プロポーズはお酒の席で

及川奈津生

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なんで結婚したの?③

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 どんなに喧嘩しても気まずかろうとも帰る場所は一緒だ。岡地の方が残業して遅くなった。待ち構えていた椎原は玄関の鍵が開ける音ですぐ立ち上がり、「おかえり」と岡地を捕まえに行った。

「飯食わない? 話あるんだけど。食べてきた?」

 案の定、岡地はリビングには寄らずに自分の部屋へ行こうとしていた。無視ができないように椎原が岡地の腕を掴んでいると、逃げられない岡地は「食べてない」と仕方なく答える。

「じゃあ食おう」

 ぐいぐいと椎原は岡地の腕を引っ張って連れて行く。

「やめろ馬鹿力」

 岡地は口だけ抵抗していたが、リビングに入ったらそれもやめた。食欲をそそる良い匂いと、食卓においてある食事に気付いたのだ。二人分、ご飯とおかずが用意されている。

「作ったのか」
「作りましたよ」
「ちゃんとした飯だ」
「そお?」

 野菜と肉を焼肉のタレぶっかけて炒めただけだ。細々と色々作る岡地に比べたら、椎原の料理は大雑把なものだった。一応手作りの味噌汁も椎原がよそって手渡すと、岡地は無言で食べ始める。美味いかなんて聞けるメニューじゃないから、椎原も黙って食べた。

「お前が手料理ね」

 食べながら、思い出したように岡地が呟く。
 わざとらしいのは椎原にも分かっていた。

「初めて作ったもんな。……謝りたいんだよ」
「知ってる」

 手料理の真意はわざわざ言わなくてもばれてる。

「別れ話か」
「は? だからなんでお前はそういう……ちげぇよ。ごめん」

 岡地の穿った言い方に一瞬熱くなりかけて、椎原は抑えた。謝りたいのに相手を非難してどうするというのだ。

「分かってたよ。岡地が俺のために結婚してくれたのなんて。同情も、まあそうだろうな、って……でもすげー罪悪感だよ、お前本当に仕事辞めて彼女と別れてこっちくるんだもん。それは分かって」
「……ああ」

 ずっと椎原が感じていたモヤモヤに岡地が頷く。

「そんでお前はそんななのに俺には彼女作れみたいなこと言われたらさ……分かんなくなるじゃん。俺ちゃんと家族になるつもりだったんだぜ。お前と一生過ごすのも悪くないなってマジで思ったんだ。言っても男同士だし恋人でもねぇし、いつか別れてそれぞれ別の人と結婚して子供作ってってするかもしれないけど、今じゃない」

 言わなきゃ、と椎原は思っていた。好きだ結婚してくれみたいなことは冗談で言えるし、実際言ったけど、それよりもまず簡単だけどずっと言わなかったこと。

「俺、今は、お前がいい」

 一緒にいたい。

「……お前は同情かもしんないけど」

 岡地が何も言わないから椎原は耐えきれず、自分を守るために付け足す。片隅にあらかじめ否定的な要素を置いておくと、いざ岡地に言われたときの緩和剤に使える。椎原はずっと岡地の顔を見て話していたが、岡地の目線はずっと料理に落ちていた。箸は止まってる。

「いやてか、俺まじで岡地に迷惑かけてる自覚あるし、岡地が嫌なら別れてもいいんだけどさ……今も同居してるだけだし。そっちの方がいいか? せっかくお前今、社内で一目置かれてんだし、仕事出来るんだから俺が足引っ張ることねぇよな」
「別に足引っ張っちゃいねぇだろ」

 椎原は自己防衛を続けるうちに結局別れる方向に話をもっていくと、ようやく岡地が口を開いた。それは椎原を否定する言葉じゃなかった。少しほっとする。

「あ、そ、そう? でも俺、女性陣からすげーお前の話聞くよ。やっぱ仕事出来る男はモテるな」
「…………」

 さっきまで一緒に居たいだの告白まがいのことを言っておきながら、椎原は岡地に自分がされたことと同じことをしていた。結婚したにも関わらず、他の女性の存在をほのめかす。でも椎原の場合は自衛だ。
 自分のせいで岡地が我慢していたらもったいないし、自分自身も傷つく。あ、もったいないってこういうことか。ようやく椎原は周りから言われていた意味に気付いた。

