいつをいじってやるだけで、人というやつはどこまでも暴走できる。力でもひょいと与えれば、簡単に特別だと思える――状況も整ってる。言い訳も簡単にできる。さらわれたから、出ていくためには進まないといけないから。見たこともない化け物だから、襲ってくるから。法律なんてないから、何をしてはダメと言われてないから。罰則がないから、力があるから!)
現実感がないままなのだ。
先の事を、どれだけのものが考えているというのだと銀之丞は顔を赤くする心地でいる。
八つ当たりでもあることをわかっていながら、止めることができないでいる。
(力を経験して、殺しを経験して、それを快楽だと思って。日常生活に回帰する自信がどうしてもてるんだ……これら全員が戻れるとして、戻ったとしたら、それはもう……異常者のカーニバルだよな)
つぃと目の前を通る、モンスター以下の背景のような扱いである魚に、自然にがぶりと食いついてしまう。
地球上にいた魚のような味わいが口に広がる。
腹から内臓事食われた魚は、ぷかりぷかりと上へ上へ。
半ば反射で行われたそれに、追加で食らう気も起きず、浮かび行くそれを目で追ってしまう。
深く潜った自ら見上げる水面は、とてもまぶしく綺麗に光を与える。
血の尾を引きながら光に向かっていくそれは、決して救いではない。
(決断しなければならない。道を、今からでも納得して進まねば)
己は愚かであった、今もなおそうであると銀之丞は思う。
深く考えずに踊らされ、元気に踊ってしまった馬鹿であると。
それでも生が続く以上、考えねばならない。
体が変わった。
元に戻るとも限らない。
知らなくていいだろう情報も知ってしまった。
ならば、どうしたらいい。
(どうなるかもわからないままクリアするのか。いつ消えるかもしれない恐怖と戦いながらこのダンジョンで生き続ける決心をするか。もっと知るためにひとまず居続けるか。いるとして――どちらとしているのか)
攻撃を感知。
当たり前のように自然な移動で飛んできた高熱らしいあぶくを立てながら迫る銛を避ける。
見ることも特にせずに、後ろに水かきある手を一振り。
特殊システムを実装してなく、慣れもあるため、スキルを使うに口から言葉を出す必要がないのだ。
緩やかな動作で、しかし確かに発動したスキルは暴力的な水流を作り出し――銛を放ったプレイヤーの下半身をばつりと食いちぎっていった。それが銀之丞の目ではなく、感覚でわかる。
銀之丞にとって、今のが見間違えから来たものでも、そうでなくとも、どちらでもいいものだった。
(人を殺すのも、モンスターを殺すのも、もう変わらない)
だから、考えられるうちに考えるべきだ。
そう銀之丞は思うのだ。
人として生きるのか、それとも――
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