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死の怪 鬼・前編
ちはやふる
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「ということで、水泳の授業は当面延期となりました」
朝のホームルームにて。担任の言葉に、教室から落胆の声が上がった。
◆◆◆
7月。もうじき梅雨も明けようかと言う頃、八咫学園ではプール開きが行われる予定であった。ところが、その日の朝、水泳部が一足早く朝練をしようとしたとき、事件は起こった。
早速プールに飛び込んだ部員たちが、次々に全身の激痛を訴えてプールを出てしまったのだ。見ると、彼らの肌は激しく日焼けしたかのように赤く染まっていた。幸い命に別状は無かったものの、すぐに出なければ無事では済まなかった可能性がある。
学園では、何者かが水の張られたプールに大量の薬剤を投入したと考え、警察に通報するとともに、張ったばかりの水を全て抜き、業者による清掃の後に張り直すこととなった。無論、その間水泳の授業は全て延期である。
「それは別に良いけどさ」
更衣室にて。体操服に着替えながら、植田颯馬はぼやいた。
「ドッジボールって何だよ。バスケしようぜ、バスケ」
「植田君はそればっかりだね」
苦笑する桂洸太。同じく着替える鋼を見ると、「ねえ、式三君?」と同意を求めた。
「うん、そうだね…」
「ちぇ。…一応、俺だってプール中止は悲しいんだぞ…」
洸太の言葉に生返事を返しながら、体操服に着替える鋼。下着のシャツを脱ぐと、颯馬が絶句した。
「…何?」
「…鋼、鍛えたな」
「え?」
きょとんとする鋼。自分の体を見下ろして、気付く。
かみつみの力があるとは言え、無茶な戦いに振り回された彼の肉体は、いつの間にか以前よりも筋肉が付き、元々の長身と相まって中々の迫力を滲ませていた。
◆◆◆
飛び交うボールを躱しながら、鋼はじっと考え込んでいた。
実際にこの学校のプールを見たことは無いが、一般的な25メートルプールだとする。それなりに大きい学校だし、12レーンくらいあるとしたら横幅は…大体15メートルくらい? それに深さも雑に2メートルで計算すると、プールの体積は25×15×2で、750立方メートル? 確か、1立方メートルが100か1000リットルだから、水の量が…とにかく7万リットル以上。その中に放り込んで、ちょっと浸かっただけで痛くなるくらいの効果を発揮するのだから、薬剤はかなりの量が必要だろう。こっそり持ち込める代物ではなさそうだ。___普通に知られている薬剤ならば。
「のっぺらぼうが使っていた、あの液体は…」
「…い、鋼、おい!」
「妖怪には薬だけど、人間には毒、みたいなのが…」
「…鋼、危ない!」
「…え? 何ぶぇっ!?」
きょとんと颯馬の方を見た間抜けな横面を、ボールが直撃した。ひっくり返りそうになり、かろうじて踏み留まる。
「大丈夫か!? おい、顔面ノーカンだぞ!」
「ごめんごめん! そっち投げていいぞ」
抗議する颯馬に、向こうのコートからボールを投げた男子生徒が声をかける。
「ああ、うん、大丈ぶぇあっ!?」
ボールを拾おうとかがみ込んだ鋼の顔面を、豪速球が直撃した。しかも、今度はバレーボールだ。
とうとう、ひっくり返る鋼。ぐらぐら揺れる天井に、足音が近づいてくる。視線を動かすと、まず外野でニヤニヤしている洸太の顔が見えた。その口が何か言っている。
「お嫁さんが来たよ」
「鋼くん!」
果たして、駆け寄ってきたのは澪逢。ざわつくギャラリーを他所に鋼を助け起こすと、体育館の向こうの方を睨んだ。
向こうのコートでは、女子がバレーボールをしていた。ボールがこちらに飛んできたので、当然試合は中断しているが、そこからまた一人の女子生徒が走ってきていた。
「いやー、えらいすんません」
「気をつけなさい」
いつの間にか拾っていたボールを投げ渡す澪逢。その生徒は、関西訛りの口調で謝りながら左手でボールを受け取った。どうやら、彼女が打ち込んだアタックが、鋼の顔面を直撃したようだ。
遠くにいたからだと思っていたが、近づいてみると、驚くほど背が低い。背中まで伸ばした髪を茶色に染め、更にパーマを掛けた明らかに校則違反の髪型で、小さな顔には、それとは対照的に大きな目と口が窮屈そうに並んでいた。
「…あかん、鼻血出てまっせ」
「え? …うわっ」
「床にバウンドして、顔にぶつかったもの。鋼くん、立てる?」
「ああ、うん、大丈夫…」
よろよろと立ち上がる鋼。足元に赤い雫が落ちて、慌てて鼻を押さえた。トイレットペーパーを持ってきた体育教師に鋼を任せると、2人の少女は自分のコートへ戻っていく。
体育館の隅で鼻に紙を詰めながら、鋼はバレーコートを眺めていた。試合は再開し、澪逢と例の少女…どうやら対戦相手のチームらしい…が、激しい打ち合いを繰り広げていた。澪逢の身体能力は言わずもがな、あの小さな少女も全く負けていない。
「いけー、蘆屋さんー!」
「旦那の敵を討てー!」
空高く跳んだ澪逢のスパイクが、敵陣の床を激しく揺らして向こうの壁に激突した。コートから黄色い歓声が上がる。
鋼はそこで、声援が全て澪逢に向けたものであることに気付いた。思い返すと、鋼の元へ駆けてきた澪逢を除けば、ボールを拾おうと動いていたのは少女一人だ。確かにボールを飛ばしたのは彼女とはいえ、もっと近くに人がいたにも関わらず、だ。
