サーシェ

天山敬法

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第四章 叛逆の同志

28話 パーティル奪還戦

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 その春の夜、前もっての情報の通り……確かに空には雲一つなく晴れ渡っていた。
 ズミの地を包む漆黒のとばりの真ん中に、半分だけ欠けた月が……、“あちら側”の世界の光を美しく地上に落とす。
 どれだけの同胞があの光の向こうに旅立っていったことだろう。どれだけの血と涙に濡れてきたことだろう。
 その清らかにも深い影を仰いで、僕達は誓う。……邪悪なる侵略者への復讐を。
 アミュテュス・サーシェ、あなた方の望むままに。今宵も多くの血が流れる……。

 夜の闇、森の風に身を溶かして駆ける獣……、今までの多くの戦いでは僕の姿はそうだったが……、今回は少し違う。町の中にゆっくりと、頭をもたげる巨獣の如くその石畳を踏む。傍らには、フードで顔を隠した魔術師の姿がある。
 僕は街中の工作行動には不慣れだ。他の兵士とともに突撃部隊につくつもりだったのだが……。
「俺は魔術のプロだが、近接戦は素人だ。護衛がいないと怖くて歩けん」
 パウルはそんなことをあっけらかんとした調子で言うのだ。
 今まで何度か見てきた彼の戦いぶりを思うに、近接戦になったとしても、決して彼の動きは鈍くなかった。素人と言うのはさすがに謙遜が過ぎるだろうが……ともかく頑なに僕の同行を要求するので、結局従うことになったのだ。
 成り行きの腐れ縁とも言える同行だが、そこまで自分の力を頼ってくる仲間の言葉は、素直に嬉しいものがある。
 言うまでもなく魔術師の動きは特殊であり、他の部隊からは独立している。最初の僕達の仕事は……、開戦の狼煙を上げることだった。
 事前に位置を調べていた敵の魔法陣、その中でも町の中央から若干西側を迂回するようにして、北へ向かわせた動線をなぞるようにそれを追う。その最初の一つ目の陣をパウルは静かに起動して見せる。
 光の線が描いた幾重もの円の中、トレンティアの魔道文字が踊るようにめぐっている、その隙間に巧みに魔力を流し込み、彼は術式を“盗む”。
「行くぜ」
 短く言ったのを最後に、大人二人分の背丈ほどの直径の魔法陣から、月夜の空を突き刺すように眩く爆炎が上がった。それが街の石塀の外に散開して待機している部隊への合図だ。
 夜の静けさは、爆音を聞いた地域住民、そして夜間の警備兵達によってすぐに破られていくことだろう。その中を、僕達は二人で堂々と歩いていく。
 二つ目の魔法陣の元へ来たとき、既に数人の兵士が足早に駆けている様子があった。それに向かって、僕は高々と武器を掲げる。
「出てきたな、ボンクラども。我々ズミの民の怒りを……、報いを受けろ!」
 柄にもなく大声を出して威嚇する。兵士らはすぐにレジスタンスの蜂起であることを悟っただろう。剣を取るものが二人、魔法陣を浮かべるものも二人、そして足元の陣に魔力を流すものが一人。
 だが、所有権を盗まれた魔法陣は当然発動しない。彼が戸惑う間もなく、味方であるはずの魔法陣から吹き上がった炎は一挙に彼らを襲う。
 想定外の事態に怯んだ彼らの元へ、僕は獣のように飛びかかる。狙うのは首ではなく腕の関節だけだ。陽動には、できるだけ大騒ぎをしてもらった方が都合がいいからだ。
 武器だけを封じれば、あとは好きなだけ足蹴にして、ある程度のところで次の目的地へ向かう。そろそろ足を速めないといけないな。
 緊急事態を報せる鐘が甲高く鳴っている。騒ぎを聞いて起き出してきた浮浪者達がめいめいに逃げ惑う。その影に紛れるように僕は走る。
 三つ目の魔法陣の元にも敵がいる。その上を僕が踏んだだけで、面白いほどに敵は勝ち誇る。少し早まったせいで魔法陣の改造は間に合わないようだ。仕方なく、勝ち誇った顔で陣に触れる敵めがけて、僕はその陣を飛び越えて跳躍した。
