サーシェ

天山敬法

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第十二章 私達の愛の形

147話 ツインクラウンの誓い

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 夏がすっかりと去り、秋が深まる頃にまた、ズミにはまばらな雨季が訪れる。
 大街道を東に進む時は左手に聳えるナルシャ山の上に、その山頂を覆い隠すように灰色の雲が纏わりついている景色があった。
 春にセラーラ地方からラズミルへ攻め上った時とは逆方向へ、サダナムを目指して進軍する軍隊の中で、また僕は前線からは遠く離れた深部の隊列の中にいた。……国王なのだから奥へ引っ込められる、そういうものらしい。
 王になってからというもの着せられる服も随分と上等な生地のものになっていたが、行軍となるとさすがに軍服だ。だけど前からの好みで、相変わらず鎧はつけない。
 ただせめて少しは王っぽく、なんて言われて無駄に刺繍の入ったマントを引っ掛けられている。刺繍の柄は選ばせてもらったので、黒地に金の糸で星月の紋様を縫ったものを選んだ。
 トレンティア人達から聞いた話では、僕達の国は“月光の国”という異名で知られている。魔法の光であかあかと照らされたトレンティアとは違い、ズミの夜は深く、星月の明かりが一層に美しいと……。
 その夜空を肩に纏い、そして馬にも乗せられている。乗馬自体はナートに拠点を置いてから……武闘大会の前から時々に練習をしていて、一応の操縦はできるようになっている。
 まだ戦場を駆け回って馬上で戦うなんて真似は到底できないが、移動に使うだけなら差し支えはなさそうだ。
 ラズミル地方は昔から乗馬文化が馴染んでいる地域だし、ナートではトレンティアの軍人が置いていった軍馬をそのまま拝借したものだから、今はズミ軍の中にも騎馬兵の姿が目立つ。当然、馬が大好きなイグノール軍の一行もそうだ。
 いよいよズミの中で最後に残った被占領地の解放を目指す大きな戦いへ挑むのだ、そこに抱いた緊張は今までに増して大きい……はずだが、やはり王というのは難儀なもので、そればかりを考えているわけにもいかなかった。
 シュナートで隊列を整えて出発した僕達は、サダナムまで伸びる大街道の途中にある町村を通過する際に、いちいちその住民達から熱い声援を受けることになり、その度に僕が顔を出さねばならないのだ。
 金や物資の寄付をしてくる貴族や農民も多い。その受け取りは部下達に任せるが、僕は国軍の代表として礼を言う。
 礼を言うというのに馬上からふんぞり返るのはどうかと思って下馬して頭を下げると、皆は驚きおののいて更に低く頭をひれ伏してしまう。
 部下からはそんな丁寧にしなくてもいいですよ、なんて小言を言われる。一方ではそんな僕の振る舞いを評価する臣下の声もあった。民と距離が近いのはいいことだ、と。
 何が正しいのかはいまいち分からない……王の振る舞いというのは難しいものだ。もっと真面目にリョドルの説教を聞いておけばよかったかもしれない。
「アルティヴァ・サーシェ! ご武運を!」「サーシェ、我々の国に勝利を!」「ヨハン・アルティーヴァ陛下に祝福を!」
 皆が皆高らかに軍神の名を呼ぶ……レジスタンスの間にあった暗黙の合言葉とは、既に随分と違う色を帯びている。
 そうして僕を出迎えて激励と祝福の言葉に沸く民衆の中には、貴族のような者も多かったが、現地の貧しい平民の姿も混ざっていた。
 出陣する国王の姿をひと目見んとして人混みの中に混ざっている、それはいつかのアザルと同じように痩せた子どもの姿や、怪我や病気、あるいは年老いて不随になっている者の姿もあった。
 彼らは往々にして貴族や商人から煙たがられ、お前のようなものが陛下の目に入るななんて罵られて追い払われてしまう。
 それを見つけて僕は……そうしろと誰かに教わったわけじゃないけど、だけどそこへ進んで行って彼らの元へ跪いてまで目を合わせた。長い間忌み嫌われたこの目の色を見せ付けるように。
「サーシェ、あなたにも祝福を」
