黎明の花嫁

一色

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3. 住処

 朝焼けに染まる空の下、地上よりも遥かに高い山頂は雲海に覆われ始める。
 深い霧が満ちる中を、山神様は僕を横抱きにして歩き続けた。

 辿り着いたのは、崖だった。

 下を覗き込めば、地の底すら見えない様な深い谷が広がる。恐怖に体を竦ませると、山神様は静かに僕を地面へと降ろした。
「下がっておれ」
 その言葉に、素直に従う。
 すると、霧に覆われた崖に向かって山神様は拍手を一つ打ち鳴らした。
 鼓膜を揺らすような鋭い音に、思わず目を瞑る。次に目を開いた時、僕は驚いた。


 崖の霧は晴れ渡り、そこには黄金の橋がかかっていたのだ。


「さぁ、蒼。ゆくぞ」
 山神様は、驚きのあまり固まる僕を、もう一度抱き上げた。
 温かな腕に包まれながら、布面におおわれた顔をそっと見上げる。
「何処へ、ゆくのですか?」
 その表情を見ることは叶わないが、微かに笑う気配がした。


「我らの住処だ」


 長い、長い、橋を渡る。
 そうして見えてきたのは、朱塗りの天高くそびえ立つ鳥居だった。
 鳥居を潜れば、景色は一変する。
 先程までは深い木々に覆われた山中であったというのに、ここは別世界だった。

 雲一つない青空が広がる。
 そこは、穏やかな陽光に満ち溢れていた。

 目の前には、鮮やかな朱色の大きな社殿があり、豪華絢爛な装飾が施されている。
 広い庭には四季折々の花が咲き乱れ、一年の四季を集めたかのようであった。


 山神様は、社殿の中へと入ると、磨き上げられた広い板の間へ僕を降ろした。
「疲れてはおらぬか」
 長い爪が当たらぬ様に、指の腹で頬を撫でられる。それがたまらなく擽ったくて、僕は身を縮めながら問いかけた。
「山神様。お聞きしても宜しいですか?」
「許可しよう」
「あの……。僕は、貴方様にいつ喰べられるのでしょうか?」
 緊張に、語尾が僅かに震えた。
 固唾を飲んで山神様を見上げる。

 しかし、次の瞬間ー……

 彼は、盛大に笑った。

「はっはっは!蒼よ。まだ、我に喰われると思っておったのか。これは愉快」
「た、喰べないのですか……?」
「言ったであろう。お前は、花嫁だと」
「花嫁…………?」

 その言葉に首を傾げれば、頬を撫でていた指先が瞳の際を優しくなぞった。


「その瞳が、何よりの証拠である」


 面布を隔てていても分かる程に、熱を孕んだ視線を感じる。見つめ返せば、その熱が移ったかのように腹の底が小さく疼いた。

「我は、日輪の神の子だ」
「日輪……、太陽ですか?」
「如何にも。その昔、我の父は人の子を嫁として迎え入れた。その娘は、他者とは違い髪に日輪を宿す者だった。我の母だ」
 目の前で、燃える様な日輪に染まった髪がハラリと揺れた。
「父は言っていた。時が満ちた時、我も特別を宿す"花嫁"と出会うだろうと」
「そんな、僕なんかー…………」
 そう言いかけるが、山神様は静かに顔を寄せた。

「日輪に照らされるが如く、晴れ渡る空を宿すその瞳」

 鼻先に面布が微かに触れる程の距離で、低い声が甘く囁く。


「お前こそ、我が待ち望んだ花嫁だ」


 いつの間にか絡め取られていた左手の甲に、山神様は顔を寄せた。


 布越しに柔らかな感触が一つ落とされる。


 それは、誓いの口付けだった。
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