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第八章 帰るべき場所
80話 神に仕える者
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神殿の外に出ると、時刻はもう日が暮れかかっている頃だった。
巡礼者のための小神殿はトレンティアの少数部隊の仮基地にされていたらしく、周辺に彼らのものだった物資や食料が僅かに備蓄されている。それを奪ったついでにと、こちらの部隊もこの場で野営を始めることになった。
敵が少数だったこともあって被害は少なく済んだようで、衛生兵の肩書きをすっかり忘れ去って敵の追撃に出た僕がいなくとも治療が滞ることはあまりなかったようだ。
持ち場を離れたことは本来なら咎められるべきことだったかもしれないが、何やら僕を見たモルズは上機嫌だった。
「聞いたぞ、ヨン。率先して敵を陽動し、おかげで後方部隊の被害は最小限に済んだらしいじゃないか。正直今まで魔術師の補佐としか思っていなかったが……お前の武勇は素晴らしい、認識を改めなければならいようだ」
片方だけでもどしりと重い手で、僕の肩を叩いた。そうまで言われると悪い気分はしない。
だけど素直に浮かれる気分にもなれず、僕は曖昧に頷いた。……その結果窮地に追い込まれ、結局はその魔術師に助けられたのだから情けない話でしかない。
戦闘のさなかは噛み締めている余裕もなかったが、やはり彼に助けられ続けている自分の姿には苦い感情が湧き出てくる。魔法技術の差もあるし、そもそも戦士としても人間としても年齢が違うのだ、そう簡単に同等になれるわけがないことは当たり前なのだが……。
しかしそんな対抗心のような思いを持つこと自体が子どもっぽくも思えて、意識してその感情を頭の外へ追いやる。
助けられたからには礼の一言ぐらい言ってやらねば対等でもないだろう。そんな意地のようなものを張ってパウルの姿を探すと、野営地の設営には加わらず、神殿の脇で馬と共に立っているようだった。
近付くと、その視線がどうやら、皆殺しにされたトレンティア兵らの死体に落ちていることが分かった。そしてその隣には、成り行きで救出した神官の男が立っている。
「……これでいいか? まったく、シモンの野郎だけならともかく、なんでこんな見ず知らずの雑兵どもの分までお祈りをしなきゃいかんのだ」
神官の男とやりとりをしていたらしい、パウルが呆れたような声で悪態をついたのが聞こえてきた。
「私じゃトレンティア人への祈り方が分からないからね。あんたは兵士だろうに、無理を聞いてくれて助かったよ。ありがとう」
話の流れを聞くに、死んだトレンティア兵へのお祈りをさせられていたらしい。僕が近付くと、パウルと神官の男は何気ない様子で振り向いてきた。
「この神官は……、クスダンから来たとか言ってたよな。町へは帰らないのか」
僕は世間話をする流れで聞いた。
クスダンといえばラズミルの北西の方角のすぐ近くにある町だったはずだ。もともとの予定ではモルズの部隊も補給のためにそこへ寄ることにはなっているが。
「そのつもりだけど今日はもう日が暮れるし、ついでにここの野宿に混ぜてもらおうと思って……」
神官はぼんやりとした調子で言った。
傾いていく西日に照らされたその顔を改めて見ると、三十歳ぐらいに見える、線の細い優男という風体だ。無精に前髪が伸びていて少し顔の印象が暗い。
そんな男を睨んで、パウルは何か意味深なため息をついた。
「ああ泊まってけ。お前にはもう少し聞きたいことがある」
神官はぼんやりとした顔のままパウルを振り向いた。パウルは腕を組んで真正面から彼を見つめる。
「俺は見ての通りトレンティア人だが、まあいろいろわけあって今はズミのレジスタンスだ。“魔術師”てあだ名で呼ばれてる。こいつは俺の弟子のヨハン。お前は?」
当然のように弟子扱いをしてくるが、まあ息子だと紹介されるよりかはマシだろうか。
男は僕の顔を見て、やはり青い目が珍しいのか、目を丸くしてまじまじと不躾に眺め回してくる。
「魔術師って芸のないあだ名だね。レジスタンスの名乗りってのは意外と適当なんだな。私もフルネームは要らないかな。リョドル、とだけ名乗っておくよ」