 彼の後ろ側に立って蹴り飛ばし、陣の内側に追いやる。味方を巻き込むことを怖れて、敵はその陣を発動しなくなる。
 もう二人の敵が剣を持って追ってくるので、躱しながら位置を調整する。数秒したのち、やっとパウルの仕事が追いついて、魔法が敵を襲う。
「ヨンお前、気が早いって。少しは待てバカ」
 パウルがぷりぷりと怒っているが、適当に手を振ってあしらった。勝てばいいだろ、と。
「一旦移動だ。予定通りレスト商会に」
 パウルの指示通り、魔法陣を追う動きから一旦逸れる。細い路地を二つほどまたいだ先の指定地点には、置物みたいな様子で座っているフェリアの姿がある。
「フェリアをもう出すか?」
 商館の玄関口に立ったまま聞くと、パウルは難しそうに眉を寄せた。
「うーん、特に連絡がなければ急ぐ必要も……」
 そうぼやいた矢先、激しく石畳を叩く蹄の音が迫ってきた。ぱっと振り向くと、馬上にいる二人の人間のうち、後ろに腰掛けていた女が声を上げる。
「ヨン! ごめんだけど緊急任務! 近いからすぐ行って!」
 抑えた声ながらにそう張り上げたのは、顔を隠しているが……声からしてティファだ。
 僕は眉を寄せて彼女を睨んだ。返事など待たず、ティファは馬から降りると代わりに乗れ、と促してきた。
 僕に乗馬の経験は無いに等しいが、幸い運転者が連れて行ってくれる様子だ。とにかく身を馬の背に乗り上げて、前に座っているローブの男の肩を掴んだ。
「ええ? おいヨン、俺の護衛は……」
 気の抜けた声で言うパウルを捨て置き、運転者はすぐに馬の鞭を打った。今のところフェリアも持て余しているのだし、護衛はどうにでもなるだろう。

「飛ばしますよ、しっかり掴まって」
 そう小さく飛ばしてきた運転者の声を聞いて、さすがに少し驚いた。……当日は一目散に逃げると聞いていたけどな。
 力強く地を蹴る馬の背に揺られながら、フードを被ったロードが前を見たまま口を開いた。
「弓矢はありますか?」
「ある」
「結構です。騎射の経験があるかは知りませんが、ズミの狩人の腕を信じますよ」
 戦いの喚声に包まれていく夜中にも、ロードの声は挑発的な笑みを含んでいる。トレンティアの上流貴族らしいが、さすが国家への反逆を企むだけあって肝が太い。自ら戦場に駆り出してくるなんて、貴族のくせに大胆じゃないか、なんて偉そうな評価を胸の内でしてやった。
 僕は返事もせず、馬の背で流れていく景色を凝視していた。やがて路地を突き進む内、前方で同じように道行く馬の姿が目に入った。
「あの馬を射てますか」
 ロードの言葉を聞き、僕は揺れる馬上で鐙を踏んで立ち上がった。
 角度は運転手が器用に整えてくれている。素早く矢をつがえ、目を外気に晒し、月の光を頼りに標的を捕捉する。騎射の経験はないし、地面に立って射つよりも当然難しい。だけどできないというわけにもいかない。それが今の僕に求められている。
 ぱしと音を上げて宙を飛んだ矢は、狙い通りに相手の馬の腿を刺した。僕は集中のために飲み込んでいた息を、歓声のようにしてふっと吐いた。
「お見事」
 ロードも不敵に笑ってくれたようだ。
 どうと石畳の上に倒れた敵の馬から、そこに乗っていた者の体も倒れ込む。そこにロードはゆっくりと馬を歩ませた。落馬した男はすぐに動く気配もなく、もがく様子すらない。
 ロードは彼の元に辿り着くと、すとんと馬から降りてその顔を見下ろした。
「……駄目ではありませんか、デニング殿。体の調子が悪いのに無理をされては……」
 そして涼しい声をかけて見せた。僕は馬上で息を整えながら、倒れた男に視線をやる。月明かりの下、白い髪の老人らしいことが分かった。しかしその体つきは逞しく、鎧を着込んでいる……軍人だろう。
「ロード……殿? なぜ、ここに……」
