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奥山麻人5

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 爪を噛む。
 がりがりと爪を噛む。
 昔、爪を噛むことを癖にしている漫画のキャラクターを見て『ぼろぼろになるまで噛むほど癖にするなんてないよな』と友達と話したことを思い出す。

 どうしてこうなった、ばかりだ。
 なんでこんな目にあっている、が頭をしめているのだ。

 だから爪を噛む。
 どうしようもない憤りをどうにかしたくて、しかしできないことがストレス。
 それの表れが、爪を噛むという行為をさせている。
 ただ、部屋の効果によってボロボロのままではないことは救いだろうか。
 やめるきっかけがないということにも通じるところから、一長一短ではあるかもしれない。

(あー、そういう気持ちよくなれるようなのに手を出せるような性格ならなぁー。もっと楽でいられんのかなぁー)

 初めから考える。
 最初に間違いだったのは、恐らく中山美憂という少女に付き合ってしまった事だった。

(でもそれって仕方ないじゃん。俺だって男だし。それに――)

 中山美憂という少女は、同じ年でありながら美人であったこともそうだが――童顔であり酷く幼く見えた。
 本来なら問題にならない事だが、麻人にとってはそれは都合が悪いというか、強く出られない理由になったのだ。

(その時はまだ長剣とか使ってたんだっけ。笑えるよなぁ。ファンタジーだからとか考えてさ。剣道くらいしかやったことないんだから、素早く動けて、習い事を生かせる装備と編成にすりゃよかったのに)

 PKKにあってから、実力をあげることに努めた。
 今はもう、近接だと素手か使ってもナイフくらいのものである。
 ひゅっとナイフを取り出してふってみる。
 投げればくるくると回転しながら飛んで行って、壁に当たって跳ねた。

(怪しい謎の自称空手でも、役に立つもんだよなぁ。やっぱ先生ってすごかったんだなぁ……こっちメインで使うようになってから、断然強くなった感覚あるもんなぁ――昭さん……昭どもも、最初からこうしてりゃもっと簡単にやれたのかなぁ)

 最初は助けだと思った、多田野昭という年上の男とパーティーを組んだことも失敗だったと今なら思う。

(明らかにヒスって、攻撃もしてきたような奴をかばうかね……女ってだけで。俺は刺されてんだぜ、不意打ちで。しかも、明らかに好意向いてないどころか邪魔扱いされてんのに、脈ありとでも思ったんか? そんなにアレにいいカッコしたかったかよ。本当にわかんねぇ)

 今でも麻人は自分にそこまで非があるとは考えていないし、思えなかった。
 事の始まりは、やはり他の人間につながりがあったほうがいいと考えて、他の人間コミュニケーションを取り出したことだろう。
 やったこと自体は何の問題もないのだ。そのはずだった。

 なにせ喧嘩を売るわけでもないし、人間は選んだ。味方は多いほうがいいし、自分たちははしないものだというアピールにもなる。
 問題にならないようにしばらく話して、距離感もほどほどに。
 パーティーから見てもプラスになるようなやり取りだったはずなのだ。
 しかし、美憂という少女はそれが気に食わなかったらしい。

(病んでるっていうのは、ああいうことをいうのかね)

 自分以外に目を向けることを、すさまじく拒否した。
 後は見るに堪えない。
 ヒステリーを起こし、暴れた。
 話しているのを見ればそうした。
 そんなことを続けられれば、パーティーの人間丸ごとお断りになるのは当然である。

(そんな人間、PKからすりゃいい的だろうに)

 実際、的にかけられ殺された。
 死の体験。
 何度も体験すれば耐えきれないほどの苦痛。
 そしてそれで改善されるでもなく、美憂の麻人への執着は加速した。

(それで惚れたはれたってわけでもねんだよな。あれは、自分の道具でしょって顔だ。向けられてわかったわ。なんでクラスで仲良くなろうとしなかったんかよくわかった。あの顔、前からしてたんだよな。それを直感でよくないなとわかってたんだ。なんでそれで関わるかなぁ、俺は。無視してりゃ良かったんだ)