「……人事課は」

 お互いに考え込んで黙っていたら、岡地が全く違うことを話し始めた。
 総務部人事課は椎原が居る部署だ。

「てか、総務か。総務は内勤で客も相手にしねぇし、目立つ業績もあげられない。仕事と言えば日々の業務をこつこつ積み上げていくだけだ。成功もしにくいが失敗もしにくい。出世は上が抜けないと無理だろう。……お前が役職についてないのは、ポジションが空いてないだけだろ」

 ぽかんとした表情で岡地の話を聞く椎原。いきなり何を言い始めたかと思えば、「だから"順当"だ」と岡地が一度聞いたような台詞を重ねる。

「後は……クソ、それ寄越せ」

 岡地が悪態をついて椎原の缶ビールを指差す。椎原が飲もうと持ってきたものの、真剣な話の最中はとやめていたものだ。まだ開けてすらいない。

「え、お前飲むの?」
「飲まずにこんなこと言えるか」

 こんなことってどんなことだ。普段飲まない岡地がわざわざ必要とする話とは一体何なのか。自分の金で買ってきたビールだったが、椎原は興味に負けて岡地に差し出した。

「えっ、ちょ」

 酒が弱いはずの岡地がぐびぐび一気飲みした。口から離すとだん、とテーブルに叩きつける。飲んだ勢いのわりに重たい音だった。まだ半分は入ってる。

「お前と結婚したのは同情じゃねぇ。完全に俺のためだ」

 うわあ、と椎原が心の中で感嘆の声を上げた。同情じゃない。それは本当は、椎原が岡地に望んでいたことだ。更に岡地は続ける。

「俺はこの性格だ、人に好かれるようなタイプじゃねぇ。取り繕って何とかしてる。恋愛でもそうだ、結局、結婚を考えた女にさえ素の自分は見せられなかった。どうせ結婚しても上手くいきっこねぇだろ。俺は子供も欲しくねぇしな。仕事も……まあ辞め時だった。嘘を重ねてればどこかでボロが出る。でも、お前と一緒の職場なら、そうする必要もないと思って」
「えっ」

 結婚、同居どころか、仕事も最初から一緒にするつもりだったのかと椎原が驚く。そしてその通りになってる。やはり岡地は仕事が出来る男だ。

「椎原は、俺を知ってるだろ」

 岡地が椎原を見る。幼馴染だ、当然だ、わざわざ言わなくても本当の自分を知ってるに決まってる。岡地はそんな確証を持ってる。

「お前と居れば煙草が吸える。言いたいこと言って喧嘩も出来る。楽しいんだ、俺は。……お前が別れるって言わない限り、俺からは別れない」
 
 そこまで言って、岡地は俯く。ビールに目線をやると、またぐびぐびと飲んだ。それでも空にならない。その行動と、一気に色々と言われて呆気にとられていた椎原はただ口を開けてそれを見ていた。

「……寝る」

 ふらつきながら立ち上がった岡地に、ようやく椎原がハッとする。

「お、俺もお前と暮らしてて楽しいよ!」

 キッチンのカウンターに体をぶつけ、ふらふらと移動する岡地に、ここで言っとかないと誤解されると思った椎原が焦って言った。散々別れ話のようなことを言ったが、本当に別れたいわけじゃなかった。楽しいから、出来れば長く続けたい。そのために椎原はもがいたのだ。
 椎原の思いが伝わったのか、岡地はリビングの扉にもたれるように手をかけて立ち止まる。

「……そうか。ならいい」

 椎原が後ろから見たその耳が赤かったのは酒に酔ったからか、それとも。リビングから出ていく岡地の姿を見送りながら椎原は考えた。今までの岡地の行動と、先程の言動を照らし合わせてみる。――あれ、もしかして俺の夫って。

「……すげーツンデレ」
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