 老騎士はぽつりぽつりと言った。その声は相当に苦しそうで、落馬の際に既に負傷したのか……いや。
「あなた様がご病体を押して出陣されたなどと聞いたものですから、驚いて」
「……寝てなど、いられません! 敵襲が……、ロード殿、早くお逃げください! ここは私が守り……抜いて見せます!」
 苦しげな騎士の言葉を聞いて、ああそうか、なんてぼんやりと僕は思った。この騎士はこの期に及んでまだ、ロードに裏切られていることを知らないのだ。
「無理はいけませんよ。あなたの体の中にはすでに、隅々までレインの血が染み込んでいるはずです。……普通なら死んでいてもおかしくないのですよ? その痛みの中でよくもまあ出陣など……。本当に見上げた根性ですよ」
 その微笑みと言葉を、ようやく騎士は飲み込んだだろうか。わなわなと震える目で彼を見上げて……。
「ヨン、とどめを」
 ロードは冷たく言い放った。僕はやっと馬から降りて、その騎士の元に歩いた。月明かりの下で震えているのは青い瞳。誰とも知らないその騎士に、僕がかけてやれる情けはない。
 素早く抜いた短剣で、その長かったであろう人生に幕を下ろしてやる。……だけど分かる。彼を殺したのは僕ではない。
「お前がやったのか?」
 白々しく聞いてやると、ロードはくすりと笑った。
「レイン・クラネルト家秘伝の茶を召し上がっていただきましたからね。よい土産になったことでしょう」
 僕はげんなりとした気分でその美しい笑みを眺めた。……どうやらトレンティアで有名だという陰謀論は的外れではなかったらしい。
「万一抵抗されればと危ぶんであなたに来てもらいましたが……、既に虫の息だったようで安心しました。……アンデル・デニング殿は病体を押してまで勇敢に戦い、戦死されました。守備隊の指揮は引き続き、臨時にシモン・エルフィンズ殿がとってくださることでしょう」
 荒い息をついている馬を撫でながら、ロードは静かに言った。
「家名だけでのし上がったお飾り軍人か?」
 聞いてやると、やはり楽しそうに笑っている。
「よくご存知ですね。では、緊急任務はこれまでです。お互い持ち場に戻りましょう」
 一方的に言って、彼は一人でひらりと馬上に跨って行った。連れられるがまま連れてこられた先に取り残された僕は、とにかく仲間と合流するために足を急がせた。

 予定通りであれば、一旦レスト商会で連絡をとった後は、想定外のことが起きていない限りは再び魔法陣の破壊と少数兵による陽動を行うはずだ。頭の中にあるパーティルの地図を頼りに、なんとか僕は自分の目的地を探した。
 恐らくパウルが仕事を続けているのだろう、時々魔法陣を起動したらしい火柱が遠くからも見える。それを目印に町の北部へと近付いていく。
 道中には既に負傷して呻いているトレンティア兵やそれの救助活動を行う衛生兵の姿が見受けられた。それらを踏み越えた先に、魔術師の背中を見つける。傍らには、大斧を振るう美しい魔道人形の姿もあった。
「ヨンだ、今戻った!」
 敵と間違われないようそう声を上げて近付く。パウルは不機嫌そうな顔で荒い息をついていた。
「緊急任務とやらはなんだったんだ」
「敵将アンデル・デニングの暗殺だ。もう済んだ」
 短く言うと、「はあ!」とパウルは大きな声を上げて驚いたようだ。今はのんびりと経緯を話している余裕もない。
 魔法陣のあった位置を起点にするようにして、トレンティア兵による攻撃はまだ収まらない。敵将を討って終わりというわけにはいかなさそうだ。
 僕はロードが残していった言葉を思い出す。
「あいつの言う通りなら、敵兵の指揮権はエルフィンズという将軍に移っているらしい。……あるいは始めからその狙いだったのかもしれない。だとすればここからが本番だ。これは殲滅戦だ」
 そう、力強く言った。パウルの表情にもぐっと力がこもる。
「予定通り北の通りまでの魔法陣は全部片付けた。まだ近辺の敵兵は多いが……潮時だろう、砦に乗り込むぞ」
