空からの手紙【完結】

しゅんか

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信号ヘアカラー

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 夏本番に向けまっしぐらな空の色は、爽快な青だけで染まっている。廊下に連なる窓ガラス越しのそれを見ながら、向かっていた。しばらくの間、ずっと。逃げて避けて来られずしまいにしてしまっていた、休憩場所に繋がる扉、へと。到着した入り口を前に、立ち止まる。


 ああ……本当に、来て、しまった。いや、自分の意思で、来たのだけれど。勝手に焦る思考を消し去るするように、深く目を閉じた。そして、大きくひとつの、深呼吸。


 北沢楓は、お兄ちゃんのなにか“真実”を知っているのかな。私が訊ねる全てを、誤魔化さないで答えてくれるのかな。


 不安たっぷりな心情を誤魔化すよう鍵を回し、勢いよく、扉を開けた。意を決し、明るくなった視界の先、外へと顔を向ける。そこには、赤い頭と青い頭をした派手な2人が堂々タバコを吹かすという光景が広がっていた。


「「「………………」」」


 無言のままぶつかった視線に、間抜け顔で呆気に取られてしまう。だれだれだれだれ。むりむりむりむり。離れよう、出直そう。タイミングを間違えた。ここにいたら、ダメ、絶対。

 さまざまな言葉を、矢継ぎ早におかしなテンションで自身に言い聞かせつつ、踵を返しそうとした……その、瞬間。


「うおっ!?」


 扉すぐ横、外壁に凭れ座る青髪により、腕を引っ張られるという強攻を受ける。結果、可愛らしさとは正反対の声と共に、留まることになってしまった。


「おいおいおいおい心!こんなとこに女呼ぶな馬鹿!」

「……私、呼ばれて来た訳じゃないです」


 この状況を打破する最善策を考え戸惑い、強張る身体。そのままずば抜けた勘違い発言をする赤髪に眉間を寄せて、芽生えた苛立ちに感情を全て押し殺した視線を向ける。


「え?じゃあキミだあれ?俺と約束してんじゃないの?」

「約束……も、なにも。初対面です。離してください。」


 間を置かずに呆れた発言を噛ます青髪には、心底からの軽蔑した視線を向けた。とはいえ、頼んだ通り青髪の力がすぐ無くなった素直さはよしとする。素早く2人から距離をとり、上から下まで改めて姿たちを確認していった。あまりにも派手すぎる、容姿たちを。


「じゃあ、なんだ?お前は女と自分が知り合いかどうかさえ、判んなくなったのか?せめて遊んでる女の顔ぐらい覚えとけよ馬鹿」

「うるさぁ~い、うざぁ~い。」

「あ?」


 繰り広げられる会話を見つつ聞きつつ考えつつ、この青髪には遊んでる女がたくさんいる中その1人と間違えられて引き止められてしまったのか……という。なんとも傍迷惑な事実を理解する。確かに、女の子に受けそうな顔立ちなんだろうけれど。かっこよく男らしい、ではなく、綺麗だと形容したほうが正しいような。何処までも〝どうでもいい〟としか感じられないそれらを前に、数分前までの無駄な気負いを返してほしいと切に願った。


「(……帰ろう。)」


 ふう。と、短く潔く、息を吐く。今度こそ、これ以上は関わらないと強く決め、すっかり外へと出てしまっていた身体を、校舎内へ戻しながら。


 けれど、それも、

「…………永谷、ほなみ?」

 ぽつり、後ろから届いた、静かに呟く赤髪の声に引きつけられ、動きは止まった。


 それぞれの立ち位置を結めば、トライアングルになるだろうその真ん中に寂しく置かれていた〝ショートケーキ〟に感じる、違和感と失笑を抑える。殺伐とした空気と正反対のモノから、意識を相手へと向けた。


 この2人は、たぶん、先輩、なんだろう。こんな目立つ同級生を見たことはないし、何より、態度と言動と佇まいからして、こんな15歳などいて欲しくない。そもそも、いない。


