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第一章 鳳凰霙《ホウオウミゾレ》登場
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「けっきょく真犯人は誰だったの?」
おっかなびっくりのコソコソ声でライはミゾレの笑顔に訊ねた。
「あわてない、あわてない。一休み、一休み……。ん? いやいや、一休みしてちゃダメですって」
ミゾレは一人で何やらぼそぼそ言っている。
「でも、そうだなあ、いきなり事件の真相を話したら、千丈さん、今度こそ本当に腰を抜かしちゃうかもしれないから、ゆっくり最初から解説しますね」
その方が助かる。腰は抜けないと思うけど。
「まずは事件の始まりからです。その日の朝、一時間目の授業中に、根津先生が教卓で『頬杖を突いたかと思ったら』、『忘れ物をした』と言うなり、いきなり立ちあがって、教室を出ていった。これがすべての始まりでしたよね?」
「うん。僕にはいまだに根津先生の忘れ物がなんだったのか、見当もついていないけどね。鳳凰さんにはわかってるんだ?」
「もちろんですっ!」
ミゾレは自信満々に、自分の胸を拳で叩いた。ドンっ! 漫画だとここで、胸を強く叩きすぎた少女がむせて、けほけほと咳をするお約束の場面だが。
「けほけほけほっ……」
顔を真っ赤にして、ミゾレもむせている。
「んんんっ、胸を強く叩きすぎてしまいましたっ……」
せっかくこれから名探偵が真相を解き明かす、クライマックスの名場面だというのに。これでは天然ドジドジ娘だ。なんだか不安になってくる。
「えへん、えへん、お待たせしました。根津先生の忘れ物とはなんだったのか? あの日の先生のお気持ちを察するために、千丈さん、根津先生になってもらっていいですか?」
ミゾレは突拍子もないことを言う。
「僕は根津先生にはなれないよ」
「当たり前です。わかってます。SF映画じゃないんですから。根津先生の格好をマネするだけでいいですよ。思い出してください。あの日の根津先生は教室を出ていく前、どんなポーズをしていましたか?」
ミゾレは真顔で、両目をギラギラさせながら聞いてくる。
「頬杖?」
「そうです、そうです。千丈さんの頬杖ポーズ、はい、どうぞっ!」
「い、今? こ、ここで……?」
「何恥ずかしがってるんですか? ウブなねんねじゃあるまいし」
気のせいだろうか、ミゾレのセリフにはちょくちょく昭和の匂いが混じってくる。ライは仕方なく、腰をかがめて、ミステリー研究会(仮)の長机の上で頬杖をついた。
「何かわかりましたか?」
「何も」
ライはあっさり、きっぱりと答えた。
「うん、もう、せっかくロダンの彫刻『考える人』みたいなポーズを取ってるんですから、千丈さんも少しは考えてくださいよ。ほら、ほら、その手は何をさわっていますか?」
「あ! アゴ?」
「ガク(顎)……って、あ、あ、これはダジャレじゃありませんからねっ」
ミゾレこそ、頬を赤らめて照れている。アゴじゃなかったらなんなのか。ライはマスクがかかった自分の顔の輪郭をゆっくりと撫でまわした。その瞬間にピンときた。
「わかったぞっ! ヒゲ! 無精ヒゲだ!」
ライの声のトーンがあがった。
「そうです、あの日の根津先生は『前日に解禁になったばかり』の『ストームライダーっていう世界中で大人気のオンラインゲーム』をプレイし続けたあとでした。ほとんど徹夜でふらふらのまま学校にきてしまったんです。朝、出勤前、ヒゲを剃るのも忘れてしまったんでしょうね」
ライは急に目の前が、パッと明るくなった気がした。
「そうか、そうか、新型ウィルスの蔓延で、家を出たときからマスクをしてるから、根津先生自身もそれに気づいていなかったんだ。教卓に座って頬杖をつくまで……」
「確か千丈さんが通っていた学校の校長先生は『身だしなみには何より厳しくて』『すれちがうだけで緊張する』ような方だったんですよね」
そう。ミゾレの言う通りだった。身だしなみのルールには人一倍厳格だった校長。無精ヒゲを生やして授業をやっているところなど見つかったりしたら、減俸停職はまちがいないだろう。
「それでネズミはあわててヒゲを剃りに、教員室へと向かったんだね」
