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短い物語P&D『Just For One Day』
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パワースポットにでも行ってみよう。
男は休日にふと思いついた。
その思いつきは数分の間に部屋を満たしてしまった。
立ち上がって歩き回り、カレンダーを見つめた。
そして、数日後には電車に乗っていた。
一週間なら何とか凌げる蓄えを、左肩に背負っていた。
たどり着いた場所は、重く湿った森。
男は大きな樹に逢ってみたかった。
憧れのアーティストに逢いに行くかのように。
実は劣等感と嫉妬も、無意識だが持ってきていた。
大きさにだけ惹かれるわけではないけれど、とても目立つ樹が見えた。
遊歩道から外れた区域にそれは立っていた。
その樹に惹かれた勢いのまま、男は迷わず柵を跨いでいた。
大丈夫だという奢りは、軽くて邪魔にはならなかった。
待っていた大樹は、洞窟の入口のようなウロを晒していた。
ひと飲みで終わらせてくれそうな闇が口を開けているようにも見えた。
怖くはなかったけれど、直ぐに近づくことはできなかった。
少し様子を伺った後、男は恐る恐るウロを覗いた。
古い携帯電話を開き、照明にした。
足元は大人が一人座れるくらいの広さ。
直立できるほど天井は高くなかった。
男は隅々まで注意深く見渡し、そっと中へ入った。
中腰のまま向きを変え、腰を下ろした。
ウロの中から森を眺める。
確かめるように背を任せると、大樹のウロは暖かいベッドになった。
男は森を彷徨っているかのように、いろんなことを考え始めた。
なぜか、まだ母の中にいた時のことや、父に抱き上げられた時のことを思い出した。
それから、あの人の温もりも。
どのくらいウロの中に居たのだろう。
いつの間にか静かな呼吸。
ゆっくり歩いているような瞬き。
今の時刻も、経過した時間さえも気にならなかった。
男は休息を続ける。
そして、活動を始めたのは大樹だった。
細い枝が動き始める。
ウロを守るように腕となって重なった。
太い枝は、翼のように空へ向かって広げられた。
葉は、まるで羽根のようだった。
準備は、整った。
今夜は気分転換に出かけよう。
ちょっと空まで。
気が向いたら、宇宙まで。
男を懐に抱いた大樹は、森から飛び立った。
男は寒さで目が覚めた。
人生で初めて迎えた、かつてない朝だった。
のそのそとウロから這い出し、立ち上がって伸びをしようとした。
けれど、そんな時間は許されていなかった。
寝起きの男を迎えたのは、大勢の観光客だった。
直ぐには状況を理解することができなかった。
分かったことは、男を歓迎する者が誰ひとり居ないことだった。
この場所を速やかに離れるしかなかった。
大樹を一度も振り返ることなく、遊歩道をひとり足早に急いだ。
歩きながら男は思った。
たった一日だけなら。
今日という一日だけなら。
僕はヒーローになれるかもしれない。
多数決で選ばれた代表者ではなく、唯一の王として。
だから女王を迎えに行こう。
見えない敵を倒しながら。 ~終わり
男は休日にふと思いついた。
その思いつきは数分の間に部屋を満たしてしまった。
立ち上がって歩き回り、カレンダーを見つめた。
そして、数日後には電車に乗っていた。
一週間なら何とか凌げる蓄えを、左肩に背負っていた。
たどり着いた場所は、重く湿った森。
男は大きな樹に逢ってみたかった。
憧れのアーティストに逢いに行くかのように。
実は劣等感と嫉妬も、無意識だが持ってきていた。
大きさにだけ惹かれるわけではないけれど、とても目立つ樹が見えた。
遊歩道から外れた区域にそれは立っていた。
その樹に惹かれた勢いのまま、男は迷わず柵を跨いでいた。
大丈夫だという奢りは、軽くて邪魔にはならなかった。
待っていた大樹は、洞窟の入口のようなウロを晒していた。
ひと飲みで終わらせてくれそうな闇が口を開けているようにも見えた。
怖くはなかったけれど、直ぐに近づくことはできなかった。
少し様子を伺った後、男は恐る恐るウロを覗いた。
古い携帯電話を開き、照明にした。
足元は大人が一人座れるくらいの広さ。
直立できるほど天井は高くなかった。
男は隅々まで注意深く見渡し、そっと中へ入った。
中腰のまま向きを変え、腰を下ろした。
ウロの中から森を眺める。
確かめるように背を任せると、大樹のウロは暖かいベッドになった。
男は森を彷徨っているかのように、いろんなことを考え始めた。
なぜか、まだ母の中にいた時のことや、父に抱き上げられた時のことを思い出した。
それから、あの人の温もりも。
どのくらいウロの中に居たのだろう。
いつの間にか静かな呼吸。
ゆっくり歩いているような瞬き。
今の時刻も、経過した時間さえも気にならなかった。
男は休息を続ける。
そして、活動を始めたのは大樹だった。
細い枝が動き始める。
ウロを守るように腕となって重なった。
太い枝は、翼のように空へ向かって広げられた。
葉は、まるで羽根のようだった。
準備は、整った。
今夜は気分転換に出かけよう。
ちょっと空まで。
気が向いたら、宇宙まで。
男を懐に抱いた大樹は、森から飛び立った。
男は寒さで目が覚めた。
人生で初めて迎えた、かつてない朝だった。
のそのそとウロから這い出し、立ち上がって伸びをしようとした。
けれど、そんな時間は許されていなかった。
寝起きの男を迎えたのは、大勢の観光客だった。
直ぐには状況を理解することができなかった。
分かったことは、男を歓迎する者が誰ひとり居ないことだった。
この場所を速やかに離れるしかなかった。
大樹を一度も振り返ることなく、遊歩道をひとり足早に急いだ。
歩きながら男は思った。
たった一日だけなら。
今日という一日だけなら。
僕はヒーローになれるかもしれない。
多数決で選ばれた代表者ではなく、唯一の王として。
だから女王を迎えに行こう。
見えない敵を倒しながら。 ~終わり
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