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三の一
第二校舎
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遡る事数分前。
「第二校舎、か」
水鳥から預かったタグ付きの鍵を指先で器用に回しながら北斗はそう呟き、ポン、とそれを空中へとはなった。
銀色の軌跡を描いて掌に落ちてきたそれを北斗は渋面で見つめる。
先程水鳥受け取った鍵には、微かではあるが自分達が探しているものの気配が残っていた。自分達がやってきた時は巧妙に気配を殺していたが、さすがに人を殺した後とあってはその気配を完璧に隠す事は出来なかったようだ。
「北斗」
なれなれしく名を呼ぶな、といいたいが、ここでは兄弟という事になっているのだ。まさか『弟』が自分を呼んだだけだという事は分かっているが、それでも一応は臨時講師なのだからせめて『先生』と呼んでくれてもいいじゃないか、と思った所で感情の機微が見当たらないのだから、言っても仕方のない事だろう。苦々しい表情でそちらへと目線を向ける。
音も気配もなく自分の側に現れた里留の実力は、書類に目を通してはいたのだが、そこまでのものだとは思わなかった。だからこそ、この面倒ごとを押しつけようという不埒な考えが頭の中に浮かんだが、里留もまた報告書を提出する事を思い出しその考えは頭の隅へと押しやった。
そんな北斗の表情に顔色一つ変えず、里留は静かな声で言を綴った。
「あの二人、被服室に行ったが、これといった事は起こらなかった」
「そうか」
「第二校舎」
「あ?」
唐突にそう切り出し、里留は北斗の指先に引っかけている鍵を見る。
視線を追いかけた北斗だが、何か言いたい事があるならさっさと言え、と渋い顔で促せば、里留は淡々と言葉をつないだ。
「あの校舎から微弱なものではあるが、探しているモノ『達』の気配はあった」
「ずいぶんと大胆な奴らが居たもんだ。
で、数は」
「さぁ」
「おい」
目線が鋭くなるのは仕方がないだろう。曖昧を通り越したその答えは、自分に情報を与えるつもりがないのかと疑いたくなる。
一時的ではあれ、パートナーとして組んでいるのだ。もう少し真面な報告をしてもらえなければ、北斗としてもどう対応し、指示を出せばいいのか分かるわけがない。
隠す事なく苦い表情を浮かべた北斗に一瞥をくれ、里留は報告は終わったとばかりに背を向ける。その態度に苛つきが増すがそれを何とか押しつけ、北斗は嫌みとばかりに声を放った。
「面倒を起こすなよ」
どんな反応が戻ってくるかと思いきや、軽く肩を竦めただけでそれをいなした里留ではあったが、ふと歩みを止めて北斗へと顔を向ける。
相も変わらずの鉄面皮からは感情が読み取る事が出来ないが、それ以上に冷え冷えとした分かりやすい声音を里留は放った。
「面倒を起こすのは、そちらじゃないのか」
「はっ!そりゃ面白い話しだな」
嫌みを嫌みで返すのか、と、内心で毒づきつつ、北斗は里留がその場から去って行くのを見送る。気にしていないその姿に舌を打ち付け、北斗もまたその場から歩き出す。
職員室に戻った所で、新たな情報が入っているという保証はない。というよりも、そんな情報があがってくる事などないというのは、経験上北斗もよく知っている事だ。
ちらりと廊下の外へと視線を向ける。
青いビニールに覆われた一角。その側では警察官が何らかの指示を出し、忙しなく周囲を動く姿が見て取れた。
どちらにしろ、あれだけの目撃者が居たのだ。自殺と断定されるのは、目に視えて分かりきっている事だろう。
もっとも、内外的にも醜聞として語られる現実は、自分達にとって薄っぺらな真実であり、どうでもよいと認識されてしまう物事だ。
自分達の『真実』は別の所にある。それを潰さない限り、これからも犠牲者が出てくるだろう。
「……後手後手だな」
我知らずに漏れ出た言葉に、北斗は苦虫を噛みつぶしたように表情を歪める。
