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3 一樹
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金曜日の夜がきた。
扉の前で珠子は待っている。
トントントン。
(三回)
珠子がそぉっと扉を開くと一樹が立っていた。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよ」
珠子はにっこりと笑って一樹の隣に並んだ。
「どこでおしゃべりする?」
「んーっと」
浩一と葉子のむつみ合う声が聞こえない、ほどほどの距離をとった樫の木の根元に指を差し、「そこへいこう」と促した。
下草は夜露でしっとりとしているが、濡れるほどではなく程よい湿り気がひんやりと心地よい。
「森の中って気持ちいいのね」
「うん。夏でも冬でも過ごしやすいよ」
今夜の月は半月で少しうすぼんやりと霞がかかっている。
月を見ながら一樹はまた指を差す。
「あの月が、その木の枝に引っかかったらだんな様がお帰りになるから、それまでには帰ろう」
「ええ。ところで一樹さんは小学校はいってらっしゃるの?
お見掛けしないけれど」
「ああ。俺は去年卒業したから、今はお屋敷で材木の下働きをしてるんだ。
もっと大人になったら山仕事をすると思う」
珠子の家は代々多くの山を所有し、木材問屋を営んでいる裕福層の商人だ。
浩一は木材問屋『沢木屋』の五代目当主である。
「学校はいかないの?」
「いけないよ。そんな余裕うちにはないから、でも別に学校に行かなくても木のことを教わるのはすごく楽しいんだ」
「そうなのね。木って色々あるのかしら?」
「そりゃあ、あるさ。ここら辺だけでも何種類もあるんだ、ほら葉っぱの形だってみんな違うし」
一樹は最近教わった、扱う材木の種類と用途を説明した。
「珠子は綺麗なお花が咲く木がいいわ」
「えっと。この近くにはないか。そろそろ銀木犀が咲きそうだから連れて行ってあげるよ」
「ギンモクセイ?きんもくせいじゃなくて?」
「うん。金木犀よりすこし香りが優しいんだ。白い花が可愛いよ」
「へえー。楽しみだわ」
「あっ!いけない」
おしゃべりのせいで時間がすっかり経ってしまった。
月を見るとあと三センチで木の枝に引っかかりそうな距離だ。
「帰ろう。送るよ」
「そうね。また来週が楽しみだわ。お昼は会えないのかしら?」
「仕事してるし、俺がお嬢さんと会ってるのがばれたら……。すごくすごくまずいと思うんだ」
「そう……」
「もし見かけても知らんぷりしてくれないか」
「さみしいけどしょうがないわよね」
いつだったか女中が二人、話に夢中になっているところを、今は亡き祖母のリツがひどく叱咤しているのを見たことがある。
珠子がこわごわ「どうしておばあちゃまそんなに怒るの?」と尋ねると、
リツは「使用人が仕事中におしゃべりにうつつを抜かすなんぞ、ありえません」と厳しく言い放っていた。
おかげで一樹の言い分は珠子には理解できるのだ。
「じゃ、ここで」
「ごきげんよう」
珠子はしなやかに走り去る一樹の後姿を見送り、屋敷に戻る。
そしてまた暗い部屋の布団にもぐった。
時々暗闇が恐ろしく布団の中で打ち震えることがあったが、今はこの暗闇が、夜の訪れが楽しいものであった。
(また来週)
次、一樹に会うときに、珠子も何か教えられることがあるだろうかとまどろみながら眠りについた。
扉の前で珠子は待っている。
トントントン。
(三回)
珠子がそぉっと扉を開くと一樹が立っていた。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよ」
珠子はにっこりと笑って一樹の隣に並んだ。
「どこでおしゃべりする?」
「んーっと」
浩一と葉子のむつみ合う声が聞こえない、ほどほどの距離をとった樫の木の根元に指を差し、「そこへいこう」と促した。
下草は夜露でしっとりとしているが、濡れるほどではなく程よい湿り気がひんやりと心地よい。
「森の中って気持ちいいのね」
「うん。夏でも冬でも過ごしやすいよ」
今夜の月は半月で少しうすぼんやりと霞がかかっている。
月を見ながら一樹はまた指を差す。
「あの月が、その木の枝に引っかかったらだんな様がお帰りになるから、それまでには帰ろう」
「ええ。ところで一樹さんは小学校はいってらっしゃるの?
お見掛けしないけれど」
「ああ。俺は去年卒業したから、今はお屋敷で材木の下働きをしてるんだ。
もっと大人になったら山仕事をすると思う」
珠子の家は代々多くの山を所有し、木材問屋を営んでいる裕福層の商人だ。
浩一は木材問屋『沢木屋』の五代目当主である。
「学校はいかないの?」
「いけないよ。そんな余裕うちにはないから、でも別に学校に行かなくても木のことを教わるのはすごく楽しいんだ」
「そうなのね。木って色々あるのかしら?」
「そりゃあ、あるさ。ここら辺だけでも何種類もあるんだ、ほら葉っぱの形だってみんな違うし」
一樹は最近教わった、扱う材木の種類と用途を説明した。
「珠子は綺麗なお花が咲く木がいいわ」
「えっと。この近くにはないか。そろそろ銀木犀が咲きそうだから連れて行ってあげるよ」
「ギンモクセイ?きんもくせいじゃなくて?」
「うん。金木犀よりすこし香りが優しいんだ。白い花が可愛いよ」
「へえー。楽しみだわ」
「あっ!いけない」
おしゃべりのせいで時間がすっかり経ってしまった。
月を見るとあと三センチで木の枝に引っかかりそうな距離だ。
「帰ろう。送るよ」
「そうね。また来週が楽しみだわ。お昼は会えないのかしら?」
「仕事してるし、俺がお嬢さんと会ってるのがばれたら……。すごくすごくまずいと思うんだ」
「そう……」
「もし見かけても知らんぷりしてくれないか」
「さみしいけどしょうがないわよね」
いつだったか女中が二人、話に夢中になっているところを、今は亡き祖母のリツがひどく叱咤しているのを見たことがある。
珠子がこわごわ「どうしておばあちゃまそんなに怒るの?」と尋ねると、
リツは「使用人が仕事中におしゃべりにうつつを抜かすなんぞ、ありえません」と厳しく言い放っていた。
おかげで一樹の言い分は珠子には理解できるのだ。
「じゃ、ここで」
「ごきげんよう」
珠子はしなやかに走り去る一樹の後姿を見送り、屋敷に戻る。
そしてまた暗い部屋の布団にもぐった。
時々暗闇が恐ろしく布団の中で打ち震えることがあったが、今はこの暗闇が、夜の訪れが楽しいものであった。
(また来週)
次、一樹に会うときに、珠子も何か教えられることがあるだろうかとまどろみながら眠りについた。
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