卯月堂の空にクジラが歌う

ねじまる

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カフェ 卯月(うげつ)堂

第二十四話

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 午前十一時二十分。

 ホームには列車が、少女とその父親、それから黒服の男二人組を乗せて、発車を待っていた。

 不機嫌そうに頬を膨らませた少女の膝の上に、大きな包みが乗せられている。

「仕方ないじゃないか。開店前からあんなにお客さんが待っていたんだ。彼らにも仕事がある」

 彼女の隣で父親が苦笑い。
 彼の手には一輪挿しの細い花瓶と蛍草。

 娘と父親が仲直りしたその後、彼女は父親と駅前のホテルに泊まり、翌日、カフェ卯月堂へ挨拶に出向いた。

 チヒロとしては別れるギリギリ、ホームでのお別れを期待していたのだが、それが叶うことはなかった。

 夜更かししたとあって、チヒロの起きる時間が遅くなってしまったのだ。

 十時にチェックアウトをして、カフェに顔を出したのが十時半頃だろうか。

 カフェのオープンは十一時から。

 カフェに向かう坂道の途中から、若い人達が並んでいるのを見掛けた。
 まさか、その列が卯月堂に続いているなんて、チヒロに予測が出来ただろうか。

 店の中に入ると、焼き菓子の甘い香りが飛び込んできた。

 卯月堂の四人が、キッチンの中で慌ただしく準備をしている。

 父親とナオヤが軽く言葉を交わし、トシキがタルトの入った紙袋を黒服の若い男に渡していた。
 ノリヒトが大きな包みをチヒロに差し出し、お弁当だよとコウスケが教えてくれる。

 挨拶もそこそこに、邪魔をしては悪いと、嫌がるチヒロを引いて父親と黒服達は駅に向かった。

 そして、現在。
 ゆっくりと別れを惜しむことなく引き裂かれた少女は頬を膨らませるのだった。

 午前十一時二十四分。発車のベルが鳴る。

 列車のドアが締まり、ゆっくりと走り始める。
 月見町の街並みが列車の外で流れ始めた。

 坂道を下り、海の中へと続く線路の上をザブザブと音を立てて走る。
 窓を開けると、海の匂いが顔いっぱいに押し寄せた。

 カフェはどの方向だろう。

 彼女が溜息を吐いたそのときだ。

「チヒロちゃーん!」

 ナオヤの声が聞える。

「お兄ちゃん!?」

 チヒロは立ち上がり、窓の外に顔を出した。

「あ、こら、チヒロ!」

 父親が慌てて彼女の体を支える。

「おーい……!」

 コウスケののんびりとした声も聞こえた。

「こっち、こっち!」

 トシキの笑い声が空から降ってくる。

 幻聴?

 そう思ったのだが、さっと黒い影が海面を横切るのを見ると、反射的に空を仰いだ。

「気が付きましたね」

 ノリヒトが目を細めているのが見えた。

 大きなカジキに引かれた赤いソリ。
 そのソリの上に青年達が乗っている。

 昨夜はナオヤと二人だったので何とも思わなかったが、青年が四人も乗ると、ソリは小さく、バランスも悪かった。
 心なしか、カジキも必死の形相で泳いでいるようにも見える。

 よたよたとしながら、ソリの高さと速度を列車に合わせていく。

「チヒロちゃん! また来てねー!」

 両腕をぶんぶんと振るのはコウスケ。

「ちょっ、コウスケ、落ちるから!」

 身を乗り出すようにして手を振るコウスケのベルトをしっかりと握るのはトシキ。

「何で……!」

 チヒロの声が風に流される。

 時間はもう十一時を過ぎている。
 店は開店しているはずだ。

「俺達も……!」

 ナオヤが叫び返す。

「俺達も、チヒロちゃんとギリギリまでお別れしたいって思ってたからさ! お客さん達に無理を承知でお願いしてきた!」

 にっと歯を剥き出して少年のように彼は笑う。

 チヒロは四人にめいっぱい手を振った。

「お兄ちゃん達も元気でね! また、来るから……! 今度は、お母様も、新しい家族も一緒だから!」

 彼女の言葉に青年達が笑う。
 眩しかったのは、海面に反射した光だけではない。

 彼女は目を細めて彼らを見る。

 どこか遠くでクジラの歌う声が聞えてきた。
 その声は一つではなく、応えるように歌声が重なる。

 あのとき見たクジラは仲間に出会えたのかしら。

 チヒロはそう思いながら、月見町を後にした。


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