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6章 シズフォス

とんでもない出来事の発端

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部屋に一人残された俺は四つん這いのまま頭を抱えた。そして心の中で何度もジャンヌと叫んだ。

「何であいつを止めなかった!」

顔を上げ、天井へ叫ぶ。

傍観者を決め込んだ、心の中にいるもう一人の俺が、
『約束の為だろ』
と含み笑いで言う。

「約束、約束か、俺とジャンヌの約束は確かに大事だ」
『ならしょうがねーだろ、体と引き換えに約束の実現が大きく前進するんだ。まあ、ジャンヌには我慢してもらわないといけねー……』

トカレフを胸元に上げ安全装置を外す。

「あいつが我慢出来ても、俺は我慢出来ないね」
『おいおい、何の真似だ?』
「クライヴの野郎を撃つ」
『バカ言ってら、あれだけの覚悟で臨んで行ったジャンヌの意思をおじゃんにする気か?』
「別な方法で約束を成功させる!」
『どんな方法? 言ってみろよ。ほれ早く早く』
「黙れ!」

銃口をこめかみに当てる。

『おいおい、止めろ! 冗談みてーに弾が出てアッパラパーになったらどうすんだ!』
「なら黙ってろよ!」

頭が真っ白になる怒りが引いてきた。それと同時にもう一人の腹立たしい俺も消えていた。
床に突っ伏し、呻き声を上げる。

ジャンヌはもう寝室まで行ったんだろうか?
それともクライヴの野郎に抱かれ、ベッドへ向かう途中?
いや、もうベッドの上で熱い抱擁を交わしているかも……

――――――こんな地獄、耐えられない。

呻き声を上げ続ける俺の耳に、足音が響く。何人かが廊下を走る音。 
これは侍女じゃない。何か厄介事が起こったな。
のっそり起き上がった俺は両手足をだらんとさせたまま宙を飛び、扉を通り抜けた。
壁に沿って並ぶオイルランプに照らされた廊下の先に、赤い制服を着た二つ後ろ姿。
宙を移動した俺は、走る二人組の横に並ぶ。

赤い彗星が着てそうな制服、ブローニング配下の兵だな。

二人は皇帝の寝室前で立ち止まると、扉を二回ノックした。
そして息の合った動きで素早く上体を落とし、床に片膝を着く。それからちょっとの間を置いて、
「何だ?」
扉越しにクライヴの声。

「ブローニング将軍から、緊急の書簡をお届けに参りました」

片方の男が、懐から取り出した手紙を扉の下へ滑り込ませる。

ブローニングから緊急の報告? 自分の兵を使いにやるって事は、かなりやばい事態が起こったんだな。女の尻を
追っかけて消えたローランドが見つかったとか。

そんな事を俺が考えていると、扉が勢いよく開きガウン姿のクライヴが出てきた。

「ブリーチャー少佐へ命令する」
「はっ!」

赤い制服の一人が、早足で歩くクライヴの横に並び敬礼する。

「リンタールのセロン知事に全ての傭兵部隊の買い占めを要請しろ」
「はっ!」
「グリース将軍の旅団を大至急ウィンウィール城に向かわせ臨戦態勢をとらせろ」
「はっ!」
「マリエル大佐にありったけの補給物資を……」

バシバシと命令しつつ廊下の奥に消えてゆくクライブと赤い制服二人。

何だったんだ? いや、それよりジャンヌは……

振り返ると、開かれた扉の真ん中にジャンヌが立っていた。両手で白いガウンの胸元を閉じている、顔は青白かった。

「ジャンヌ!」

俺は思わず、ミサイルの様にジャンヌへ移動し、そのまま勢いよく自分の顔をジャンヌの顔へ埋める。

(ジャンヌ、大丈夫か? いや、その……)
(お互いガウンを脱ごうとした所で、あ、あいつらが来た)
(じゃあ何もされてないんだな。よ、良かったあ!)
(タ、タクミ……あ!)

しばし俺達はむさぼる様に心の抱擁を交わした。

「ところで何の緊急報告だったんだ、わかるか?」 

顔を離した俺が聞く。

「ん……奴は、私に何も言わず……出て行った」

少々のぼせた様な顔色に、トロンとした目で答えるジャンヌ。
何があったかわからんが、ジャンヌの初夜を回避出来たのは奇跡的グッドタイミング過ぎる。
……いや、ネハンのいう見えない力の仕業か。それでもいい、ともかく良かった良かった。

――――この時の俺はジャンヌの事で心底安堵し、緊急報告とやらにとんと気を回さなかった。 それがとんでもない出来事の発端だとも知らずに。


つづく
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