気の抜けた様子で神官は答えた。
名乗りが適当、と言えばそうかもしれない。レジスタンスでは名字までを名乗らない暗黙の風習がある。僕のように好きに名乗りを変える者も珍しくない。
「リョドルか。聞くが、シモンが飲んだこの毒薬……、これの出どころが分かるか?」
パウルは先程シモンの手から拾い上げた薬瓶をまだ持っていたらしい。それをリョドルへと見せた。
僕も釣られてそれを見ると、薬瓶には紙のラベルが張ってあって、そこには三日月を表す図柄と、アミュテュスの名前が書き込まれている。
リョドルははやや目を開いてから、ああ、なんて相槌を打った。
「私が調合したものだよ。神官でもあるんだけど、今は薬屋を本業にしているんでね」
平然と言った答えを聞いて、パウルはぎょっとして目を見開いたようだ。僕もやや驚いてその顔を見つめ返す。
シモンはこの薬を飲んですぐに……ものの数秒で息絶えていった。もともと怪我で衰弱はしていただろうが、そんな即効性のある致死毒なんて僕には聞いたこともない……相当に珍しいものだと思われるが……。
パウルは驚いた顔をゆっくりと鎮めて、少し真剣な面持ちになった。
「お前魔道士だろう? この薬瓶、微かにだが魔力が残ってる」
そして端的に言った。僕は更に驚いてリョドルを見やる。彼も驚いたように感嘆の声を上げた。
「瓶に残ったものだけで分かるのか? 魔術師のあだ名は伊達じゃないってことか」
ズミ人の魔道士というのはそれだけで珍しい。パウルは表情に入れた力を強め、何やら迫真の様子でリョドルに詰め寄った。
「どこで魔法を習った? 薬に魔術を仕込むなんて……しかもあんな効き目の強い毒を、トレンティアでも聞いたことがないぞ。ズミの薬学も応用しているのか?」
彼の食いつくような勢いに、リョドルは若干のたじろぎを見せて身を引いた。
「ええ……? 魔法を習った……のは一応王都だよ。と言っても見様見真似というかほとんど独学と言うか……。ああ、その薬もズミの薬学がもとになっているからそう珍しいものでも……」
パウルから目を逸らし、曖昧な言葉でそう語る。
「ほう、王都の魔道士の生き残りか、珍しいな。俺が知る限りじゃ、王都でもトレンティアの魔法学をそのまま輸入したような研究所があったはずだ。そこでズミの薬学や医術と組み合わせた魔法研究もされていたという噂は聞く。こいつは収穫だな、詳しく話を聞かせてもらおうか……」
パウルはずんずんと勢いを強めてリョドルに詰め寄っていく。彼はそれから逃げて更に身を引いた。
「申し訳ないけど、詳しいことは薬師の秘伝なんで言えないなあ」
「はあ? 何が秘伝だ、魔道士なら魔法学の発展のために学術情報は開示しろ!」
「知ったこっちゃないよ。知りたければ私の薬を買って自分で研究してみたら? 私の魔法薬はお高くつくけどねえ」
何やら賑やかな様子で言い合いを始めた。僕は黙ったまま、やがて呆れた顔でそれを眺め始める。
「そんじゃあ薬のことはとりあえず保留にしておいてやる。王都で習ったのなら魔法学の基礎は知っているだろう、他に扱える魔法の分野は何があるんだ」
パウルが質問を変えると、リョドルは何やら言いにくそうに頭を掻き始めた。
「えー……。いや実はその王都にあった研究所って奴に私は関わりがなくてねえ。全く別系統で教わったというか、あんまり基礎とかは分からないんだよね。病人の治療みたいなことは少ししたけど……」
「病人の治療? っていうと回復魔術が使えるのか」
「そのナントカ魔術って分類もよく知らないんだけど、まあそうなるのかね? と言っても王都にいた頃は神官が本職だったんでね、魔法についてはほとんど素人だよ」
パウルはじっとりと疑うような目でリョドルを睨み、ふーんなんて相槌を打った。
「神官、か。そっちの方も興味深くはあるな。なあリョドル」
何やら声色を切り替えて、パウルはふと隣に立っていた馬の首筋を撫で始めた。
「この馬、敵からかっぱらったんだがせっかくなんで連れて行こうと思ってな。ズミで出会ったんだしズミらしい立派な名前をつけたいんだ。確かズミの神話にはめちゃくちゃいっぱい神様がいるだろ? その中から、なんかこう箔の付くような名前はないか」
