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12 おじいさんによる恋バナ

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 ハンドマッサージと太極拳を練習していると調子がとても良い。毎朝すっきり目覚め、身体は軽く心地よい。

 「さて、今日も頑張ろう!」

もみの木接骨院の玄関を掃いていると、「おはよう」と明るい声が聞こえたので顔を上げると、朝日に照らされて更に眩しい笑顔の黄雅さんが立っていた。

 「あ、黄雅さん、おはようございます」
 「緑丸、今いいかな」
 「あ、はい。まだ診療時間じゃないです」
 「じゃ、ちょっとお邪魔して」

 中に入り、黄雅さんはすたすたとスタッフルームを目指し「桃ちゃんもね」と私も促す。
 一緒に入り、黄雅さんが声を掛けると緑丸さんが出てきた。

 「どうした?」
 「桃ちゃんの武器を作ったんだ。ちょっと一緒に見てくれないか」
 「ああ」
 「桃ちゃん、おいで」
 「はい!」

 黄雅さんは紙袋からまた紙箱を取り出し中を開けると、中には二つ、太めのバングルが入っていた。

 「これ両手首に付けてみて」

ステンレスっぽいバングルは手の甲側に丸い小皿のようなものが付いていて、内側には何か宝石のような丸い小さな石が付いていた。

 「そこの石みたいなポッチを手首と手首を合わせるように擦って『シールド オン』って言ってごらん」
 「はい。シールド、オン!」

カチッと音がして丸い皿が手のひらよりも大きくなった。

 「わっ、びっくりした!」

 驚いていると、緑丸さんがうんうんと頷いている。

 「盾にしたわけか」
 「ああ、防御特化にした。とにかく跳ね返すように」

 打ち返すのが得意な私が、身を守れるように黄雅さんが考案してくれたのだ。

 「元に戻す時は『シールド オフ』っていえばいいよ」
 「はい。シールド、オフ! わっ!」

シュッと丸い盾は小さくなった。どういう構造なんだろう。凡人の私には全く理解ができなかった。

 「なかなかいいんじゃないかな。今うちのじいちゃんに太極拳も習っているし、これから反応ももっと良くなると思う」
 「あの、すみません。戦力にならなくて」
 「いや、こっちこそ。ありがとう、桃ちゃんのおかげで俺たちみんな助かってるんだよ。そのシールドを使わせないといけないなんて申し訳ないくらいだ」
 「いえ、嬉しいです。なるべく足手まといにならないように私も頑張ります」

 光がこぼれそうな微笑みを見せる黄雅さんは、あの乱れ切った私の事をどう思っているんだろう。あの日のことがなかったかのように自然な態度をとってくれるおかげで私も気まずくならなくて済んでいる。あの時の『大丈夫だからね』と優雅に囁かれた声が耳の奥に残っている。

 「あの、私、今ハンドマッサージ習ってるんです。上手になったらみんなにマッサージしますね!」
 「えっ? あ、うん。ありがとう。楽しみにしてるよ。じゃ、これで」
 「ん、またな」
 「ありがとうございました」

 黄雅さんが去った後、緑丸さんは私の手首を取り、バングルを見つめて「良く出来てる」と呟いた。

 「こんなものが作れちゃうなんて凄すぎですね」
 「ん。黄雅は昔から工作が得意でね。小学生の頃、筆箱がもう十徳ナイフみたいになっていたよ」
 「筆箱が十徳ナイフ?」

どんな筆箱なのか想像もつかなかった。

 「それでもそのシールドは今まで作った中で最高の出来栄えだな」
 「えー、そんなもの私が使っていいんでしょうか」
 「桃香さんだからさ。じゃ施術してくる」
 「? あ、はい、いってらっしゃい。私はベッドとか整えています」
 「頼むね」


  無口だと思っていた緑丸さんは一緒に働いていると、無駄話はしないがよく話してくれるようになり嬉しい。ベッドの周りを掃除してシーツを整えているといきなりお尻の上側を撫でまわされる。

 「きゃっん!」
 「ふぉっふぉお。お前さんは良い腰しとるの」
 「そ、そこは腰じゃなくて、もうお尻です!」
 「まあまあ。ただのチェックと健康促進じゃよ」

おじいさんは微妙なセクハラをしてくるが、触った瞬間に私のツボを押して、刹那的な心地よさを与えるせいで怒れない。

 「さて、今日もわしの手をまず揉んでみてくれるかの」
 「はい。あ、そうそう、さっき黄雅さんが武器というか防具くれたんですけど、いつかマッサージしますって言ったら、え?とか言われちゃいました。やっぱり下手な人にはされたくないんでしょうか」
 「ん? コウのやつか。あいつはああ見えて奥手だからの、恥ずかしかったんじゃろ」
 「え? 黄雅さんですよ? あのレモントイズの」

