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本編

第2話 馬鹿よ馬鹿よも可愛いのうち

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 ――私には一つ年上の先輩がいる。

 彼は何が楽しくないのか、何も楽しくないのか、常に例外なく無表情を貫いている。私が隣にいる今でさえも、そうなのである。

 それでも、極々稀に感情の揺れを溢れさせる時があって。
 どうにもこうにも、私はその瞬間に惹かれてしまった。

「あ、先輩! そういえばですね、今日は始業式なんですよ?」

「それはさっき僕が与えた情報だ。君は数分前の記憶すら保持できないのか」

「馬鹿にしないで下さい! 私は記憶保持の記録保持者ですよ?」

「おお、それはすごい」

「でしょう?」

「すごい馬鹿っぽい」

「ちょっとお馬鹿な方が可愛くないですか?」

「君はどちらかというと、お馬鹿ではなく大馬鹿だ」

「大馬鹿でも可愛ければ許されませんか?」

「ただし可愛いに限るって奴か」

「いえいえ、ただの可愛いではダメです。超絶可愛い私だからいいんですっ!」

 これは決まったでしょう!
 先輩が自発的に口に出した台詞を絡める高等技術!
 ふふん、私だってやられっぱなしじゃないんですよ?
 さぁ、逆切れでも赤面でもなんでもござれっ!

「そうだな、確かに君は可愛い」

「ふぇあっ⁉」

 ちょ、ちょちょちょちょちょ! 先輩の様子がおかしい!
 いつもはどれだけ誘導しても断固として回避するくせに、今日はどうして連発してくるんですか!
 さては……発情期ですねっ!

「馬鹿なところも、お馬鹿なところも、大馬鹿なところも魅力的だ」

「えへへぇ、そうですか? ……もっと言ってくれてもいいんですよ?」

「そうか、なら何度でも言おう。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」

「うぇっへっへ……って馬鹿にしてますね⁉」

「今さら気づくとは、筋金入りの可愛さだな」

「使いどころが逆ですからっ!」

 私を言い負かすためなら、ほんと見境ないですね、この先輩は。
 ちょっと喜んだのが馬鹿みたいじゃないですか。
 ……ちょっと、悲しいなんて、馬鹿みたいじゃないですか。

 真面目に気分が沈みかけた時、ポンと頭の上に何かが置かれる感触がした。
 とてもぎこちなく。
 とても不慣れに。

「……何のつもりですか、先輩」

「いや、少し言い過ぎたかなって」

「だったら、せめて申し訳なさそうな表情をしてください」

「……どうだ?」

「ミリ単位でも変わってません! 先輩の表情筋はストライキ中ですか⁉ 春だけに、春闘真っ只中なんですか⁉」

 知ってましたけど! 先輩の鉄仮面っぷりは身をもって知るところですけど!

「馬鹿って言ったのは……本心ではあるけれど」

「慰めるのか貶すのかはっきりしてくださいっ!」

「僕は嘘が苦手だって知ってるだろ」

「それはもちろん……って、あれ?」

 つまり、どういうこと?
 馬鹿って言ったのは本心で。
 先輩は嘘が苦手で。
 だとすれば、可愛いって言葉も――

「~~~~っ!」

 顔が、熱い。
 思わず先輩と逆方向を向く。
 だって、こんな表情を見せたら何を言われるかわからない。
 それくらいに、鏡を見ずともわかるほどに、私はにやけてしまっている。

 ――だから、この瞬間に先輩がどんな顔をしていたかなんて、私には知る術がなかった。
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