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しおりを挟むユーリスと学園内の遊歩道を通って図書館へ向かう途中、前方からサニーラがやってきた。
教材を胸に抱えているので、以前言っていた週に一度の講義だったのだろう。
顔を上げたサニーラもリシャーナに気づく。すると、花が咲くように笑みを浮かべて小走りでやってきた。
「リシャーナ、久しぶり! 会えて嬉しい」
「私もです、サニーラ。今日も医療魔法の講義ですか?」
「ええ、そうなの」
頷くサニーラが、不意にリシャーナの隣にいるユーリスに目をとめた。
フードを深く被って顔を隠す男性を、サニーラは気にした様子でチラリと見る。
マントで体を……しかもフードで顔まで隠す風貌は、やはり不審に思えるらしい。
彼女の憂いをはらそうと、リシャーナはユーリスの紹介をしようと彼に向き直る。
と、フードから覗く口元が、怖がるように戦慄いていることに気づいた。
「ユーリス? どうしましたか?」
思わず訊ねると、それに反応したのはサニーラのほうだった。
「ユーリスって、あのユーリス・ザインロイツさま……?」
「サニーラ? ど、どうしたのですか?」
フードの正体に気づいたサニーラも、サッと顔を青くして距離をとるように一歩退いた。
様子のおかしい二人の間でリシャーナがおろおろしていると、不意にユーリスが反転して走り出した。
「ユーリス……!?」
呼びかけたものの、彼は脇目も振らずに全力で走って行ってしまった。
彼の姿が遠ざかると、突然サニーラが力をなくしたようにへたりこんでしまったので、リシャーナはユーリスを追うに追えなかった。
細い体を丸くして、サニーラは震える肩を抱いていた。
その背中を撫でて宥めつつ、リシャーナはユーリスの消えた廊下の先をハラハラした面持ちで見つめた。
なんとか魔法を行使してサニーラを医務室まで運んだところで、リシャーナは胸を撫で下ろした。
診察していた医師がカーテンから出てきたので、リシャーナは逸るように立ち上がった。
「ヴァンルッシュ男爵令嬢は大丈夫でしょうか?」
訊ねると、中年の女性医師はカーテン越しにサニーラを見てから、リシャーナを隣の個室へと誘導した。
「サニーラさんはユーリスさんと会ってから様子がおかしい、と言ってたわよね?」
確認する医師に、リシャーナはおずおずと頷いた。
深刻そうに押し黙った医師は、今度はリシャーナを観察するように見た。焦れたリシャーナは、自分から切り出した。
「その、二人の間になにかあったのでしょうか」
医師の様子は、理由が分からずに困惑している、というよりは、リシャーナに言っていいものかどうか迷っているようだ。
少しの沈黙の末、医師が重く口を開いた。
「ザインロイツ家でなにがあったかは知っている?」
「ユーリス様がザインロイツ家から勘当され、貴族籍を排斥させたということなら……ですが、なぜそうなったのか、理由までは……」
「そう……」
そこで医師は、念を押すように続けた。
「これは、ユーリスさんがあなたの助手であるから話します。決して他の者には他言しないように」
真剣な眼差しに、リシャーナはごくりと唾を飲んで頷いた。
貴族の嫡男が排斥されるほどのことなのだ。しかも、その話が婚約者であったハルゼライン家にも言えないほどの。
噂にもなっていないということは、ザインロイツ家は、この件を周知しているものたちに口止めもしていることになる。
「これは誰が悪いという話でもないのだけれど……あえて言うなら、運が悪かったというか……」
医師は心苦しそうに眉をひそめた。それは医務室で眠るサニーラもだが、ユーリスに対しても向けられているようだ。
「サニーラさんの魔力が他の人よりも豊富なのは知っていますか?」
「はい。多少魔法をかじったことのあるものであれば、彼女を見れば一目で分かります」
魔法を使うことすなわち、魔力の気配に敏感になることだ。そうしなければ、術式を与えて魔法を行使できない。
魔力は決して視認することは出来ないので、術式を与える魔力をしっかり第六感で読み取ることが出来なければ魔法は使えないのだ。
リシャーナも貴族であるので、平民よりは魔力量は多いものの、特別優秀というほどでもない。が、気配をぼんやりと感じ取るぐらいは出来る。
「では、ユーリスさんが魔力の過剰放出症であることは?」
「知っています」
一体それらがなんの関係があるのだろう。
不思議がるリシャーナに、医師は続けた。
「ユーリスさんは過剰な放出により、慢性的な魔力欠乏症を起こしていました。そして、そんな彼が魔力が豊富すぎるサニーラさんの気配に惹かれてしまったんです。それはもう異常なほどに」
「え?」
「初めは良き友人として接していたそうです。一緒にいる時間が長ければ長くなるほど、ユーリスさんの様子が少しずつおかしくなっていき、婚約者がいる身分でありながら、彼は学園内で彼女に求婚したのです」
そこで医師は、ユーリスの名誉を守るようにつけ加えた。
「貴族である彼が正気であればそんなことはしなかったでしょう。きっと最初は彼女の傍で魔力を感じていることが心地よかったのだと思います。一度その心地よさを覚えてしまったがために、離れたときの飢餓感に苦しみ、彼はどんどんサニーラさんを求めるようになったのです」
「サニーラはそのとき……」
「もちろん断わりました。彼女もユーリスさんの様子がおかしいことには気づいていましたから。彼と距離を取るようになったのですが、それが逆に悪い方向へと事態を招いてしまったのです」
悪い方向と聞き、リシャーナの頭に浮かんだのはユーリスだと分かったときのサニーラの反応だ。怯えたように距離を取り、彼が遠ざかると安堵で力をなくすほどだった。
話を聞くに、ユーリスはサニーラの魔力を求める欲を恋や愛ゆえだと錯覚していたようだ。恋情を向ける男が、求める女性に行う最悪なこと……。
(まさか、そういった暴行を……!?)