そんなことを言い出した声は、しかしどうやら真剣らしい。「はあ」とリョドルはまた気の抜けた相槌を打ったが、請われるままに何かを考え始めたようだ。
「イータというのはどうだ。空を自由自在に駆ける女神だ。その速さといったら、走った時に起こる突風で牛まで飛んだという」
「この馬はオスでな……」
「ふむ、ではカラドはどうだ。ミュロスがかつてひっそりと地上に降りて人間の町に遊びに出かけた時に使ったとされる馬の名前だよ。その留守の間、空を守り続けたアミュテュスに後からしっぽり怒られたそうだが」
「なんだそりゃ、もっと威厳のある逸話を持ってきてくれよ」
「文句の多いやつだな。じゃあ……」
彼らの相談を聞きながら、その馬はのんきに足元の草を食んでいた。
ズミで生まれたのかトレンティアから連れてこられたのかは分からないが、トレンティアの軍馬としても名前はあったのだろうか。それがズミの神からとって名付けを変えられるというのだから、馬ながら不憫なものだ。
次第に僕は話に興味を失せて、さっさと野営の準備に取り掛かりにいこうかな、なんて思いが起こってくる。
そういえばパウルに、助けてもらった礼の一言でも言ってやろうと思っていたことを思い出した。
「おい、パウル……」
馬の名前の相談中に、僕は渋い声で口を挟んだ。「なに」なんて気の抜けた返事と共に振り向いてくる。その顔を正面から見ると、面と向かって礼なんて言うのはやっぱりなんだか腹立たしく感じてくる。
見た感じでは、彼の関心事は目の前の神官の魔法と馬に集中している。僕を助けたことなどもう意識の隅にもなさそうに見える。
「……いや、やっぱいい」
結局僕はそんな言葉で話を濁し、目を逸らした。
「ええ? 何だよヨハン、もしかしてお前も馬が欲しいのか?」
間抜けな顔で見当違いのことを言ってくるので、僕はしかめっ面で首を振ってやった。
そんな僕には構わず、今度はリョドルがパウルに質問をし始める。
「そういえばだけど、後学のために聞かせてほしいな。トレンティアの神というと……、さっきのあんたの祈りを聞く限り、トレントってやつがそれなのか? それが死者を慰める神?」
パウルは「はあ」とまた気の抜けた調子でリョドルを振り返る。……トレント、という言葉を聞くとどうしても僕にも胸がざわつくような思いがよぎる。
トレンティアの王都で見たあの神々しい聖樹の姿……それを見上げたあまりに純真な少年の瞳。だけど今ここで、無惨に殺された兵士達へ落とされる祈りと、それはあまりにも遠くて……。
そのトレントへ、僕よりもずっと思いが深いだろうパウルは……しかし感情のない声で、淡々と語る。
「神かって言われると、まあそんなところかな。厳密に言えば聖樹は神の依り代であって、神そのものではないんだが……。死者を慰めるとかそういうのも特に限定してない。トレンティア人はなんでもかんでも神聖なるトレント、だ」
パウルの答えにリョドルは興味を示したらしく、ほうほう、なんて相槌を打っている。神官となると、隣国の宗教事情も気にかかるものだろうか。
「厳密に言えば神じゃない? じゃあ神ってのは何なんだ」
「何って言われても、神は神だよ。世界の創造主にして魔族の守護者だ」
「魔族? なんだそりゃ」
「ああ、人間を指す古い言い方だ。魔法を扱う者、という意味でそういう言葉を使う。鳥や獣やその他の被造物と違って、人間様だけは特別にその力を与えられた、選ばれし一族だということだ。特にトレントを中心に魔道を発展させたトレンティア一族だけを指すという解釈も古くからあるんだが、まあここは神がどこまでを守護する存在なのかっていう、今でも面倒くさい論争の元になるとこで……」
パウルは聞かれるままに講釈を始めた。ズミの神話すら曖昧にしか知らない僕にはあまり関心のない話題でもあったが……。
「ふーん……、面白いな。他の兵士と見比べた感じだけど、あんたトレンティア人の中でも神学には詳しい方なんじゃないか? 神殿で勉強したりしてたのか」
リョドルは興味深そうにパウルの顔を覗き込んで言う。パウルは渋い顔になってため息をついた。
