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第三章 伏魔殿の一族

三、騒動の後

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 撫子の姉、芙蓉が催した悪趣味な宴から数日――天津家はどう動くのかと警戒していた藤花の元に訪れた人間は、青柳だけであった。
『此方のことは何も気になさらないで下さい』と彼は言うが――
 全身を猫に引っ掻かれたかのような彼の姿を見るに、何かしらの騒動が起きていたのが想像される。
 気にするな、という方が無理であった。

 ただ、藤花のやきもきした思いとは裏腹に、穏やかに時は流れていた。
 撫子との暮らしも、大きな変化はない。
 掃除、洗濯、料理、それに内職のお手伝いも。
 撫子もいつ通り、よく食べ、よく動き、よく眠る・・・・・・そして、もう一つ新しい日課が増えることに。


「さあ、やれ」
「う、うん」
 藤花が洗濯物を干している傍では、撫子と紅鏡が向かい合っていた。
 皐月が近い季節のそよ風は、爽やかで清々しい。
 しかし撫子の表情は、同じ空気を吸っているとは思えないほどに、張り詰めていた。
「・・・・・・」
 扇子片手に目を閉じ、ゆっくり呼吸をしながら集中――すると、彼女の手が青い光に包まれる。
「・・・・・・えいっ」
 撫子が扇子を突きつけると、紅鏡の足元が淡く光り、家紋のような図形が描かれる。
 初めて見た時には詳細が分からなかったが、紅鏡曰く寓生ほや――宿り木の紋らしい。
 植物を想起させる術を使う者は、『木気』の性質を持つ縹家の術者に多い・・・・・・撫子の母、雛菊が縹家の出身らしいので母の遺伝であろうとは、青柳の談。
 自らの術を発現できた撫子は、制御の為に特訓を始めていた。

「・・・・・・まだ霊力が安定せんな・・・・・・」
 撫子の術によって現れた宿り木を見下ろしながら、紅鏡が呟く。
 ともすると人間よりも人間らしい紅鏡であるが、出自は化け猫のようなので、魑魅魍魎と同じ部類には入るらしい。
『易々とくたばるような雑魚ではないので、我に試してみろ』と提案した為、撫子は紅鏡相手に術の特訓をすることとなった。

 宿り木は紅鏡の前脚に絡みつくが、それ以上伸びることはなく成長を止めていた。
「んー・・・・・・」
 撫子は力を込めるように、宿り木を睨みつけるが。
「あ・・・・・・」
 宿り木は次第に萎れ始め、淡い光を放ちながら姿を消していった。
(流石に、あの時のようにはならないのね)
 藤花は、子鬼が姿を消した時のことを思い出す。
 紅鏡の言う通り、力の差は歴然としているらしい。
「むぅ」
 ではもう一度、と撫子は再び手を振り上げ――その体が、ぐらりと揺れた。
「撫子様!」
 藤花が急いで体を支えた為、彼女が地面に倒れ込むことはなかった。
「・・・・・・大丈夫ですか?」
「うん・・・・・・なんか、体が、重いの・・・・・・」
 虚ろな声で呟く撫子の手はだらりと垂れ下がっており、瞼も閉じかけている。
「術を行使するには霊力が心許ないようだな」
 眠気に襲われているかの様子を見せる彼女に、紅鏡が優しく語り掛ける。
「其方の霊力では、一度術を使うのがやっとという所だろう・・・・・・器が育てば術も安定するだろうさ。ゆっくりやることだ」
「うん・・・・・・」
 撫子はとろんとした目で頷く。
「少しお休みになって下さいね」
 夢の住人と化しつつある撫子を支えながら、藤花達は邸宅の中へと戻ることにした。


「起きたら、しっかりご飯を食べていただかないと」
 撫子を自室に寝かせた後、藤花は昼餉の支度をしていた。
 特訓で疲れた体を労わる、美味しくて栄養のある料理といえば――勿論、豚汁である。

「だからっ!」
 ぽふっ。
「おんしはっ!」
 ぽふぽふ。
「どうして、里芋を、買わんのだ!?」
 ぽふ、ぽふっ、ぽふ。
 甘藷の皮を剥く藤花の傍では、紅鏡が机を叩いて抗議の意を表す。
「・・・・・・だって、まだ旬じゃないし」
 紅鏡にはお世話になっているし、可愛い飼い猫でもある。
 しかし、それはそれ、これはこれ。
 旬のものは安くて美味しい――幼い頃からの教えを忠実に守った結果である。
「じゃあ、何故、甘藷なんぞを買う!?」
「え、美味しいじゃない?」
 甘くて美味しい。
 おかずにもおやつにもなる。
 里芋より下ごしらえが楽。
 そんな甘藷は、いつでも出していいと藤花は信じている。
 撫子も甘い野菜が好きらしく、甘藷のきんとんや南瓜の煮物を喜んで食べてくれるので、食卓に上がる回数は多かった。

「わかっとらん、おんしは何もわかっとらん」
 紅鏡は未だ怒り心頭な様子で机を叩き続け――ふと、耳をぴくりと動かした。
「・・・・・・ふむ。また、煩い奴が・・・・・・いや、違う・・・・・・」
 何やら呟くと、机から降りる。
「あら、また誰か来たの?」
 『甲と乙』か『松竹梅』か・・・・・・嫌な人達の顔を思い浮かべながら、甘藷を水にさらす。
(まあ、紅鏡が追い払ってくれるでしょう)
 気楽に構えつつ、豚汁の準備をしていたが――

 がちゃがちゃ、と扉を開ける音に思わず手を止める。
「嘘、入って来たの?」
 門も邸宅の扉も厳重に施錠している筈であったが、訪問者は断りもなく侵入してきているようだ。
 次いで、どすどす、と聞き覚えのある下品な足音も。
(お嬢様が起きるじゃないの)
 藤花が文句を言うために台所から出ると――

「高鴨藤花、覚悟なさい!」
 見覚えのある二人の女性・・・・・・『甲』と『乙』が不躾に上がり込んでいた。
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