 昭は役に立たなかった。
 こっそりと自分のコネを増やしているが、それをパーティーして還元しようとしないし、かといって離れようともしない。
 そのあたりで麻人は昭もダメだと思った。

(先生ってやっぱり、ふらふらしててダメみたいに言われてたけど、ちゃんと優しかったし見てくれてたんだよな。何かあれば向こうから話しかけてくれたし。解決に動こうとしてくれてた。先生だったらきっと、こんなことにはなってない)

 見た目が怖いわりに、子供にやさしかった習い事の先生を思い出すと、少し涙が出そうになった。

(光太の妹もさぁ、考えて見りゃ我儘もあんまいわないし、ヒスなんかかけらもなかったんだよなぁ。妹ちゃんみたいだったらよかったよ。きっと、もっとうまくやれてた――こんなところに、来てほしくなんてないけどな)

 女ということと、先生という人物に関連するように、友人の、事故でなくしてしまった妹の事を思い出して、情けない顔になる。
 麻人は、負い目がある。
 今でも自分より年下の女や、そう見える女にどうしても強く出られない原因。
 直接何かしたわけではない。
 事故で二度と会えなくなる前に喧嘩等していたわけではない。

 むしろ、仲は良いほうだった。
 だからこそだろうか。一方的に感じてしまっているだけの負い目。
 誰しも、ふと考えてしまいそうなことを考えてしまって、それがどうしても許せないままでいたのだ。

 『自分の家族でなくてよかった』。

 光太という友人も、その妹も。
 いると本当に楽しくて、仲がいいとなんのためらいもなく言える関係だったからこそ、それに気づいたとき麻人は自身を嫌悪した。そんなことを考えて、ほっとしたため息をふとついてしまった時に。

(光太ならどうしたんだろう。あの、すぐ痛いとか騒ぐ割に、絶対立ち直ってたどり着く強いのか弱いのかわかりにくやつだったら)

 きっと、自分よりはうまくやれただろうかと考える。

(ま、いなくてよかったけどな。こんな苦しい思いなんて、しないほうがいいんだから。あいつは、もう苦しんだんだ。これ以上は苦しまなくていいんだよ)

 友人に対して本音でそう思えることだけは、麻人にとって間違いなく救いだった。
 『俺じゃなくてあいつなら』『俺がこんな状況なんだからあいつも』等とは思わない。そうできることが。
 この鬱々とした状況と常態の中で、それだけはずっと光で照らされているようだった。

(また、会えたら、光太は俺を友達と呼んでくれるだろうか?)

 そして、人殺しになって、まだそうし続けていても、自分はまた友達とためらいなく呼べるだろうか。
 爪を噛みながら、そんなことを考えた。
 自分は悪くないと繰り返しながら、友人のことを考えると、もう1人の自分がいて、それは罪だと言われている気がした。
 『お前みたいなヒトゴロシが友達の前にどの面下げて出られると思ってんだよ』といわれている気がした。

(俺は悪くない。正当防衛だ、あんなの。殺しても死なないんだ、大体。だから、もうそうできないように報復するしかなかった。正しかった、あの行動は、正しかったんだよ。なぁ……否定でもいいからさ、ちゃんと話がしてぇよ。家族には怖すぎていえねぇし、他の友達より、お前は最後まで聞いてくれそうだからさぁ……)

 爪を噛むのをやめて、上を向く。
 家族も、長い付き合いの友達も、それ以外の友達も、知り合いレベルのものも、誰も近くにいない。
 1人暮らしにあこがれていた。そうしている友人に、羨ましいなぁなんていったりもした。

(なぁ、寂しいなぁ。誰か、仲いい奴がいるって、そんな誰かと話せる距離にいるってすげーよなぁ……凄い事だったんだなぁ……)

 何かこらえきれなくなって、瞼を閉じる。
 閉じた時に押し出されるように流れた涙は、どこか血のようにどろりとしている気がした。
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