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そこだけ晴れの日
しおりを挟む施設は、家よりは温かかった。
後遺症で歩きにくさは未だあるものの、餓えずに済むというのは素晴らしい事だと感じている。
そして、その大体が虫よりもずっと舌に合うのだから、多少量が少なかろうが食事の面で不満など持ちようもなかった。
ただ、施設でも手を掴んでくれる人はいなかったし、表面上の温かさ以外はなく、その中は冷たいものであった。
仲良くなろうとした。
どういう流れか少年になった彼自身は記憶していないが、病院にいって、流されるままに施設に放り込まれた。
叩く人とは会えないままだ。どなったのか、どこにいるのかも定かではない。それは、少年を慮ってそうされているわけではないことも自覚していた。目は口ほどにものを言ったのだ。要するに『面倒ごとにこれ以上関わりたくない』だった。
少年は、叩く人を可哀そうに思う。
恨んではいなかった。
怒っているというわけでもなかった。
親という生き物は、自分という子供という生き物を作っておきながら放置したという事はわかっている。
それは、とても悲しかった。
愛情という形は今もわからないままだから、ただ悲しかった。
叩く人は親になれなかった人なのだ、と少年は思うのだ。自分も、子供になることができなかったからだとも少年は思ってしまっていた。
きっと、叩く人も自分と同じく手を握ってもらえなかったのではないか、と少年は思うのだ。
最終的に生まれたのは、憐れみのような何かだった。
怒りは湧かず、恨みも湧かず、復讐したいとは塵とも思わなかった。
きっと、誰かが手を握ってくれていれば、叩く人はああはならずに済んだだろうにと、憐れんだのだ。
子供が持つ当然の、愛情が欲しいと求めることもできず、ただただそこには憐れだという感情があった。
自分の手が小さい事も、つかめないこともわかっているから、ただそうするしかなかった。
「――――」
遠くで声が聞こえる。
いつものことだ。
少年はその手も掴むことができない。
どうしようもない。
みな目を伏せて耐えている。そうするしか手段を知らないのだ。
少年は自分に学がないことを知っていた。
だから、手段がわかない。他のもののように怯えや怒りに震えてはいないが、どうしようもないことを知っているので、動けない。
仲良くなろうとした。
ここで仲良くなろうとしたものたちが幾人かいた。
ぎこちなく、あるいは笑顔でその先に続きそうなものだっていたのだ。
しかし、いつの間にかその子らは目から光が消えていて、異性に、あるいは同性に、おびえるような有様になっていた。
先はいつの間にかなくなっていて、つなぐ手は残されていなかった。
何をされたのか、され続けて居るのか。
少年には詳しく、細かく想像することはできない。
ただ、拒絶の声が聞こえる。嫌だ嫌だという声だ。手を伸ばそうとする、少年でも知っている種類の声だ。
耳をすませば、その声は頻繁に聞こえてくることに気が付くのだ。
手が伸ばされている。
手が伸ばされている。
誰か手が届く人がその手を掴んでくれることはあるだろうかと考えた。
結果、その手は、きっと掴まれないだろうと少年は結論付けている。経験からしても、きっとそうだと。
己はどうだろうか? と、少年は考えた。
想像してみる。
まず、手が伸ばされているなら掴みたいと思った。
そして、現実を直視して――手を掴むことはできそうにない、という結論だけがそこに残った。
何が行われているかはわからないが、邪魔をすれば暴力が襲ってくるだろうことはわかった。邪魔をしなくても、ここでも見えない場所には暴力をよく振るわれるのだから、当然の想像だった。
前の叩く人よりはマシだったから、それ自体は少年の心を震わすことはなかった。少年にとって、大人が、自分の都合で自分を叩くという行動をすることは普通だったからだ。暴力に恐怖を覚え居ている、というわけではない。
(嫌なのだろう。しかし、僕には何の力もない。手を掴もうとしたって、つかめなければいないのと一緒なんだ――『きっと』って思って、そうならなかった時、それはとてもひどい事なんだ。僕はそう思った、きっと、他の人もそうだ。ここでつかめないのに掴もうとするのは、よくない事なんだ)
