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第二章 花散る所の出涸らし姫

二十、姉妹と母子

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 天津芙蓉と思わしき令嬢は、撫子と大して変わらぬ年齢の少女に見えた。
 贅沢な暮らしをしているようで、撫子よりも体格や血色がよい。
 腰までの長い髪を下ろしており、少し明るい髪は、兄の良夜を彷彿とさせた。
 赤を基調とした生地に金や銀の絵を入れた振袖は、とてつもなく派手で。
 右耳の近くで結ばれた大きなリボンや大振りの宝石で作られた帯留めと合わさって、否応なく人目を引いた。
 彼女は後ろに同じ年頃の少女を引き連れているが、全員が若竹色に近い色の着物を纏っているため、先頭を引き立てる背景と化している感じが否めない。
 その背景達が、青柳の言う取り巻き、もとい御友人なのだろう。
 彼女達も芙蓉と同じような表情で此方を見ているため、好印象は持てなかった。

「・・・・・・お久し振りです、お姉様」
 撫子が一歩前に出て、頭を下げる。
 だが、芙蓉はその妹の後頭部を見ながら顔を顰めた。
「ふん、いやだわ。こんな無能が身内にいるなんて・・・・・・」
 大きな扇子で口元を隠す姿は、本当に悪いお嬢様そのものの振る舞い。
「・・・・・・まあ、いいわ。今日は機嫌がいいの・・・・・・千代!」
 その言葉に、撫子が顔を上げる。
「無能を案内しなさい」
 芙蓉の言葉に従うように、背景のさらに後ろから現れたのは小柄な老婆であった。
 足が悪いのか、少し頼りない足取りで撫子へと近付く。
「・・・・・・ばあや! ばあや・・・・・・」
 駆け寄る撫子の瞳には涙が見られ、よほど彼女との再会が嬉しかった様子。
 撫子を受け止めた老婆も、同じように瞳を潤ませていた。
「ばあや、会いたかった・・・・・・」
「撫子お嬢様・・・・・・こんなに元気になられて・・・・・・」
 嗚咽混じりに言葉を交わす二人を見て、芙蓉は不快そうに顔を顰める。
「辛気臭いわねぇ。行くわよ」
 さっと身を翻し、屋敷の中へ入る彼女の後を、背景達はすかさず追いかける。
 先程から『芙蓉様、お可哀想』『芙蓉様、お優しい』と囁いていた彼女達にはうんざりしていたので、立ち去ってくれてありがたい。

「あのね、藤花がね、良夜お兄様が、藤花を私の世話係にしてくれたの。藤花のおかげで、私、元気になれたの」
 撫子の説明を聞き、千代と呼ばれた老婆は此方を向く。
 そして、地に頭を付けんばかりに、深々と礼をした。
「撫子お嬢様を・・・・・・本当にありがとうございます・・・・・・」
「あ、いやいや・・・・・・どうかお気遣いなく」
 ご老体に無理はしてほしくないので、藤花は彼女の肩を支える。
「お嬢様が産まれた頃からお世話をしておりましたが・・・・・・撫子様のお傍で働くことを禁じられてしまいまして・・・・・・ずっと、心配していたのです」
(そうだったの・・・・・・)
 天津家にも撫子を案じる人間がいて嬉しい限り。
 その反面、こんな撫子を思う千代を引き離すなんて・・・・・・と怒りも沸いてくる。

「千代はね、いつも私のためにおいなりさんを作ってくれて・・・・・・」
 満面の笑みで語っていた撫子が、急に目を見開く。
 藤花の方――というより、もっと後ろの方をじっと見ていた。
「お母様・・・・・・」
(え、撫子様のお母様?)
 その言葉に、思わず振り向く。
 さて、どんな人物か、一目確認し――

(なんか・・・・・・芙蓉お嬢様をそのまま大きくした感じよね・・・・・・)
 藤花がそう思ったのは仕方ないことだろう。

 天津撫子の母・・・・・・芙蓉の母でもあろう人物は、思っていたよりも小柄で若々しく見える女性だった。
 背は藤花と変わらない位で、細い指や手首が繊細で華奢な印象を与えていた。
 緩く波打つ明るめの髪を腰まで下ろしており、それが似合う、非常に愛らしい顔立ちをしている。
 流石に目立つリボンや装飾品は身に着けていないが、桜色の着物を纏う姿は、年若い少女のよう。
 十歳になる子を産んだとは思えぬ女性が、目の前にいた。
 青柳が後ろに控えていたので、彼が呼んだのだろうと察した。

「お母様っ」
 撫子が甘えるように抱き着く姿を見て、藤花は呆気に取られていた。
(撫子様のお母様・・・・・・それなら、良夜様のお母様でもあるの?)
 二十を越えた子がいるとは、到底思えない。
 むしろ息子よりも若く見える。
「な、我の言った通りであろう?」
『とても、子を持つ母親とは思えぬ』――紅鏡の言葉を思い出し、思わず頷いていた。


「貴女が、藤花さんね?」
 もしかして後妻なのか――藤花が天津家のお家事情を邪推していると、撫子から話を聞き終えたらしい母親が此方を向いた。
「は、はい、高鴨藤花と申します」
 深々と頭を下げる藤花の手を、相手はぎゅっと握りしめる。
「母の雛菊と申します・・・・・・ごめんなさいね・・・・・・私が撫子を無能に産んだばかりに、貴女にまで迷惑を掛けて・・・・・・」
 先程までの薄い微笑みから一転、涙を浮かべた表情は悲壮そのもの。
 此方の返事も聞かず、『この子が無能だから』『ごめんなさい』と繰り返す姿に、隣の撫子も涙を浮かべている。
(この人、いつもこんな感じなのかしら)
 出会って僅かな時間しか経っていないが、天津雛菊という人物にいい印象は持てなさそうだった。
 我が子を貶める言葉を吐きながら泣くなんて、親がしていい振る舞いではない。
「迷惑ではありません」
 思わず、雛菊の手を振りほどく。
「撫子様は、私の、素敵なお嬢様です」
 それだけは、しっかりと宣言しておきたかった。
「え、ええ、そうね・・・・・・本当にそうね」
 雛菊は僅かに目を瞬かせていたが、にっこりと微笑んだ。
「貴女には、撫子のこと、色々話を聞かせてほしいの。お茶の席を用意したから、せび、来て頂戴・・・・・・千代、撫子をお願いね」
「えっ」
 再び、雛菊に手を引かれたため、思わず撫子の方を見る。
(撫子様、大丈夫かしら)
 屋敷には意地悪な姉達もいるため、彼女が少し心配になるが。
「藤花、私は千代と待っているから」
 千代と手を繋ぐ撫子の姿を見て、彼女に任せることを決めた。
「久々の再開だし、水を差すのは野暮というものか」
 紅鏡の呟きに内心同意しつつ、藤花は屋敷に足を踏み入れた。
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