魔狩人

10月猫っこ

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一の一

学園から

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 春から初夏にかけての暖かく照りつける日差しも、数十分もその中を歩けば上着など必要なかったのでは、と思わせるほどのものに変わってしまう。
 いっそ上着を脱いでしまおうかかと考えもするが、規律の厳しいこの場所でそんな事をしたならば小言を食らうのは間違いない。
 多少の暑さも仕方ないとは思いつつも、朝の天気予報でにこやかな笑顔とともに陽気も天気も良いでしょう、等と言っていた天気予報士を恨みたくなる。
 そんな事を考えながらも、足は人気の無い場所を見回りのために動かしていく。何故新任として派遣された自分が、との思いもあるが、同じ科目を教える担当教諭の胡散臭い笑顔とをもにそれを押しつけられた。
 曰く、この学園を知るにはいい機会でしょう、だ。
 もうしばらくすれば三限目の授業が終わる鐘が鳴るだろう。このままここから離れずに自習という手段をとれればいいのだが、そう都合良く世界が回るわけは無い。
 生徒がサボるのはこの年代では特別珍しい事では無いが、よもや教師がそんな事をすれば校長室に呼ばれて、こんこんと説教を食らうのは確定事項だ。
 思わず重い溜息が漏れてしまう。
 仕事とは言え、自分に教師などと言う堅苦しい職業は向いていないのだ。だが、その立場でしか自分がここに入る事は出来ないし、一種の閉鎖空間である『学校』という空間になじむ事も出来ないだろう。
 大丈夫よね、と笑顔だが無言のプレッシャーを与えた鏡子の表情を思い出し、北斗は小さく舌打ちをした。
「あいつは……」
 自分の性格など十二分に承知しているだろうに、鏡子が自分に与えた配役は『日本史の教師』だ。性質的に向いていないものを与えられれば、仕事自体に嫌気がさすというものだが、そんな我が儘がまかり通る事など無いのは、社会人として桁違いの年月を過ごしている北斗はよく分かっている。
 元来型にはまった職業は向いていないのは、自分でも分かりきっている。それについては、上層部でも同じ意見が出るだろう。選択肢が少なく、問題しか起きないのでは無いかという危惧を抱えつつも、上層部は渋々それを自分に呈示してきたのだから、とりあえず我慢と努力に尽力しようと、つらつらと甘くも無い現実を感じながら考える。
 ゆっくりとした歩調で自分の役割の仮面をつけつつ、北斗は目の前に広がる建物の群れを眺めた。
 シンボルとして建てられた時計棟を中心に、円形状に建てられた校舎群。生徒達を受け入れている一般棟と、離れて勉学を教えるための特別棟、主に体育会系の部活動の部室として使われる部室棟、それらに比べて幾分か低い屋根をもつ図書館という、他では見られない形をとっている学校。
 阿多部あたべ学園。
 それが、今回の自分『達』の『仕事』先だ。
 カラン、カラン、と、高く澄んだ鐘の音が耳朶を打ち付け、どちらかというと静かだった校内が一気に騒がしさに見舞われる。
 ここ数日感じてきた空気だが、慣れる事は今後も無いであろうそれに苦笑をこぼし、北斗は足早に教師用の下駄箱へと向かった。
 朝一で担当教諭から本日の四限目の授業を任されているのだ。早々に教員室に戻り、授業に必要なものをそろえなくては授業に間に合わない。
 やや乱暴に靴を脱ぎ変え、北斗は二段飛ばしに階段を上がるのだが、それを後ろから引き留めるように黄色い声が聞こえた。
「榊センセェ」
 溜息を何とかこらえ、北斗はそちらへ営業用の笑顔とともに振り返る。たったそれだけの事だが、キャアキャアと甲高い悲鳴のような声が上がる。
 幾重ものプリーツが入ったタータンチェックのスカートと、学年を示す鮮やかな赤いタイをつけた少女達は我先にと北斗へ近寄り、やや強引な動きで北斗の腕を引っ張りながら自己主張を始めた。
「先生、次うちのクラスですよね。何か運ぶものがあったら言ってくださいねぇ」