ハッと思い至った想像に、リシャーナは息を呑んで血の気が引いた。
青ざめて狼狽えるリシャーナに、医師もなにを想像したか察したらしい。慌てた様子で撤回してきた。
「これは二人の誇りにかけて誓いますが、あなたの想像するようなことはありませんでした。ただ、度を越した求婚だと言えばいいのでしょうか」
リシャーナがユーリスと距離をとってしばらくしてから、再びユーリスから接触があったらしい。そのとき彼は、リシャーナの足に縋るように腕を伸ばし、額を床に擦り付けて傍にいて欲しいと懇願していたらしい。
「それは……」
リシャーナは言葉をなくした。
ただでさえ婚約者のいる身分での他者への求婚だけでも勘当があり得る事態だ。そこへきて、貴族の嫡男が人目も憚らず、頭を擦り付けて懇願するなど絶対にあってはならない。
「サニーラさんはすっかり怯えてしまい、しばらくは男性に近寄ることさえ出来ませんでした。ユーリスさんはそのまま個人を隔離できる病院へと送られ、事情を知ったご両親が彼との縁を切りました」
そういえば、とリシャーナは学生時代を思い返す。
たしかに一時期、やけにサニーラがリシャーナやネノンにくっついていることがあった。
三人はそれぞれ専攻が異なるので、共同授業以外は別々なのだが、それすら渋るようだったので、真面目なサニーらにしては珍しいと思ったのを覚えている。
ふと医師は、そこで悔やむように唇を噛みしめた。
「私たちはサニーラさんばかりを気にかけてしまい、肝心のユーリスさんへの対応が疎かになっていたのです。少し考えれば、彼がただの恋情であそこまでのことをしたとは思わなかったでしょうに……」
医師は少し言葉を選ぶように口を閉じ、しかし上手い表現が見つからなかったのだろう。
伏し目がちにおずおずと告げた。
「控えめに言って、当時の彼の様子は尋常ではなかったのです。私はもちろん、病院職員も彼に恐怖を覚え、ユーリスさんが完全におかしくなってしまったのだと思っていました」
まさか魔力の過剰放出だったなんて……。
呟いた彼女の眉間の深い皺が、その後悔の大きさを物語っている。
と、リシャーナはふと思った。
「あの……ユーリス様が病院に入ったのは二年ほど前のことですよね? しかし魔力過剰放出症の症例報告がされたのは一年前では……?」
報告書を書き上げるために多少の時間を要するのは分かるが、一年はかかりすぎだ。
それに、先ほどの医師の言葉を加味すると、誰もユーリスの身体に問題があるとは思っていなかったらしい。
ならばその間、ユーリスは――。
「ユーリスさんに対して初めて魔力的欠陥があることに気づいたのは入院から半年後のことです。それまで彼は、精神に異常をきたした患者として特別な病棟で隔離生活を送っていました」
半ば予想していた言葉に、リシャーナは打ちのめされた。
隔離中の彼の心情を思うと、やるせなくて、切なくて、そして苦しくてたまらない。
恋情で狂い、女性に無理を強いた者――しかも本来であれば誰よりも理性を強く持ち、感情を自制しなくてはならない貴族の子息だ――への非難の目は、一体どれほどのものだったろう。
――他人の視線がダメなんだ。
ふと宿場で一緒に食事をしたときのことが思い出された。
耳の奥に返ってきた彼のあの声に、言葉に、リシャーナは泣きたい気持ちになった。
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