上 下
72 / 296

日が落ちるのは止められない

しおりを挟む

 中学生になった少年は、自分が知ったことに驚愕を隠せずにいた。
 知って数日たった今も、動揺は収まっていない。

 この世界はどん詰まりだ。

 知ったことを一言でいうとそれだけの事だった。

(僕が20を少し過ぎるくらいが限界、なんて……)

 世界を紐を手繰るように見る、という力の使い方を覚えた少年がまず知ったのは、世界なんてものは日常的に崩壊しているという、それだけで精神が不安定になりそうな事実。

 争って崩壊する世界があった。争わなくても崩壊する世界があった。
 人間が壊した世界があった。人間が関係なく壊れた世界があった。
 意味あって壊れた世界があった。意味なんてまるでなくて壊れた世界があった。

 今なお分岐して増え続ける世界。今なお分岐しては壊れていく世界。
 知ったのは、自分が今いるこの世界が大きく崩壊の流れに乗っている世界だったというそれだけの事実だった。

(あぁ――そうか。スカウトは、ここが壊れる世界だって知っていたんだ)

 中学生になるまでにも、何度か会いに来ていたスカウトを名乗るスーツ姿の男。
 何も目的を話すわけでもなく、何かしようと誘う訳でもない。

 ただただ会いに来て、様子を見て、帰る。
 その繰り返し。

 無駄なことをしているようにしか少年には見えなかったが――きっと、これを自分で知れるレベルになるまで待っていたのだと確信を得た。

(何故、僕を見に来ているんだろうか。何かをさせたいんだろうか? 僕は頭がよくないからなぁ。わかんないな。大きく力を得ても、結局はそうだ)

 考えるだけで人を粉にすることができるようになっても、少年は自分に全く自信というものがないままでいる。
 彼なりのは時折行っているが――それだけ、ともいえた。

 彼はやろうと思えば、人の欲望を叶えるに大体のことはできる大きすぎる力を持つ。
 それらを積極的にするでもなし、極端に大きなことをして人の問題を解決するでもない。

 全力を出せば、同じような存在でなければ誰にも感知されずに国ごとすり潰せる力を得たにしては大人しいと言えた。
 その力を使っても、世界の崩壊をとどめる事はできないことも知っていた。

 この世界は、彼にとっていわば終わることが決まってしまった世界であり、ゲームでいえばすでにbad endのムービーが流れている状態に等しいのだ。あとはスタッフロールが流れて、電源を切ってはいおしまい。そういう状態で、道筋を変えることなんてできない。

 延命したところで、たかが知れているし、人を国ごとすり潰せようが、そんなことは規模から考えると大したことではないのだ。

 だから、動揺している。
 それは、自分が死ぬこともあるが、それ以上に伸ばした手を掴むことができなくなるからだ。それは、自分が初めて掴んだもので、ずっと持っている根幹。それが無くなってしまう事を、何よりも恐れている。

(あぁ――結局僕は、誰の手を握ってあげることもできないままでいるのかもしれない。こうして、個人にはきっと余り過ぎる力というものを得てさえ)

 少年の大本は、ずっと同じ。
 自分が手を誰も差し伸ばしてくれず、手を伸ばしても掴んでくれなかったからそうする、ではなく。
 自分が手を誰も差し伸ばしてくれず、手を伸ばしても掴んでくれなかった、だから自分だけは掴もうとする。

 力を得てからそれは加速した。
 加速してしまって、それが少年にとって最高だったから、今動揺が大きい。
 この世の春だ、そう思っていたら、今後はずっと冬のままになるとでも知った気分だった。

(日の当たる場所を多くできると思ったのに、全てが陰ってしまう。いいや、初めから、この世界に太陽なんて差し込んでいなかった。懐中電灯の光を当てて、それが太陽の暖かさだって思い込んでいただけ?)

