幸せの形状

ウラッキー

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幸せの形状

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 一九九五年一月十七日五時四十六分五十二秒に兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード七を超える兵庫県南部地震が起きた。発生当時は第二次世界大戦後の日本において最悪の被害であり、突然の出来事だった。
 近畿圏の広域が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市の市街地(東灘区、灘区、中央区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、近代都市での災害として日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えることになった。犠牲者は六千四百三十四人にも達した。
「逃げろー、逃げろー」
「助けてー、助けてー」
「お父さーん、お母さーん」
「熱いよー、熱いよー」
 至る所で断末魔や叫び声が響き渡り、まるで地獄絵図のようだった。
「早く逃げてー」
「火がせまってきたー」
「こっちは助かりそうにない……。お前だけでも逃げてくれー早くしろー」
「そんなの嫌―。みんなと一緒にいるー」
「俺は母さんを放っておけない……。気にするな。行ってくれ……」
「そんなの嫌―。お父さーん、お母さーん」
「無事に生きてくれ……」
 今でも、脳裏によぎり、悪夢に魘される夜もある。もう思い出したくないぐらい酷い有様だった。
 当時僕は小学校五年生だった。震災直後は生きていくのに精一杯だった。自分の家を失ったため、避難所生活が続いた。運よく僕の両親は難を逃れたが、親友の多くは震災で両親を亡くし、頼る親戚もなく、震災孤児となったり、里親に育てられる者が多かった。避難所生活の後、私たち家族は福井県鯖江市に住まいを移すこととなった。
 あの震災から三十年の月日が流れた。一般的に記憶は時間経過とともに薄れていくのものだが、その人の人生にとって重要な、または印象的な出来事は強く刻まれることになる……。
 菜の花?桜?そんな付加価値がついてくるとは想像もしていなかった。一方で僕の脳裏には、家族で訪れた南紀白浜の景色が鮮やかに蘇っていた。天気に恵まれ、澄み渡る青空の下に咲き乱れる葉の花の黄色い絨毯が、絵画のように広がっていた。ガラスがはめ込まれてなく開放された車窓をそよ風が通り抜けて頬をくすぐる。目に美しく、肌に優しい春の贈り物。そして、自然とこぼれる家族の笑顔。全てが手を差し延べて僕の心を癒してくれていた。
 あの頃は家族の中に笑顔があふれていた。意識することのない愛情で満ちていた。今のような分裂した家族になるなんて想像もしていなかった。
「あの時の僕は幸せだったのだろうか?今の僕はその幸せを見失っているのか?」
「そんなわけじゃない。今だってそれなりに幸せのはず。仕事は順調だし。何を自分らくしくもないことを。きっと気の迷い……」
 僕は過去の残像を打ち消すように、目を伏せ、首を激しく振った。
「藤堂さん、どうされたんですか?」
 見上げると、後輩教員の田中と小学校の同級生でもあり、今や職場の同僚ともなった真理子の心配そうな顔があった。
「ううん。何でもないで」
 照れ笑いで誤魔化した。
「それならいいんですけど……」
 親友の崎山は幸せな家庭に包まれた人生を送っていると思っていた。だけど、違った。彼の人生は、僕の創造などが及ばない暗く恵まれないものだった。しかし、そんな人生を彼は自分の視点を変えることで、実際にはない幸せな世界として作り出していた。そう思えた。
 幸せとは何だろう。現実にある、目に見える形あるものだけなのだろうか。
 僕の心はその疑問に振れた。
 もう一度自分の人生を見つめ直してみようかなあ。今ならできる気がする。大げさかもしれないけど……ううん、そうじゃない。少し視点を変えるだけで、人生は変えられるのだ。これまで見えなかったものも、明日の僕なら見えるはずだ。きっと。
 その後、三人は同窓会と称して、鯖江市の飲み屋街へと入っていった。道歩く人に聞き込みをして、そこそこ地元では有名そうな居酒屋に入り、その日は三人で酒を飲みながら小学生や中学生の時の昔話で盛り上がった。学校の校庭で鬼ごっごしたこと、ジャングルジムに登ったこと、運動会、野外キャンプ、遠足など。話題が尽きることがなかった。何時間くらい喋っていただろうか……。自分はぼうっとしていた。隣では田中がすでに眠りこくっていた。
すると真理子が話しかけてきた。
「藤堂君ってやっぱ結婚はせーへんの?」
「え?いや、どうかな……」
 何年か前にあった同窓会でも同じことを聞かれた。
「そーいや確か、前にも同じような質問したっけ。ごめんね。私さ。小学生から藤堂君のこと知ってるけど、全然変わらへんね。何ていうか。ちょっとシャイというか、女性に興味あるかわからない雰囲気っていうか……」