「そういう感じではないが、まあ名目だけは最高司祭だったからな……。今は見ての通り、ズミで泥を啜って生きてる傭兵くずれの浮浪者だがなあ」
そう自虐っぽくぼやいたのに対して、リョドルはからからと笑い声を上げた。
「はは、トレンティアの最高司祭がズミで兵士を? あんたは守護神様から見捨てられてるのかね? しかし安心しなよ、ズミの太陽神ミュロスは民族の別もなく、一切の命を平等に照らす大いなる神だ。あんたのことも見守ってくださるよ、サーシェ」
楽しそうに言う声は皮肉っぽくもあったが、サーシェと言った時は神官らしく美しく微笑んで見せた。
それを見てパウルはむずむずと据わりの悪そうな顔をするだけだった。リョドルは楽しそうに言葉を続ける。
「馬の名前だが、ヤーナンというのはどうだ? ミュロスの臣下シタールとナフラが乗ったとされる車の名前だ。彼らはその車に乗って海の向こうや地の底までへも駆け回り、その先に住む異国の人々にミュロスの名とその威光を説いて聞かせたという」
さすが神官だ、僕には聞いたことのない名前がすらすらと出てくる。パウルは呆れたような、皮肉ったような変な笑いを浮かべた。
「異国の人々か、なるほど、いいんじゃないか。聖樹の国から月光の国へ、その境を跨いで駆け回る……俺達は同志かな、ヤーナン」
そう呼びかけながら馬の首をまた撫でた。馬は人語を理解してはいないだろうが、まるで返事をするみたいに鼻息を吐いて首を動かしていた。
政争に揉まれ、国境を跨いで戦っているかつての王子にどれほどの感傷があることかなんて僕には想像もつかないが……この際馬にまでその境遇を重ねるのも風流というものだろうか。リョドルの言葉の中にある神々を思って、僕まで変に遠い気分になってきた。
これ以上彼らの話に付き合っていてもなんだか妙な心地になるだけだ。そんなことを思って、やっと僕は野営地の設営に取り掛かるために彼らから離れた。
おいヨハンどこいくんだ、なんてパウルの気の抜けた声がかかってきたが、適当にあしらって無視をした。
まだ行軍と戦闘は続いていくだろう、のんびりと神様への祈りに浸っているような余裕はない。アルティヴァ・サーシェ、戦いの神に勝利を祈る、僕達兵士にはそれだけで十分だ。
巡礼者のための小神殿はトレンティアの少数部隊の仮基地にされていたらしく、周辺に彼らのものだった物資や食料が僅かに備蓄されている。それを奪ったついでにと、こちらの部隊もこの場で野営を始めることになった。
敵が少数だったこともあって被害は少なく済んだようで、衛生兵の肩書きをすっかり忘れ去って敵の追撃に出た僕がいなくとも治療が滞ることはあまりなかったようだ。
持ち場を離れたことは本来なら咎められるべきことだったかもしれないが、何やら僕を見たモルズは上機嫌だった。
「聞いたぞ、ヨン。率先して敵を陽動し、おかげで後方部隊の被害は最小限に済んだらしいじゃないか。正直今まで魔術師の補佐としか思っていなかったが……お前の武勇は素晴らしい、認識を改めなければならいようだ」
片方だけでもどしりと重い手で、僕の肩を叩いた。そうまで言われると悪い気分はしない。
だけど素直に浮かれる気分にもなれず、僕は曖昧に頷いた。……その結果窮地に追い込まれ、結局はその魔術師に助けられたのだから情けない話でしかない。
戦闘のさなかは噛み締めている余裕もなかったが、やはり彼に助けられ続けている自分の姿には苦い感情が湧き出てくる。魔法技術の差もあるし、そもそも戦士としても人間としても年齢が違うのだ、そう簡単に同等になれるわけがないことは当たり前なのだが……。
しかしそんな対抗心のような思いを持つこと自体が子どもっぽくも思えて、意識してその感情を頭の外へ追いやる。
助けられたからには礼の一言ぐらい言ってやらねば対等でもないだろう。そんな意地のようなものを張ってパウルの姿を探すと、野営地の設営には加わらず、神殿の脇で馬と共に立っているようだった。
近付くと、その視線がどうやら、皆殺しにされたトレンティア兵らの死体に落ちていることが分かった。そしてその隣には、成り行きで救出した神官の男が立っている。
「……これでいいか? まったく、シモンの野郎だけならともかく、なんでこんな見ず知らずの雑兵どもの分までお祈りをしなきゃいかんのだ」
