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とある辺境伯の恋患い
湖の底1
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ジゼルが魔法学院へ入学した七歳の頃、兄達の馬に乗せてもらい、美しい湖畔を見に行ったことがある。北の遠方の土地が、まだ統治されていない時代の話だ。
兄達が目を離した隙に、ジゼルは湖の反対側を見に行った。泥濘に足を滑らせ、そのまま暗く冷たい水底に沈んだ。危ないから一人で遊びに行ってはいけないよ、という言いつけを破ったからだ。
死ぬ恐怖よりも、兄達との約束を破ったことを、ジゼルは後悔した。
藻掻く力は徐々になくなり、浮力の失った身体は、静かに沈んでいった。
「う……ん」
目覚めるのと同時に、ジゼルは激しく咳き込み、飲んでしまった水を吐き出した。眼前には白い石灰でできたような岩が連なり、ジゼルは平らな場所へ寝かされていた。居住地というよりは、自然にできた造りのようだった。
──どこだろう……ここ。あの世……なのかな?
となると、自分は誰もいないこの場所をさまよい続けるのだろうか。ジゼルはひたすらに家族の名を呼んだ。
すると、凄まじい風の音が遠くで聞こえた。それは徐々に、確実にこちらへと近付いてくる。
突風が吹き荒び、ジゼルは顔を両腕で覆う。次に目を開けたとき、巨大な白い竜がジゼルの前にいた。
「人間よ。何用でここへ参った?」
王都で荷運びや騎士隊の相棒として、竜が人間と一緒にいる個体は見たことがあるが、ここまで大きな竜は初めて見た。それに、話せる竜にジゼルは会ったことがない。
ジゼルはしばし口をぽかんと開けていた。
「すごい……! 喋る竜なんて初めて見た……!」
「人の使う言葉など、私には簡単に操れる」
「えぇ!? すごく賢い竜なんだね!」
と、ジゼルが褒めると、白竜はぐううう……と天を仰ぎ喉を鳴らした。よく見ると銀灰色で、見る角度によって貝殻のように様々な色を放っている。美しい鱗はところどころ剥がれていて、肉が露出している部分がある。血も流れていて、見るからに痛そうだ。
「怪我してるの? 痛くない?」
「貴様に心配される程ではない」
「あ、そうだ。僕、治癒魔法が使えるんだ。学校で読んだ本にあって……竜に効くかは、分からないけど」
ジゼルが指先に魔力を込めると、竜は警戒するように吠えた。
「何をしやる」
「君を治してあげたくて……怖がらないで」
「怖がる? 私が? 貴様など一噛みで殺せるのだぞ」
「そんな乱暴なこと言ったらダメだよ。お友達がいなくなっちゃうよ」
言葉ではジゼルを遠ざけようとするものの、竜は素直にジゼルの手当てを受けた。しかし、竜はさも面白くないように碧色の目を眇めるだけだった。
「余計な真似を」
「えへへ、上手だったでしょう? 母上の指のささくれやお兄様の訓練の傷だって、僕が治してるんだ」
それを聞いても竜はぷいっとそっぽを向くだけだった。
「ここはどこなの?」
「教える気はない。其処許こそどこから来た?」
「じゃあ僕も教えない!」
先に痺れを切らしたのは竜のほうで、「湖底だ」と明かした。
「水の中なのに、息ができるの?」
「私の結界のおかげだ。何人も、足を踏み入れられないはずだったが。貴様、何者だ?」
「僕はジゼル イディオス。湖で溺れたと思ったら、ここにいたんだ」
「イディオス……男爵家の者だな」
竜はそう呟くと、ジゼルを背に乗せて飛び立った。
……────。
ルシアスの背の上で、人の子が何やら騒いでいる。ルシアスは耳をそばだてた。
「もっと上手に飛べないの?」
竜の中で一番強く速いルシアスが、初めて投げかけられた言葉だった。これが他の竜であれば、ルシアスは怒りに任せて相手を再起不能にしていたことだろう。
「其処許を気にしなければもっと速く飛べるが?」
ルシアスが意地悪を言うと、ジゼルは「振り落とさないでー!」と、身体にしがみつく。
──人間は温かいのだな。
体温の低い竜にとって、人間の身体は発熱したように温かかった。生まれてから千年、人と触れ合ったことのない孤高の竜は、それを初めて知ったのだ。
人間を連れたルシアスを出迎えた臣下達は、酷く驚いていた。暴君竜ルシアスを討伐しようとやってきた傭兵達との闘いで傷を負っていたルシアスに、臣下達は恐る恐る意見する。
「人間の罠かもしれません」
「殺してしまいましょう」
臣下達の意見を、ルシアスは一蹴した。
「このまま様子を見る。王族の者ならば、見せしめに首を送りつけてやったのに。残念だ」
そう言ってルシアスは笑った。底冷えするような、一切愉悦のない笑いに、臣下達の足や翼は震える。どうして笑えるのか、自分でも分からなかった。その夜、岩肌で寝るのは痛いとジゼルがごねたので、藁や動物の羽毛をひいてやった。一人だと眠れないと言うので、ルシアスが話し相手になった。
生肉は食べられない、と言うので、手間をかけて焼いてやり、肉だけだと飽きる、と言うので、果実や穀物なども用意した。
人間の生態など知らないし興味もないが、勝手に死なれると困るからだ。
兄達が目を離した隙に、ジゼルは湖の反対側を見に行った。泥濘に足を滑らせ、そのまま暗く冷たい水底に沈んだ。危ないから一人で遊びに行ってはいけないよ、という言いつけを破ったからだ。
死ぬ恐怖よりも、兄達との約束を破ったことを、ジゼルは後悔した。
藻掻く力は徐々になくなり、浮力の失った身体は、静かに沈んでいった。
「う……ん」
目覚めるのと同時に、ジゼルは激しく咳き込み、飲んでしまった水を吐き出した。眼前には白い石灰でできたような岩が連なり、ジゼルは平らな場所へ寝かされていた。居住地というよりは、自然にできた造りのようだった。
──どこだろう……ここ。あの世……なのかな?
