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晴天に歌う雀
8.
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「失礼します」
掛長が自室で雀と戯れていると、少し乱暴に扉が開かれる。
「ああ、橘君ですか」
橘は軽く会釈して扉を閉めた。胸のポケットから顔を覗かせる藍栗鼠が、珍しそうに雀をじっと見ている。
「なるほど、それが例の雀ですか」
「君の耳にも入っているとは、有名人ですね」
「ヒトではなく雀ですがね」
「ハハハ、そうでした」
ソワソワと落ち着きのない藍栗鼠を押し留めながら、橘は一束の書類を手渡す。
「桔梗の報告書です」
「いつもありがとう、橘君」
不意を突いて、藍栗鼠は伸びた腕を伝って雀の側へ駆けた。小動物同士気が合うのか、適度な距離を保ちながら互いの匂いを嗅ぎ、「キュィ」「チチッ」と小さな声で何か話している。
「桔梗君は元気でしたか?」
「相変わらず、のんべんだらりと暮らしてますよ。その幼稚な報告書だって、グータラ三昧のせいで遅れたでしょう」
「君はいつも桔梗君に手厳しいですね」
「厳しくなんてありませんよ。むしろ甘い方だと思います」
吐き捨てるように言う橘を掛長は軽く笑い飛ばし、
「碧龍や松虎、飴狼の様子はどうでした?」
と新たに質問した。
「いつもの通り、桔梗にそっくりですよ」
「そう。寛げているのですね。良かった」
「あいつ、グータラだけど世話はきちんとしてます。桔梗の報告書の一番最後に所感を挟めておいたので、よろしければ」
橘は該当の頁を細い指で指し示す。
「おお、気が利きますね。さすが橘君だ」
さらりと目を通して掛長が労うと、橘は「いえ」と小さく謙遜してから、いつの間にかすっかり仲良くなった雀と藍栗鼠に目を向けた。
「ところで、その雀はずっと掛長が世話なさるのですか?」
「いえ。折を見て、然るべき方へお預けしようと考えていますよ」
「然るべき方、というのは?」
「……この子の歌は外でも評判になってしまっているようですし、見目も愛らしい。あまり飛ばないので部屋の内で愛でるのに丁度良いですから、ご令息のどなたかよりは姫君に、と思っていますよ」
橘は「そうですか」と気持ちの入っていない声を返し、それからじっと雀を見た。
焦げ茶の帽子を被り、黒い模様の入った茶色の外套を羽織ったようなその姿は、パッと見れば道端で米粒をつついている普通の雀と変わらない。しかしその類稀な声と独特の雰囲気が、紛れもなく神獣だと知らせている。愛らしく、ただそこに在るだけで、棘もささくれも、邪で暗い何かまで溶けるように消えていく。
「藍栗鼠の方が可愛いですが、しかしその雀も中々ですから、姫君同士で奪い合いにでもなりそうですね」
「そうなったら桔梗君に渡しますよ」
掛長の言葉に橘は露骨に訝しんだ。
「何故、桔梗なんです? あいつにはもう、碧龍も松虎も飴狼もいるじゃないですか」
「あの三体はどれも、他の方の相方なのですよ。皆様もうお亡くなりになってしまったので、桔梗君が代わりにお世話をしているだけです。そういった事情もあって、現行の法令では大型神獣は国の保有とされていますからね。だから、桔梗君の相方は今は居ないのですよ」
「へぇ、てっきり――。いや、保護官でありながら勉強不足でした」
橘は目を丸くして、それから口元を隠した。
「二年前、大幅な法改正があったのを覚えていますか。その時にこっそり変更されたのですよ。他に重要なことが山程ありましたから、知らなくても仕方がありません」
労わる言葉に、橘は居心地が悪そうに視線を落とす。酷く気まずい空間に、能天気な雀の歌声と藍栗鼠の踊る影が喧しい。
「……ところで、その雀はいつもこう鳴いているのですか?」
橘が呆れをどうにか隠すように眉間を押さえて訊く。
「ええ。美しい声でしょう」
「美しいですが、ずっと聴いていると頭がおかしくなりませんか?」
「ハハハ! 寂しくなくて良いものですよ。君は静かな方がお好きでしたか」
「そうですね。四六時中、音が聴こえてくるのは遠慮したいです」
「そうか、その点も考慮してこの子の行き先を決めなければなりませんね」
掛長が人差し指を伸ばした。頭を撫でられた雀は気持ちよさそうに目を閉じる。
「帝の姫君や、榎家の姫君などであれば、これは丁度良い話し相手になるやもしれませんね」
橘はそう言いながら藍栗鼠を胸ポケットに戻した。名残惜しそうにもがく藍栗鼠を強引に宥める。
「なるほど、確かに」
「では、私はこれで失礼します」
「ああ。ありがとう」