「だと思います。で、カミソリを持って教員用のトイレにいこうとしたときです……」
「ん? カミソリ? 今どきはシェーバーじゃないのかな?」
「あ! 鋭い指摘。千丈さん素敵」
お世辞でも美少女に褒められるのは悪い気がしない。
「でも根津先生が使っていたのはカミソリなんです。理由はあとでわかりますよ」
ミゾレは意味深に目を細めた。
「で、根津先生が、教員室を出ようとしたときです。ホワイトボードにでも書かれていた、その日の教員スケジュールが目に入ったんでしょう。そこで天敵である門脇先生が、その時間、授業をしていないことに気づいたんです。だとすると大変です。教員用のトイレでヒゲを剃ってるあいだに、門脇先生が入ってくる可能性がありますから」
「そんなことになったらネズミ先生は終わりだよ。『お前、授業サボって何やってんだっ!』『無精ヒゲ生やして授業やってたのかっ!』なんて一喝されていただろうね」
「だから教員用のトイレは使えません。根津先生はやむを得ず、教室のある校舎に戻って、そこのトイレでヒゲを剃ることにしたんです」
うーん、ミゾレの言うことはイチイチ辻褄が合っている。少し頼りないところもあるが、彼女の観察力は抜群だった。今のところ、まったく反論の余地がない。しかしライも一応、ミステリー作家志望者の端くれ。少しずつ事件の真相が見えてきた。クライマックスは近づいている。
「根津先生は生徒用のトイレに向かいました。トイレの扉をあけました。そこで一人の人物と出会ってしまったんです」
「ああ、門脇先生とだね」
ライは自信満々に答えた。
「ちがいます。校長先生とです」
ミゾレは平然と反論した。
「え? え? なんで? なんで校長先生が?」
「しかも……」
ミゾレはいたずらっぽい目をして続ける。
「しかも校長先生は校内で禁止されているはずのタバコを吸っていたのでしたー」
「どっしゃらひぇっっっーーーーっ!!!」
わかったような、わからないような、わかりたいような、わかりたくないような、相反する意味不明の混沌がライの思考を呑み込んでいく。ライはふたたび超絶奇妙な叫びを発せずにはいられなかった。腰が抜けなかったのが奇跡だ。
一方ミゾレはにっこりと、いつもの素敵で素直な笑顔。
悪魔の素顔は、じつは天使に似ているそうだ。
おっかなびっくりのコソコソ声でライはミゾレの笑顔に訊ねた。
「あわてない、あわてない。一休み、一休み……。ん? いやいや、一休みしてちゃダメですって」
ミゾレは一人で何やらぼそぼそ言っている。
「でも、そうだなあ、いきなり事件の真相を話したら、千丈さん、今度こそ本当に腰を抜かしちゃうかもしれないから、ゆっくり最初から解説しますね」
その方が助かる。腰は抜けないと思うけど。
「まずは事件の始まりからです。その日の朝、一時間目の授業中に、根津先生が教卓で『頬杖を突いたかと思ったら』、『忘れ物をした』と言うなり、いきなり立ちあがって、教室を出ていった。これがすべての始まりでしたよね?」
「うん。僕にはいまだに根津先生の忘れ物がなんだったのか、見当もついていないけどね。鳳凰さんにはわかってるんだ?」
「もちろんですっ!」
ミゾレは自信満々に、自分の胸を拳で叩いた。ドンっ! 漫画だとここで、胸を強く叩きすぎた少女がむせて、けほけほと咳をするお約束の場面だが。
「けほけほけほっ……」
顔を真っ赤にして、ミゾレもむせている。
「んんんっ、胸を強く叩きすぎてしまいましたっ……」
せっかくこれから名探偵が真相を解き明かす、クライマックスの名場面だというのに。これでは天然ドジドジ娘だ。なんだか不安になってくる。
「えへん、えへん、お待たせしました。根津先生の忘れ物とはなんだったのか? あの日の先生のお気持ちを察するために、千丈さん、根津先生になってもらっていいですか?」
ミゾレは突拍子もないことを言う。
「僕は根津先生にはなれないよ」
「当たり前です。わかってます。SF映画じゃないんですから。根津先生の格好をマネするだけでいいですよ。思い出してください。あの日の根津先生は教室を出ていく前、どんなポーズをしていましたか?」
ミゾレは真顔で、両目をギラギラさせながら聞いてくる。
「頬杖?」
「そうです、そうです。千丈さんの頬杖ポーズ、はい、どうぞっ!」
「い、今? こ、ここで……?」
