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5 ランベルトside
最後に兄と会ったのは、呼び出されて出向いた伯爵家の執務室だった。
「来月、アニサが住む平民街で夜祭りがあるだろう? 平民に見える服を一揃い用意してほしいんだ。ああ、そうは言っても、あまり見栄えの悪くないものをな」
「平民のふりをして祭りに潜り込むってのか? 恐れ多くも、この領地の領主様が」
「ああ。あの祭りは仮面を付ける習わしだから、いかにも貴族らしい身なりで出歩きさえしなければ領主だとは気づかれないだろう。祭りの夜は毎年アニサと通りを冷やかしているが、危険な目には一度も遭ったことがないんだ。心配は無用だよ。平民街とはいえ、あの辺りは安全なのだな」
父とよく似た人の良さそうな顔で、兄は夜祭りでの逢瀬に想いを馳せていた。
「ただでさえ不憫な生い立ちのアニサに日頃は寂しい思いをさせているからな。こういった機会には、できる限り楽しませてやりたいんだよ」
そう言って目を細める兄の頭の中には、同じ屋敷の中にいる正妻の存在など塵ほどもなさそうだった。
「そうかい。まあ、精々気をつけてな。服は十日後に愛人の家に届けさせるよ」
「ランベルト。アニサを愛人などと呼ばないでくれと以前にも」
「ああ、悪い。兄さんの中では愛人は義姉さんのほうだったか」
「っ……ランベルト!」
「はは。冗談だ。そんなに怒るなよ。それじゃ、またな。兄さん」
この時には既に、俺が兄に代わって当主になることが水面下で決まっていた。兄は愛人に持ちかけられた架空の投資話に手を出して莫大な借金を抱えたことに動揺はしていても、領主の権限でなんとかなるだろうと甘い考えを持っていたようだ。
債務をどうにかしてくれと俺に泣きついてきたのは家令や縁戚の連中で、兄には何も知らされていない。自分の足場がとっくに崩れ落ちていることにも気付かず、呑気に祭の話をする兄の姿は滑稽を通り越して憐れに見えた。
その夜、俺は学生時代の友人達を誘って平民街の酒場で飲んだ。
「そういや昼間、今年の夜祭りは護衛なしで愛人とデートするから平民が着るような服を用立てろと、兄から注文を受けたんだ」
兄がこれまで無事に平民街の祭を楽しめたのは、大通りを護衛付きで練り歩いていたからだ。
「我が兄ながら、まったく危機感が薄くて困るぜ」
俺の兄がこの領地の領主であることは、この街では誰もが知る事実だ。兄が学生時代から平民の女を囲い続けていることも。
毎年、屋敷に正妻を残し夜祭りに繰り出す兄が、あわよくば少しばかり痛い目に遭えばいい。それくらいのつもりで酔って口を滑らせたふりをして、俺は酒場で兄の情報を漏らしたのだった。
祭りの夜に兄と愛人を暴行して僅かな金を奪って逃げた連中は、数日経って警備隊に捕縛されたが、兄だと知って狙ったかどうか聞き出されることもないまま即日処刑されたらしい。
──セレーナとの出会いは、兄と彼女の結婚式だった。兄の伴侶じゃなければ口説いていただろう、見惚れるほどのいい女だった。
しばらくしてセレーナは、兄に内緒で俺を屋敷の外に呼び出した。富裕層向けのカフェの個室で『避妊薬を融通してほしいの』と、潤んだ瞳と震える声で打ち明けられた時、身体の奥が痺れた。
たったそれだけのことで、俺はセレーナに参ってしまったのだ。生まれて初めて兄を羨ましいと思った。
兄は死ぬまで気付かずじまいだったが、愛人のアニサという女が兄に買い与えられた屋敷に男を引っ張り込んでいることは、平民街では有名だった。
俺は伝手を使って見てくれのいい詐欺師崩れの男をアニサに接近させた。優男にまんまとのぼせ上がったアニサは言われるままに架空の投資話を兄に持ちかけ、おかげで奴は莫大な借金をこさえ、俺はセレーナと、彼女の夫の座を手に入れられた。
兄が生きていたら俺と当主を交代するのに相当ゴネただろうから、祭りの晩にくたばってくれて助かった。
葬儀の晩に喪服のセレーナを抱いたのは彼女に兄への未練を断ち切らせるためと、愚かな兄への俺からの手向けだ。
彼女が寝ている間に屋敷にあった避妊薬を探し出して全て捨て、それから使用人に客間の肖像画を外させ庭へと運ばせた。
兄の肖像画を焚き火にくべている間、消し炭になりゆく兄に向けて、俺は心の中で語りかけていた。
『さよなら、兄さん。俺はこっちで愛する妻と幸せに暮らすから、あんたはあの世で愛人とよろしくやるといい』と。
それと、セレーナを冷遇していた実家の子爵家への支援も打ち切る予定でいるから、近々文句を言いにくるかもしれないな。