報告書にこれらの事を書かなければならないのかと思うと、胃の周辺がきりきりと痛むのは仕方のない事だろう。無論先手を講じるだけの時間があったかと問われれば、些か疑問を抱いてしまうのは仕方のない事だが。
ふぅ、と大きく息を吐き出し、北斗は軽く頭を振る。
この学園に来てはや半月。
季節外れにやってきた臨時講師に転校生。加えて二人が兄弟ともなれば、いやが上にも好奇心を集めるのは必定だろう。それでもようやくこの学園の雰囲気に染まり始める事が出来たのだが、いっこうに自分達が探し存在は見当たらず、逆に自分達の正体を見定めるかのように事を起こした。
今はまだ生徒一人の犠牲で止まっている。だが、ここまで堂々と自分達に対して敵対行為を向けてきたのだ。第二の被害が出るのは時間の問題だろう。
根の深さや用意の周到さ。それだけでも厄介な存在だと分かってしまう。
それにしても……。
「あいつにゃ重いんじゃねぇのか」
そう呟いてしまうのは、里留にとってこれが『初仕事』だからだ。
よもやここまで厄介な件になるとは、上も考えてはいなかった事だろう。もしくは、それを知った上で、自分達を送り込んだのかもしれない。
表情一つ変えずに淡々と仕事をこなし、新人にもかかわらずその能力の高さを見せつける里留だが、極端に他人を排除したような空気を纏っているがために教室内で充分に浮き上がった存在となっている。
悪い意味で目立つ存在となっている里留の存在は、ただでさえ頭を抱えるような案件だというのに、その頭痛の悪化となるような行動をするのは差し支えてもらえないものか、と考えてしまう。
―全く……。
今回のパートナーを選んだ人物に向け、心の内だけで罵倒を零す。もっとも、それすらも織り込み済みだろうことは、上司の性格をよく知っているからだ。
「ったくよぉ」
言っても詮無い事だと思いつつ、北斗はその場を歩き出した。
北斗の心持ちなど欠片も考える事なく、里留はゆったりとした歩調で校舎内を進んでいく。
思っていた以上の静けさに、里留は小さく息を吐き出した。
今のところ生徒にも教師にも出会っていないが、出会えば間違いなく色々と詮索されるに違いない。
自分の足音だけを聞きながら、里留は人気の全くない校舎内を探索し、異常な場所がないかと眼を細めた。目に視える範囲では本校舎におかしな箇所はないが、それでも何かを見逃したかもしれないと考え、里留はゆるりと周囲を見回すとその場で立ち止まった。
「ここで、いいか」
そう呟き、里留は両手で複雑な印を結んでいく。
自分の感覚を最大限にまで広げるそれは、建物の一階から順に自分の思念を細く伸ばして探索するための術だ。順繰りに階をあがり、屋上までそれを伸ばしきると、里留はそっと息を吐き出して目線を鋭くした。
この校舎に対する『外』からの不安や恐れは感じるが、それ以外はマイナスの感情や異常さといったものではない。
けれど……。
何の変化もないように見せかけられた校舎内。だがそれは、余りにも自然すぎるが故におかしさを感じさせる。起きたばかりの『異常』な事態に染まることなく、まるで何もなかったかのように静まりかえっている。不気味さだけが異様に高く、静けさの残滓を読み取ると、里留の意識は第二校舎へと向けられた。
だが……。
「っ!」
バチリ、と、頭の中で火花が散る。
痛みに顔を歪めながらも、先程北斗の指先で回っていた鍵と同室の気配を感じ取り、里留は印を解くと窓の外へと視線を移した。
普通の空間のようでありながら、もはや普通の空間を形作っておらず、第二校舎全体が蜘蛛の巣のように複雑な網の目を作っている。
肉眼では決して視えないが、術を見分ける者が視たならば、すでに複雑に編み上げられた『糸』は、入念なまでに第二校舎を多いつくしていた。
「念の入ったことだな」
ポツリと呟いた後、ふと何かに気が付いたよう里留は屋上へと目線を向けた。
飛び降りた地点の空気は、幾分か『糸』の痕跡が薄くなってはいるが、それでも何かに操られたような感触は感じられず、痕跡らしい痕跡が全く見受けられない。
