透明人間の実験

Nick Robertson

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「」
「はい、そのご報告に参りました」
「」
「私の予想をはるかに上回る時間ではありましたが、これ以上の進展は望めないと思いましたので」
「」
「あの五人は開放しました。しかし、やはり精神の疲労が激しいらしく、ぼんやりしておりましたので、まず安静にさせております」
「」
「ええ、それではその過程をお話しします」




まずは五人とも、とても怯えながらあの部屋に入ってきました。
当然でしょう。
夜道を歩いていたらいきなり捕まって車に引きずりこまれたのですからね。
先に名前の方を述べておきましょう。
五人を調べてみますと、
佐々木 章吾
伊賀峰 大河
神崎 宗馬
金森 春香
重盛 愛菜
と言うようでした。
部屋に入ってくる時に、例の装置を取り付けまして、
「この装置は他人に五秒触れ続けると爆発する仕掛けになっている」
と言いましたら、緊張して、特に佐々木は唾をごくりと飲みました。
そしてその白い部屋に五人を置き去りにして、私がそばで見守るなか扉を閉めたわけであります。

長い間誰も一言も口を利きませんでした。
それどころかキチンと距離までとって体育座りをキチンとしていたのです。
が、それに耐えかねたようで、神崎は佐々木に
「よう」
などと言って挨拶しました。

今まで顔を上げなかった佐々木も弱々しく神崎を見て、それからまた俯きました。
「よう」
と神崎は懲りずにまた声をかけました。
こういう実験には彼のような、沈黙に耐えられない体質の人が似合うと思います。

それはともかく、
「ああ」
と、佐々木はとうとう返事をしました。
神崎は
「ふぇー、良かった。みんな死んでるみたいだったぜ?」
と、恐る恐る周りの顔を伺いました。
その時私とも目が合いまして、一瞬狼狽したのですが、私の姿は見えるはずもありませんから、その心配は無駄でございました。

でもそれから皆なんとも言いません。
時間は刻々と過ぎていきます。
もうすぐで食事も入るでしょう。
私は、この実験に意味があるものかどうか疑わしくも感じておりましたが、この神崎という男がどうにかしてくれるのではないかと思って、楽観的に待っていたわけであります。

ガチャリと音がしました。
私にはそれがなんだか見ずとも分かっておりましたが、その五人は体をビクつかせて振り向いたのでした。
するとそこには自分たちをこの部屋に押し込めた張本人がいるのですから、皆はオロオロオロオロしてしまって、滑稽なくらいでした。

食事を置いて貴方の召し使いが去って行きますと、みんなは深い息を吐いて、心底安心したかのように、そうですね、まるで、地獄からカンダタ、蜘蛛の細い糸で極楽に登り切れたかの如く、それはそれは美しい顔をしていました。

それでも食事の方には見向きもしません。
あの部屋には始終照明が白く輝いていますので外はどんな風か知らないでしょうけれども、腹をすかせているのさえ、気づかないようでした。

だからこそ、私は貴方の召し使いに、匂いの良い食事にしなさいと、耳打ちしていたのであります。
やはり私の予想通り、最初に鼻をひくつかせたのは神崎でありました。

私めはついうっかり私情を孕んでしまい、「そうだ、神崎、もっとやれ」などとしようのないことを考えていましたが、とうとう堪えきれなくなったようで他の四人の目もチラチラと、特に臭いがよく通る汁物の方へ向き始めたようでありました。

私が息を詰めて見ておりますと、神崎がやっとご飯のお椀を持ってあちこちから覗き見ております。
私は実験の趣旨も忘れて「そうだ、それは毒など入ってない、安全な米だ」と助言してしまおうかとも思いましたが、なんとか堪えました。

他の者はその神崎の方を食い入るように見ております。
神崎はその視線に気がついて少しいびつにニコリと笑いかけました。

そして「どうする、食べる?」と皆に聞くのであります。
私は、ああ、この人は立派な方だ、と、研究対象に向かってあってはならない感情を溢れさしておりましたが、これは、いつものことですから、目をつぶってください。

質問をされたら何か答えないと、場が寒く白けてしまいます。
ここは金森が
「でも、変な物が入ってるかも」
と言いました。
私は小さく舌打ちして金森を睨みつけてやりました。

「確かにそうかもしれない」
神崎はお椀を下ろしました。
「でも、俺は腹が減った」
「それもそうだ」
同調したのは、佐々木であります。
それでも「でも、こんなところに人を拉致するような奴が、こんな立派なご飯を食べさせるのはおかしい」と、変に反対意見ばかりを並べていくので、おそらくこれは人間の防衛心であろうと、私は理解しました。

「じゃあ、奴の目的はなんだ?」神崎が言いました。
この男はずっと展開を良い方向に進めてくれます。
「分かんないよ」金森がそう呟きましたが、おそらくそう深くは考えていなかったでしょう。

