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事情と宝物

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『そうそう、献体になってもらったんだよ。彼は確かに死亡した。でも僕の実験により生き返った』
 携帯の受話口から聞こえる、不動の飄々とした声に片眉を上げ、人差し指と中指の間に挟んだ煙草を箱に戻した。ガチャガチャとゲームソフトを床に並べては眺める、美月とコハクを足して割ったような姿の子を一瞥して口を開く。
「いきなりそんなこと言われても何が何だか分からないんですけど。美月君は死んだ。じゃあどうやって生き返ったんですか?ていうか見た目変わってません?」
 不動の言葉を繰り返しながら説明を求める。
 久しぶりに人の気配のある室内に心が弾みつつ、美月本人かどうか疑う気持ちは消えてない。部屋に入って早々に、美月から「不動先生が電話してほしいと言っていました』とパーカーの中から折りたたまれたA4のコピー用紙を渡され、その中央に書かれた、癖の強い右上がりの番号を確認した。二度と名前を聞きたくないと思っていた人間と会話をしなければいけないことにひどい嫌悪感を覚えたが、不動が一枚噛んでいるということは明白になったので、仕方なく番号をタップしたのだ。
 問いかけの直後に、あちら側でチョロチョロと水の流れる音がした。次いでもっと勢いのある流水音。真剣な話してんのにトイレ入ってんじゃねえよ。
『脳だけ取り出したんだよ。心肺停止後時間が経っていたから、機能しなくなった脳細胞の再生術を施して、君の持っていた遠隔操作型ヒューマノイドに移植した。元々自律性のないロボットだから、容器としては最適だった。僕の実験は見事成功。彼で七例目かな。あと、僕の良心で筐体はメーカーに頼んで外見のカスタマイズとセンサの増設、劣化したパーツの交換を行っている』
 得意げに緩んだ狐顔が想起されて、舌打ちをしそうになるのを堪えた。
 不動の言うことは、まるでまともな医師の術後説明のように理路整然としていて、成功を見せつけるたっぷりとした余裕があった。俺は再びコハクに似た美月を見た。飴コーティングされたような眼球と目が合う。ほんのりと微笑みを向けられ、胸の中が擽られる。咳払いをして不動と対峙した。
「そんなことをして、体に影響は無いんですか?珍しい事例だとかってメディアに追われたりとか」
『影響ね。無いことはないよ。脳を活かしておくには血液と人工肺が必要だから、毎日人工血液の輸血が必要になる。メディアとか、そういうのは心配しなくていい。倫理的にもグレーな手術だから、この実験は公にはされてないんだよ』
「彼の両親は知ってるんでしょうね?」
『それは本人に聞いたら?僕の管轄じゃないから』
「……美月君は蘇生を望んだんですか?」
『いいや?』
 俺の硬い声をからかうように、不動は続けた。
『彼が望んだのは献体になることだけ。治療として認められてる手術でもないし、成功する確率の低いものを施すことは、生きてるうちは出来ない。死人を生き返らせるなんてのは医療の範疇と言えるのかも微妙だし。どちらかというと機械の修理に近いかもね。ま、同意はないってことさ』
 溜まっていた疑心と不安が込められている溜息が漏れた。不動は鼻で笑って、『そういうわけだからよろしく頼むよ。彼には忘れずに通院するよう伝えてね。じゃ』と滑らかに言って通話を切った。取り残された俺は足早に、正座をしている美月の前に移動し、同じ目線で眉を寄せた。
「美月君、大体の経緯は聞いた。ご両親は知っているのか?」
 美月は俺の剣幕に、何度か瞬きをした。
「説明をしに……行きました。でも、信じてもらえなくて、不審者だと思われて追い出されて、通報されそうになったので、ここに来ました」 
「……だよなあ」
「迷惑ですよね」
 その筐体についている相貌は、人工物ながらとても造りが良くて、透き通った瞳に見つめられると、惑わされてしまいそうで恐ろしかった。心細げに眉尻を下げる美月に笑って見せる。
「迷惑じゃない。そうか、ご両親に理解してもらうのは難しそうなんだな」
「はい。行くところがなければ不動先生が保護してくれるそうなんですが。また、我儘を聞いてもらえるんじゃないかと思って……来てしまいました」
 美月が俯く。剥き出しのゲームソフトをプレイした順に並べてあるのを確認して、その先がいくつも増えていくことを願ってしまった俺は、彼の頭に手を乗せた。
「よし、じゃあ広いとこに引っ越すか」
「え、……一緒に?」
「勿論」
 美月の瞳が花が咲くように見開かれ、口元が綻んだ。
「また、役に立てないかもしれません」
「いいよ」
「お金が、掛かるかも」
「構わない」
 目の前の幼い体が滲んでいく。そんなことはきにしなくてもいいんだよ。
 美月はじっと俺の顔を見つめて、両手を救いあげた。サイズの違うその手を、祈るように自分の額にくっつけて、目を瞑る。
「いつかバチが当たりそうです」
 俺の手に、猫がするように額を擦る。内部の発熱が伝わって生じる体温のような温かさが心地いい。
「君の方が人助けをしているんだから大丈夫だろ」
「芳賀さんは物好きですね」
「はは、君もこんなおっさんといるんだ。十分物好きだよ」
 美月が安心したように微笑み、その途端に腹が鳴った。美月は充電を、その傍で弁当の海鮮かき揚げ丼を食べた。ふとゲームソフトは増えているか聞かれて、「いや、ない」と答えると、美月はソフトを一つ摘まみ上げ、モンスターを狩り始めた。懐かしい風景に再び視界に蜃気楼が掛かる。
 歳をとると涙もろくなるっていうのは本当なんだな。
 汚れたままの室内に、寝息が二つ染み込んでいった。狭くて硬いソファーの感触にすら寛容になれる。柔らかな夜に包まれて、深い眠りに沈んだまま、翌日寝坊して、仕事に遅刻した。
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