それどころか、周辺を探ろうと意識を伸ばせば、まるで棘のように鋭く小さな『思念』がびっしりと生えそろい、こちらが伸ばす探索の糸を見事に切り刻んでくる。
調べたくとも、第二校舎に張られた『糸』の隙間を探して入り込まなくてはならないのだが、長時間をかけて調べなくてはそれすらも見つからない。手詰まりの感が強いが、第二校舎内で調べようものならば、こちらの意識が食い尽くされるのは眼に視えて分かっている。
さてどうしたものか、と考える里留だが、近づいてくる気配を感じ取り小さな溜息をつくとその場から歩き出した。
どうやら生徒がまだ残っていないかを見回りに来たらしい。ピリピリとした教師の雰囲気を肌で感じ、これ以上の収穫はないだろうと践んだ里留は早々にその場から退散する。
今はまだ時期が悪すぎる。
この学園に今溢れているのは、今日起きたばかりのことに対する恐怖心や好奇心。そういった余り歓迎されない残留思念ばかりだ。こんなものばかりを感じ取っていれば、精神的な疲れが澱のように心の中で貯まっていくだけだ。
いったい何時からこの学園に居座っているのだろうか、と考え、里留はこの学園の影に腰を据えているもののことを考える。
「タイプBだとしたら、厄介だな」
思わずこぼれた自分の言葉に、里留は眉間を寄せる。
タイプB。
人間の精神や命を食らって生き延びるもの達の総称。彼らのその特異性は、喰らった生命力を自らの力に変え、時には殺した相手の記憶や知識を自分のものとして蓄積していくことが出来る点だ。
以前講習で教わったことを思い返しながら、里留は昇降口へと向かう。
今日の所は、もう動きはないであろう。
相手の立場を自分に置き換えて考え、そう結論づけると里留は誰にも見つからないようにそっと昇降口を出た。
すでに『食事』はすませたであろう。それに加え、この雰囲気は『奴ら』に取って格好の餌にしかならない。
生暖かい空気の中へと身を浸せば、はっきりと血の匂いが混ざる風に抱かれる。
しばらくは動きを止めてこちらの出方を見るのか、それとも……。
すぐにも動き出して、次の犠牲者を出すことになるのか。
遠目ではあったが、犠牲となった生徒の亡骸から僅かに『奴ら』の痕跡が感じられた。それに同調する形で校内を探ってみれば、無作為に『匂い付け』された生徒達を多数見つけることが出来たが、次の犠牲者となる生徒が誰かまでは突き止めることが出来ないでいるのが現状だ。
狙われる相手が分かっていれば、その人物から目を離さなければいい。そうすれば、自然とここに居座る相手と対峙し、この仕事は終了するだろう。
だが、現実はそう簡単に進むはずもない。むしろ厄介な方向へと話しは転がり、自分がどうすべきかを突きつけてくるだけだ。
「何が、早めに終わらせる、だ」
現在行動を共にしている相手に対し、そう愚痴めいたものを呟いてみるが、それが空しい行為でしかないのも充分に理解していた。
自分が何も出来ないのが分かっているからこそ、相手をよく見てしまうのは当たり前のことだ。自分よりもキャリアの長い北斗の言動は、そこかしこで見習わなければならない点があり、反論よりも先にそれを覚えなければと考えさせられてしまうだけで、里留は北斗に対して何を言うでも無くただ自分のすべきことをし、それらを報告するだけで彼との距離を一定以上取って接している。
北斗が自分をどう扱っていいか模索しているのも分かっているが、必要以上に北斗に接したくはない里留としては、事務的に扱ってくれればいい、と言いかけてはみるが、性格的にそう口には出来ない自分のおかげで、ますますの所北斗との距離を取ろうとしてしまっている。
初対面の時の印象も、悪かったからな、と里留は考える。
頭から爪先までじっくりと観察するような視線を向け、北斗は使い物になるかと言いたげな口調でこう言った。
『足だけは引っ張るなよ』
実際の所、そう言われても仕方ない。なにせ自分はこれが初仕事だ。彼が危惧するのは分からないわけでもないが、自分の上司達がいる前であれだけはっきりと言われるとは思ってもみなかった。