 かけるべき正しい言葉は分からない、ただ短くそう祈るだけだ。
 そんな人々の姿を目に、胸に留めて一歩一歩を進んでいく。……僕はこの国の王になったのだ、その景色の中に見える全ての人間が、誰一人例外なく、僕という指揮官を頂点に頂く部隊員の一人一人なのだ。
 声援への礼を言う時はにこりとぐらいした方が良かったのかもしれない、だけどそういう気分にはならなかった。
 もともと笑顔を作るのが得意ではないし、これから決死の戦いに挑むのだ、ニコニコするだけの気持ちの余裕もない。しかし不思議とその愛想の無さに小言を言う臣下はいなかった。
 部隊の下っ端にいた頃は不評だったこの無愛想も、どうやら上に立つと“威厳”とやらに変わるらしい。この目の色と相まって「気味の悪いガキだ」なんて言われて無意味に殴られていた日々が嘘みたいだ。
 あの時僕を殴っていた者達は今頃どんな気持ちになっているだろうか、なんていたずらなことを考えてしまう。
 僕の傍らには同じく乗馬したジルと、そしてこちらは地面の上を徒歩で行くアザルとが常にぴたりと伴っている。
 彼はまだ馬に一人で乗るには小さいし、平民出身の下男だからと、そう立派に振る舞う必要もないらしかった。
 民衆に出迎えられて様々に賞賛の言葉を浴びる僕を見るごとに、ジルもアザルも緊張を増していくようだ。彼らだって自分がまさか国王の側近になるとは思っていなかったのだ。その実感が民の姿を見るにつけいよいよ深まっているのだろう。
 もっともそれは僕も同じことだ。ナートの部屋でただ勉強漬けになっている時よりもずっとこの肩書きは重たく、僕を押し潰そうとするかのように、のしかかってくる。

 途中、街道沿いにある宿場町を軍だけで占有して一泊を過ごすことになった。宿につくなり、僕は気疲れのあまり自分の部屋の中でぐったりと倒れ込む。
 しかも余計に悪いことに、今はジュリがいないのだ。今までならこの気疲れや緊張も、部屋に戻れば温かく慰めてくれる妻に縋って何とか乗り越えていたのだ、それがいないとなるとそれだけで更に気分が暗くなる。
 せめて夜が更けるまでは気心の知れた者達と過ごして気を紛らわせようと、僕はマントを脱いでから、同じ宿の別の部屋に陣取っているイグノールの元を訪ねた。
 しかしこちらも今までほど気楽には会えないようで、部屋を訪ねると入口の前に立っていたグリスが驚いて僕を止めてから、部屋の中へ伺いを立て、許可が下りてからやっと中へ入れる。
 中ではどうやら会議でもしていたのか、イグノール軍の面子が勢揃いで僕を出迎えた。
 パウルとクラウスの他にエレアノールも、ルヴァークもアルドもまだイグノールの配下として今回の行軍に伴っている。
 リョドルだけはいないが、彼は教官長として正式に軍務からは離れている、既に部隊員には数えられないだろう。
 つまりイグノール軍はラズミルやナートに留守番を置くこともせずに、全員でこの出征に乗り込んでいるわけだ……この国に腰を落ち着けるつもりもなく、きっとサダナムよりも更に向こうを目指している彼らの意志を、そこからもひしひしと感じる。
 一人用の部屋としては広いが、それだけの人数がいると手狭だ。床の上に円を作るように立って、皆一様に僕の方へ視線を向けてきている、その様はそれだけで妙な威圧感がある。
「どうかされましたか、陛下」
 パウルさえも馬鹿丁寧な言葉でそう声を掛けてくる。その顔は皮肉った笑いも浮かべていない、いたって落ち着いた無表情だ……どうやら冗談抜きらしい。僕は思わずその場に脱力したい思いにすら駆られた。
「別に……時間潰しに様子見に来ただけだけど……、取り込み中だったか」
 そう答えた声は今にも死にそうなほど陰鬱だった。さすがにパウルも困った顔になって、やがて諦めたようにため息をついた。
「あー……、相当参ってるなこりゃ。こっからは無礼講でいこう。会議も一旦中止で、各々用事がある者は好きに外せ」
 そうパウルは配下達に投げやりに言いつけた。やっぱり会議の途中だったらしい。
「いや、会議中だったんだろ、そこまでは……」