 重々しい声の指示を受けて、僕はただ頷く。
 倒した敵兵の数はどれぐらいになっただろうか、十分に陽動はできたのだろうか……、戦況の全貌を把握することはまだできないが、その中でも僕達は迷わずに判断をしなければいけない。
 ここからは陽動ではない、本隊に合流しての総力戦だ。
 僕達が敵を引き付けている間に、ヒューグ達が別方面から敵の本拠周辺の制圧を進めているはずだ。そこへタイミングを合わせ、一挙に敵の砦を押さえる手筈である。
 そのために敵の本拠地へ近付くと、想定通りそこでは戦闘が起こっていた。まだ交戦の最中らしい。
 戦場で揺れる松明、それは敵のものも味方のものもありそうだ。その火の中で炙られているかのような喧騒……、その奥に近付いて、しかし僕は思わず足を止めた。
 一瞬、頭の中が凍りついたような心地がした。松明の光の中に浮かび上がったその戦いの光景が……、異様だったのだ。
 地面に倒れて血を流しているのは、その兵装から見てほとんどが敵兵のようだ。そしてその体を蹂躙し、踏み越えていく兵士の姿……、あまりにか細いその姿は……、いや、本来はとても兵士のものじゃない……。
「な……んで……」
 呆けたようなそんな声が漏れたのは……、僕のものじゃない。
 剣や斧、鈍器、握っている武器はめいめいだ。しかし皆揃ってその体に鎧は着ていない……どころか、手足の肌をむき出しにすらしている、寝間着みたいな軽装で……、細い体の戦士が、何人も蠢いている。墨のような黒い線で額に刻まれた小さな魔法陣の下、死人みたいに見開かれた目には、揃って一筋の光もない。
 地獄のような光景を目にして愕然としていた、僕を我に返したのは人間の声だった。
「おお、魔術師殿も合流してくれたか。いよいよ戦いは佳境だぜ」
 ハッとして振り返ると、抜き身の剣を肩の上で弄び、余裕の笑みを浮かべる男の姿があった。ヒューグの部下の一人である……確か名前をガロンと言った男だ。
 そしてその脇には、やはり戦場には到底似つかわしくない……、他の兵士よりも一層幼い子どもが、置物みたいに突っ立っている。
「……ガロン。なんだ、これは。一体なぜ……!」
 僕はガロンを睨みつけた。混乱した頭で言葉はうまく出ない。しかしガロンは、にやりと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「ハハ、驚いたか? まあそうだよな。……俺の可愛い子どもたちさ。並の人間じゃあ束になっても敵わねえよ」
 ガロンはそう得意げに、目の前に広がる戦場の支配者……、魔道人形の兵士たちに手を向けた。
「……どうやら、魔法のおもちゃを融通するネットワークに携わっていたのは、盗賊だけではなかったということか……」
 暗い、パウルの声が聞こえた。ガロンはそちらに視線をやって、やはり笑っている。
「ほう、さすが魔術師殿。このブツのこともご存知ってわけか」
「ヒューグのジジイは元から“手段を選ばない”で有名だったからな。こんな趣味の悪いもんに手を出すのも納得ってもんだぜ。……おいヨン、ぼさっとするな、まだ作戦の途中だ」
 パウルの冷めきった鋭い目が、僕を刺すように睨んだ。僕は乱れた息をぐっと飲み込む。……そうだ、驚いている場合じゃない、僕達はまだ戦争のただ中にいる。
「門は破っているようだ。俺達は魔道制御室の制圧に向かうぞ。フェリア、お前もだ」
 パウルは僕とフェリアにそう指示を飛ばす。ガロンも僕達が人形を連れているとは思っていなかっただろう、その美しい女性の姿を見て目を丸くしていた。
 人形兵に指示を出しながらその場の敵殲滅を進めるガロンを脇目に、僕達は砦の中へと乗り込んでいく。
 すれ違いざまに、唯一戦闘に参加していない様子の……ガロンの隣に突っ立っっていた人形の目がこちらを向いた。その目が松明の光に照らされて明るく光ったように見えたが……、今は、気にしている余裕も無かった。