まさかあのスマートな王子様が奥手だなんて。誰かと間違えているのじゃないだろうか。

 「そうじゃ、コウのことじゃ。あいつとハクがどっこいどっこの奥手じゃの」
 「えー!?」

 全くイメージが違う。おじいさんボケ始めているのだろうか。不信な目を向けているのがばれたのか「なんじゃ! 信用せんのか!」とおじいさんは問い詰める。

 「あ、いえ、そういうわけでは。お二人ともとっても優しくて紳士で女性の扱いになれてるな―って」
 「はーんっ。紳士で優しいっていうのはなオスとして頼りない証拠じゃよ」
 「はあ……」

これは世代間の価値観の違いだろう。

 「わしが若い頃はもっともっと自由にやりまくったもんじゃ」
 「病気になっちゃいますよ?」
 「うーん、それは確かに不用意な者に多かったのう。でもな、わしはいたわりを相手に持っておったから、ちゃんとムードンコをつけておったぞ」
 「ムード? あの、男の人はそれでいいかもしれませんけど、女の人はそれじゃビッチ扱いです」
 「ビッチ? ああ、やりマンとかサセコの事かの?」
 「あ、うー、まあ、そうとも言いますかね」
 「サセコは男にとってありがたい存在じゃ。お願いするとやらせてくれる心優しい女神じゃの」
 「女神……」
 「やりマンはまあいうなれば女戦士じゃの。それはそれで魅力的でなあ。わしのばあさんはやりマンじゃった」
 「えっ、おばあさんが、ヤ……。それで、平気というか良かったんですか?」
 「いやあー身体の相性が良くてなあー。気立てもいいし最高じゃったのう!」
 「そうですか……」

この後しばらくのろけ話、セックスの相性や、おばあさんと出会うまでの経験など色々聞かされたが私にはやはりあまり実感が沸かず、別の次元の話に思える。

 「で、お前さんはどの男がいいんじゃ?」
 「え? ど、どのって、皆さん素敵ですよね」
 「なんじゃ、選んでないのか」
 「あの、私が選べる立場でもありませんし、誰かが私を選んでくれているわけでもないです」
 「ふぉ? そうか? まあ、わしから見るとあいつらは帯に短し、たすきに長しじゃの! ふぉっふぉお」
 「あの、その慣用句の使い方間違ってる気が……」

それぞれ外見も中身もレベルが高すぎている。そんな人たちがいっぺんに現れているんだからどうしようもない。せめて順番に、1年ずつでもズレていてくれてたら順番に夢中になっているだろう。

 「まあ紅一点でもいいかの。あやつらは草食だし、ローテーションでやればよいか」
 「ロ! な、なんて……」

おじいさんはやることばっかり考えている。そんなに言われてもやらないと思うんだけど……。

 「あの、とにかく今は、町が平和になることが最優先なので、私の事はまだ先でいいです」
 「ほっ、そうか? まあじっくりじゃな。今にお前さんも特技やら好きなことやら増えておるじゃろうしの」
 「ええ」

 少しずつだけど出来ることが増えていって嬉しい。同時にあまり興味のなかったことにも目が向くようになったせいか毎日が新鮮だ。きっとそのせいもあってあんまり彼氏が欲しいとか、恋愛モードになっていないのかなとも思っている。そしていつか今の私よりもっともっと成長出来て、誰かに相応しくなれたらと夢を見る。

 「おっ、そこじゃ、良いのう。丁寧でよろしい」

ハンドマッサージに、これまでのメンバーたちのお店のバイトでの経験が生きている気がする。全く関係のない職種のようだが、人でもモノでも丁寧に扱うことを教わってきた。心を込めて優しくしっかり丁寧に。これが意識できていると思うだけで、私は随分この短期間で成長させてもらったなと感謝している。

 「歳をとるとなあ、誰も触ってくれんのじゃよ。話をするのもいいがなあ。ほんとに歳を取ると触れ合いがないんじゃ。子供なら母親と触れられるし、年頃なら友達とでも手をつないだり、肩を小突いたりとか何かしら触れる機会はあるがの」
 「そうなんだ……」

そうか。それでおじいさんはセックスの話ばかりするのかもしれない。おばあさんを亡くして20年以上経つと言っていたし。

 「まあ、わしは施術するから若いこの身体を良く触るがの!」
 「ちょっ!」

 同情しかけて損した。まったく抜け目のないおじさん。だけどいつの間にか、このおじいさんの事が大好きになっていて一番相談する相手になっていた。
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