 崩壊する、といってもそれは1秒後全てが一瞬にして消え失せるという類の話ではない。
 崩れ出したら止まることはないが、それはがらがらと崩れていく。
 この世界の壊れ方は、そういったものだと少年は見えていた。

 割れていくように崩れていきながら、そのおこぼれを狙ったり、たまたま隙間に入り込むようにきた某かに浸食されていく。
 そういう壊れ方をすると決まった世界。
 彼にとってそれは、助けを求めて手を伸ばす人間だらけになるのに、またつかめなくなる現実だった。

(それじゃあ限りがあるじゃないか。僕は、もっと)
『やぁ、調子はどうだい』

 授業中、身に入らず思考し続けて居た少年の頭に話しかける声。
 知らない声だ。
 しかし、スカウトが同じようなことをしてきたことを覚えていたし、自分も同じようなことはできるためあまり慌てることはなかった。

『……誰ですか?』
『私かい? 私は……あー、そうだね。そう、親しみを込めて『エディー』とでも呼んでくれればいい。よろしく』
『ええっと、スカウトの仲間ですか?』
『そう、そうだよ少年。そして、何故話しかけたかといえば、私は君の選択を聞きに来たのだ』
『選択?』

 聞こえてきたのは落ち着いた低い男性の声だ。
 落ち着き払った様子で、少年からして格好のいい声だと感じる声だ。

 しかし、どこか不吉さというか、昔体験した背の傷に蛆が這った感覚のような、そんな気持ちの悪さを覚えてしまう不思議な声だった。

『君は、この世界の終わりを知ったろう? 当然私たちも知っている。私たちは、そのいろいろな壊れていく中から一部だけとはいえ救ってみたいと考えているんだ』
『救う? 世界の崩壊は止められないし、止めてはいけないのでは? 他に影響がでたら同じだし――僕もそうだけど、きっとあなただって、そこまでの力なんてない。そうでしょう? 色々で来たって、それより大きなものに比べたら、僕らだってちっぽけだ』

 得た力は莫大だ。
 相手もそれは同じだとわかっているし、彼は自分よりも対象が高みにいることはわかる。

 それでも、止められるほどではないのだ。蟻が象に、たとえ戦車になったところで、太陽を動かすことはできない。
 色々と見たりできたりするようになったからこそ、彼はそのことをよく理解していた。

『うん。その通りだ。人間から見て大それた力を持っていても、結局私たちの力は決められた世界の寿命を回避できるようなものではない。結局他を巻き込んで連鎖する可能性のほうが大きいから、たとえ私たちが全員協力しても延命できるのはたかが知れているね』
『だったら』
『違う。違うよ。答えを焦りすぎだよ少年――延命するんじゃあない。のさ――完全にとはいかなくとも、今いる全員で、足りなければ増やせばきっと届く――』

 もはや、周りに気を遣う余裕すらなく声に飲み込まれていた。
 不審げに見ているクラスメイトもいるが、彼はそれに気づくこともないほど声に集中していた。

『そう、君、君は――手を掴んであげたいんだ、そうだろう? なぁ、君、ここから大量に生まれる、死にたくないと望んでいる人を助けて見たくないかい? 無数に伸ばされる手を、掴んでみようと挑戦したくはないかい? なぁ、温かさをしらないなんていうのは不幸だ。そうだろ? 君はそう思うはずだ――あぁ、大事なことを聞き忘れていた。なぁ、君、ファンタジーってやつは好きかい?』

 声は落ち着いて気持ち悪かった。気持ち悪くて、甘かった。どろどろとした、コールタールのような粘度を持った甘さだった。誘惑的で、蠱惑的で、興奮を誘発する。どうしたって、それに誘われてしまう。

 実際に何を言われているか詳しくはわからなかった。
 声は優しい感情を含んでいることはわかったが、不思議と同時に興味を持っていないような不思議さを持っていることがわかって更に気持ち悪い印象を受けた。

 創るということから推測しやすくはあるが、ファンタジーは好きだが、何の関係があるのか少年には予想がつかなかった。

 それでも、惹かれた。
 ただただ、『無数に伸ばされる手を、掴んでみようと挑戦したくはないかい?』という、その一言で前後はどうでもよくなったのだ。

 少年が、彼が、たかが知れている大それた力で大それたことに関わろうなんて思ったのは、ただそれだけの話でしかなかった。
しおりを挟む

処理中です...