上司達は僅かに頭を抱えたたが、北斗の性格を知っている為か、あえて口を出さずに二人にこの件を説明し始めたのは、とりあえず現場で慣れろ、と暗に含んだ意図もあったのだろう。
その時のことを記憶から引きずり出せば、今回の『仕事』の件もずるずると頭の中に蘇ってくる。
数ヶ月前からこの学園で起こる不可思議な事件の調査。および、それらの解決。
これが自分達に渡された『仕事』の内容だ。
学校という閉鎖された空間では、何が起きても不思議ではない。ただ、この学園内で起こっていることを『不思議』と言ってしまうのは語弊がある。
たとえば……。
真新しい理科室の危険物が何故か劣化しており、突如棚から青白い炎を上げて理科準備室を丸ごと焼いてしまった。
今まで普通に話していたというのに、突如泡を吹いて倒れる生徒が続出している。
怪我人や病人の類いによる保健室の利用者は、日を追うごとに多くなるだけで一向に減少の気配を見せない。加えて、生徒達の雰囲気も怯えや苛立ちというマイナス感情が露わになり、生徒間の小競り合いの数も増えていった。
そして、今日……。
ふぅ、と溜息を吐き出し、里留はいつの間にかたどり着いていた昇降口から、まだまだ明るい外へと向かって歩き出す。
人影のない校庭を眺め、ふと思い出したように里留は自分の髪の毛を一本引き抜いた。
ふわり、と長さを増した髪の毛を風に乗せると、里留は裏門へと爪先を向ける。
何かあれば即座に反応するよう呪のかかったそれを、間違いなく第二校舎に流れるように操作すると、里留はゆったりと外界とを隔てている門扉に向かって歩き出した。
「第二校舎、か」
水鳥から預かったタグ付きの鍵を指先で器用に回しながら北斗はそう呟き、ポン、とそれを空中へとはなった。
銀色の軌跡を描いて掌に落ちてきたそれを北斗は渋面で見つめる。
先程水鳥受け取った鍵には、微かではあるが自分達が探しているものの気配が残っていた。自分達がやってきた時は巧妙に気配を殺していたが、さすがに人を殺した後とあってはその気配を完璧に隠す事は出来なかったようだ。
「北斗」
なれなれしく名を呼ぶな、といいたいが、ここでは兄弟という事になっているのだ。まさか『弟』が自分を呼んだだけだという事は分かっているが、それでも一応は臨時講師なのだからせめて『先生』と呼んでくれてもいいじゃないか、と思った所で感情の機微が見当たらないのだから、言っても仕方のない事だろう。苦々しい表情でそちらへと目線を向ける。
音も気配もなく自分の側に現れた里留の実力は、書類に目を通してはいたのだが、そこまでのものだとは思わなかった。だからこそ、この面倒ごとを押しつけようという不埒な考えが頭の中に浮かんだが、里留もまた報告書を提出する事を思い出しその考えは頭の隅へと押しやった。
そんな北斗の表情に顔色一つ変えず、里留は静かな声で言を綴った。
「あの二人、被服室に行ったが、これといった事は起こらなかった」
「そうか」
「第二校舎」
「あ?」
唐突にそう切り出し、里留は北斗の指先に引っかけている鍵を見る。
視線を追いかけた北斗だが、何か言いたい事があるならさっさと言え、と渋い顔で促せば、里留は淡々と言葉をつないだ。
「あの校舎から微弱なものではあるが、探しているモノ『達』の気配はあった」
「ずいぶんと大胆な奴らが居たもんだ。
で、数は」
「さぁ」
「おい」
目線が鋭くなるのは仕方がないだろう。曖昧を通り越したその答えは、自分に情報を与えるつもりがないのかと疑いたくなる。
一時的ではあれ、パートナーとして組んでいるのだ。もう少し真面な報告をしてもらえなければ、北斗としてもどう対応し、指示を出せばいいのか分かるわけがない。
隠す事なく苦い表情を浮かべた北斗に一瞥をくれ、里留は報告は終わったとばかりに背を向ける。その態度に苛つきが増すがそれを何とか押しつけ、北斗は嫌みとばかりに声を放った。
「面倒を起こすなよ」
どんな反応が戻ってくるかと思いきや、軽く肩を竦めただけでそれをいなした里留ではあったが、ふと歩みを止めて北斗へと顔を向ける。
相も変わらずの鉄面皮からは感情が読み取る事が出来ないが、それ以上に冷え冷えとした分かりやすい声音を里留は放った。
