鬼才帳 女

Nick Robertson

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思い出したように言う。

「あの、苺大福は持って帰ります」
「どーぞ」
「はい、どうもありがとうございます」

受け取ると、旦那は少しその箱を持ち上げて、また下ろした。

「あの」
「……何?」
「あなたの元の家って、どの辺にあるんですか?」
「言わなきゃダメ?」
「えっ、いや、そんなことは」

オロオロと視線を左右させて、「…ないんですけど」。

「ここより少し先にあるよ。マンションなの」
「そうなんですか。そこは、どんな所です?」
「どんな?」

私は目を上げた。

「さぁ。どんな所かしら」
「言えないんですか?!」
「言葉になんかしようと思わないし」
「じゃ、じゃあ、あの、でも、ここの方が、居心地良いってことですよね?」
「………」
「えっっ?」

口端を下げる。
「…ふふ。私もあなたみたいに物覚えがすこぶる悪いみたい」

「ああ、ああ!!」
旦那は人差し指を立てた。「覚えてないんですね?そうですよね?……、でも、僕、ここに棲んでた時、多分自分の家のこと忘れてませんでしたよ。費やした時間が違い過ぎるので」

「それは幸運ね」
私は言った。「お陰で、今も上手くやってるんじゃない?」

「上手く?いや、そんなこともないですよ。別居してるんですから。全然下手ですよ」

距離が前よりも近くなっている。写真には写らない程度。
私はその場にしゃがみ込んで、両足を右側へ崩した。

「…私、ここにずっと居たいの。分かる?」
「はい。僕も、だったと思います」
「うん」

それは感情の差異。私と旦那とが一緒なはずない。

「僕、悔しかったのかもしれません。僕じゃなくて、あなたがずっと居座っているので」
「………」

彼はやはり立ったままだった。でも、目が、合う。

「いや、悔しかったと言うより、どうしてなのか、って疑問です。そう、そうなんですよ。打ち明けると、僕は酷い男です。変かもしれません。執着心の塊だと思います。それで、彼女と会いたい」

けれど、会えない。

「だから、僕はあなたと話したんです。すると、これがですね、なんて言うか、当たったんです」

旦那は一歩後ろに下がって、ほんの僅かに頭を垂らす。

「僕、あなた、のことも好きです。好きでした」
「うん」
「これからも大福は持ってくると思います」
「そうね」

箱は机からまた上がって、また下がって。
じわりじわりと、あのヒンヤリはなくなりつつある。

「リサとあなたと、それなら仕方ないのでしょう」

諦めなんて、しないくせに。
私は足のつま先を軸にして足首を数度動かした。
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