透明なグラデーション

はぎわら歓

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10 結婚の想像

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 オンラインゲーム『Knight Road』に接続する。
ローディング画面が流れ、☆乙女☆が登場する。

☆乙女☆:こん
ミスト:hi
☆乙女☆:ミストさん久しぶり珍しいね
ミスト:久々に嫁とpkしようかとw
☆乙女☆:ラブラブだねww

このオンラインゲームも始めてから十七年経過した。もう知っているプレイヤーは手のひらで数えるほどで、ミストも月姫も引退はしていないが月に二、三回週末の戦争で敵国と戦う程度のプレイになっている。ほとんどやりつくした感じもあるが、星奈は月姫とのコミュニケーションをとるツールにも使っていた。メールやラインよりもキャラクターを操作しながらチャットをする方が二人にとって自然で身近に感じるからだ。
今日はまだ月姫はきていない。戦争開始まで一五分ある。星奈は思い切ってミストに相談することにした。

☆乙女☆:ミストさん、ちょっと聞いてもいい?
ミスト:いいお
☆乙女☆:あのさ、男の人ってどういうときに結婚したくなるのかな
ミスト:そうだねー経済力とか自信がついたときかな
☆乙女☆:そうなんだミストさんもそうだった?
ミスト:俺は収入上げようと思って転職考えてプロポーズしたら断られたwww
☆乙女☆:えwwww

 ミストは現実世界ではやりがいのある職業についていたが収入が低く、恋人との結婚を考えたときにもっと経済的に豊かでありたいと考え転職しようとした。
しかしミストの恋人はそれを良しとはしなかった。自分のためにやりたくない仕事をしてもらってまで結婚をしたいとは思わなかったらしい。二人は一度別れたが再び結ばれる。今ではつつましく愛し合う生活を送っているようだ。

 星奈は先週月姫と会ったときにプロポーズをされたが、はっきりではないものの、うやむやな断り方をした。星奈は仕事で責任のあるポジションに立ったばかりで結婚など考えられなかった。

☆乙女☆:プロポーズ断るともう二人は終わるものなのかなあ
ミスト:大丈夫じゃないかな姫は

(え!?)
 星奈は月姫と付き合っていることは誰にも話したことがなかったので驚いた。

☆乙女☆:何で知ってるの?
ミスト:なんとなくw
☆乙女☆:姫には言わないで
ミスト:いわないよw

 ミストは出会った当初から比べると明るく開放的になっている。大人っぽく物静かな様子だったが、結婚をした後からなんだか変化を感じた。

☆乙女☆:子供何歳になったっけ
ミスト:6歳やっと消防になるよw
☆乙女☆:おっきくなったねえ
ミスト:甘えん坊でこまるw

 女には結婚のあと、出産と育児が待ってる。そのことについて質問したかったが男であるミストには星奈の気持ちはわからないと思い止めた。
仕事を中断することについてミストの妻はどう考えたのだろうか。子供が欲しい気持ちが強いのなら、仕事を中断しても、辞めても構わないのかもしれない。

 しかし星奈は仕事の楽しさと責任感とやりがいで充実しており、身近な園児と接する機会が多いためか自分の子供が欲しいと思ったことはなかった。月姫の子供を産みたいと言う感覚も芽生えていない。
今までで一番充実感を感じている若い星奈にとって環境と状況の変化は不安でしかないのだ。
 ただ月姫を失うことは今までで一番つらい気持ちになるだろう。
最初からないものを欲しがることはなかった。自分が誰かの一番の想い人になることはないと諦めていたせいだろうか。
しかし今は違う。星奈にとって月姫が一番の想い人で、月姫にとっても星奈が一番の想い人だ。
この均衡が子供が出来たときに破られることがまた、怖かった。

☆乙女☆:子供が出来たらやっぱ子供一番なの?
ミスト:いあw俺は嫁が一番だよww
☆乙女☆:そっかwごちそうさまwww

(私は姫がずっと一番にできるのかな)
 母の奈保子は父の伸二よりも息子の修一を優先してきていたように星奈には見えた。心の中までは見えないがそう思ってきた。

☆乙女☆:奥さんもそう?

ちょっと突っ込んだ質問をしてしまったとチャットを打ち込んでからためらってしまったが、ミストの正直でロマンチックな言葉に星奈は安堵した。

ミスト:小さいときは子供が一番でもしょうがないけどw最終的には俺が一番だよw

 毎年夏には京都から帰省する美優が和弘の料理を食べたいと言うことで星奈は『桔梗屋』に予約を入れた。星奈にしてみれば別れた相手とは喧嘩別れではないにしろ再会することには抵抗感があるので、美優を単純に凄いなと思った。
 店に直接来ると言うので早めに着いた星奈は店内で待つことにする。
 暑い夏でも涼し気な庭を眺めて涼をとっているとさっと襖があき星奈が顔を見せた。
「やっほー。ひさしぶりっ」
 相変わらず小柄なのにエネルギーの塊のような美優だ。その美優の後ろに大きな影がすっと現れる。
「ハジメマシテ」
「ロバートだよ」
「えっ、あ、初めまして。片桐星奈です」
「アメリカから京都へ留学に来てるんだよ」
「へえー」
「日本の文化はやはりキョウトが最高ですから」
 白い肌に薄いそばかすがあり瞳はアイスブルーで髪は短いがゆるく波打った金髪。細身だが身長は一九〇センチはあるだろう。(絵に描いた様なアメリカ人だ)

 月姫に会いに横浜に行くと外国人を多く見かけるが、こんなに間近で、しかも一緒に食事をしたことなどなかった。
「えっと二人は……」
「恋人だよー」
 美優はあっけらかんという。(美優は背の高い男ばっかりだなあー)和弘も確か一八五センチで高かった。
ロバートは二五歳で日本での生活は長いらしく、アメリカに帰る気はあまりないらしい。出来れば日本で働いて一生日本で生活をしたい希望を持っている。
美優とは彼女の勤めている和菓子屋で出会った。ロバートは美しい桜の花のネリキリに感動して、是非作者に会わせてほしいと訴えたところ、店の売り子は職人は作家ではないのでそんなことはできないと取り合わなかった。しかしちょうどそれを作った美優が通りがかった。それからロバートは美優自身にも興味を示しいつの間にか付き合いがスタートしていたらしい。

 美優にしてみるとロバートがくっついてくるだけの様な言いぶりで、彼を気に入ってはいるがまだまだ自分自身に夢中のようだ。
「僕はミューと結婚したいとオモッテマス」
「ええっ!結婚?」
「やだ、ロバート。先走り過ぎだよ」
 ロバートはなかなか熱烈な様子だが美優はマイペースだ。やがて料理が運ばれてきたので話は中断される。
「ウツクシイ」
「すごいねえ」
「来るたびに驚くよ」
 和弘の料理は今日も美しくインパクトがある。ロバートのために頼んだ手毬寿司は黒い塗の盆に宝石が飾られているようだ。芽ネギが薄く下ろされた鯵で巻かれている。まるで高級魚の様な味わいだ。サーモンとアボカドの組み合わせもコントラストが可愛らしい。一つ一つ丁寧に作られており食べるのが惜しい。ロバートはごくりとつばを飲み込みながらもカメラを取り出し撮影を始めた。
 大柄な和弘からは想像できないが昔から彼は繊細で美しい料理が得意だ。

「なんか悔しいなあー」
 美優がため息をつきながら言う。
「なにが?」
「あたしは和菓子だけだからさー。料理全般ってやっぱ幅広いねえ。うらやましいわ」
「そう?美優は美優でエキスパートだからすごいと思ってるけど」
「ソウデス。ミューは最高でス」
「あ、ありがと。さて食べましょうかね」

 ロバートがまた感動している。
「美味しくてタベヤスイ!」
 アメリカ人にしては箸の扱いが上手なロバートだがそれにしても一口サイズのこの宝石のような寿司は箸でつかみやすく、しかもばらけることなく食べることがスムーズだ。
(和弘、考えてるなあー)

 以前、給食スタッフで訪れたときにやはり料理長として挨拶をしに来た和弘に高木美沙が「美味しかったですー。ちょっとサイズが大きくて格闘しちゃいましたけど」と言っていた。
確かにその時の料理は大ぶりなものが多かった。ただ店としては普通であるのだろうが園児用の食事を作っているとどうしてもスケールダウンしたものを作ってしまうので和弘が悪いわけではない。それでも「今度から配慮してみます」と謙虚に頭を下げて聞いてくれた。そして今回の料理に生かされている。恐らく女性二人と外国人のグループと案内係から聞いて、すこし小ぶりなものを出してくれているのだろう。

「なんか和弘ちゃんとやってるねえ。ロバート、これがほんとのおもてなしってやつや」
「オモテナシ……。オウ!」
 美優とロバートのやり取りが真面目なものなのに面白く映り、星奈はこっそりと笑った。

 食後のデザートに抹茶と水まんじゅうが出てきた。
「これはまた、キレイですねえ」
 透明感のある水まんじゅうは地元の銘菓であるのでロバートの様に他所から来る客にはもってこいだろう。
 透き通ったくずの中にあんこではなく苺クリームが入っていた。
「うーん。これもなかなかええなあ」
「今度まねして作ってみるかなあ」
 そこへさっと和弘がやってきた。
「どうぞ真似してください」
「あっ、やだあ」
「無理無理、こんなプロの味」
「星奈も、み、新田さんもきっとすぐできるよ」
 和弘は美優と言いかけて言い直してロバートのほうへ向き「本日はお越しいただきありがとうございます」と頭を下げた。

 ロバートはとても感心していて心から料理の賛美を話していたが、後半は興奮して早口の英語になったので何を言ってるのかわからなかった。
 美優と和弘が一瞬見つめ合い、何とも言えない空気が流れた。嫌いになって別れたわけではない。ただ歩く道が違っただけ。

(まだ好きなのかな……)星奈は二人の雰囲気に友人以上の親しさを感じたが、きりっと和弘は「またおいでください」と襟を正し挨拶をして去っていった。美優も後ろ髪惹かれる様子なく「ごちそうさまでした」と礼儀正しく頭を下げた。
 星奈は二十代の若い恋が終わったことを実感しすこしだけ切ない思いがした。しかしまた新しい出会いによって成長していく美優を想像して、自分もすっかり大人なのだと実感する。


「これからどうするの?」
「ん?ロバートと名古屋で泊まるかな」
「え、実家帰んないの?」
「うん。帰る理由ないしさ」
「そうなんだ」
 相変わらず実家に対して冷ややかな美優であるがロバートが口を挟んだ。
「ミューのゴ両親に挨拶したいデス」
「えー。ちょっとぉ、何言いだすのよ」
 美優は外国人よりも大げさなリアクションで両手を広げ肩を上げ下げした。

 行かないと言っている美優にロバートは食い下がっている。
「ねえ。美優。親に会わせてみたら?ロバートさん」
「ええー。星奈まで何言いだすのよ」
「いいじゃん。なんかさ、二人お似合いやて」
「お願いデス。ミュー。君のパパとママも知りたい」
 呆れたような顔つきだが強い拒否感もない美優の表情を見るとこの二人は上手くいくかもなと星奈は思った。マイペースではっきりした美優にくっついているようなロバートだが、きちんと締めるところは締め、譲らない。和弘は強引そうだが意外と強く出られないところがあった。
 ワイワイ話し合った結果、明日、両親にロバートを会せると言うことで決着がついた。

 逆方向に向かうため駅で別れる。
「じゃ、またね。なんか変わったことがあったら教えて」
「ん、星奈の話が全然聞けなかったけど、またね」
「サヨナラ。またお会いシマショウ」
 手を振って大きなロバートと小さな美優を見送った。そして自分と月姫は同じくらいの背丈だなと思い出していた。


 (久しぶりに早く帰れるな)正樹は授業を終え帰り支度を始めた。そこへ今年から転勤してきた小野萌子がストレートの長い黒髪をなびかせて声を掛けた。萌子は正樹が顧問を務める水泳部の副顧問でもある。
「田辺先生。今日はお暇ですか?よかったら水泳部のことで相談があるんですが」
「ああ、小野先生。いいですよ」
「じゃああ。夕飯もご一緒しません?」
「そうですねえ。どこにするかな」
「そこのファミレスでもいいですよ」
「え。ああ。まあいいか。じゃ、そこで」
 正樹は生徒や父兄の目が少し気になったが気にすることはないかと思い直して席を立った。どちらかというと『ファミレスの飯』という方が気にかかる。

 正樹は萌子との相談という名のアプローチを思い返して気分がモヤモヤしていた。
 萌子は強い目つきで教員にしては華やかな雰囲気を持っている。学生時代は正樹と同じく水泳部に所属しており、大会入賞も数多く経験したらしい。
 堂々とした様子で萌子は正樹に告白をしてきた。
「私、田辺先生みたいな人好みなんですよね」
「ああ、そうですか」
「教員って出会いないじゃないですか。大っぴらに合コンとかもできないし。」
「まあね。職場結婚多いしね」
「私のこと考えてもらえません?」
「ごめん。彼女いるんだ」
「えー。全然そんな影ないと思ったのに」
「遠距離であんま会えないから……」
「なーんだ。遠距離なんだ。じゃチャンスありますね」
 もう勝ち誇ったような笑顔を見せる萌子に魅力を感じないわけではないが、少し疲れて正樹は帰宅した。(なんか。こういうとき乙女がそばに居たらな)初めて遠距離恋愛を恨めしく思った。 パソコンデスクに座ってネットゲームに接続してみる。
 ローディング画面が流れ『月姫』が登場する。

ミスト:やあ
月姫:いたのか
ミスト:ちょっとインしてみただけ
月姫:もう落ちるの?
ミスト:十時には落ちるよ
月姫:体力つかってるもんな
ミスト:嫁といちゃつく時間なくなるからな
月姫:おっさんエロイぞwww
ミスト:姫ももうおっさんだろww
月姫:あのさミストは浮気したことある?
ミスト:ないよw
月姫:即答だなww
ミスト:浮気しそうなのか
月姫:いやたぶんしないと思うけど
ミスト:浮気ならしてもしょうがないしなw
月姫:でもさ遠恋ってきついよな
ミスト:まあね
月姫:身近な人と付き合う気持ちが最近わかるようになったよ
ミスト:気持ち>>>>>越えられない壁>>>距離
月姫:まあそうだな
ミスト:俺は元々淡白だから一人で平気だし
月姫:なんかミストは最初ストイックな感じだったけど結婚してからやけにエロおっさんだよなww
ミスト:w
ミスト:うちの嫁がせくしーなんだよwww
月姫:はいはいワロスワロスw
ミスト:まあ浮気はよしとけ本命失くすと間抜けだからさw
月姫:うn
ミスト:じゃ嫁が待ってるからノシ
月姫:のしw

正樹はパソコンの電源を落として布団に寝ころんだ。(ふー。小野先生にはハッキリ断っとこ。そもそもあのファミレスの飯で平気ってちょっと無理だな)
 ミストと話ができて良かったと思いながら明日の授業のことを考えているといつの間にか眠りに落ちていた。

 数日後に小野萌子には彼女と婚約したと告げると萌子は「あら、残念。」と言ったっきりで、しつこい性格ではないらしく正樹に再度アプローチをしてくることはなった。
 半年ほどたつと萌子から正樹と同じ数学教師の立原健一と結婚をすると報告を受ける。立原は正樹よりもさらに草食男子という雰囲気でおとなしく萌子に従っているように見えた。(小野先生って肉食女子なのな)少し悩んだ正樹は軽く肩透かしを食らった気分だったがほっとした。少しだけ双子の姉たちに似ている萌子と正樹と似ている立原を眺めると自分の家族を外から見るようで面白く感じる。☆乙女☆がいなかったら萌子の隣には立原ではなく自分がいたかもしれないなと正樹は想像した。そして、そうならなくてよかったと心から思った。


 先週から修一に日曜日の午後は家にいてほしいと言われ、伸二、奈保子、星奈は出かけることもなくゆっくりと家で過ごしていた。
家のチャイムが鳴ったので星奈が出ると、アイボリーのワンピースを着た少し年上だろう女性が立っている。
「こんにちは」
「あ、はい、こんにちは」
「初めまして、妹さんでらっしゃいますか?」
「え、あ、はい」
「私は修一さんと親しくさせていただいています、岩瀬真琴と申します」
(え?親しくって?まさか)
 後ろに修一が立っていた。
「いらっしゃい。あがって。星奈、お茶頼むよ」
「あ、う、うん」
 慌てて家の中に駆け込み、くつろいでいる両親に「お兄ちゃんの彼女が来た!」と慌てて言った。
「えええーっ」
「な、なにっ!?」
 ガタガタと慌てて立ち上がり奈保子はソファーの周りを見回して雑誌やらペンやらを片付ける。伸二は身だしなみを整え始めた。
「どうぞ」
「失礼いたします」

 修一がエスコートしリビングの入り口に彼女を立たせ、紹介した。
「岩瀬真琴さん、同じ病院で働いている看護師なんだ」
「初めまして。よろしくお願いいたします。これお土産です」
 丁寧に頭を下げる真琴から白いケーキ箱を伸二は受け取り、「わ、わざわざご丁寧に」と言い、奈保子に渡す。
「どうぞ、そちらへおかけください」
 奈保子は窓際の明るいソファーのほうへ促した。
お茶を入れて星奈は緊張しながらテーブルに置き、様子をうかがった。
Lの字に並ぶグリーンのソファーには二組のカップルが座っている。(あたしはどうしようかな)
ちょっと考えていると修一が「星奈もこっちに」と手招きする。
少し狭いが奈保子の隣に座った。シーンとした緊張する空気が流れる。
「僕たち結婚しようと思ってるんだ」
(そういうと思った)
 伸二も、奈保子も星奈も修一が言うセリフはだいたい予想がついていた。彼は学生時代からストイックで女性と遊ぶところなど見たことがない。いつも高い目標に向かって邁進する日々であった。そんな修一が女性を連れてくるとなるともう理由は一つしかなかった。

 真琴はセミロングの黒い髪をワンピースと同じアイボリーのシュシュで一つにまとめている。星奈よりも少し背が低いがもしかしたら修一よりも背が高いかもしれない。
 きりっとした眉と強い目力と引き締まった口元は意志の強さを感じさせる。
 彼女は幼い時にお弟を亡くしたことがきっかけで看護師の道を選んだらしい。

 今日はとりあえず結婚の意思がある相手を紹介したかったと言うことで小一時間ほどで真琴は帰っていった。
バス停に送ってすぐ戻ってきた修一に、今度は奈保子が話を始める。
「ねえ。相手のご両親には会ってるの?」
「いや、これから。彼女の父も亡くなってて今はお母さんだけみたいだけどね」
「そうかあ。なんだか苦労してきてるんだなあ」
「まあ、そうだね。芯の強い人だよ」
 奈保子と伸二は反対する気持ちはないようだ。しかしこんな日が来るとはまだまだ予想が出来ていなかったのだろう。やけに落ち着かず「これからどうしようか?」と話し合っている。
星奈は美優とロバートが美優の両親に会った後、結納やら挙式やら宗教の違いやら、家族中で会議がなされた話を聞いていたので意外と平静にしていられた。
「お兄ちゃん、いつ結婚するの?」
「ん。反対がなかったらいい時期に」
「どうしよう。やっぱりグランドホテルかしら?」
「式は、神前か?」
 伸二と奈保子が口々に言うのを修一が止める。
「入籍だけでいいと思ってるんだけどね」

(地味婚なんだ)星奈が今どきそんなものかと思っていると奈保子が「それはダメ!」と大きな声を出した。
「派手じゃなくていいから挙式と披露宴はやってちょうだい。身内だけでいいから!」
 珍しく意見を通そうとする奈保子に伸二は「そうだな。そのほうがいいと思うぞ」と同調した。
 修一はうーんと唸りながら、「わかった」と一言言ったので両親はほっとした様子を見せる。
(喧嘩にならなくてよかった)星奈もほっとした。美優から家族会議の揉めっぷりを聞いていたからだ。ただその原因は美優が籍も入れない、式もしないなど結婚する当人が恐ろしく放棄した感じだったからだ。
落ち着いたところで真琴が持ってきたフルーツケーキを食べた。その後、それぞれのんびりと午後を過ごした。

 数日後、奈保子と二人でお茶を飲んでいるときに「あんたはいい人いないの?」と聞いてきた。
「え。うーん」
「あんたもいい人はやくみつけなさいね」
「うん」
 もう九年も付き合っている月姫がいてプロポーズもされているのだが、全く気付かれていないようだ。(あたしって何も変わってないのかなあ)
 修一が最近なんとなく男らしくなっていたことや綺麗になっていく美優の変化などが自分には訪れていないのだろうか。(それはそれで問題だなあ)
 しかし月姫との付き合いが当たり前で自然なのことなのだとも思った。彼を紹介したらどういう反応をするのか、まったく未知数のことに星奈は想像が出来なかった。
「真琴さん、良さそうな人だったね」
「そうね。だけど修一のお嫁さんなんて想像したこともなかったわねえ」
 奈保子は目を細めて眩しそうに窓の外の洗濯物に目をやった。
「そろそろやることがなくなるのかしらね」
 息子の巣立ちが寂しいのだろうか。しかし穏やかな微笑を浮かべる母は肩の荷が下りたようなほっとした様子だった。



「実夏ー。こっちきてみなよ」
「なになに。うえー」
 双子の姉、千夏と実夏が毎月正樹の住むアパートにお世話という名のチェックにやってくる。一応、面倒な片付けごとや日用品の追加などおこなってくれるのでありがたいこともあったが騒がしく姉貴風を吹かせて帰っていくので疲労感はそれなりにある。
今日は特に騒がしく洗面所で盛り上がっている。
「なんだよ。いったい」
 実夏と千夏はそっくりな顔でにやりとしながら後ろ手に持っていたピンクの歯ブラシを取り出して正樹の目の前にかざした。
「あっ」
 ☆乙女☆が珍しく忘れて行った歯ブラシだ。
「あんた。女連れ込んでるんでしょー」
「やーらしいんだあ」
「ちょっ、返せよ」
 笑いながら姉たちはポイっと正樹に歯ブラシを返した。☆乙女☆はすでに何度も泊まっているが荷物を置いて帰ることはなかった。帰り際には掃除をしてくれるので気配も感じさせることがなく、今まで一度も家族に彼女の存在を知られずにきていたのだった。

「いつから付き合ってんのよ」
「えーっと、八年くらいかな」
「ええっ。そんなにぃー?」
「どんな子よお?」
 姉たちの追及が始まる。
「名前は?」
「おと、めー座で星奈」
「なに星座から言ってんのよぉ」
「あはははっ、正樹って女子みたい」
 思わずキャラクター名を口走りそうになりとっさにごまかしたが変な方向に持っていかれた。
「ああ、でも正樹、おうし座じゃん?相性いいじゃん」
「そうだね。八年も続くっていいじゃん」
 無言でいる正樹をよそに実夏と千夏は盛り上がっている。二人を放って置きテーブルに座ってコーヒーを飲んでいると二人はずかずかと目の前にやってきて質問を始める。
年齢、職業、容姿、性格など尋問のように聞いてくる。正樹は抵抗をすればするほどややこしくしつこくされることを経験上知っていたので包み隠さず話した。ただし知り合ったきっかけをオンラインゲームだと言わず友人の紹介ということにした。

 気が付くと勝手にスマフォのフォルダを開き写真を見ている。
「おいっ、勝手にみるなよっ」
 さすがに恥ずかしく実夏の手にあるスマフォを取り上げようとしたがコンビネーションの良い双子は上手く正樹の奪還を交わし交互に写真を見ている。
「おおっ!まともそう」
「へー!ギャルっぽくないじゃん」
「なにこれ。正樹ってばにやにやして」
「あははは」
(くそー)

 幼年期からの習慣であろうか。本気で姉たちに抵抗することも激怒することできなかった。しばらく眺めてスマフォを返し、また口々に言う。
「この子なら妹になってもいいわねえ」
「うんうん。あたしらの言うこともちゃんと聞きそう」
(乙女のこといじめたら承知しないぞ)
「……」
「今までの付き合った子たち趣味悪い子ばっかだったもんねえ」
「ほーんとほんと。けばくてさあー」
(お前らもけばいだろ)
「……」
「はやく結婚したらあ?」
「捨てられないようにね。ほかにこんな続く子出てこないよね」
 プロポーズを断られた話はしなかった。
「姉ちゃんたちが片付いたらな」
 精一杯の負けん気を発揮したが案の定、くどくどガミガミとののしられ話は収束に向かった。

 実夏と千夏の気が済み帰っていったあと正樹は今までで一番疲労した一日だと思い、飲み物を取り出そうと冷蔵庫を開けた。そして小さなタッパーウエアが目に入り手に取って開けた。
 中には☆乙女☆が漬けたはちみつ梅が入っていた。(見つからなくてよかった)

 一粒口に入れると優しい甘さと酸味が口いっぱいに広がり疲れが癒える気がした。(あいつらに見つかったら全部食われちまう)見つかったものが歯ブラシでよかったと思った。
 しかし嵐の様な姉たちが☆乙女☆を認め、けなすことなく歓迎ムードだったことにはさすがの正樹も嬉しく思う。案外シビアな姉たちの目にも彼女は好感度が高そうだ。
 そして改めて自分には☆乙女☆しかいないと実感した。
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