 破壊された様子の砦の門を越えて中へ入り込むと、多数の人形兵の中に混じって人間の兵士の姿も見受けられた。中に、ヒューグとモルズの背中もある。
 ヒューグもデニングに負けず劣らず高齢のはずだが、まるでそれを感じさせない逞しい体つきで剣を振るっている。その目は戦意に燃え、その気迫の激しさにだけで敵兵を圧倒する。
 モルズも左手に細い剣を握っていたが、どうやら戦闘に参加している様子はなく、周囲を用心深く窺っては、逐一ヒューグに細かい報告や注意喚起をするような役回りに徹しているようだった。
「おう魔術師、小細工は済んだか!」
 ヒューグは汗と返り血に濡れながら、豪快に憎まれ口を叩いてくる。
「ジジイ、てめえは頑張りすぎて腰言わすんじゃねえぞ!」
 パウルも負けじとそう叫ぶが、その足取りはヒューグ達の元ではなく、魔術師ならではの目的の場所の捜索に向かう。
 砦には恐らく市街地以上に入念に防衛陣が張られている……、それを一挙に管理する部屋あるはず……らしい。
 それを潰すために、今度はヒューグ達が陽動となる番だ。彼らが敵を引きつけている間に、僕達は迅速に敵の心臓部分へ切り込みに行く。
 当然砦の中は敵兵も多く、頑丈な造りの廊下から怒号を上げながら敵が押し寄せてくる。一斉に放ってくる炎の矢をフェリアが正面から全身で受け止め、薙ぎ払うように斧を振り回して血路を開く。
 本拠に至ってはわざわざ手加減をする必要もない……、僕も自分の武器の届く範囲に敵がいるならば、容赦なくその急所を切り裂いて行く。
 パウルは時々壁に手を当て、そこに張られた魔力の回路を探知しているらしい。その探査を頼りに、僕達は確実に砦の奥へと食い込んでいく。
 そして鉄の扉で固く閉じられた一室の傍に立つと、パウルはおもむろに、己の両肩をぐっと抱きしめた。
「……行くぜ、神聖なるトレント……、汝が子に力を!」
 途端に彼の両手の平に金色の光が眩いばかりに溢れ出し、そこに凝縮した魔力は突き出した両手の先からすぐさま迸った。
 扉など知ったことではないとでも言いたげな、なんとも強引なやり方だ。頑丈な石造りのはずの砦の壁が、迸った魔力の爆発に巻き込まれて砂壁のように吹き飛ぶ。その爆風の強さに、思わず僕も顔を庇いながら伏せの姿勢を取った。
 爆音に続くのは石壁が崩落していく音、そして恐らく敵のものだろう激しい悲鳴。パウルが魔法でぶち抜いた壁の先は、既にその爆発と壁の崩落によって倒れている様子の敵兵が複数いる。
 そして資材や什器がほとんど置かれていない様子の奇妙なその部屋には、大小さまざまな魔法陣がむき出しに浮かび上がっていた。……これが、魔道制御室というものらしい。
「……ミッションコンプリートって奴だな」
 パウルが言ったその声には、消耗した様子が見て取れた。荒く肩で息をする様からも、今の一撃の魔法に相当の力を注いだことが分かる。
「戦線を内部まで一気に押し上げるぞ。一度ジジイのとこへ」
 すぐに切り替えて、パウルはまた足早に動き出す。そうして来た道を戻るように、敵兵の死体をいくつも踏み越えて砦の入口付近の広間に戻った。
 そこでは人形兵とヒューグらが派手な攻防を演じながら戦線の維持を行っていたはずだ。そこに戻った時、概ね想定通りの光景があったことに安堵した。さすがに長時間の戦闘で、人間の兵士らには消耗の色は見えるが……。
「ジジイ、制御室の制圧は……」
 パウルがそう報告をしようとした矢先、何か大きなものが砦の入口から飛んできて、パウルとヒューグの間の空を切った。
 驚いたのも一瞬で、飛んできた何かを視認して……、思わず息を呑んだのは僕もパウルも同じだった。
 飛んできたのは千切れた人間の首だった。しかもそれは……、幼い顔立ちの。額に刻まれた魔法陣がまるで第三の目のようにぎょろりとこちらを睨む……。
 ハッとして砦の入口に視線を向けた。人形兵の首が飛ばされた?
