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第三章 伏魔殿の一族

五、<閑話>兄妹

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(・・・・・・ったく、何なんだ、あの女・・・・・・)
 舌打ちを我慢しながら思い出すのは、高鴨藤花とかいう女のこと。
 杓文字片手に襲い掛かって来る姿は、華族令嬢だったとは思えぬ品の無さ。
(何が『素晴らしい御令嬢』だ・・・・・・ただのじゃじゃ馬じゃねぇか)
 天津家で聞き及んでいた評判とはかけ離れた姿を目の当たりにし、桐矢は内心苛立っていた。

 桐矢と撫子が対面した後、藤花は不躾にも此方の顔をじろじろと見つめ『本当に、撫子様のお兄様? 良夜様の兄弟?』と失礼なことを呟いていた。
 その後『まあ、芙蓉様の兄だし・・・・・・』とさらに失礼を重ねつつ、居間へ案内された。
 叩き付けるように茶を出され、現在は撫子とちゃぶ台を囲んでいる状態。
(・・・・・・しかし)
 対面の撫子を一瞥する。
(本当にちっせーな)
 久し振りに見る妹の姿は、想像していたよりも細くて小柄だった。
 芙蓉と一歳しか離れていないはずだが、それよりも幼く見えた。
 撫子が本邸にいた頃は遠目でしか見たことが無かったから気付かなかったが、確かに父の面影を感じる顔立ちである。
 そんな撫子は、強張った表情で此方を見上げていた。
 今まで会話を交わしたことの無い次兄の来訪に、戸惑いや怯えを感じているのだろう。
「この前は」
 桐矢が口を開けば、撫子の表情がより一層固くなる。
「あの馬鹿の所為で迷惑かけたな。怪我はないか?」
 その言葉を聞いて、撫子の瞳が潤んだように見えた。
「私は・・・・・・大丈夫、です。藤花達が守ってくれたから・・・・・・でも、千代が・・・・・・」。
 彼女は少年達に何回か棒で叩かれたらしいので、間近で見ていた撫子には辛い光景だったのだろう。
 俯いて、必死に涙を堪えている姿は不憫であるし、その分母や芙蓉への苛立ちが増す。
「ああ、千代は無事だ。俺の所にいる」
 そんな妹を慰めるため声を掛け、懐から封筒を出した。
「あいつからの手紙だ」
「本当?」
 ちゃぶ台の上に置けば、撫子は大きく目を見開いて手を伸ばす。
 手紙に目を通している時も、目を潤ませており、よほど彼女のことを案じていたかが伝わる。
「千代・・・・・・良かった・・・・・・あの・・・・・・」
 安堵の溜め息を吐いたかと思えば、再び視線は桐矢の方へ。
「何だ?」
「千代に、お返事を書いてもいいですか・・・・・・?」
「ああ。急ぎの用もないからな。ゆっくり書いてこい」
 そういうと、撫子は満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございますっ」
 自室へと駆け出す後ろ姿は元気に満ち溢れていた。

(あいつが一番まともじゃねぇか・・・・・・)
 母や芙蓉の醜態を見ていたせいか、撫子の仕草や振る舞いに些か感心していた。
 体格こそ小さいものの、本邸で軟禁されていた時よりも、健康的で・・・・・・そして、霊力の気配も感じられた。
(これも、あの女のおかげ・・・・・・か?)
 高鴨藤花――初対面の人間に塩をぶっかける危ない女ではあるが、撫子を案じる気持ちは強そうであった。
 先程の騒動以降、自分に対しては半眼で警戒するような表情を浮かべていたが、撫子に対しては慈しむ笑顔を見せており・・・・・・撫子の方も母や姉のように慕う様子で・・・・・・少し、心に、もやもやしたものが残る。
 藤花は撫子の生活に心を砕いている様子で、この小さな邸宅も、掃除が行き届いていて居心地が良い。
 気付けば、遠くから何かを炒める音や匂いが漂ってきている。
 天津家の本邸とは違う、穏やかな空間は、心が洗われるようで――
「・・・・・・いいな・・・・・・」
 柄にもないことを思った気恥ずかしさを誤魔化すように、茶を飲み干した。