 僕は遠慮してそう言ったが、パウルは既にすっかり気分を緩めた様子でだらりと床に座り込んで、お前も座れ、なんて手招きをしてくる。仕方なく……それに甘えて僕も床に座った。
 アザルは部屋の留守番に置いてきたが、ジルは僕に伴っている……僕とジルが加わったことで余計手狭になった部屋から、しかし退室する者はいないらしい。
 エレアノールとアルドもなんとなく座り込み、クラウスとルヴァークとジルの騎士三人組はそれぞれの主人の背後の、壁に張り付くような位置取りでびしと突っ立った。
「ヘルマン、酒と食い物適当に持ってきてくれ」
 パウルはそう言って入口の番をしていたグリスを顎で使う。彼は威勢よく返事をしてどこかへすっ飛んでいった。
 当たり前のように見える光景だが、今になってから見ると、すっかり部下への命令に慣れているパウルが妙に大きく見える。
「考えてみれば……お前は生まれた時から王族だったもんな……」
 そう呟くと、パウルは呆れた顔でため息をつく。
「お前を……親元で育ててやれなかったのは本当に悪かったよ。あの泥臭いゲリラ兵がいきなり国王だもんな、その気苦労たるや察するに余りある。悪かった、私が全部悪い」
 そうパウルは再三謝罪を口にするが、別に僕は彼を恨んでいるわけでも謝罪を求めているわけでもない。
「親元で育ってたとしても、どのみちどっちかの国の王族にはなってたんだろ、同じことだ……」
 僕は陰鬱な声のままで言う。そしてズミとトレンティアの戦争が起こったのなら、どのみち何らかの形で巻き込まれてはいただろう。
 ズミの王族としてラズミルにいたら、二年前の爆撃でもろとも死んでいたかもしれない。トレンティアの王族として育っていたのなら、野心高いギルバートという男に暗殺されていたかもしれない。運命……なんてものがあるのかどうかは分からないが、考えてみたところで栓はない。
「まあ、慣れろ、としか言えないな。誰がどう見たって空位の所に突然出てきた十六歳の王なんてお飾りの旗印だ、臣下の言うことをウンウン聞いて、偉そうに王座に座ってりゃそれだけでいいさ」
 グリスが運んできた酒を呷りながら、パウルはそう投げやりに言う。僕と、隣のエレアノールが呆れた顔でそれを睨んだ。
 ……今既にほとんどその状態だが、それだけでも気苦労の重たさで肩が潰れそうだ。実際に自分で政治などやり始めるとどうなってしまうのだろうか。
 僕は気楽そうなパウルの顔を恨みっぽく見つめたが、しかし彼とて決して他人事ではないはずだ。
「お前も一応トレンティアの王になるつもりなんだろう。お前はやっぱり……上手くやるんだろうな」
 パウルが立派な服を着て、その長い金髪の上にきらびやかな冠を被っている様子を想像しても、憎たらしいぐらいに違和感がなかった。
 彼自身も、僕などと比べればその自覚はあるだろう。
「俺は子どもの頃から王になるための教養を叩き込まれてたし、実際父王を見て育ったから、だいたいの感覚は分かってる。お前と違ってもういい歳だしな、上手いかどうかは分からないが、難しくはないさ。しかしこの俺様でも、時には王族の窮屈さに嫌気が差すこともある、お前なんかが背負った日には本当に大変だろうよ。お前は根っから真面目だしなあ、本当にしんどいよなあ……」
 そうしみじみと言いながら僕の頭を撫でてくる。もう酔っているのか何なのか知らないが、しかしその時は、僕にもそれをはねのける元気もなかった。
 されるがままに髪の上を這う彼の手の温度を感じていると、ずっと胸を締め付けていた何かがその時だけふっと緩くなって息が楽になる、そんな感じさえするのだ。……ずっと知らなかった、父親の手……。
 せめて彼が国王になってその姿を見せてくれた後なら、僕だってもう少しやりやすかったかもしれない、なんてまた栓のない考えが浮かんだ。彼はズミではなくトレンティアの王子なのに。
「もしかして……、お前がトレンティアの王になったら、親子でトレンティアとズミの国王をやることになるのか……?」
 今更気付いた事実に愕然として僕は呟いた。パウルは渋そうな顔で……何を今更、とでも言いたげだ。
 そもそも親と子で住む国が違うこと自体おかしな話だと思うのに、それが国王同士となると……一体どうなるんだ。