 僕達が入口に視線を向けた途端、次の衝撃が襲い来る。開け放された門の向こう、松明に照らされるほかには暗く沈んだはずの空に、白い光が何度も迸っているのが見えた。武器同士がぶつかる激しい音の他に、聞くにも耐えないような子どもの悲鳴が混ざっている。
 何かただならぬ予感を覚えて、僕達は……、パウルもフェリアもヒューグも、皆そちらに足を踏み出した。

 やがて見えた景色に息を呑んだのは……、まず、その地面を濡らす血の池の大きさにだった。赤黒い地面に突っ伏しているのは多くのトレンティア兵……、人形兵による一撃で絶命した様子の無惨な死体の数々。そしてその上に哀れもない姿で“壊れた”、人形兵の体がいくつも積まれていた。
 その死屍累々の中で、立っている人影は数える程度しかいない。狼狽しきった様子で腰を引いて震えているのは……ガロンか? そしてその脇には先ほどと同じ、幼い子どもが、人形らしい冷めきった佇まいで突っ立っている。
 そして彼らに向かって剣を構える人影が、更に一つ。月明かりが照らしているのは返り血に濡れた金色の髪――敵だ。しかし兵士にしては怪しく、その体に鎧は纏っていない。いつかロードが着ていたような金の刺繍が入った上品な洋服に、雨除けのような外套を肩に引っ掛けた姿で。
 その光景が何を意味するのか、僕達が理解するよりも早く動き出したのは……、長い黒髪を夜空にたなびかせた美しい乙女。その両腕で握った斧を、彼女が敵と認識したその剣士に容赦なく振るった。
 すぐに敵の剣士はその襲来を察知し、握っていた長剣を振った。その、美しいとまで言える動きに、思わず僕は息が詰まる。
 ギンと金属同士がぶつかる激しい音が鳴った。剣と斧の武器同士は交わったのだろうか、夜であるうえにあまりに両者の動きが速く、目にも捉えられない。しかし結果は明白にそこにあった。
 フェリアが振り落とした斧は敵を砕くことなく空を切る……、いや、斧の刃が空中で粉々に砕け散り、その柄だけが空を切っていた。
 その大振りの隙に、剣士は真正面から刺突の一撃を繰り出す。フェリアは砕けた斧の柄を振り切ったそのままに投げ捨て、腕を前に突き出してそれを受け止める。
 強靭に作られているはずの人形の肉を、すぐに敵の剣がずしりと貫く。交差させた腕二本を串刺しに突き抜けた刃は、しかしフェリアの眼前でかろうじて食い止められた。
 あまりに速い、そして信じられないような交戦だった。凛と見開かれたフェリアの目を、その剣士は見据えて、余裕の声さえ上げたのだ。
「ほう、この女は他よりは頑丈な人形のようだな……」
 フェリアは両腕を貫かれたままの姿勢で、凍ったように動かなかった。唖然としてそれを見ていた僕は、すぐ横でパウルが舌打ちをしたのを聞いてやっと我に返った。
 パウルは素早く、ソル・サークルを浮かべて炎撃を放っていた。剣士はすかさずフェリアに刺していた剣を引っこ抜き、素早く身を退きながらまた剣を振る。……当然だろうか、魔法攻撃への察知もいやに早い。
 空を切ったはずの剣は、そこに到達していたパウルの炎を切り裂くように刀身に絡ませ、明後日の方向へと逸らしてしまった。
「魔道士だと? 面白い!」
 剣士はそう叫ぶように言って、両手に握り直した剣を構えてこちらに猛進してくるではないか。ほとんど咄嗟に、僕も胸元から短剣を抜いて応戦の構えを取った。
 しかしそんな僕の首の後ろを掴んで、強引に退かせるものがあった。その一瞬で息を詰まらせて僕は後ろに倒れかかる。その前に踏み出たのはパウルだった。
 剣士が振りかぶった剣は、パウルが正面に大きく張った防御の魔法陣にがちりとぶつかって激しい電撃を迸らせる。
 パウルは防御の陣を張った内側から、ぐっと両拳を握って、すぐに開いた先に魔力を放出する。防御陣が割れて砕け散ると同時に、そこに激しい爆炎が起こった。
 爆発と、そのあとに立ち込める煙とで視界が曇る。思わず伏せていた僕の手を、パウルがぐっと掴んで引っ張ったのが分かった。
「何を……」
 僕は苦しく抗議するが、煙の中でパウルの様子は分からない。その奥から、敵がまた声を張り上げるのが聞こえた。