「よく考えてみろよ。おかしくないか、あの忠告はさ。『五秒間続けて他人に触れてはならない』だってよ。…変だろ?こんな事して何のメリットがあるんだ?」
「…そうだね」
金森は少しモジモジしながら答えておりました。
私は、金森が神崎に対して好意を持ち始めたのだと推測しました。
あの男はそういう素質を持っていたように思えます。
人を惹きつける力と言いますか。

「で、だ。俺が考えるに、これはゲームなんだよ」
「ゲーム?」
金森と私が一斉に反応しました。
そのあと私は笑いを噛み殺すのに必死で苦しいくらいでしたよ。
まさか、ゲーム、ゲームと受け取られるとは。

「そう、遊びだ。多分俺たちは今監視されてるはずだ。だって、そうでもしなくちゃ楽しめないものな。それで、五秒触れ合う時を待ってるんだよ。きっと」
「なるほど」
そうなるともう皆の声は小さくなって囁くくらいにはなっております。

私は感嘆して首をかしげてしまいました。
そう、その通りです。
私は今、あなた方を監視しています。
大方筋も通っているようにも思えます。
賢いと思いますよ。
しかし。

「でも、カメラなんて見当たらないけど」金森が天井をきょろきょろと見回しました。
ここの部屋は全て白地ですから、カメラなんてすぐに見つかるはずです。
だって、何も置いてない、ガランとした空間ですから。

「そこだよな」神崎が唸ります。
あと一息ですがね。

「もしかしたら、実験、じゃないか?」
さっきまで黙っていた伊賀峰が突然言いました。
私は今の今まで敵を倒していたように思っていたのに、実はその家臣の中にもっと強い相手が潜んでいたような。そんな強い衝撃を受けました。

「実験?」
「そう。五秒触れ続ける時間を測るだけなら、カメラはいらない」
「あ、そっか」
「あ、薄い壁になってる、とかは?」

また新しい声が聞こえました。
重盛です。
他の四人が話し出したので、自分の存在が浮き彫りにされたようになって、たまらず話しかけてみたのではないかと思います。

「何?その、薄い壁、って」
佐々木が聞き返しました。
ついでに、重盛の姿をジロジロと見ておりました。
すこし佐々木の鼓動が速くなっていたかもしれません。

いや、もともと皆緊張のせいか心拍数は標準より上をいっていたような気がしましたが、佐々木は今度は静かに興奮しているようでありました。
確かに、重盛は体と顔の形は整っていて、美人でありますから、気分が高騰するのは無理もないと思います。

「あ、えっと。…天井付近の壁がすこし薄くなってて、そこから盗聴器が音を拾ってる、…みたいな」
「なかなかゲスいこと考えるんだな。…でも、めっちゃあり得る!」
佐々木が嬉しがって言いました。
しかし、声は依然として小さいままです。

「え、あっ」
重盛は顔を少しほてらせて腰を左右に動かすようにしました。
そうまですると今度は佐々木がびっくりしてしまって、くるりと後ろを振り向きました。
神崎は金森とすこしずつ打ち解けている風もありましたが、実際こちらの方が面白いと思って、私は佐々木の方を観察することにしました。

佐々木は耳まで赤くして、口を手で押さえてハアハアと息をしておりました。
あまり突然にさっきの行動を重盛が出たものですから、佐々木も構えることができずに、心を撃ち抜かれでもしたんでしょう。
重盛はというと、佐々木を励まそうとしたのか手をその背中に伸ばしかけましたが、約束事を思い出したらしくその手をビクッ止めて自分の口元に戻し、可愛らしくペタンと座っておりました。

ですがそろそろ汁も冷め切ってきました。
と、神崎が
「大丈夫だって」
とか言いながら、ポンと金森の頭に手を乗せたのであります。
「はうわっ!」
金森はビクンと体を起こして、その手を外してしまいました。

「あ…」
「あ…」
二人とも、神崎は自分の手を覗き、金森は触られた頭に左手を乗せて固まりました。
爆発する、なんていうケッタイな、お粗末な問題はここで無くなったようでした。
何故なら、今二人が気にしているのは、もう少しで爆発するところだった、なんてことでは無く、もっと大きく、未来に関わるような、そんな温かな感情だからです。なーんて。ふふふ。

私は一人それを眺めて満足しました。
これはなかなかいい実験内容かもしれないと思い始めました。
十三、四歳くらいの五人を集めたのが良かったのかもしれません。

ところで、そこからはみ出てしまった伊賀峰はと言うと、なんとも思っていないばかりか、私と同じようにそれらを見て楽しんでいるようでした。
一丁前に右手の人差し指と親指を伸ばして、そこに顎をはめ込み、微笑しながら頷いていたのです。
図らずもこれは完璧な編成になったなと、私は確信しました。

ふふ、ふ。今思い出しても気持ちのいい瞬間でしたね、あれは。
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