 自分の希望を含めたそれらを、1秒もかからない内に理解し「……そうだとしたら、なんですか?」と、にこにこ無邪気な笑みを作りながら振り返る。


「…………いや、なんでもねえ。いきなり悪かったな。」


 それでも。大概の人が頬を赤らめるそれをしても、赤髪は、苦しそうに微笑むだけ。すらりと大きく迫力ある白眼がちな瞳を、哀しく歪めるだけ。

 北沢楓と、同じように。


 なんだか、喉の奥が、ざわざわとする。

 どうして、なのだろう。落ち着けない。


「…………名前、訊いてもいいですか?」

「……俺、の?」

「はい」

「…………槙本、陽。」


 表情を変えないまま、僅かに首を傾げる。しっかりと視線を合わせ訊いたはずなのに、おそるおそる確認してくる用心深さにとうとう失笑が溢れた。

 真剣なトーンで応える赤髪“まきもとよう”は、無気味だっただろうその表情を確認してきても変わらないけれど。変わらず、哀しく苦しく、存在している。


「あ、そう言えばまっきー、教師になるんだって?」

「……まっきー呼ぶな。それ訊くタイミングおかしいし。」

「思い出したの今だったからしょうがないでしょう。」

「大体……お前のその口調よくないって。悪影響だぞ弟に。どんどん似てきてるじゃねえか。」

「別によくない?兄弟感たっぷりじゃん?」

「いや……確かにあいつも今は可愛らしいとこあるけどさ。高校生くらいになって心みたいな生意気に育ってたら、俺は嘆くぞ。」

「なにそれ……それに、というか。なんでいきなり全力のカラ元気?」


 緊張感漂う空気をぶち壊すよう青髪“しん”と呼ばれる相手は、のんびりふんわりと、毒を吐き出していた。見えない部分での2人の力関係に、可笑しさを覚える。

 本当に、そう、思うのに。


「…………なんで、そんな顔で笑うの」


 いつもの“永谷帆波”なら、愛想よく笑って煽てて当たり障り無く立ち去れるのに。どう頑張っても、出来なくて。

 やっぱり、おかしい。私、は。とうとう本格的に、おかしくなってしまったのかな。どうしていつもみたいに、やり過ごせないのかな。

 笑顔で、
 表情を固めて、
 虚勢を張って、
 嘘を並べて、“私”を、隠して。

 簡単な、それらは。腐るほどこなしてきたこと、なのに。


 不安いっぱいに「永谷ほなみ……?」と、私を呼ぶ槙本陽から足下へ視線を向ける。……ああ、コレの所為か。


 名前の言い方、発音、リズム。北沢楓と同じ、それから。お兄ちゃんとも、同じ、コレ。


 ほっとして。懐かしくなって。気が狂ってしまいそうなほど、哀しくて。訳が分からなくなってしまうほど、寂しくて。こどものように、駄々をこねるみたいに、馬鹿みたいに縋りたくなってしまう、コレの所為。


 押し寄せてくる感情が多すぎて、もう、ネコを被ることさえ、出来なかった。そんな余裕、なかった。


 北沢楓と槙本陽に名前を呼ばれてしまったら、苦しい。


「“キタザワカエデ”も“マキモトヨウ”も……なんで、そんな顔で、笑いかけてくるの?2人、知り合い?なに?それか、噂を聞いて、勝手に、感情輸入してるだけ?それとも、私のこと、知ってるの?」

「楓……って、」

「………………」

「今まで、いっぱい色んな人に同情されたように笑いかけられたりしたけど、声をかけられたりもしたけど、でも、違う……北沢楓と槙本陽は、違う!」


 ぽかん、と折角の容姿が台無しになる面喰い顔で戸惑う青。身動きひとつせず固まり、無言を貫く赤。叫び近い声で喚く私。

 もう、必死だった。

 北沢楓が意味深なことを言い残して『また明日な』と、去った、あの日から。


 お兄ちゃんを、
 永谷空を、

 “目的”を、
 “理由”を、
 “事情”を、
 “現実”を、

 知りたくて、
 知りたくなくて、

 訊きたくて、
 聞きたくなくて、

 分かりたくて、
 解りたくなくて、

 怖気づいて、この場所から北沢楓から、私は遠ざかったのだ。


 そんな、情けない自分は、許せなくて。
 鬱陶しくて。
 大嫌い、で。

 夜もいつも、眠れない。


 眠れないのは、べつに、今に始まったことでもないから。お兄ちゃんがこの世界どこにも存在しなくなったあの日からずっと、なのだから。対した問題でも、ダメージでもないけれど。今の自分には、些細な異常さえ、きつくのしかかってくる。


 毎日、毎時間、毎分、毎秒。頭の中は、自責と後悔で埋め尽くされた。


 お兄ちゃん、お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん、お兄ちゃん。なにがあったの?私はなにか出来たんじゃないの?どうして、なにも言ってくれなかったの?どうして、なにも遺してくれなかったの?