「面倒を起こすのは、そちらじゃないのか」
「はっ!そりゃ面白い話しだな」
嫌みを嫌みで返すのか、と、内心で毒づきつつ、北斗は里留がその場から去って行くのを見送る。気にしていないその姿に舌を打ち付け、北斗もまたその場から歩き出す。
職員室に戻った所で、新たな情報が入っているという保証はない。というよりも、そんな情報があがってくる事などないというのは、経験上北斗もよく知っている事だ。
ちらりと廊下の外へと視線を向ける。
青いビニールに覆われた一角。その側では警察官が何らかの指示を出し、忙しなく周囲を動く姿が見て取れた。
どちらにしろ、あれだけの目撃者が居たのだ。自殺と断定されるのは、目に視えて分かりきっている事だろう。
もっとも、内外的にも醜聞として語られる現実は、自分達にとって薄っぺらな真実であり、どうでもよいと認識されてしまう物事だ。
自分達の『真実』は別の所にある。それを潰さない限り、これからも犠牲者が出てくるだろう。
「……後手後手だな」
我知らずに漏れ出た言葉に、北斗は苦虫を噛みつぶしたように表情を歪める。
報告書にこれらの事を書かなければならないのかと思うと、胃の周辺がきりきりと痛むのは仕方のない事だろう。無論先手を講じるだけの時間があったかと問われれば、些か疑問を抱いてしまうのは仕方のない事だが。
ふぅ、と大きく息を吐き出し、北斗は軽く頭を振る。
この学園に来てはや半月。
季節外れにやってきた臨時講師に転校生。加えて二人が兄弟ともなれば、いやが上にも好奇心を集めるのは必定だろう。それでもようやくこの学園の雰囲気に染まり始める事が出来たのだが、いっこうに自分達が探し存在は見当たらず、逆に自分達の正体を見定めるかのように事を起こした。
今はまだ生徒一人の犠牲で止まっている。だが、ここまで堂々と自分達に対して敵対行為を向けてきたのだ。第二の被害が出るのは時間の問題だろう。
根の深さや用意の周到さ。それだけでも厄介な存在だと分かってしまう。
それにしても……。
「あいつにゃ重いんじゃねぇのか」
そう呟いてしまうのは、里留にとってこれが『初仕事』だからだ。
よもやここまで厄介な件になるとは、上も考えてはいなかった事だろう。もしくは、それを知った上で、自分達を送り込んだのかもしれない。
表情一つ変えずに淡々と仕事をこなし、新人にもかかわらずその能力の高さを見せつける里留だが、極端に他人を排除したような空気を纏っているがために教室内で充分に浮き上がった存在となっている。
悪い意味で目立つ存在となっている里留の存在は、ただでさえ頭を抱えるような案件だというのに、その頭痛の悪化となるような行動をするのは差し支えてもらえないものか、と考えてしまう。
―全く……。
今回のパートナーを選んだ人物に向け、心の内だけで罵倒を零す。もっとも、それすらも織り込み済みだろうことは、上司の性格をよく知っているからだ。
「ったくよぉ」
言っても詮無い事だと思いつつ、北斗はその場を歩き出した。
北斗の心持ちなど欠片も考える事なく、里留はゆったりとした歩調で校舎内を進んでいく。
思っていた以上の静けさに、里留は小さく息を吐き出した。
今のところ生徒にも教師にも出会っていないが、出会えば間違いなく色々と詮索されるに違いない。
自分の足音だけを聞きながら、里留は人気の全くない校舎内を探索し、異常な場所がないかと眼を細めた。目に視える範囲では本校舎におかしな箇所はないが、それでも何かを見逃したかもしれないと考え、里留はゆるりと周囲を見回すとその場で立ち止まった。
「ここで、いいか」
そう呟き、里留は両手で複雑な印を結んでいく。
自分の感覚を最大限にまで広げるそれは、建物の一階から順に自分の思念を細く伸ばして探索するための術だ。順繰りに階をあがり、屋上までそれを伸ばしきると、里留はそっと息を吐き出して目線を鋭くした。
この校舎に対する『外』からの不安や恐れは感じるが、それ以外はマイナスの感情や異常さといったものではない。