 僕はきっとラズミルの王宮に住むのだろう、彼はトレンティアのあの王城にいるのだろう。その間に隔てる距離はあまりにも遠い。
「もうこうして顔を見ることも……簡単にはできなくなるのかな。親子なのに」
 ぽつりぽつりと愚痴を零す。いつもならこんな饒舌にはならないのに、今も酒など飲んではいないのに、どうしても疲れた気持ちでは余計なことを言ってしまう。
 そんな僕の顔をじっと見るパウルの表情はどこか切なげで、しかし真剣だった。その手は名残惜しそうに僕の黒髪を撫でている。
「俺達はもう親子じゃないよ」
「は?」
 思わず顔を上げてその青い目を睨み据える。
「血の繋がりは変わらないけど……、ある意味ではな。お前はズミの王を継ぐためにトレント・エルフィンズ家の継承権を放棄してアルティーヴァ家の当主となった。だが私は依然こっちの王家の血統を主張し続けなきゃならん。もう、別の家の人間なんだ。……貴族社会のルールだ、お前にはまだピンとこないかもしれないが……」
 淡々と語られた内容は、分かるような分からないような、分かりたくもないような嫌な感触がした。
「それに、先のことは分からんが、仮に私がトレンティアの王位を奪還したとして、その時にお前が私の実の息子だということが公になると面倒なことになる。ズミ側にもいい顔をしない人間が出てくるだろうし……この血の繋がりは極力秘めておかなきゃいけない。きっとお互いが死ぬまで……いや、死んだ後もずっとな。もうお前の父親だなんて名乗ることは、私には許されないんだよ」
 ゆっくりと、子どもに言い聞かせるような声は穏やかで、だけど思い詰めているようでもあった。
 それは貴族社会とやらのルールであり、二つの国家の間に跨る政治の問題でもある。僕などにはすぐに理解が及ばないのは無理もなかったかもしれない。
 だけど王族として育った教養深いイグノールにとっては、当然のこととして理解していたのだろう。
 そんなことはずっと前から……、きっと僕を王にしたいと言ったモルズの意思を聞いた時から、いや、彼がイグノールとして名乗りを上げた瞬間から? もっと前から分かっていたのかもしれない。
 武闘大会の時、モルズが「イグノール殿がなかなかウンと言わないもので」なんて文句を言っていたことを思い出す。パウルは世界中の何よりも愛しているという息子を、その判断において明確に“手離した”のだろう。
 唖然としてしまった僕を見て、パウルは悲しそうに笑う。
「そんな顔するなよ、俺まで泣きそうになるじゃないか。……すみません、アルド先生。私がもう父親としていてやれない分、またあなたにお願いすることになります。ヨハンをどうかよろしく頼みます……」
 そして本当に泣きそうな顔になって、横で黙って話を聞いていたアルドに振り向き、僕の頭から離した手で彼の両手を握り始めた。アルドはぎょっとして顔を上げて慌てる。
「荷が重い」
 アルドは強張った顔でそう呟いたが、パウルの手が離れた後はその言いつけ通りに僕の方へ、気遣うような表情を向け、やがて身を寄せて背中を撫でてきた。僕は何も言えないまま、ただただ呆然としている。
 しかしそんな僕達を見て、見てられないというような様子でかっと威勢よく声を上げる者があった。女らしくもなく軍服を着てあぐらをかいたエレアノールだ。
「ああもう、大の男が揃いも揃ってメソメソしてんじゃないわよ! 兄様がトレンティアの王位を奪還したら……っていつの話してるの!? 今はまだまだまだ……その途上の! サダナムにようやく向かってるところでしょうが! 勝てるかどうかも分からない戦に勝った後のことを考えていじけないで!?」
 その喝は気持ちがいいぐらいに僕達の意識に衝撃を与えていった。思わず我に返る……そうだ、まだ戦いの前である。
 パウルも同じ気持ちだっただろうか、ハッと息を呑んで背筋を伸ばし、すぐに表情をきりと引き締めた。
「ああ、それもそうだ。まだ先のことは分からない……いや、勝たなきゃならない」
 そう思い出したように、自分に言い聞かせたような言葉は、まだ若干の戸惑いを含んでいるように見えた。