神官の男とやりとりをしていたらしい、パウルが呆れたような声で悪態をついたのが聞こえてきた。
「私じゃトレンティア人への祈り方が分からないからね。あんたは兵士だろうに、無理を聞いてくれて助かったよ。ありがとう」
話の流れを聞くに、死んだトレンティア兵へのお祈りをさせられていたらしい。僕が近付くと、パウルと神官の男は何気ない様子で振り向いてきた。
「この神官は……、クスダンから来たとか言ってたよな。町へは帰らないのか」
僕は世間話をする流れで聞いた。
クスダンといえばラズミルの北西の方角のすぐ近くにある町だったはずだ。もともとの予定ではモルズの部隊も補給のためにそこへ寄ることにはなっているが。
「そのつもりだけど今日はもう日が暮れるし、ついでにここの野宿に混ぜてもらおうと思って……」
神官はぼんやりとした調子で言った。
傾いていく西日に照らされたその顔を改めて見ると、三十歳ぐらいに見える、線の細い優男という風体だ。無精に前髪が伸びていて少し顔の印象が暗い。
そんな男を睨んで、パウルは何か意味深なため息をついた。
「ああ泊まってけ。お前にはもう少し聞きたいことがある」
神官はぼんやりとした顔のままパウルを振り向いた。パウルは腕を組んで真正面から彼を見つめる。
「俺は見ての通りトレンティア人だが、まあいろいろわけあって今はズミのレジスタンスだ。“魔術師”てあだ名で呼ばれてる。こいつは俺の弟子のヨハン。お前は?」
当然のように弟子扱いをしてくるが、まあ息子だと紹介されるよりかはマシだろうか。
男は僕の顔を見て、やはり青い目が珍しいのか、目を丸くしてまじまじと不躾に眺め回してくる。
「魔術師って芸のないあだ名だね。レジスタンスの名乗りってのは意外と適当なんだな。私もフルネームは要らないかな。リョドル、とだけ名乗っておくよ」
気の抜けた様子で神官は答えた。
名乗りが適当、と言えばそうかもしれない。レジスタンスでは名字までを名乗らない暗黙の風習がある。僕のように好きに名乗りを変える者も珍しくない。
「リョドルか。聞くが、シモンが飲んだこの毒薬……、これの出どころが分かるか?」
パウルは先程シモンの手から拾い上げた薬瓶をまだ持っていたらしい。それをリョドルへと見せた。
僕も釣られてそれを見ると、薬瓶には紙のラベルが張ってあって、そこには三日月を表す図柄と、アミュテュスの名前が書き込まれている。
リョドルははやや目を開いてから、ああ、なんて相槌を打った。
「私が調合したものだよ。神官でもあるんだけど、今は薬屋を本業にしているんでね」
平然と言った答えを聞いて、パウルはぎょっとして目を見開いたようだ。僕もやや驚いてその顔を見つめ返す。
シモンはこの薬を飲んですぐに……ものの数秒で息絶えていった。もともと怪我で衰弱はしていただろうが、そんな即効性のある致死毒なんて僕には聞いたこともない……相当に珍しいものだと思われるが……。
パウルは驚いた顔をゆっくりと鎮めて、少し真剣な面持ちになった。
「お前魔道士だろう? この薬瓶、微かにだが魔力が残ってる」
そして端的に言った。僕は更に驚いてリョドルを見やる。彼も驚いたように感嘆の声を上げた。
「瓶に残ったものだけで分かるのか? 魔術師のあだ名は伊達じゃないってことか」
ズミ人の魔道士というのはそれだけで珍しい。パウルは表情に入れた力を強め、何やら迫真の様子でリョドルに詰め寄った。
「どこで魔法を習った? 薬に魔術を仕込むなんて……しかもあんな効き目の強い毒を、トレンティアでも聞いたことがないぞ。ズミの薬学も応用しているのか?」
彼の食いつくような勢いに、リョドルは若干のたじろぎを見せて身を引いた。
「ええ……? 魔法を習った……のは一応王都だよ。と言っても見様見真似というかほとんど独学と言うか……。ああ、その薬もズミの薬学がもとになっているからそう珍しいものでも……」
パウルから目を逸らし、曖昧な言葉でそう語る。
「ほう、王都の魔道士の生き残りか、珍しいな。俺が知る限りじゃ、王都でもトレンティアの魔法学をそのまま輸入したような研究所があったはずだ。そこでズミの薬学や医術と組み合わせた魔法研究もされていたという噂は聞く。こいつは収穫だな、詳しく話を聞かせてもらおうか……」