「いや、興味はあるで」
 私は少し誇張して言った。
「ごめん、やっぱりそうやんね。でもなんかさ。わかるんやけどなあ。この歳になったらさ。なんていうか女の子って若い時って大体は、とにかく背が高くて顔がハンサムで優しくて、運動できて、勉強もできて……。そんな男子に目がいくねんなあ」
 真理子はかなり酔っていた。でもまだ意識はあるみたいだ。
「私もさ。十代から三十代前半くらいまではそう思ってたけど、私、今一人子供いるやん。藤堂君知らないかもだけど……。でも子供産んでから考え方が百八十度くらい変わったんよね。今ならはっきり言える。私くらいの年代の女性が、えっと、そうやな……。私たちの同級生の女子がもし結婚したい男性ランキングの話をしたら当時の順位が結構変わってくる気がするねん。そして藤堂君ってけっこう上位に並んでくる気がする」
「どうしてそう言えんの?」
 僕は聞き返した。
「はっきり言ってここが一番だからとか、そんなのはないんやけど。なんていうか一つ自信を持って言えるのは安心感かな……」
 と、真理子は酔いながら言った。
「だって私たちの年代って離婚してる人結構いるでしょ?なんなら同級生でもいるやんか?富子とか、景子とか、亜弥とか……。っていっても藤堂君はあまり知らないか。地味やったもんね。あっそうか。今そこで眠りこんでる彼もね」
 僕は田中に目を向けると相変わらず座りながら腕組みをしてうずくまるように眠っていた。僕たちの話も知らずに幸せそうな顔だった。
「勘違いしやんといてや。私が藤堂君のこと好きって言ってるわけちゃうで」
「そんなことわかってるって」
 僕もすぐさま答えた。
「周りも離婚した連中多いし、あまり説得力のない言葉やし、まず本人のその気があるかもが第一条件やけど、結婚生活もけっこう楽しいよ。喧嘩もよくするけど……。藤堂君なら幸せな家庭生活を思い描けるんやけどなあ……。あれ、勝手な想像してごめんね」
「いや、そう言ってくれて嬉しいわ」
 この歳になって同年代の女性と二人でこんな話をしたのはたぶん初めてではないだろうか。僕は改めてここが今、鯖江のとある居酒屋にいること。そこで昔の同級生二人とこうやって飲み明かして話しているという今この瞬間に不思議なくらい奇跡みたいな気持ちを抱いてしまった。
「藤堂君、震災のこと覚えてる?私は一生忘れないと思う……。本当に酷かった……。正直、震災を実際に経験した当事者じゃないとわからないと思うけど……」
 真理子は酔っているはずなのに急に目が真面目になっていた。
「真理子もこうやって来てくれたし。もう集まることも二度とないと思ってたわ」
 僕はそう言った。
「なんかありがとうね。私も飲み会に行くって言ったもんやから。こんなことになってしまって」
「とんでもない。むしろ、ありがとうを言いたいのはこっちやで。この歳になってまさか小学校の同級生と長話できると思わなかった。ほんとに奇跡でしかないわ。ありがとう」
 私は残りのビールを飲み干しながらそう言った。居酒屋を出た三人はJR鯖江駅近くのビジネスホテルに泊まった。閑散期なのか空き部屋があったため三人とも別々の部屋に泊まった。
 僕は、もう一度家族を取り戻したいと考え始めていた。今でも覚えている。この季節に彼から送られた家族の姿。そんな理想の家族とは程遠いかもしれないけど、もう一度それを目指そうと。
 震災前の話にはなるが、小学生の時にクラスの何人かで校庭に自分の当時の宝物を埋めたことがある。ジャングルジムの横の砂場に埋めた。埋めたことは覚えてるけど、何埋めたのかは正直忘れてしまっている。
「当時流行ってたカードゲームだったか、ファミコンのカセットだったか、いやそんなものじゃなかった。うっ。思い出せない……。宝物ってずっと光ってるもんだと思っていた。でも違っていた……。宝物って実は……」
 当時はどうってことないものでも時間が経てば経つほど輝きを増す。例えばタイムカプセルなんかにして埋めたらもっと手の届かないところになってしまうのでますます見えなくなってしまう。
 校庭で何人かの男女が集まって土いじりをしている。おそらく小さい時の宝物を掘り起こすために……。
「これが宝物なのかも……。そしてもっと言うと本当は物なんかではなくて一緒に宝物を埋めた同級生との思い出、そして再びこうやって一緒に掘り起こしに行く同級生との日々こそが宝物なんだ」
 掘り起こしたものを確かめれば、自分が埋めたものは一通の手紙であった。長い年月が経っており、その記憶は完全に忘れてしまっていたが、おそらく未来の自分に宛てた手紙のようであった。「家族みんなといつまでも」古びた手紙にはそう書かれてあった。
 震災で多くの親友や親戚を失った……。震災の記憶は忘れることはない、というより忘れてはいけない、これから何年先もずっと胸に刻み続ける。
 次は何年後に掘り起こすかわからないけれど、次の世代へとバトンタッチを繰り返しながらタイムカプセルは引き継がれていくことだろう。
                 (了)









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