 どうして、ひとりぼっちで、死んだりするの?


 北沢楓と槙本陽の、共通の、笑顔を向けられる度に、思い出す度に、『ほなみ』と呼ばれる度に、もう二度と答えが貰えない問いかけが、止まらなくなる。だってその呼び方は、お兄ちゃんだけのものだった。


 北沢楓と槙本陽の、共通の、哀しそうな笑顔は瞳は、何もかもを知っていて、何もかもを悟っていて、全てを受け止めた上で、哀しいって思っている。


 だって、お兄ちゃんと関わりがあったから〝永谷空〟から私の話を名を聞いたことがあったから、お兄ちゃんと同じように呼んしまっているんじゃないの?

 本当のことは、分からないけれど。槙本陽に至っては、学年も知らないほどの他人で。北沢楓にしたって、知っているのは、当たり障りないことばかりで。


 ただ。それでも。そうだと、しても。お兄ちゃんの〝真実〟を知って、悟って。 私が、ここに来た〝真実〟さえ、分かっていて。そんな行動に到ってる憐れな子どもを、哀しいと思ってる。嫌でもそんな風に考えてしまう。勝手な被害妄想、思い込み……なんて指摘されたら、それまでだけれど。自分の中に芽生えた新たな疑問を、受け流すことはできなかった。これはそんなに、単純なことじゃないって。それだけは、感じられているから。


「っお兄ちゃ、んの、こ、と……っなに、か、知って、る……っ、」


 全く反応を示さないままの槙本陽に、言葉を感情をぶつけ続ける。瞬間的に、体験したことのない呼吸になっていることは分かっていた。それでもこのまま勢いで訊かないと、なにも変わらないと知っていた。お兄ちゃんの苦しみを、これからもずっとら知れないままなんだと、思っていた。

 それでも、息は、続かない。


「はあっ…っは…っ……、」

「おいっ……!」


 肩が上下に動き荒い息遣いが声に表れ始めた頃には、酷く痺れてしまった手足に力が入らず、地面に崩れ落ちていた。数段ある固く冷たい階段に両膝をついた自分の頭が、懺悔するよう落ちていく。自力で食い止めらなかった身体は、槙本陽が慌てて受け止めてくれた。背中を絶えずさすってくれているけれど……尋常じゃなく襲ってくる苦しさは、ただの恐怖、そのもので。


「まっきー……これって、過呼吸、かな?」

「過去……?昔?」

「いや、その過去じゃなくて……って、そんなの今どうでもいいからとりあえず……あ、楓!早く来てここ!俺、袋探してくるから陽とここ頼むよ?」

「心?なんでお前こんなとこ……って、もういねえし、」

「楓!ちょ、早く来い!」

「は?陽…………ほ、なみ?」

「そう!永谷!なんか急に、息が苦しそうになって……、」


 賑やかさはあれど、浮ついた陽気さなど皆無な会話が頭上で慌しく交わされる。内容まてを理解する余裕はなかったけれど、騒がしいことだけは分かった。普通の呼吸に戻そうと、意識する。それでも、そうすればするほど、焦りを感じ酷くしかならない。単なる、アリ地獄のような。もがけばもがくほど堕ちていく、どろついた、闇。


「…………ほなみ、俺のこと、分かるか?」

「っはあ…っ……く、る………し…っ、」

「苦しいな……悪いほなみ、ちょっと借りるぞ」


 申し訳なさやら苦しさやら、いろんな感情が爆発し視界が滲んでいく最中に、耳元へ届いたのは。久しぶりに望んでいた声、で。槙本陽と場所を変わったらしい北沢楓が、私の頬に大きな手のひらを当て顔を覗き込んでくる。力が抜けきった腕を必死に上げ、今出せる精一杯で北沢楓の腕を掴んだ。着ていたベスト型のカーディガン、そのポケットから相手により取り出された携帯電話が視界の隅を横切る。


 思考の片隅で、例え、見えなくても。苦しさに伴い溢れてくる、生理的な涙が霞んでも。はっきりとした表情は、読み取れなくても。北沢楓の声は、酷く辛そうなものだった。


 浅く速くにしか繋げられないおかしな呼吸も、そのスピードに合わせ上下に揺れ動く肩も、痺れて感覚が消えていく手足も、どれひとつ劣ることなく、全ての激しさは増していく。全身を北沢楓に預けている自分の、ひとりで座ることさえ出来ない情けなさが弱さが、憎かった。