パウルはずんずんと勢いを強めてリョドルに詰め寄っていく。彼はそれから逃げて更に身を引いた。
「申し訳ないけど、詳しいことは薬師の秘伝なんで言えないなあ」
「はあ? 何が秘伝だ、魔道士なら魔法学の発展のために学術情報は開示しろ!」
「知ったこっちゃないよ。知りたければ私の薬を買って自分で研究してみたら? 私の魔法薬はお高くつくけどねえ」
何やら賑やかな様子で言い合いを始めた。僕は黙ったまま、やがて呆れた顔でそれを眺め始める。
「そんじゃあ薬のことはとりあえず保留にしておいてやる。王都で習ったのなら魔法学の基礎は知っているだろう、他に扱える魔法の分野は何があるんだ」
パウルが質問を変えると、リョドルは何やら言いにくそうに頭を掻き始めた。
「えー……。いや実はその王都にあった研究所って奴に私は関わりがなくてねえ。全く別系統で教わったというか、あんまり基礎とかは分からないんだよね。病人の治療みたいなことは少ししたけど……」
「病人の治療? っていうと回復魔術が使えるのか」
「そのナントカ魔術って分類もよく知らないんだけど、まあそうなるのかね? と言っても王都にいた頃は神官が本職だったんでね、魔法についてはほとんど素人だよ」
パウルはじっとりと疑うような目でリョドルを睨み、ふーんなんて相槌を打った。
「神官、か。そっちの方も興味深くはあるな。なあリョドル」
何やら声色を切り替えて、パウルはふと隣に立っていた馬の首筋を撫で始めた。
「この馬、敵からかっぱらったんだがせっかくなんで連れて行こうと思ってな。ズミで出会ったんだしズミらしい立派な名前をつけたいんだ。確かズミの神話にはめちゃくちゃいっぱい神様がいるだろ? その中から、なんかこう箔の付くような名前はないか」
そんなことを言い出した声は、しかしどうやら真剣らしい。「はあ」とリョドルはまた気の抜けた相槌を打ったが、請われるままに何かを考え始めたようだ。
「イータというのはどうだ。空を自由自在に駆ける女神だ。その速さといったら、走った時に起こる突風で牛まで飛んだという」
「この馬はオスでな……」
「ふむ、ではカラドはどうだ。ミュロスがかつてひっそりと地上に降りて人間の町に遊びに出かけた時に使ったとされる馬の名前だよ。その留守の間、空を守り続けたアミュテュスに後からしっぽり怒られたそうだが」
「なんだそりゃ、もっと威厳のある逸話を持ってきてくれよ」
「文句の多いやつだな。じゃあ……」
彼らの相談を聞きながら、その馬はのんきに足元の草を食んでいた。
ズミで生まれたのかトレンティアから連れてこられたのかは分からないが、トレンティアの軍馬としても名前はあったのだろうか。それがズミの神からとって名付けを変えられるというのだから、馬ながら不憫なものだ。
次第に僕は話に興味を失せて、さっさと野営の準備に取り掛かりにいこうかな、なんて思いが起こってくる。
そういえばパウルに、助けてもらった礼の一言でも言ってやろうと思っていたことを思い出した。
「おい、パウル……」
馬の名前の相談中に、僕は渋い声で口を挟んだ。「なに」なんて気の抜けた返事と共に振り向いてくる。その顔を正面から見ると、面と向かって礼なんて言うのはやっぱりなんだか腹立たしく感じてくる。
見た感じでは、彼の関心事は目の前の神官の魔法と馬に集中している。僕を助けたことなどもう意識の隅にもなさそうに見える。
「……いや、やっぱいい」
結局僕はそんな言葉で話を濁し、目を逸らした。
「ええ? 何だよヨハン、もしかしてお前も馬が欲しいのか?」
間抜けな顔で見当違いのことを言ってくるので、僕はしかめっ面で首を振ってやった。
そんな僕には構わず、今度はリョドルがパウルに質問をし始める。
「そういえばだけど、後学のために聞かせてほしいな。トレンティアの神というと……、さっきのあんたの祈りを聞く限り、トレントってやつがそれなのか? それが死者を慰める神?」
パウルは「はあ」とまた気の抜けた調子でリョドルを振り返る。……トレント、という言葉を聞くとどうしても僕にも胸がざわつくような思いがよぎる。
トレンティアの王都で見たあの神々しい聖樹の姿……それを見上げたあまりに純真な少年の瞳。だけど今ここで、無惨に殺された兵士達へ落とされる祈りと、それはあまりにも遠くて……。
そのトレントへ、僕よりもずっと思いが深いだろうパウルは……しかし感情のない声で、淡々と語る。
「神かって言われると、まあそんなところかな。厳密に言えば聖樹は神の依り代であって、神そのものではないんだが……。死者を慰めるとかそういうのも特に限定してない。トレンティア人はなんでもかんでも神聖なるトレント、だ」
パウルの答えにリョドルは興味を示したらしく、ほうほう、なんて相槌を打っている。神官となると、隣国の宗教事情も気にかかるものだろうか。
「厳密に言えば神じゃない? じゃあ神ってのは何なんだ」
「何って言われても、神は神だよ。世界の創造主にして魔族の守護者だ」
「魔族? なんだそりゃ」
「ああ、人間を指す古い言い方だ。魔法を扱う者、という意味でそういう言葉を使う。鳥や獣やその他の被造物と違って、人間様だけは特別にその力を与えられた、選ばれし一族だということだ。特にトレントを中心に魔道を発展させたトレンティア一族だけを指すという解釈も古くからあるんだが、まあここは神がどこまでを守護する存在なのかっていう、今でも面倒くさい論争の元になるとこで……」
パウルは聞かれるままに講釈を始めた。ズミの神話すら曖昧にしか知らない僕にはあまり関心のない話題でもあったが……。
「ふーん……、面白いな。他の兵士と見比べた感じだけど、あんたトレンティア人の中でも神学には詳しい方なんじゃないか? 神殿で勉強したりしてたのか」
リョドルは興味深そうにパウルの顔を覗き込んで言う。パウルは渋い顔になってため息をついた。
「そういう感じではないが、まあ名目だけは最高司祭だったからな……。今は見ての通り、ズミで泥を啜って生きてる傭兵くずれの浮浪者だがなあ」
そう自虐っぽくぼやいたのに対して、リョドルはからからと笑い声を上げた。
「はは、トレンティアの最高司祭がズミで兵士を? あんたは守護神様から見捨てられてるのかね? しかし安心しなよ、ズミの太陽神ミュロスは民族の別もなく、一切の命を平等に照らす大いなる神だ。あんたのことも見守ってくださるよ、サーシェ」
楽しそうに言う声は皮肉っぽくもあったが、サーシェと言った時は神官らしく美しく微笑んで見せた。
それを見てパウルはむずむずと据わりの悪そうな顔をするだけだった。リョドルは楽しそうに言葉を続ける。
「馬の名前だが、ヤーナンというのはどうだ? ミュロスの臣下シタールとナフラが乗ったとされる車の名前だ。彼らはその車に乗って海の向こうや地の底までへも駆け回り、その先に住む異国の人々にミュロスの名とその威光を説いて聞かせたという」
さすが神官だ、僕には聞いたことのない名前がすらすらと出てくる。パウルは呆れたような、皮肉ったような変な笑いを浮かべた。
「異国の人々か、なるほど、いいんじゃないか。聖樹の国から月光の国へ、その境を跨いで駆け回る……俺達は同志かな、ヤーナン」
そう呼びかけながら馬の首をまた撫でた。馬は人語を理解してはいないだろうが、まるで返事をするみたいに鼻息を吐いて首を動かしていた。
政争に揉まれ、国境を跨いで戦っているかつての王子にどれほどの感傷があることかなんて僕には想像もつかないが……この際馬にまでその境遇を重ねるのも風流というものだろうか。リョドルの言葉の中にある神々を思って、僕まで変に遠い気分になってきた。
これ以上彼らの話に付き合っていてもなんだか妙な心地になるだけだ。そんなことを思って、やっと僕は野営地の設営に取り掛かるために彼らから離れた。
おいヨハンどこいくんだ、なんてパウルの気の抜けた声がかかってきたが、適当にあしらって無視をした。
まだ行軍と戦闘は続いていくだろう、のんびりと神様への祈りに浸っているような余裕はない。アルティヴァ・サーシェ、戦いの神に勝利を祈る、僕達兵士にはそれだけで十分だ。
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