 しかし彼は真剣な顔で数秒考え込んで、その視線のまま僕を見つめた。
「分かっているよな、ヨハン。今やズミは正式に国家のたいを成し、王と国軍とを擁して戦いに行く。それはこの国を侵略から守るため、この戦争を永遠に終わらせるための正道だ。その王位に就いたことは、お前にとって不本意だったとしても、そして私が“トレンティア側の”戦争を終わらせるために王位の継承者に名乗りを上げたことも……全ては繋がっていることだ。重たくとも背負って進め、ヨハン・アルティーヴァ。その先の未来に生きるこの国の民のために……お前にしかできないことだ」
 途端に重々しいものを纏って告げてくるそれは、きっと正しいことなのだろう。それを受け止めて飲み込んで、進まなければいけない。いつだってそうだ。
 王の肩書きが重たくて気疲れするとか、自分などに王が務まるか不安だとか、そしていつかは父親と引き離される未来が悲しいとか……
 そんなことは、そうだ、考えてみれば家族や故郷を戦火に奪われ、苦痛と飢餓と、そして幾重にも重なる理不尽な暴力に晒されながら泥を啜るように生きる、その苦しみと比べれば世迷言にも程がある。
 今もなおこの国の民は、その苦しみに喘いでいるさなかなのだ。そして僕自身も確かに……その暗がりを生き抜いてここまで来たではないか。
 ずっと、侵略者への復讐をと望んで戦ってきた。パウルと出会い、それに導かれて、この戦争に勝つために戦うと決めた。そしてその因果の先が今なのだ。
 ……よりによって自分がこの役目を背負う羽目になったことは不本意に変わりないけど、でも、自分が望んだ結果にも違いない。それは戦争に勝つための道だから。
 そう考えると少しだけ、この肩書きを背負うことにも……覚悟らしいものを持てる気がした。僕は固い唾をぐっと喉の奥に飲み込んで俯いた。
 やっと我に返った心地で、僕はグリスによって並べられた食事を黙々と口に運び始めた。……肉を食べねばならない。
 行軍の疲れと戦いへの緊張で、酒の混じった談笑もそう弾むことはない。ただ目の前のことひとつひとつを確かめるように、軽い言葉だけを交わし合う……、それでいい。

 夜が更けて自分の宿部屋へ戻ると、こちらは一人で不安に打ちひしがれていたらしいアザルが身を縮めて震えていた。
 彼にとっては大規模な戦闘に同行すること自体が初めてなのだ、幼い少年にはそれだけでも重圧になることだろう。
 自分のことばかりになって、部下を少しも気遣う余裕がなかった……幼い彼をそのままにして放ってきた自分を少し情けなく思った。
「緊張するのも仕方がないだろうけど、あんまり気張りすぎるなよ。不安になったってできることは同じなんだから、落ち着いて」
 人を励ます言葉なんてやっぱり分からなくて、とにかく間に合わせの声を掛けることしかできない。アザルは不安そうな顔のまま頷いていた。
 そんな僕達を見て、ジルが今日も抜ける程に快活な声を上げる。
「食って寝ること、これが一番の元気の秘訣ですよ。さあアザル殿、明日に備えてしっかり寝るぞ!」
 そう言ってジルはアザルを彼らの寝室に連れ去ってしまった。
 しばらく付き合ってみて分かったことだが、ジルは呆れるぐらいに明朗で力強い性格をしていた。脳みそまで筋肉、という言葉はきっとああいう人間のためにある。
 その馬鹿みたいな明るさに煽られてアザルも少しは元気になるといいのだが……。僕はただ黙って見送るだけだ。
 そしてジュリがいない今、無駄に広い寝室で目を瞑るのは自分一人だけである。
 一人で寝るなんてのも随分と久しぶりだ。同衾する妻がいない時でも、同室にはずっと誰かしらがいたように思う。
 暗闇に落ちた部屋の中、両手両足を大の字に広げても余りあるベッドの上で、一人で過ごす時間は妙に物悲しかった。
 だけどこの静寂の重たさもまた、乗り越えていかねばならない。その決意を新たにして……せめて丸めた寝具をジュリに見立てて抱き締めながら、僕はしっかりと瞼を閉じた。
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