181 / 296
鬼の首1
しおりを挟む一心不乱とは呼べない心持だった。
ただ、己にあっていて、苦ではないからやっていただけの話。
雨宮敬一郎にとって、武芸とはそういったものであり、それ以外も万事そういうものであった。
特に、体を動かすものについて啓一郎の熟練速度は早く、苦労、苦心、壁といったものはあまり実感した覚えもない。
才能がある。
他人から、そう、一言にまとめられることが多い。
『お前に教えるようなことはもうここにはない。すまんな』
物心ついたころに、どこか疲れたような表情で父親にそういわれたことを覚えている。
別に、疎んじられていたわけではないし、何かしら虐待をされていたわけではない。
ただ、そう言われた日から、ずっと最初は熱心に、次第にどこか空虚な感情と共に啓一郎に仕込んできた武術というものを。
啓一郎の父が、生き、子をなして、己を突き詰め、それを伝えようとし続けてきたものを。
一切止めてしまった事を、覚えている。
大きかった、数年とはいえ物心ついてからずっと当たり前のようにあった歴史ある道場を潰して。
なかったことにするように。きれいさっぱりと、そのにおいを消していった。
啓一郎にやめろとはいわなかった。ただ、啓一郎の父は一切かかわらなくなったというだけ。
ただ、それに申し訳なさも覚えることができず、戸惑ったことを覚えているのだ。
やめた父は、どこか朗らかですらあったから。
『どうして父はこんなに楽しいものをやめてしまったのだろう』
と。熱心にやらなくとも、娯楽として続けていればいいのに、と。
しかし、歳を重ねて、高校、大学に入るころになれば、さすがに理解できた。
(父は嫉妬したのだ。嫉妬して、そんな自分に愕然とした――冷静でありたい人だったから。真面目な人だったから……己の才能が、俺に届かないことをはっきりと知ったのだ。自覚してしまった。そうだ、一度言われたことがある)
『お前は、まるで鬼だ』
思わず漏れたといったそのつぶやきが。
その後、はっとしたような顔をして、青ざめた父が。
何をさしていて、どういう気持ちなのかはわからないけれど。
(俺は別に、それで何を思いもしないのに。それで傷がついたわけでもないのに。それでもきっと、父は己を許せなかったのだろう。武は、負の感情のままただの暴力というものとして振るってはいけないと頑なな人だったから)
大学生になった啓一郎から考えて、当時の啓一郎の父という存在は決して弱者ではなかった。
思い出せる限りでも技の冴えがないわけではないし、むしろ熟練者であり、見てきた中でも思い出補正、身内補正というものがあるにしても上位に位置するに疑いはない。
それでもきっと、一方的に叩き潰せてしまうことがわかるけれど、それでも決して弱いというカテゴリにいるわけではなかった。
(申し訳なくは、思わない。思えない。ただ、残念には思うんだよなぁ)
明らかに自分より高い才能というものを目の当たりにして。それの高さを見るだけの目があってしまったことが不幸だったのだろうか。
それを、何をしても越えられないと思った?
だから、止めてしまえと思った?
(そうじゃないんだろうな。そういう人じゃない。結局は)
嫉妬だ。
嫉妬してしまった事だ。
なんでこいつが、俺よりも。
今ならはっきりわかる、どうしようもなく負の感情というものが込められた目だ。
きっと、越えられないうんぬんよりも、そう思ってしまった事、その思いが――武術というものに関わっている限り、消えはしないと確信できてしまう己が。
情けなく思えて、絶望してしまったのだろうと啓一郎は思う。別に、そう見られても平気だったのにと思う。それでもきっと、自分は父を嫌う事はなかったと。
(子を、大事にする人だったから)
だからといって、虐待されたわけでも、稽古にかこつけて理不尽や暴力を強いるわけでもなかったのに。
それでも、なによりも、子供にそんな感情を持ち続けることが許せなかったのだろうと。
(数十年。続けてきたことは、決して軽くない。それを、放り捨ててしまうことなんてなかったのに)
そう思ってしまうのは、生涯かけてまでやるものだと思っていないからだろうか。
すっぱりやめたことを、啓一郎は勘違いしていない。
(絶対に。当てつけでもなければ、諦めたくたくてあきらめたわけではない――俺が、自分の子供でなければ、きっとそれでも続けていただろう)
不器用な人だった。
だから、子供に正面から向き合い続けるために。
(子供を、ただ子供として見るという自信を持ち続けるために。ただそれだけのために、長年、自分自身ともいえるものを捨てるなんて。軽くもなかっただろうに、本当にすっぱりやめたからな)
天秤にかけるまでもなく、子供のほうが続けてきたものよりも重いというその心は、素直に凄いと思うけれど。
ただ、急速に老けたと思う。
続けていてくれれば、もう少し共にいれたと。
だから、とても残念に思うのだ。
申し訳はなくは思えなくとも、ただただ。嫉妬されようが、生きて一緒に親子をやってほしかったと。
どこか、怒りのような火のような、熱い温度のある気持ちもありながら、残念だとも思うのだ。
(図らずも、親戚に鬼子等呼ばれるはめになったっけか。どうでもいいんだよなぁ、どういわれようが。どっか、壊れでもしてるのかね? 普通は、もっと怒ったり悲しんだりするべきなのか? いいじゃないか、他人がどう思おうが)
ドライにみられるのか、雰囲気が怖いと言われることもあり、長続きする友人というものを啓一郎は今まで得ることができないでいた。
同性も、異性も、友人も、恋人も。
啓一郎という人間は、何もかも長続きがしない男だった。
ただ、熱心ではなくも父から伝えられた武術だけは淡々と、癖のように続けているだけ。
大学も、言っておいた方がいいという父の言葉に従って進学しただけの話で、特に目的意識等というものもなく。
(何をすればいいだろう。何を目指そうか……人と殴り合うのは嫌いじゃないんだが、そんな将来って割とすさんでるよな)
きっと、割と物理で短絡的に解決したがる思考の啓一郎が、それでもしっかり勉強してトラブルを積極的に起こさず生きてこれたのは、父という存在があったからだろう。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
催眠術師は眠りたい ~洗脳されなかった俺は、クラスメイトを見捨ててまったりします~
山田 武
ファンタジー
テンプレのように異世界にクラスごと召喚された主人公──イム。
与えられた力は面倒臭がりな彼に合った能力──睡眠に関するもの……そして催眠魔法。
そんな力を使いこなし、のらりくらりと異世界を生きていく。
「──誰か、養ってくれない?」
この物語は催眠の力をR18指定……ではなく自身の自堕落ライフのために使う、一人の少年の引き籠もり譚。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
最初から最強ぼっちの俺は英雄になります
総長ヒューガ
ファンタジー
いつも通りに一人ぼっちでゲームをしていた、そして疲れて寝ていたら、人々の驚きの声が聞こえた、目を開けてみるとそこにはゲームの世界だった、これから待ち受ける敵にも勝たないといけない、予想外の敵にも勝たないといけないぼっちはゲーム内の英雄になれるのか!
クラス転移したからクラスの奴に復讐します
wrath
ファンタジー
俺こと灞熾蘑 煌羈はクラスでいじめられていた。
ある日、突然クラスが光輝き俺のいる3年1組は異世界へと召喚されることになった。
だが、俺はそこへ転移する前に神様にお呼ばれし……。
クラスの奴らよりも強くなった俺はクラスの奴らに復讐します。
まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。
閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。
追伸、
雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。
気になった方は是非読んでみてください。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる