上 下
566 / 796
★ピタラス諸島第四、ロリアン島編★

553:スヤァ〜

しおりを挟む
『えっ!? モッモ様も生贄になられるのですかっ!??』

   目を見開き驚くチルチル。

「いや、生贄になるつもりはないけど……。なんか、僕も泉に沈まなきゃならないらしい」

   グッタリとした様子で答える俺。
 チャイロとのやり取りの一部始終をチルチルに報告した俺は、無意識にベッドの上によじ登り、のっぺりと寝そべる。
 既に、その表面の硬さなど全く気にならないほどに、俺は疲弊していた。

 パトラッシュ……、僕もう疲れたよ……
 チルチル、はやく帰ってくれないかしら?
 呼び出しておいて悪いけどさ、仕事はもう終わったんだから、さっさと帰ってくれちゃっていいのよ??

 そんな事を思っていると、俺のお腹がク~っと鳴った。
 腹ペコの虫が、お腹の中で切なげな声を出しているのだ。
 だが、鞄の中にはほとんど食べ物が残っていない。
 そして、それ以前の問題が……
   今の俺にはもう、何かを食べる元気すらなかった。

 疲れと空腹で目の前がチカチカするし、全然頭が働かない。
   疲労のピークとはまさにこの事である。
 全身の倦怠感が半端ない。
 さっきまで気絶してたんだから、充分休んだだろ? って、思ったそこのあなた、ちょっとお待ち下さい……
 気絶と睡眠は、全く違いますからね。
 あんな、全身ビリビリ攻撃に遭って、白目剥いて倒れていた事のどこが休息ですか?
 それに……、無垢で可愛かったはずのチャイロに、あんな風に暴言吐かれて、暴力まで受けて、更には無茶な事を命令されて……
 挙げ句の果てには、疲れたから寝る! 出て行けっ!! なんて言われてさ。
 もう俺、心も体も満身創痍。
 ボロ雑巾のようにズタボロです、はい。

 しかしながら、そんな俺を前にしても、チルチルは話をやめてくれそうにない。
 それどころか、さっきより声のトーンが上がってしまっているではないか。

『そんなぁっ!?!? ……つかぬ事をお聞きしますが、モッモ様は泳げないのですよね?』

「……はい、泳げないですね」

『じゃあ駄目ですっ! 絶対駄目ですよそんなのっ!! 自殺するようなものでしょうっ!??』

「うん、僕もそう思う」

『そう思うって……、悠長に構えている場合じゃないですよっ!? モッモ様、逃げましょう! 今すぐ逃げましょう!! そもそも、貴方様がこんな呪縛の間にいる事自体が間違っているんです。封印されている神代の悪霊を救うなどという馬鹿げた発想をするお方は、後にも先にも、この世にモッモ様だけですよ。つまるところ、チャイロ様と仰るこの国の王子は、モッモ様が命を懸けてまで助ける必要の無い者なのです。だから逃げましょう!!!』

「う~ん……。まぁ、本当は僕もそうしたいんだけどね……。けどほら、蛾神が埋まっているとか言われたからさ。一応僕、調停者とかいうやつだし……。それをほっぽってなんて、帰ろうにも帰れなくて……、ゴニョゴニョ」

 うぅ……、疲れたぞ、眠いぞ。
 瞼がゆっくりと降りてきたぞ。
 逃げるのも帰るのも、ちょっと眠ってからでいいですか?