「咄嗟の防御陣にこの濃度の爆炎魔法……、相当の使い手のようだな。敵ながら見事だ、名を名乗れ!」
 僕はただパウルに引っ張られるまま、敵から距離をとる……、明らかに彼がとっているのは“逃げ”の姿勢である。
「名乗る名前なんてねえよ! そういうお前は誰なんだよ!」
 パウルは走りながらそう声を張り上げた。するとその剣士は煙の向こうで、躊躇なく高らかに名乗りを上げる。
「ジャック・クラウス・フォス・カディアル! 名もなき魔道士よ、せめて我が剣の錆に刻み込んでやろう!」
「はっ……、フォス・カディアルの魔剣士……? おいおいあの野郎……、こんなバケモンがいるなんて聞いてねえぞクソがっ!」
 パウルは苦しげな声で、素っ頓狂な叫び声を上げた。その言葉端から僕はハッと思い出すものがあった。
 魔剣……、そうだ確かにそれは、まるで人間離れした威力を発揮する恐ろしい武器だったはずだ。……今も、パウルの腰に提げられている。どうやら敵方にもその使い手が現れたと、そういうことか。
 “魔剣”を自分で振るった……その時の記憶を思い出して、今パウルが一目散に逃げようとしているのも理解ができた。確かに、できることならあんなものを敵に回したくはない。
 しかしそれとは裏腹に、かの魔剣士に挑む猛者もあった。
「おいおい若造がよ! この俺様を素通りするとは見上げた根性だなあ!」
 割って入るように雄叫びを上げたのはヒューグらしい。次第に薄くなっていく煙の向こう、敵の魔剣士を背後から襲うヒューグの姿が見えた。
その剣を、魔剣士は紙一重の動きで躱して素早く体を切り返す。
「ジジイ、あのバカ……!」
 パウルが苦々しくそう言ったのが聞こえた。いい加減に僕も焦らされて、パウルの目を睨みつける。
「手強い敵だということは分かるが、逃げてどうする。作戦の完遂はもう目前だぞ」
 当然逃げるだけでは仕方がないとパウルも分かっているだろう。ヒューグが襲いかかったその隙を狙い、逃げた柱の陰からパウルは炎の矢による援護射撃を行う。
 だが間違って味方に当てるわけにもいかず、その攻撃は彼らからやや離れた軌道を通って威嚇するだけだ。
「つったって……、お前も見ただろ、あの人形兵が束になっても皆殺しにされてるんだぞ? 俺も魔剣士の相手なんて想定してねえ!」
 援護射撃を行いながらも、パウルは困り果てた声色で言う。僕はすかさず、パウルの腰を指さしてやった。
「魔剣ならお前も持ってるだろ。同じ武器なら対抗できるんじゃないのか」
 言うと、パウルはぎょっとしてこちらを見返した。
「無茶言うな、こんな所で使えるわけが……いや、俺は剣の腕は凡人なんだよ、同じ武器を使ったとしても、相手は魔剣の“達人”だ、正面から斬り合って勝てる確率はハッキリ言ってゼロだ」
「だが!」
 僕が食い下がるように言うと、パウルは苛立った声を上げた。
「ああうるせえ! 分かってるさ、やるしかねえんだろ!?」
 そして柱の陰から踏み出し、魔剣士に向かって追撃を続けるヒューグへと視線を向けた。
「ジジイ! そいつが使ってるのは魔法の剣だ、まともに斬り合うな! だが使い手が生身の人間であることには変わりねえ、複数で包囲して剣を振らせることなく力ずくでねじ伏せるぞ!」
 ヒューグの追撃とパウルの炎の矢に追い込まれて防戦に徹していた魔剣士は、パウルの声を聞いて、いよいよ戦意に燃えたらしい。ぎらりと剣を光らせ、その場にずしと足を踏み込ませた。
「魔法には魔法で対抗するしかねえ、剣は俺が封じるから後は頼むぞお前ら!」
 パウルはそう続け、両手にまた魔力をこめて魔剣士に迫った。そこから炎の矢を撃つと、なるほど魔剣士は剣を振ってその炎を切り裂いて見せる。パウルの魔法攻撃への防御にだけ徹させて、その隙を僕達が突く……という算段なのだろう。
 パウルの魔法の火の粉が少し降り掛かってくるぐらい気にしていられない。僕はすぐさま短剣を魔剣士の喉元に猛進させる。相手が剣を振り戻してくるよりも、速く。
 しかしどうやら、身のこなしも並のレベルではない。敵は身を反らし、至近距離で僕の武器の剣筋を躱した。