「ちょっと、割り込まないでよ。あたし達が先生と一緒に行くんだから」
「ああ、それで呼びに来てくれたのか。ありがとう」
 一色触発なムードをかき消すように、北斗は口の端を軽く引き上げて彼女達に笑みを見せる。
 それだけのことだが、彼女達の顔は見る間に赤く染まり、北斗の腕に絡めていた手を自主的にどかしてしまう。
 悪目立ちする集団だが、教師以外の生徒達は顔をしかめるでも無く、見事なまでに無視した形で北斗達のそばを通り過ぎる。
 それはそうだろう。この学園は、近隣でも名の知れた進学校だ。生徒達の頭の中を占めるのは、自分の成績と進路だけ。それ故にか、どこか縛られたような空気が学園を覆っている。
 すでに競争社会の中へと身を置いている生徒達の姿に、北斗は彼女達に見えないように苦虫を噛みつぶした。
 学生の間でしか経験できない事もあるだろうに、それらを完全に追い出して自ら苦労を背負う姿を見るのは、余り嬉しいものでは無い。とはいえ、一介の教師がそれらに口出しする事など出来るはずもなく、北斗は行き交う生徒達を見るとも無しに見てしまう。
 友人同士で語り合う生徒達は少なく、足早に一人で廊下を歩く生徒達が大半だ。そんな中で、ふと感じた視線にそちらへと北斗は眼を動かした。
 酷く冷めた眼で自分を見つめる人物の姿に、北斗は喉の奥で苦笑とも失笑とも付かぬ笑みをたてる。
 それを鼻先で蹴飛ばすかのように顔をそらし、真新しい制服に身を包んだ少年は北斗から距離をとるべく足を動かし始めた。
 北斗の視線を追いかけたのだろう。一人の少女が不満げな声を上げた。
「先生の弟って、あんまり似てないですよね。なんか、冷たい感じがするし」
「えーそこがいいんじゃん」
 即座に反論した少女に、どこが、等と好き勝手に彼女達は話し始める。
 クールな所が格好いいんじゃ無い、という台詞に、北斗は思わず吹き出しそうになってしまうが、何とかそれを押さえ込んで時計に視線を落とすと、当たり障り無い動作で彼女達の包囲網から離れ始めた。
 これ以上目立つのは得策では無いという打算と、苛立たしげに自分を待ち受けているだろう担当教諭の顔を頭の中で描き、北斗は溜息をこらえつつ急ぎ足で教員室へと向かおうとするが、そうはさせじと少女達はびったりと北斗についてくる。
 もはや何を言っても無駄だと悟り、北斗は小さな嘆息を彼女達に知られずに吐き出してしまった。
 それにしても、だ。
 先程の彼女達の言葉を思い出し、北斗は今度こそ堪えきれずに小さな笑みを漏らしてしまう。あの取り付く隙の無い態度を褒めるとは。予想を反した答えは、何時聞いてもおかしくなってしまうものだ。
 それにしても……。
「ねぇ先生。榊君て、何時もあぁ何ですか?」
 今だに北斗へと引っ付いてくる女性との一人が、恐れ気もなくそう問いかけてくる。
「……まぁ、そうだな。里留さとるは余り人付き合いが上手くないからな」
 一応のフォローを入れてはみるが、人付き合いが上手い下手のレベルで語れるほど、あれはかわいらしい性格では無い。
 あの『弟』の態度は自分とは百八十度以上も違うのだから、彼女達が本当に兄弟なのかと疑うのも仕方の無い事だろう。
 人好きのする笑顔と雰囲気を常に表し、他人と上手く接触している兄に対し、好意的に言えば淡泊、悪く言うならば冷淡に人と接触する弟だ。あちこちから聞こえてくる感想には、北斗も頭を痛くしている。
 今のところは良い噂話も悪い話しも聞いてはいないのだから、その点に関しては褒めるべきなのだろう、と自分に言い聞かせてはいるが、余り褒められた態度で無いというのは確かな事だ。
 この『仕事』は、この周辺一帯の聞き込み調査が重要な材料となる。そこから情報を絞り込み、相手の位置や能力等を検討して対策を立てていくのだ。そのためには、多少の愛想や業務用の笑顔を浮かべ、それとなく情報を聞き出していくのが基本だというのに。
 その前段階さえ出来ないのでは、これから先上手く立ち回れるのかと疑問に思っても仕方の無い事だろう。とはいえ、それを口に出した所で、あの『弟』に話しが通じるかは謎だが。