「お前、きょうだよな?今から言う場所、来い。みつき、と一緒に……ほなみ、息が苦しそうなんだよ…………ああ。」


 この場所へ来るための道のりをまるで説明書を読み上げているかのようぺらぺら喋った北沢楓が、携帯を閉じる。ぱちん、と聴こえた潔い音。顔上げれないから、はっきりとは認識できないけれど。北沢楓は今、電話してた?私の、携帯で?それに……どうして、恭と光希のことまで、知ってるの?


 北沢楓と関わると“なんで”“どうして”そんな、果てのない疑問しか、生まれないのだ。
 
 誰か、教えてほしい。北沢楓の正体を、暴いてほしい。


 瞼を強く閉じ、荒い呼吸、自分でも理解不能になってきた思考の中「ほーなみちゃん……だっけ?」と、頭上から。心と呼ばれる青髪の気が抜けるようなゆるくふわりとした、柔らかい声が降ってきた。この場にそぐわない雰囲気が、今はありがたい。肩の力が抜ける、それは。


「そのまま、楓に凭れたままでいいからさ、顔、上げれるかな?あ、ちょっとまっきーどいて」

「『どいて』ってお前どこ行って……なんだ、それ?」

「紙袋。楓、この子の背中支えるようにできる?」


 雑にあしらわれ可哀想な扱いを受けてる人がひとりいる気がするけれど、誰もそこにはふれない。北沢楓が「ん。ほなみ、ちょっと体動かすぞ」と、私の上半身をひっぱり持ち上げつつ、自分もぺたんと座り胡座をかく。支えがないと踏ん張れない様を考慮してか、後ろから抱きしめてくれた。背中が相手の胸元にぴたりと密着したことに、自分でも驚くほど安心感に包まれる。


「よし、ちょっとごめんね……あ、びっくりしないで?大丈夫だから。ゆっくーり、息、吸って、ゆっくーり、吐いて…………そうそう、大丈夫大丈夫。上手上手。」


 顔を上げさっきよりクリアになってきた視界を正面に向ければ、片膝をつく青髪が私の口元に何かを宛がった。いきなりの違和感にびくりと跳ねてしまった肩を、宥めるように撫でながら。しっかりと視線を合わせて教えられる呼吸のリズムに合わせることだけに、集中する。

 今までの会話の流れからして、先輩……きっと、槙本陽とも同級生で。北沢楓とも、お兄ちゃんとも同級生なんだろう〝しん〟と呼ばれる相手が語りかけてくる言葉たちは、相変わらずの気が抜け落ちてしまうような空気を纏っていた。ゆるりゆるり、と。ふわりふわり、と。不思議な魔法がかかっていそうなその言葉通りに、日常のリズムに呼吸を繋げていく。


 口元にある紙袋らしきものは意識して落ち着かせていくそれらに合わせ、膨らんだり萎んだりを繰り返す。べしゃり、べしゃり、と。幾度となく、何回も、何回も。


「これね、ゆっくり息してたら治るから。焦ったり、焦らしたりしないようにいてたら大丈夫だよ。」

「うん。ほなみ、大丈夫、だと。俺、ここにいるから、絶対、大丈夫だ。心配すんな。」

「よっしゃ。平常心だ永谷……っと、あ、そうだ。あれだ。ハワイだ。想像しろよ?お前は今、常夏の楽園ハワ、」

「まっきー、意味分かんないからそれ」

「ただお前が行きたいとこじゃねえか」

「…………悪い。」


青、黄、赤。信号色の頭をそれぞれ担う3人がテンポよく交わす遣り取りに、小さな微笑みが出た。まだまだいつもの息遣とは言い切れない呼吸だったから、とても小さかったけれど。心が、体が、息が、落ち着いていく。


 ゆるゆるな遊び人の青色、何考えてるかわからない謎の黄色、言葉遣い悪いザ・不良といった感じの赤色、ド派手な、3人組。そんな見た目に反し、一生懸命、対した関わりがある訳でもない私を救おうと尽くす、それぞれの行動や言動。それだけで、ここにいる全員が、優しく温かいひとなんだと思った。




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