となると、自分は誰もいないこの場所をさまよい続けるのだろうか。ジゼルはひたすらに家族の名を呼んだ。
すると、凄まじい風の音が遠くで聞こえた。それは徐々に、確実にこちらへと近付いてくる。
突風が吹き荒び、ジゼルは顔を両腕で覆う。次に目を開けたとき、巨大な白い竜がジゼルの前にいた。
「人間よ。何用でここへ参った?」
王都で荷運びや騎士隊の相棒として、竜が人間と一緒にいる個体は見たことがあるが、ここまで大きな竜は初めて見た。それに、話せる竜にジゼルは会ったことがない。
ジゼルはしばし口をぽかんと開けていた。
「すごい……! 喋る竜なんて初めて見た……!」
「人の使う言葉など、私には簡単に操れる」
「えぇ!? すごく賢い竜なんだね!」
と、ジゼルが褒めると、白竜はぐううう……と天を仰ぎ喉を鳴らした。よく見ると銀灰色で、見る角度によって貝殻のように様々な色を放っている。美しい鱗はところどころ剥がれていて、肉が露出している部分がある。血も流れていて、見るからに痛そうだ。
「怪我してるの? 痛くない?」
「貴様に心配される程ではない」
「あ、そうだ。僕、治癒魔法が使えるんだ。学校で読んだ本にあって……竜に効くかは、分からないけど」
ジゼルが指先に魔力を込めると、竜は警戒するように吠えた。
「何をしやる」
「君を治してあげたくて……怖がらないで」
「怖がる? 私が? 貴様など一噛みで殺せるのだぞ」
「そんな乱暴なこと言ったらダメだよ。お友達がいなくなっちゃうよ」
言葉ではジゼルを遠ざけようとするものの、竜は素直にジゼルの手当てを受けた。しかし、竜はさも面白くないように碧色の目を眇めるだけだった。
「余計な真似を」
「えへへ、上手だったでしょう? 母上の指のささくれやお兄様の訓練の傷だって、僕が治してるんだ」
それを聞いても竜はぷいっとそっぽを向くだけだった。
「ここはどこなの?」
「教える気はない。其処許こそどこから来た?」
「じゃあ僕も教えない!」
先に痺れを切らしたのは竜のほうで、「湖底だ」と明かした。
「水の中なのに、息ができるの?」
「私の結界のおかげだ。何人も、足を踏み入れられないはずだったが。貴様、何者だ?」
「僕はジゼル イディオス。湖で溺れたと思ったら、ここにいたんだ」
「イディオス……男爵家の者だな」
竜はそう呟くと、ジゼルを背に乗せて飛び立った。
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「もっと上手に飛べないの?」
竜の中で一番強く速いルシアスが、初めて投げかけられた言葉だった。これが他の竜であれば、ルシアスは怒りに任せて相手を再起不能にしていたことだろう。
「其処許を気にしなければもっと速く飛べるが?」
ルシアスが意地悪を言うと、ジゼルは「振り落とさないでー!」と、身体にしがみつく。
──人間は温かいのだな。
体温の低い竜にとって、人間の身体は発熱したように温かかった。生まれてから千年、人と触れ合ったことのない孤高の竜は、それを初めて知ったのだ。
人間を連れたルシアスを出迎えた臣下達は、酷く驚いていた。暴君竜ルシアスを討伐しようとやってきた傭兵達との闘いで傷を負っていたルシアスに、臣下達は恐る恐る意見する。
「人間の罠かもしれません」
「殺してしまいましょう」
臣下達の意見を、ルシアスは一蹴した。
「このまま様子を見る。王族の者ならば、見せしめに首を送りつけてやったのに。残念だ」
そう言ってルシアスは笑った。底冷えするような、一切愉悦のない笑いに、臣下達の足や翼は震える。どうして笑えるのか、自分でも分からなかった。その夜、岩肌で寝るのは痛いとジゼルがごねたので、藁や動物の羽毛をひいてやった。一人だと眠れないと言うので、ルシアスが話し相手になった。
生肉は食べられない、と言うので、手間をかけて焼いてやり、肉だけだと飽きる、と言うので、果実や穀物なども用意した。
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