『いえいえ、いいんですよ、そんなのほっぽっておいても! そもそもモッモ様は、世界各地に存在する神々の様子を見て回る、という使命のもと、時空神に遣わされた使者なのでしょう? ならば、蛾神が紅竜人の手によって捕らえられ邪神となっているかもしれない、という事実を、時空神にお伝えすれば良いのです!! それだけで良いのです!!! それに……、こう言ってはなんですが、神代の悪霊が、新世界後に生まれし神を友と呼ぶなんて事……、私は信じられません。まさかとは思いますが、その者の戯言ではありませんか?』

「いやぁ~、嘘をついているようには見えなかったけどなぁ……。それに……、さっきからよく分からないんだけど、チャイロは……、いや、イグは、悪霊なの? チャイロが言っていた旧世界の神と、チルチルの言う神代の悪霊っていうのは、同じ者の事なの??」

 本当は、そんな事今はどうでもいい。
 眠い、寝たい。
 けど、一生懸命に話すチルチルに対し、帰ってくれとは言えないから、とりあえず会話を続けてしまう俺。

『それは……。この世界が生まれてからの長く長い歴史の全てを、モッモ様に理解して頂くには今は時間が足りません。なので、簡単に説明させて頂きますね。まず、旧世界の神と神代の悪霊とは、同一の者達です。呼び名が二つあるのは、国や地域、種族によって、その神々に対する認識が異なるからです。ですが少なくとも、土の精霊ノームの王国では、この世界にとって旧世界の神々は悪霊の如き存在であった、と伝えられています。なので私達は、旧世界の神の事を、神代の悪霊と呼ぶのです』

「そうなんだ。でも……、どうして? なんで悪霊なんて呼ぶの?? 曲がりなりにも神様なんでしょ???」

『神は神でも、旧世界を支配していた神々は皆、この世界で生まれたわけでもなく、この世界の為に力を尽くす神ではなかったのです。今よりずっと昔……、時が数えられるより更に昔の事です。異界より、何らかの方法でこの世界にやってきた複数の神々は、好き勝手に暴れ回りました。海は荒れ、大地は割れて、空には雷雲が立ち込める、まさに暗黒の時代だったと伝えられています。世界は滅びの危機に瀕していた……。そんな神々の暴動を抑えたのが、後にアストレア王国を築くシーラの一族でした。彼等は神々と真っ向から戦い、そして勝利した。その際、シーラの一族に味方した者の間では、それらの神々は悪霊と伝えられ、また神々に従属していた者の間では神と伝えられた、という事です』

「ふむ、つまり宗教の違いってやつか? ……まぁいいや」

 チルチルの言っている事は、八割ほど理解不能だ。
 何故なら俺の思考が停止してるから。
   さて……、話は終わりですかね?

『俗に、ヴェルハーラ王国建国より始まったヴェルドラ歴を軸とした今の時代を【現世界】と呼び、シーラの一族が築いたアストレア王国が繁栄し滅ぶまでの時代を【新世界】と呼びます。そして、それ以前の神々の時代、つまり神話の世界の事を【旧世界】と呼ぶのです。旧世界の神々は、シーラの一族に敗れた後、別の世界へ逃れたと伝えられていますが……、定かではありません。誰も確かめた者などいないのですから』

「へ~、そうなんだ~」

 駄目だ、興味が持てない、難し過ぎる。
 もう、意識が遠のいて……、スヤァ~……

『ですが今、この部屋の奥にいる紅竜人の王子は、自らを旧世界の神イグであると名乗った……。イグという名の神が過去に存在した事は事実です。なんでも、この世界に現存する竜人族の祖となる種族を数多生み出した神であるとか……。ですが、私も全てを記憶しているわけではないので、破壊や暴動の記録が残っていたかどうかは定かではありません。でも……、神代の悪霊である事は確かだし……。というか、未だこの世界に神代の悪霊がいただなんて、信じられない。しかも、現世界の神である蛾神の事を友と呼ぶなんて……、にわかに信じ難い……。何か裏があるのかも……? もしかしたら、イグ自身も、蛾神の力を狙っているのかも……?? だとしたら一大事っ!? どうしましょうモッモ様!?? ……あれ? モッモ様?? モッモ様ぁあっ!!??』

 睡魔に負けた俺は、一人喋り続けるチルチルをその場に残して、夢の中へと落ちていった。
しおりを挟む

処理中です...