けれど……。
何の変化もないように見せかけられた校舎内。だがそれは、余りにも自然すぎるが故におかしさを感じさせる。起きたばかりの『異常』な事態に染まることなく、まるで何もなかったかのように静まりかえっている。不気味さだけが異様に高く、静けさの残滓を読み取ると、里留の意識は第二校舎へと向けられた。
だが……。
「っ!」
バチリ、と、頭の中で火花が散る。
痛みに顔を歪めながらも、先程北斗の指先で回っていた鍵と同室の気配を感じ取り、里留は印を解くと窓の外へと視線を移した。
普通の空間のようでありながら、もはや普通の空間を形作っておらず、第二校舎全体が蜘蛛の巣のように複雑な網の目を作っている。
肉眼では決して視えないが、術を見分ける者が視たならば、すでに複雑に編み上げられた『糸』は、入念なまでに第二校舎を多いつくしていた。
「念の入ったことだな」
ポツリと呟いた後、ふと何かに気が付いたよう里留は屋上へと目線を向けた。
飛び降りた地点の空気は、幾分か『糸』の痕跡が薄くなってはいるが、それでも何かに操られたような感触は感じられず、痕跡らしい痕跡が全く見受けられない。
それどころか、周辺を探ろうと意識を伸ばせば、まるで棘のように鋭く小さな『思念』がびっしりと生えそろい、こちらが伸ばす探索の糸を見事に切り刻んでくる。
調べたくとも、第二校舎に張られた『糸』の隙間を探して入り込まなくてはならないのだが、長時間をかけて調べなくてはそれすらも見つからない。手詰まりの感が強いが、第二校舎内で調べようものならば、こちらの意識が食い尽くされるのは眼に視えて分かっている。
さてどうしたものか、と考える里留だが、近づいてくる気配を感じ取り小さな溜息をつくとその場から歩き出した。
どうやら生徒がまだ残っていないかを見回りに来たらしい。ピリピリとした教師の雰囲気を肌で感じ、これ以上の収穫はないだろうと践んだ里留は早々にその場から退散する。
今はまだ時期が悪すぎる。
この学園に今溢れているのは、今日起きたばかりのことに対する恐怖心や好奇心。そういった余り歓迎されない残留思念ばかりだ。こんなものばかりを感じ取っていれば、精神的な疲れが澱のように心の中で貯まっていくだけだ。
いったい何時からこの学園に居座っているのだろうか、と考え、里留はこの学園の影に腰を据えているもののことを考える。
「タイプBだとしたら、厄介だな」
思わずこぼれた自分の言葉に、里留は眉間を寄せる。
タイプB。
人間の精神や命を食らって生き延びるもの達の総称。彼らのその特異性は、喰らった生命力を自らの力に変え、時には殺した相手の記憶や知識を自分のものとして蓄積していくことが出来る点だ。
以前講習で教わったことを思い返しながら、里留は昇降口へと向かう。
今日の所は、もう動きはないであろう。
相手の立場を自分に置き換えて考え、そう結論づけると里留は誰にも見つからないようにそっと昇降口を出た。
すでに『食事』はすませたであろう。それに加え、この雰囲気は『奴ら』に取って格好の餌にしかならない。
生暖かい空気の中へと身を浸せば、はっきりと血の匂いが混ざる風に抱かれる。
しばらくは動きを止めてこちらの出方を見るのか、それとも……。
すぐにも動き出して、次の犠牲者を出すことになるのか。
遠目ではあったが、犠牲となった生徒の亡骸から僅かに『奴ら』の痕跡が感じられた。それに同調する形で校内を探ってみれば、無作為に『匂い付け』された生徒達を多数見つけることが出来たが、次の犠牲者となる生徒が誰かまでは突き止めることが出来ないでいるのが現状だ。
狙われる相手が分かっていれば、その人物から目を離さなければいい。そうすれば、自然とここに居座る相手と対峙し、この仕事は終了するだろう。
だが、現実はそう簡単に進むはずもない。むしろ厄介な方向へと話しは転がり、自分がどうすべきかを突きつけてくるだけだ。
「何が、早めに終わらせる、だ」
現在行動を共にしている相手に対し、そう愚痴めいたものを呟いてみるが、それが空しい行為でしかないのも充分に理解していた。