「・・・・・・あら、次男様」
 撫子を待つ間、暇潰しに訪れたのは、藤花がいる台所であった。
「お出口はあちらですよ」
 彼女はやはり半眼で、此方を一瞥すると玄関の方を手で示す。
『さっさと帰れ』という思いを隠さぬ態度であった。
(やっぱり、腹の立つ女だな)
 内心の苛立ちを隠しつつ、彼女がかき混ぜている鍋を覗き込む。
 豚に芋に葱・・・・・・色々な具材が入った味噌汁であった。
 後ろの机には、何かを混ぜ込んだおにぎりが置かれている。
(もう昼だったな・・・・・・)
 騒動の始末の為に早朝から酷使した体には、非常に魅力的であった。
 誘われるように、おにぎりに手を伸ばし、一口。
「うまいな」
 魚の干物が混ぜられていたらしく、旨味と塩気が丁度いい。
「ちょ、ちょっと」
 つまみ食いに気付いた藤花は、慌てておにぎりの皿を持ち上げる。
 桐矢から隠すように、背を向けた。
「撫子様の食事なんだから、食べないで下さい」
 此方を睨む姿は、子猫の威嚇のよう。
「撫子の?」
 その言葉に、本邸での食事を思い出す。
 母は撫子のためにと手ずから食事を準備していたが、いつも麦や米を煮ただけのもの。
 あの時、母は何と言っていたか――
「おい、仔馬」
「・・・・・・藤花です」
「撫子は、重度の偏食じゃないのか?」
 抗議の声も無視して、彼女に問う。
 雛菊は『撫子は偏食が過ぎて味の付いたものは食べられない』と涙ながらに語っていた。
「・・・・・・何言ってるんですか?」
 しかし、藤花は呆れたように口を開いていた。
「撫子様は、肉も、魚も、野菜も、おやつも! 何でも食べてくれます! 『穢れ』だ『偏食』だって、成長期の子どもを、みんなして・・・・・・」
 桐矢に――というより、天津家への愚痴が止まらない藤花の声を聞きながら、桐矢は母の姿を思い浮かべていた。
(あいつの撫子への扱いは・・・・・・どういうことなんだ?)
『無能だから』と嘆き、案じる素振りを見せつつも、娘の食事を制限する――泣いているだけの弱い姿に、少し、恐ろしいものを感じた。

 桐矢が昼餉を要求すれば、藤花は不満を隠さない態度で準備してくれた。
 豚汁とおにぎりに漬物――ちゃぶ台を囲む撫子は、藤花の言う通り、何でも美味しそうに食べていた。
 撫子曰く、甘藷の入った豚汁は、ここの食卓にはよくあがるそうで。
「少し甘いな」
 思わず呟けば、『そうだろう』と同意する声が、聞こえた気がした。


「じゃあ、お兄様、お願いします」
 桐矢が此処に入って来た時とは一変して、撫子は明るい表情を見せていた。
 今まで向かい合って話したことのない関係であったが、この半日で随分打ち解けることができた様子。
「おう、また来るわ」
 軽く頭を撫でてみれば、にっこりと微笑む。
「馳走になったな、仔馬」
「藤花です」
 高鴨藤花とは心の距離が開いたらしく、終始半眼の表情を崩さなかった。
「じゃあな・・・・・・あ」
 帰路につく前に、ふと思いつく。
「撫子・・・・・・お前、何か食いたいもんはあるか?」
「え?」
 予想していなかった問いに、彼女が目を丸くする。
 暫し悩んだ素振りを見せ、何故か足元をちらりと見ていた。
「里芋の、豚汁?」
「ふっ」
 その答えに、思わず吹き出してしまった。
「分かったよ。じゃあな」

 門を出て、振り返ってみれば、本当に古くて小さい小屋のような家。
 天津家本邸よりも遙かに小さくみすぼらしいが、撫子にとっては、本邸よりも心地よい暮らしなのだろう。
 それが、あの、高鴨藤花のおかげだと思うと・・・・・・些か釈然としないものはあるが。
(まあ、いいさ)
 自分も含め、撫子の身内にできなかったことを、彼女はしてくれているのだから。
 馬の骨、もとい乱暴な仔馬同然でも感謝しかない。
「さて、帰るか」
 撫子の兄として、天津家の術者として、自分にはやる事がまだまだ残っている。
 些か後ろ髪を引かれるような気持ちを振り払いつつ、桐矢は帰路に就いた。
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