ある種子供が持つような、無謀な蛮勇もしないし、万能感も少年は持っていなかった。
無力。
その感覚だけが強く、強く、少年を支配している。
少なくとも、ここで餓えることだけはない。寒さに震えることもない。殴られ方には気を付けなければならないが、傷で息絶えるような確率だってずっと低い。
(ただ手を伸ばしても、誰も掴んでくれないんだ。自分でつかみたいなら、つかめるような何かがいるんだ。そして、何かがないなら、掴もうとしても酷い『嫌』が増えるだけなんだ)
嫌な声が聞こえる。
少年は耳をふさぐことはない。
ただ、それを受け止めている。
そうすることしかできない以上、そうするのが当然だと思ったから。
ある日、あの日のようにざぁざぁと雨が降る中を歩いていると、少年は一人の男と出会った。
正面を見て歩いていたはずなのに、目に雨が入った瞬間にいつの間にか現れていた。
それは奇妙な男だった。
「やぁ、少年。こんにちは」
「こんにちは、いい天気ですね」
「……雨だよ?」
「……? だからじゃないですか」
挨拶を返すと、不思議そうな顔をされ、少年は首を捻った。
男は『まぁいいか』と呟くと、ぱちんと指を一つならす。
「晴れた?」
スポットライトを照らすように、男と少年がいるところだけ雨が避けるように。
日が差している。
丸く、切り取られた、光の空間。
それは、どこか強く少年の心を引き付ける風景。
「不思議かい?」
「不思議ですね、でも、とてもきれいだと思いました」
「君も、やってみたいと思う?」
問いに、少し考える。
「この景色もきれいですけど……雨も降らせるなら」
「雨が好きなのかい?」
「雨は飲めるけど、晴ればかりだと乾くから……です」
男は一つ頷く。
切り取られたような晴れの中で話す二人は目立つはずなのだが、人々は知らぬように通り過ぎるばかりで誰も疑問を持った様子もない。
「なぁ君。実はね、君は特別なんだ。君、いつからか強い光が見えるようになっただろう? あぁ大丈夫。僕もそうさ。他にも何人かいる。そういった存在だってだけ」
「お兄さんも見えるんですか? これが見えたら天気が操れるの?」
「天気が操れるだけではないよ。それは使い方ひとつで凄いことができる力だ。うん……僕の名前は――そうだな、『スカウト』と呼んでくれればいいよ。そういう役割。スカウト、わかる?」
「わかりません」
「わからないかぁ、まぁ、君みたいに見える人を探して集めてる人って思ってくれたらいいかな」
男――スカウトはそういうと、もう一つぱちんと指を鳴らした。
すると、閉じるように晴れ間は消えていき、再び少年は雨に包まれる。
気付けば、スカウトは目の前にはおらず、立ち止まる少年を邪魔そうに歩いている人たちが見ていた。
『少年、その光に集中することを覚えるんだ。その光はきっと少年を助けてくれる。その光は力なのだから。もっともっと、使えるようになった時、また会おうね――僕たちは、同じ力を得た仲間なんだから』
数日後、少年は施設を移動することになった。
少年がいた施設の人間が全員死んだからだ。子供たちは全員ではないが多く含まれている。
どこか満足そうな笑みを浮かべる少年の事は誰も疑いはしなかった。
施設を調べると怪しげな情報がたくさんでてきたし、何せ大人は周りは燃えていないのに炭のようになって変死しているし、子供たちは安らかな表情をして眠るようにしてこと切れていた。
何をどうすればそんなことをできるかわからなかったし、その日少年は偶然でかけていたのだから。
少年は満足そうだった。
『もう死んでしまいたい』
『こんな毎日は嫌だ』
『こんな世界にいたくない』
『こんな奴ら死んでしまえ』
という気持ちは叶えてあげられたのだ。
初めての友達になれたかもしれない人たちの手を掴むことができたと思ったから、少年は満足そうだった。
少年は、自分の生きる意義のようなものを見つけたのだ。
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