 空振った短剣を前に突き出した姿勢、そこから身を立て直すより、きっと敵の武器が僕を襲う方が速い。必殺の一撃を外したその時点で、僕はぞっと死を思った。
 が、更に向こう側からヒューグが恐ろしい剣幕で剣を振っていた。それを更に躱すべく、魔剣士は大きく後ろに飛び退く。ヒューグの剣は僕の前髪を掠めて空を切った。あわや味方の剣に切り裂かれるところだ……、本気で一瞬息が詰まった。
 かわるがわる繰り出す攻撃――次はパウルの番だ。しかし彼はなおも腰の魔剣を抜くことはなく、素手の上に浮かべた魔道で戦う。
 その構えを見て、魔剣士も剣を構える、その表情が苦しげに歪んでいるのが見えた。「魔法には魔法で対抗するしかない」と言ったパウルの言葉は相手も同じ……、パウルの攻撃には魔剣で対応せざるを得ないのだ。
 パウルが突き出した両手からはまた爆炎が上がる……かと思えば、違った。その手の平の一寸上でがちりと剣が食い止まる……、先程と同じ“防御魔法”を、いや自分から突き出した手の上に展開することで攻勢に、まるで白刃取りをするようにその動きを封じたのだ。
 魔力同士が衝突した電撃がそこに迸り、散った火の粉が僕の顔の皮膚を掠めていった。双方共にあまりに高い濃度の魔力の衝突、その摩擦には近付くことさえ危険だった。だけど、敵の武器が食いとまってるこの時間を無駄にするわけにはいかない……。
 迷っている時間は……ひと息にも満たない一瞬だったはずだ。しかしその一瞬で勝負は崩れてしまう。既にこれまでの戦闘でパウルもかなりの魔力を消耗していた。その濃度の魔力を保つ、体力の差が出るのは早かった。
 魔剣士が剣を振り切る。それに押されてパウルの陣は砕け散った。弾けた魔力に体を押され、剣に切り裂かれることは免れたが……、まずい。まずいことは分かったが、咄嗟にとるべき行動が分からない。
 情けなく二の足を踏んだ僕とは違い……、既に彼の頭上に高く剣を振りかぶっていたのはヒューグだった。彼はパウルの防御魔法も、その攻防の結果さえも見てはいない。ただ目の前の敵に全力の攻撃を振り下ろす、その一瞬に全てを懸けていた……それが分かるような、気迫だった。
 その勢いと、パウルに押し勝った魔剣士の剣と、相手に届くのはどちらが速かったのかなんて、目で見ても分からなかった。目の前に赤く血飛沫が上がるまで……。
「ジジイ……」
 パウルの苦しい呟きが聞こえた。ヒューグの、分厚く胸を覆っていたはずの鎧を容易く突き抜けて、その背中から魔剣の刃が突き出ていた。その光景をはっきりと、目に焼き付けるようにして見ながら、だけど、考えている余裕はない。
 敵の剣は止まっている。分厚い大男の胸を貫いて、その肉の中に止まっている。それだけでいい。僕は無我夢中で短剣を振っていた。
 幸い、魔剣士はその体のどこにも装甲らしい装備をつけていない。どこを斬ったってよかった。
 魔剣の柄を握っていたその右腕の真ん中を、金の刺繍の入った上品な衣服ごと、ざくりと切り裂く感触を、確かに覚える。
「ぐっ……」
 痛みに呻いたのは確かに敵の声だった。暗い屋内でも分かるほどにその碧眼は憎悪に滾り、噛み締めた奥歯がやがてゆらりと開く。
 腕を封じた。恐ろしいのは魔剣だけ、あとは鎧さえ着ていない生身の人間だ。最後の一撃を迷いなく急所へ……! 戦士の本能がその一点に集中していく中、その時耳に届いていた言葉に、意識を回している余裕はなかった。
「勇猛なるフォス! 汝が子に力を!」
 何か聞き覚えがある文句なような気がした……その時にはすでに、世界が止まって見えた。
「ヨン!」
 喉を張り裂くような、パウルの叫び声が聞こえていた。しかしそれどころではない。どこから? それすらも分からない、どこかから……、ずしと体を襲った重い衝撃。
 腹の真ん中に爆ぜた、焼けるような、痛み。息はできない。何が起こった? こみ上げてくる熱。喉を這い上がり、嘔吐する。……赤い……。
 言葉に絶する激しさに、視界は黒く染まる。意識は途切れ、落ちていく――
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