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★ピタラス諸島第二、コトコ島編★

313:雨を、呼ぶのじゃ

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「あぁ、姫巫女様、戻られましたか。その者は……、どうなされた? 何故にそのような?? 何やら大きな物音がしたようですが……」

   右頬を赤く腫れ上がらせた、なんとも痛々しいお顔のカービィを見て、野草はそう言った。

「大事ない。その者は自らそうなったのじゃ」

   加害者であるはずの桃子は、さも当たり前かのような顔で平然と嘘をつく。

   ……あんたが今その手に持っている大きな伝玉を、カービィ目掛けて投げたからこうなってるんでしょうが!?
   確かに、いきなり真っ裸になったカービィも悪いけどさぁっ!!?

「マダム、心配には及びませぬ。この男の中の男カービィは、ちょっとやそっとでやられる玉じゃ~ありやせんぜぇ~?」

   てやんでいっ! という感じで、そう言ったカービィだが……
   その腫れた右頬は、早く治療した方がいいですよ?
   頭の上にはまだ、グレコに殴られたタンコブがちょっぴり残っているし……、ボロボロだね。

   つい先程、焚き火の炎が小さくなり、伝玉の光が失われた事で、泉の周辺は一気に夜の暗闇へと飲み込まれた。
   あまりに暗く、場所が場所だけに、あまりに不気味だと感じた俺は、小屋の中が静かになっている事を確認して、そろそろ戻ろうと桃子に提案したのだ。
   
   小屋の中には、フカフカのどでかい毛布に埋もれるベッドに横たわる袮笛と、床まで伸びる毛布の上で眠るグレコと砂里。
   そして、椅子に腰掛け机に両肘をつき、何か考え事をしているかのような野草の姿があった。

「野草……。お前に話さねばならぬ事があるのじゃ。ただ、どこから話せば良いのか……」

   神妙な面持ちで、桃子は机を挟んで野草の向かい側にある椅子に腰掛けた。
   その両手に、コトコの残した伝玉を大事そうに抱えて……
(さっき思いっきり投げてたけどねっ!)

「長くなっても構いませぬ。どうか、この野草にお聞かせくださいませ。姫巫女様と、琴子様の身に起きた事……、五百年前に起きた出来事の全てを」

   野草の真っ直ぐな瞳に、桃子はコクンと頷いた。

   桃子は、これまで経験してきた事全てを、野草に話して聞かせた。
   琴子の事、夜霧の事、志垣の事、アメフラシの事……
   巫女守りの一族において、志垣の次に位が高い次官であるはずの野草でさえも、それらの話は全て初耳だったようだ。
   野草は目を見開き、口を真一文字に結んで、桃子の言葉一つ一つを噛み締めていた。

「そして、この玉じゃ……。これに、今は亡きコトコの声が残されておった。コトコの言葉を信ずるならば、我ら紫族の真の敵は、悪魔ハンニという者じゃ。五百年前、奴は、大陸より分かたれしこの島の雨を奪い、貧困の中で苦しむ夜霧を唆して紫族を襲わせた。コトコは夜霧の暴走を止め……、結果、命を落とす事となった。コトコは悪魔ハンニを火の山の頂に封じたようじゃが……。二十年前、南の村が滅んだのはおそらく、そのハンニの仕業じゃ。封じられたはずの悪魔ハンニが、何らかの理由で、再びこの世に解き放たれたのじゃ」

   桃子の言葉に、野草は必死に思考を巡らせる。

「しかし……、二十年前の南の村の惨事がそのハンニの仕業であるのなら、何故この二十年間、何も起こらなかったのでしょう? 奴の目的はいったい……??」

   ふむ、確かにそうだな。
   二十年前、南の村は砂里の幼馴染である灯火によって滅んだ。
   それはきっと、灯火が悪魔ハンニに唆されて、異形な怪物となったからだ。
   だけどこの二十年間、紫族の者達に被害は出ていない……
   どうしてなんだろう?
   悪魔ハンニの目的は、いったい何なんだ??

「悪魔ハンニってのは、炎を司る悪魔でな。普段は地の底にある、炎の川に身を潜めているらしい。だけど、数百年に一回、その命を永らえさせる為に、食事をするんだ。勿論、おいら達がするような普通の食事じゃねぇ。ハンニが食うのは、生きる者の魂……、命そのものだ。だけど、奴自身にはさほど力がない。魔法王国フーガの学会でも、ハンニは低い階級の悪魔だと位置付けられているからな。それで、力を持つ他者を操り、大勢の魂を喰らう手伝いをさせるのさ」

   床に敷かれた毛布の端っこに座って、カービィはそう言った。
   腫れた頬に、魔法で生成した氷を当てながら。

   なるほど……
   自分が長生きする為に、他者の魂を喰らうなんて……
   それも、自分の力ではなく、他者を操るなんて……
   どんだけ卑怯な奴なんだ!

「では、今回もその悪魔ハンニが、より多くの魂を喰らうために、我ら紫族のうち誰かを操って……?」

   野草の言葉に、カービィが頷く。

「そんな……。姫巫女様、我々はどうすれば……?」

   野草の問い掛けに、桃子は何かを決心したかのような面持ちで、こう言った。

「雨を、呼ぶのじゃ」

   桃子の唐突な提案に、野草も俺も顔をしかめる。

「雨を? しかし……、雨乞いの儀は先日行ったばかりでは?? 時を空けずして儀式を行えば、姫巫女様のお体に触りまする」

   野草の言葉に、俺は疑問を抱く。

   桃子の体に触るって……、桃子は病気か何かなのか?
   ……いや、そんな感じは全くしないけどね。
   そういえば、アメフラシも変な事言っていたよな。
   桃子が外に出ると、何か不都合があるかのような言葉を……

「妾なら大丈夫じゃ。どのみち数日の後に何か事が起きれば、二十年前と同じく、また連日雨を呼ばねばならぬじゃろう。それが少しばかり早まるだけの事……。雨を降らせ、その悪魔ハンニとやらをおびき出せば良い」

   なっ!? なんだってぇ!??

「おびき出すってそんな……。え? 雨が降ると、ハンニが出てくるの!? そんなわけ……」

「ない、とは言えぬじゃろ? 奴の目的がわからぬ以上、妾が出来るのはせいぜい雨を呼ぶ事くらいじゃて」

   ワタワタと話す俺に対し、桃子は何故か落ち着き払っている。
   これが、五百年生きてきた者の肝の座り方というやつか?

   ……でもそれって、ハンニが姿を現さなければ、雨の降らせ損、みたいな事になりかねなく無い??

「雨を降らせる事にはおいらも賛成だ! ハンニは炎を司る悪魔。雨が降れば、多少なりとも弱るはずだ。ハンニが雨を奪うのは、おまいさん達を困らせる意図もあるだろうが、ハンニ自身が雨を嫌うからだろう。もしかしたら、怖気付いて退散するかも知れねぇ。或いは……」

   カービィはそこで、わざと言葉を切った。
   後に続く言葉を、ジッと待つ俺と桃子と野草。
   しかしカービィは、妙に真剣な顔をしながら、口をギュッと閉じている。

   ……何故、溜める? 
   ふざけている場合じゃないのだよ??
   さっさと続きを話したまえ、カービィ君。

「或いは何さ?」

   痺れを切らし、俺は尋ねた。

「或いは……、逆上して、おいら達を襲ってくるか」

   ニヤリと笑うカービィ。
   その言葉に俺は、嫌~な汗が背中を伝うのを感じた。
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