自分が何も出来ないのが分かっているからこそ、相手をよく見てしまうのは当たり前のことだ。自分よりもキャリアの長い北斗の言動は、そこかしこで見習わなければならない点があり、反論よりも先にそれを覚えなければと考えさせられてしまうだけで、里留は北斗に対して何を言うでも無くただ自分のすべきことをし、それらを報告するだけで彼との距離を一定以上取って接している。
北斗が自分をどう扱っていいか模索しているのも分かっているが、必要以上に北斗に接したくはない里留としては、事務的に扱ってくれればいい、と言いかけてはみるが、性格的にそう口には出来ない自分のおかげで、ますますの所北斗との距離を取ろうとしてしまっている。
初対面の時の印象も、悪かったからな、と里留は考える。
頭から爪先までじっくりと観察するような視線を向け、北斗は使い物になるかと言いたげな口調でこう言った。
『足だけは引っ張るなよ』
実際の所、そう言われても仕方ない。なにせ自分はこれが初仕事だ。彼が危惧するのは分からないわけでもないが、自分の上司達がいる前であれだけはっきりと言われるとは思ってもみなかった。
上司達は僅かに頭を抱えたたが、北斗の性格を知っている為か、あえて口を出さずに二人にこの件を説明し始めたのは、とりあえず現場で慣れろ、と暗に含んだ意図もあったのだろう。
その時のことを記憶から引きずり出せば、今回の『仕事』の件もずるずると頭の中に蘇ってくる。
数ヶ月前からこの学園で起こる不可思議な事件の調査。および、それらの解決。
これが自分達に渡された『仕事』の内容だ。
学校という閉鎖された空間では、何が起きても不思議ではない。ただ、この学園内で起こっていることを『不思議』と言ってしまうのは語弊がある。
たとえば……。
真新しい理科室の危険物が何故か劣化しており、突如棚から青白い炎を上げて理科準備室を丸ごと焼いてしまった。
今まで普通に話していたというのに、突如泡を吹いて倒れる生徒が続出している。
怪我人や病人の類いによる保健室の利用者は、日を追うごとに多くなるだけで一向に減少の気配を見せない。加えて、生徒達の雰囲気も怯えや苛立ちというマイナス感情が露わになり、生徒間の小競り合いの数も増えていった。
そして、今日……。
ふぅ、と溜息を吐き出し、里留はいつの間にかたどり着いていた昇降口から、まだまだ明るい外へと向かって歩き出す。
人影のない校庭を眺め、ふと思い出したように里留は自分の髪の毛を一本引き抜いた。
ふわり、と長さを増した髪の毛を風に乗せると、里留は裏門へと爪先を向ける。
何かあれば即座に反応するよう呪のかかったそれを、間違いなく第二校舎に流れるように操作すると、里留はゆったりと外界とを隔てている門扉に向かって歩き出した。
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魅了の対価
しがついつか
ファンタジー
家庭事情により給金の高い職場を求めて転職したリンリーは、縁あってブラウンロード伯爵家の使用人になった。
彼女は伯爵家の第二子アッシュ・ブラウンロードの侍女を任された。
ブラウンロード伯爵家では、なぜか一家のみならず屋敷で働く使用人達のすべてがアッシュのことを嫌悪していた。
アッシュと顔を合わせてすぐにリンリーも「あ、私コイツ嫌いだわ」と感じたのだが、上級使用人を目指す彼女は私情を挟まずに職務に専念することにした。
淡々と世話をしてくれるリンリーに、アッシュは次第に心を開いていった。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
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たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
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