部屋を出ていく橘に「チチッ」と雀が挨拶して、それに合わせて掛長も手を振る。橘はこれ見よがしに溜息を吐いて、無情に扉を閉めた。
掛長が自室で雀と戯れていると、少し乱暴に扉が開かれる。
「ああ、橘君ですか」
橘は軽く会釈して扉を閉めた。胸のポケットから顔を覗かせる藍栗鼠が、珍しそうに雀をじっと見ている。
「なるほど、それが例の雀ですか」
「君の耳にも入っているとは、有名人ですね」
「ヒトではなく雀ですがね」
「ハハハ、そうでした」
ソワソワと落ち着きのない藍栗鼠を押し留めながら、橘は一束の書類を手渡す。
「桔梗の報告書です」
「いつもありがとう、橘君」
不意を突いて、藍栗鼠は伸びた腕を伝って雀の側へ駆けた。小動物同士気が合うのか、適度な距離を保ちながら互いの匂いを嗅ぎ、「キュィ」「チチッ」と小さな声で何か話している。
「桔梗君は元気でしたか?」
「相変わらず、のんべんだらりと暮らしてますよ。その幼稚な報告書だって、グータラ三昧のせいで遅れたでしょう」
「君はいつも桔梗君に手厳しいですね」
「厳しくなんてありませんよ。むしろ甘い方だと思います」
吐き捨てるように言う橘を掛長は軽く笑い飛ばし、
「碧龍や松虎、飴狼の様子はどうでした?」
と新たに質問した。
「いつもの通り、桔梗にそっくりですよ」
「そう。寛げているのですね。良かった」
「あいつ、グータラだけど世話はきちんとしてます。桔梗の報告書の一番最後に所感を挟めておいたので、よろしければ」
橘は該当の頁を細い指で指し示す。
「おお、気が利きますね。さすが橘君だ」
さらりと目を通して掛長が労うと、橘は「いえ」と小さく謙遜してから、いつの間にかすっかり仲良くなった雀と藍栗鼠に目を向けた。
「ところで、その雀はずっと掛長が世話なさるのですか?」
「いえ。折を見て、然るべき方へお預けしようと考えていますよ」
「然るべき方、というのは?」
「……この子の歌は外でも評判になってしまっているようですし、見目も愛らしい。あまり飛ばないので部屋の内で愛でるのに丁度良いですから、ご令息のどなたかよりは姫君に、と思っていますよ」
橘は「そうですか」と気持ちの入っていない声を返し、それからじっと雀を見た。
焦げ茶の帽子を被り、黒い模様の入った茶色の外套を羽織ったようなその姿は、パッと見れば道端で米粒をつついている普通の雀と変わらない。しかしその類稀な声と独特の雰囲気が、紛れもなく神獣だと知らせている。愛らしく、ただそこに在るだけで、棘もささくれも、邪で暗い何かまで溶けるように消えていく。
「藍栗鼠の方が可愛いですが、しかしその雀も中々ですから、姫君同士で奪い合いにでもなりそうですね」
「そうなったら桔梗君に渡しますよ」
掛長の言葉に橘は露骨に訝しんだ。
「何故、桔梗なんです? あいつにはもう、碧龍も松虎も飴狼もいるじゃないですか」
「あの三体はどれも、他の方の相方なのですよ。皆様もうお亡くなりになってしまったので、桔梗君が代わりにお世話をしているだけです。そういった事情もあって、現行の法令では大型神獣は国の保有とされていますからね。だから、桔梗君の相方は今は居ないのですよ」
「へぇ、てっきり――。いや、保護官でありながら勉強不足でした」
橘は目を丸くして、それから口元を隠した。
「二年前、大幅な法改正があったのを覚えていますか。その時にこっそり変更されたのですよ。他に重要なことが山程ありましたから、知らなくても仕方がありません」
労わる言葉に、橘は居心地が悪そうに視線を落とす。酷く気まずい空間に、能天気な雀の歌声と藍栗鼠の踊る影が喧しい。
「……ところで、その雀はいつもこう鳴いているのですか?」
橘が呆れをどうにか隠すように眉間を押さえて訊く。
「ええ。美しい声でしょう」
「美しいですが、ずっと聴いていると頭がおかしくなりませんか?」
「ハハハ! 寂しくなくて良いものですよ。君は静かな方がお好きでしたか」
「そうですね。四六時中、音が聴こえてくるのは遠慮したいです」
「そうか、その点も考慮してこの子の行き先を決めなければなりませんね」
掛長が人差し指を伸ばした。頭を撫でられた雀は気持ちよさそうに目を閉じる。
「帝の姫君や、榎家の姫君などであれば、これは丁度良い話し相手になるやもしれませんね」
橘はそう言いながら藍栗鼠を胸ポケットに戻した。名残惜しそうにもがく藍栗鼠を強引に宥める。
「なるほど、確かに」
「では、私はこれで失礼します」
「ああ。ありがとう」
部屋を出ていく橘に「チチッ」と雀が挨拶して、それに合わせて掛長も手を振る。橘はこれ見よがしに溜息を吐いて、無情に扉を閉めた。
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