終
「来月、アニサが住む平民街で夜祭りがあるだろう? 平民に見える服を一揃い用意してほしいんだ。ああ、そうは言っても、あまり見栄えの悪くないものをな」
「平民のふりをして祭りに潜り込むってのか? 恐れ多くも、この領地の領主様が」
「ああ。あの祭りは仮面を付ける習わしだから、いかにも貴族らしい身なりで出歩きさえしなければ領主だとは気づかれないだろう。祭りの夜は毎年アニサと通りを冷やかしているが、危険な目には一度も遭ったことがないんだ。心配は無用だよ。平民街とはいえ、あの辺りは安全なのだな」
父とよく似た人の良さそうな顔で、兄は夜祭りでの逢瀬に想いを馳せていた。
「ただでさえ不憫な生い立ちのアニサに日頃は寂しい思いをさせているからな。こういった機会には、できる限り楽しませてやりたいんだよ」
そう言って目を細める兄の頭の中には、同じ屋敷の中にいる正妻の存在など塵ほどもなさそうだった。
「そうかい。まあ、精々気をつけてな。服は十日後に愛人の家に届けさせるよ」
「ランベルト。アニサを愛人などと呼ばないでくれと以前にも」
「ああ、悪い。兄さんの中では愛人は義姉さんのほうだったか」
「っ……ランベルト!」
「はは。冗談だ。そんなに怒るなよ。それじゃ、またな。兄さん」
この時には既に、俺が兄に代わって当主になることが水面下で決まっていた。兄は愛人に持ちかけられた架空の投資話に手を出して莫大な借金を抱えたことに動揺はしていても、領主の権限でなんとかなるだろうと甘い考えを持っていたようだ。
債務をどうにかしてくれと俺に泣きついてきたのは家令や縁戚の連中で、兄には何も知らされていない。自分の足場がとっくに崩れ落ちていることにも気付かず、呑気に祭の話をする兄の姿は滑稽を通り越して憐れに見えた。
その夜、俺は学生時代の友人達を誘って平民街の酒場で飲んだ。
「そういや昼間、今年の夜祭りは護衛なしで愛人とデートするから平民が着るような服を用立てろと、兄から注文を受けたんだ」
兄がこれまで無事に平民街の祭を楽しめたのは、大通りを護衛付きで練り歩いていたからだ。
「我が兄ながら、まったく危機感が薄くて困るぜ」
俺の兄がこの領地の領主であることは、この街では誰もが知る事実だ。兄が学生時代から平民の女を囲い続けていることも。
毎年、屋敷に正妻を残し夜祭りに繰り出す兄が、あわよくば少しばかり痛い目に遭えばいい。それくらいのつもりで酔って口を滑らせたふりをして、俺は酒場で兄の情報を漏らしたのだった。
祭りの夜に兄と愛人を暴行して僅かな金を奪って逃げた連中は、数日経って警備隊に捕縛されたが、兄だと知って狙ったかどうか聞き出されることもないまま即日処刑されたらしい。
──セレーナとの出会いは、兄と彼女の結婚式だった。兄の伴侶じゃなければ口説いていただろう、見惚れるほどのいい女だった。
しばらくしてセレーナは、兄に内緒で俺を屋敷の外に呼び出した。富裕層向けのカフェの個室で『避妊薬を融通してほしいの』と、潤んだ瞳と震える声で打ち明けられた時、身体の奥が痺れた。
たったそれだけのことで、俺はセレーナに参ってしまったのだ。生まれて初めて兄を羨ましいと思った。
兄は死ぬまで気付かずじまいだったが、愛人のアニサという女が兄に買い与えられた屋敷に男を引っ張り込んでいることは、平民街では有名だった。
俺は伝手を使って見てくれのいい詐欺師崩れの男をアニサに接近させた。優男にまんまとのぼせ上がったアニサは言われるままに架空の投資話を兄に持ちかけ、おかげで奴は莫大な借金をこさえ、俺はセレーナと、彼女の夫の座を手に入れられた。
兄が生きていたら俺と当主を交代するのに相当ゴネただろうから、祭りの晩にくたばってくれて助かった。
葬儀の晩に喪服のセレーナを抱いたのは彼女に兄への未練を断ち切らせるためと、愚かな兄への俺からの手向けだ。
彼女が寝ている間に屋敷にあった避妊薬を探し出して全て捨て、それから使用人に客間の肖像画を外させ庭へと運ばせた。
兄の肖像画を焚き火にくべている間、消し炭になりゆく兄に向けて、俺は心の中で語りかけていた。
『さよなら、兄さん。俺はこっちで愛する妻と幸せに暮らすから、あんたはあの世で愛人とよろしくやるといい』と。
それと、セレーナを冷遇していた実家の子爵家への支援も打ち切る予定でいるから、近々文句を言いにくるかもしれないな。
終
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