 今だ賑やかに話している少女達に気付かれないよう溜息を吐き出し、北斗は時計塔へと視線を向けた。
「そろそろ教室に戻らないと、遅刻するんじゃ無いか?」
「えー、でもー」
「教材くらい自分で運べるよ。女性に重いものを持たせるのは主義に反するからね」
 やんわりとそう諫めると、彼女達は一様に残念そうな表情を浮かべるが、仕方なさそうに北斗から離れる。それでもまだ離れがたそうにしている彼女達を置いて、北斗は足早に職員室へと向かった。
 編入してから一週間ほどたつが、どこにいても駆けつけてくる女生徒達の様子を伺う限り、しばらくは珍獣扱いされるのは間違いない。監視されているわけでは無いが、少しでも北斗が変わった動きをとれば、すぐに女生徒達の間で噂話となって校舎内を駆け回るだろう。
 ただでさえ頭の痛い問題を一つ抱えているというのに、これ以上問題が増えるのは御免被りたい。
 転校生、ということで目立つはずの『弟』、榊里留の周りには、一切女生徒の影はみえておらず、代わりといわんばかりに北斗の方へと集中的に彼女達は集まってくる。無論、北斗の方が話しやすいからだというのは分かるが、それでも多少は里留の方へと群がってくれないだろうか、というのが北斗の本音だ。
「ったく、何だってこんな猫かぶらなきゃならねぇんだ」
 ついつい小さく本心を口にした後、北斗は慌てて周囲を見回した。
 聞いていた人間がいたならば記憶を少々弄らねばならないが、どうやらそれは杞憂に終わった。というよりも、自分などに率先して関わろうというのは、ミーハーな女生徒達ぐらいのもので、他の生徒達は自身の事で一杯一杯な感が否めない。
 さすがは進学校、というべきか。それとも、人当たりの良い臨時講師を演じている自分が上手いのか。
 後者であってほしいと思うのは、ここまで苦労する仕事をこなしているためなのだからだと、北斗自身もよく分かっている。だからこそ、里留のあの態度に苛つきも覚えるのだが、こちらが言った所であの鉄面皮が態度を変えるとは思えない。
 知らずに出ていた溜息の大きさに、北斗は眉間に軽くしわを寄せる。早々にこの仕事を終えたかったが、どうにもそれは長引きそうな気配を目の前にちらつかせるだけでは足りずに、目の前を横切っているのだ。これはもはや、あえて眼をそらしておくしか手は無いということだろう。
 つらつらとそんな事を考えていたためだろう。
 廊下を曲がった北斗にドン、と勢いよく誰かが体当たりをしてきた。
「きゃっ」
 小さな悲鳴に慌てて意識をそちらに向ければ、頭一つ分以上は背の低い女生徒の姿が映し出される。蹌踉けそうになった身体を支えてやれば、少女は真っ赤な顔で北斗を見上げてきた。
「大丈夫か?」
「は、はい」
「すいません!先生!」
 相手も友人と話し込んでいたためなのか、全くこちらに気が付かなかったようだ。横にいた女生徒も、あたふたした口調を上げてぺこりと頭を下げた。
 慌てたような女生徒達に北斗は人好きのする笑顔を浮かべると、見事に彼女達は泡を食ったように互いに顔を見合わせ、ついで北斗が腕を掴んでいる少女は自分の行動に弁解をするように口を開いた。
「すいません。よそ見してました」
「あぁ、そんな事はいいよ。遅れそうだから急いでいた。そうだろう?」
 コクコクと頷いた少女達に北斗は特上の笑みをみせると、ぼうっと一瞬自分の顔を見つめた後、彼女達は更に顔を赤くしてばっと頭を下げるとそのまま走り去っていった。
 せめてあれくらい分かりやすければ、もう少し取っつきやすい性格になるだろうに。
 そんならちもない考えとともに件の『弟』の顔が頭をよぎる。が、すぐに北斗はそれを否定するような思いも浮かんでしまった。
 初めから無表情に自分と対していたのだ。今更そんな可愛げを見せられた所で、一瞬にして抱いた感情が消されるとは思えない。
「っと、俺も急がねぇとな」
 走る事は出来ないまでも、歩く事を早める事は出来る。コンパスを最大限に生かし、北斗は職員室へと足を進めた。
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