「…女子って怖い」
鋼は思わず、ぼそっと呟いた。
朝のホームルームにて。担任の言葉に、教室から落胆の声が上がった。
◆◆◆
7月。もうじき梅雨も明けようかと言う頃、八咫学園ではプール開きが行われる予定であった。ところが、その日の朝、水泳部が一足早く朝練をしようとしたとき、事件は起こった。
早速プールに飛び込んだ部員たちが、次々に全身の激痛を訴えてプールを出てしまったのだ。見ると、彼らの肌は激しく日焼けしたかのように赤く染まっていた。幸い命に別状は無かったものの、すぐに出なければ無事では済まなかった可能性がある。
学園では、何者かが水の張られたプールに大量の薬剤を投入したと考え、警察に通報するとともに、張ったばかりの水を全て抜き、業者による清掃の後に張り直すこととなった。無論、その間水泳の授業は全て延期である。
「それは別に良いけどさ」
更衣室にて。体操服に着替えながら、植田颯馬はぼやいた。
「ドッジボールって何だよ。バスケしようぜ、バスケ」
「植田君はそればっかりだね」
苦笑する桂洸太。同じく着替える鋼を見ると、「ねえ、式三君?」と同意を求めた。
「うん、そうだね…」
「ちぇ。…一応、俺だってプール中止は悲しいんだぞ…」
洸太の言葉に生返事を返しながら、体操服に着替える鋼。下着のシャツを脱ぐと、颯馬が絶句した。
「…何?」
「…鋼、鍛えたな」
「え?」
きょとんとする鋼。自分の体を見下ろして、気付く。
かみつみの力があるとは言え、無茶な戦いに振り回された彼の肉体は、いつの間にか以前よりも筋肉が付き、元々の長身と相まって中々の迫力を滲ませていた。
◆◆◆
飛び交うボールを躱しながら、鋼はじっと考え込んでいた。
実際にこの学校のプールを見たことは無いが、一般的な25メートルプールだとする。それなりに大きい学校だし、12レーンくらいあるとしたら横幅は…大体15メートルくらい? それに深さも雑に2メートルで計算すると、プールの体積は25×15×2で、750立方メートル? 確か、1立方メートルが100か1000リットルだから、水の量が…とにかく7万リットル以上。その中に放り込んで、ちょっと浸かっただけで痛くなるくらいの効果を発揮するのだから、薬剤はかなりの量が必要だろう。こっそり持ち込める代物ではなさそうだ。___普通に知られている薬剤ならば。
「のっぺらぼうが使っていた、あの液体は…」
「…い、鋼、おい!」
「妖怪には薬だけど、人間には毒、みたいなのが…」
「…鋼、危ない!」
「…え? 何ぶぇっ!?」
きょとんと颯馬の方を見た間抜けな横面を、ボールが直撃した。ひっくり返りそうになり、かろうじて踏み留まる。
「大丈夫か!? おい、顔面ノーカンだぞ!」
「ごめんごめん! そっち投げていいぞ」
抗議する颯馬に、向こうのコートからボールを投げた男子生徒が声をかける。
「ああ、うん、大丈ぶぇあっ!?」
ボールを拾おうとかがみ込んだ鋼の顔面を、豪速球が直撃した。しかも、今度はバレーボールだ。
とうとう、ひっくり返る鋼。ぐらぐら揺れる天井に、足音が近づいてくる。視線を動かすと、まず外野でニヤニヤしている洸太の顔が見えた。その口が何か言っている。
「お嫁さんが来たよ」
「鋼くん!」
果たして、駆け寄ってきたのは澪逢。ざわつくギャラリーを他所に鋼を助け起こすと、体育館の向こうの方を睨んだ。
向こうのコートでは、女子がバレーボールをしていた。ボールがこちらに飛んできたので、当然試合は中断しているが、そこからまた一人の女子生徒が走ってきていた。
「いやー、えらいすんません」
「気をつけなさい」
いつの間にか拾っていたボールを投げ渡す澪逢。その生徒は、関西訛りの口調で謝りながら左手でボールを受け取った。どうやら、彼女が打ち込んだアタックが、鋼の顔面を直撃したようだ。
遠くにいたからだと思っていたが、近づいてみると、驚くほど背が低い。背中まで伸ばした髪を茶色に染め、更にパーマを掛けた明らかに校則違反の髪型で、小さな顔には、それとは対照的に大きな目と口が窮屈そうに並んでいた。
「…あかん、鼻血出てまっせ」
「え? …うわっ」
「床にバウンドして、顔にぶつかったもの。鋼くん、立てる?」
「ああ、うん、大丈夫…」
よろよろと立ち上がる鋼。足元に赤い雫が落ちて、慌てて鼻を押さえた。トイレットペーパーを持ってきた体育教師に鋼を任せると、2人の少女は自分のコートへ戻っていく。
体育館の隅で鼻に紙を詰めながら、鋼はバレーコートを眺めていた。試合は再開し、澪逢と例の少女…どうやら対戦相手のチームらしい…が、激しい打ち合いを繰り広げていた。澪逢の身体能力は言わずもがな、あの小さな少女も全く負けていない。
「いけー、蘆屋さんー!」
「旦那の敵を討てー!」
空高く跳んだ澪逢のスパイクが、敵陣の床を激しく揺らして向こうの壁に激突した。コートから黄色い歓声が上がる。
鋼はそこで、声援が全て澪逢に向けたものであることに気付いた。思い返すと、鋼の元へ駆けてきた澪逢を除けば、ボールを拾おうと動いていたのは少女一人だ。確かにボールを飛ばしたのは彼女とはいえ、もっと近くに人がいたにも関わらず、だ。
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鋼は思わず、ぼそっと呟いた。
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