「何恥ずかしがってるんですか? ウブなねんねじゃあるまいし」
気のせいだろうか、ミゾレのセリフにはちょくちょく昭和の匂いが混じってくる。ライは仕方なく、腰をかがめて、ミステリー研究会(仮)の長机の上で頬杖をついた。
「何かわかりましたか?」
「何も」
ライはあっさり、きっぱりと答えた。
「うん、もう、せっかくロダンの彫刻『考える人』みたいなポーズを取ってるんですから、千丈さんも少しは考えてくださいよ。ほら、ほら、その手は何をさわっていますか?」
「あ! アゴ?」
「ガク(顎)……って、あ、あ、これはダジャレじゃありませんからねっ」
ミゾレこそ、頬を赤らめて照れている。アゴじゃなかったらなんなのか。ライはマスクがかかった自分の顔の輪郭をゆっくりと撫でまわした。その瞬間にピンときた。
「わかったぞっ! ヒゲ! 無精ヒゲだ!」
ライの声のトーンがあがった。
「そうです、あの日の根津先生は『前日に解禁になったばかり』の『ストームライダーっていう世界中で大人気のオンラインゲーム』をプレイし続けたあとでした。ほとんど徹夜でふらふらのまま学校にきてしまったんです。朝、出勤前、ヒゲを剃るのも忘れてしまったんでしょうね」
ライは急に目の前が、パッと明るくなった気がした。
「そうか、そうか、新型ウィルスの蔓延で、家を出たときからマスクをしてるから、根津先生自身もそれに気づいていなかったんだ。教卓に座って頬杖をつくまで……」
「確か千丈さんが通っていた学校の校長先生は『身だしなみには何より厳しくて』『すれちがうだけで緊張する』ような方だったんですよね」
そう。ミゾレの言う通りだった。身だしなみのルールには人一倍厳格だった校長。無精ヒゲを生やして授業をやっているところなど見つかったりしたら、減俸停職はまちがいないだろう。
「それでネズミはあわててヒゲを剃りに、教員室へと向かったんだね」
「だと思います。で、カミソリを持って教員用のトイレにいこうとしたときです……」
「ん? カミソリ? 今どきはシェーバーじゃないのかな?」
「あ! 鋭い指摘。千丈さん素敵」
お世辞でも美少女に褒められるのは悪い気がしない。
「でも根津先生が使っていたのはカミソリなんです。理由はあとでわかりますよ」
ミゾレは意味深に目を細めた。
「で、根津先生が、教員室を出ようとしたときです。ホワイトボードにでも書かれていた、その日の教員スケジュールが目に入ったんでしょう。そこで天敵である門脇先生が、その時間、授業をしていないことに気づいたんです。だとすると大変です。教員用のトイレでヒゲを剃ってるあいだに、門脇先生が入ってくる可能性がありますから」
「そんなことになったらネズミ先生は終わりだよ。『お前、授業サボって何やってんだっ!』『無精ヒゲ生やして授業やってたのかっ!』なんて一喝されていただろうね」
「だから教員用のトイレは使えません。根津先生はやむを得ず、教室のある校舎に戻って、そこのトイレでヒゲを剃ることにしたんです」
うーん、ミゾレの言うことはイチイチ辻褄が合っている。少し頼りないところもあるが、彼女の観察力は抜群だった。今のところ、まったく反論の余地がない。しかしライも一応、ミステリー作家志望者の端くれ。少しずつ事件の真相が見えてきた。クライマックスは近づいている。
「根津先生は生徒用のトイレに向かいました。トイレの扉をあけました。そこで一人の人物と出会ってしまったんです」
「ああ、門脇先生とだね」
ライは自信満々に答えた。
「ちがいます。校長先生とです」
ミゾレは平然と反論した。
「え? え? なんで? なんで校長先生が?」
「しかも……」
ミゾレはいたずらっぽい目をして続ける。
「しかも校長先生は校内で禁止されているはずのタバコを吸っていたのでしたー」
「どっしゃらひぇっっっーーーーっ!!!」
わかったような、わからないような、わかりたいような、わかりたくないような、相反する意味不明の混沌がライの思考を呑み込んでいく。ライはふたたび超絶奇妙な叫びを発せずにはいられなかった。腰が抜けなかったのが奇跡だ。
一方ミゾレはにっこりと、いつもの素敵で素直な笑顔。
悪魔の素顔は、じつは天使に似ているそうだ。
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