透明なグラデーション

はぎわら歓

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12 新世界

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 今年は一年生を受け持つことになった正樹は少しだけ楽ができるかなと思いながら明日の授業の内容を反芻する。
 ☆乙女☆にプロポーズを断られてから三年がたっていた。付き合いは相変わらず続いていたし気持ちも変わることはなかった。考えてみると自分の人生の大半にエンドレスで☆乙女☆が存在している。ネットゲームの『KR』を始めて二十年。(乙女と二十年の付き合いか。)☆乙女☆と恋人関係になったのは教職に就いた年からなので十年が経過していた。
気持ちも関係も色褪せることなく緩やかにだが深まっていると思う。変化には乏しいが同じ色がどんどん重なって深い色になるようなそんな気がしていた。
 (二十周年記念か)正樹は思い立って☆乙女☆に会いに行こうと決心した。

 中学校の創立記念日は金曜日だったので正樹は久しぶりに三連休となった。ちょうど部活動も休みで学校行事に追われることもない。
 ☆乙女☆の仕事は保育園の調理で残業はほとんどないらしく五時半には退社できるらしい。正樹は朝から家を出て☆乙女☆のすむ岐阜県へと向かった。
 実は長い付き合いの中、☆乙女☆は実家暮らしだったので岐阜県に行ったことはなかった。彼女は山ばかりで、暑くて寒い特に特色のない町だといい、いつも横浜港を眺めては気持ちよさそうに潮風を受けていた。

 大垣駅に降り立つ。(そんなに田舎じゃないじゃん)明るい雰囲気に少し気分が和んだ。調べておいた☆乙女☆の勤める保育園の方向へとりあえず歩き始めた。
 まだ時間は午前十一時で時間は十分に合った。しばらく歩くと城が見えてくる。(なにこれ。城なんかあるの)白さがまぶしい美しい城だ。

 繊細な雰囲気の大垣城は正樹には女性的に映り☆乙女☆のように思えた。中に入ってみたかったが今度二人で来ようと思い外から眺めるだけにした。

 喉が渇いたので目の前の喫茶店に入った。注文はアイスコーヒーと決めていたが一応メニューを斜め読みすると『水まんじゅう』という文字が目に入った。(これ、乙女が前に作ってくれたやつかな)気になって注文してみるととろっとしたクズにくるまれた餡子の水菓子が出てきた。(やっぱり、あれだ)正樹はつるっと口の中にいれた。☆乙女☆が作ってくれたものと同じ味がする。透明感のある涼しげな水まんじゅうは正樹を爽やかな気分にさせる。(大垣っていい街じゃないか)店を出てぶらぶらうろつき町を感じてみる。清らかで情緒のある透明な雰囲気を☆乙女☆と重ね合わせていた。(ここで育ったんだなあ)感慨深く目を細めて周囲を見渡した。

 途中、白の薔薇を二本買った。花屋が言うには二本だと『二人の世界』という意味になるらしい。赤い薔薇のほうがいいかと考えたが白い薔薇は『純潔、尊敬』という花言葉を持っており枯れると『生涯を誓う』という言葉に変わるらしく、自分の想いにふさわしいと思った。(俺の純潔は乙女に捧げてるしな)男なのに処女のようだと思って正樹はくすりと笑った。



 五時五分前に保育園に到着し、園の門の前で少しネクタイを直して髪を撫でつけた。お迎えの母親たちがぽつぽつと現れはじめ正樹をちらちら横目で見ていった。(不審者に思われたりはしないかな)少し心配になりもう少し遠ざかったところで☆乙女☆を待つことにする。
 騒めいた人混みの集団が保育園から出てきた。四十代から五十代くらいの女たちの中に☆乙女☆が混じっているのが見える。

「おと……片桐さん。」
 正樹は☆乙女☆の本名を呼ぶ。ハッと驚いて☆乙女☆は正樹を見つめた。
「姫。どうしたの」
「あの。会いに来た」
 ☆乙女☆の周囲を取り囲んでいた女たちが口々に言う。
「星奈ちゃんの彼氏?」
「可愛いじゃない」
「何々デート?」
 正樹と☆乙女☆はまるでゲーム内の敵種族に取り囲まれたような気がして少し緊張した。

 正樹は意を決して一番年長者らしい女に自己紹介をした。
「初めまして。いつもお世話になっています。僕は婚約者の田辺正樹と言います」
「あ、ちょ、ちょっと」
 慌てた☆乙女☆は言葉がでなかった。
「まあ星奈ちゃん。これが話してた彼ね。良さそうな人じゃない」
「そろそろ彼氏のとこいってあげなさいよ」
 また口々に言い始めた。☆乙女☆は
「あ、はい」
 と小声で恥ずかしそうに言う。
「じゃあまたね」
「お疲れ様」
 女たちは歩き出しちらちら正樹を見ながら色々話し立ち去った。
 はあっと☆乙女☆は息を吐きだした。

「ごめん。いきなり」
「ほんと、びっくりした」
 今はもう☆乙女☆は安堵の表情を浮かべている。
「会いたくて」
「ん。嬉しいよ」
「これ」
 正樹は白薔薇を差し出した。
「綺麗ね」
「だろ」
「白い薔薇は姫にとてもよく似合ってる」
「乙女に渡すために買ったのに。可笑しいよな」
「ううん。姫をもらう感じがして嬉しいよ」
「そ、そうか」
 白い薔薇を愛しそうに見つめながら☆乙女☆は言う。
「姫は最初から最後まで『姫』で居て欲しい。あの銀白色の綺麗な兎みたいに」
「渋いおっさん目指してるんだけどな」
 くすっと☆乙女☆は笑った。
「渋いおじさんはいっぱいいるけど姫は他にいないよ」
 そういって恥じらいながら俯いた。
 正樹は照れ臭くて上を見ると澄みきった空に白いハーフムーンが浮かんでいた。(乙女の中に俺が浮かんでいるみたいだ)
 そっと☆乙女☆の手を取って繋いだ。いつまでもいつまでも空に月がありますようにと願いながら。

 初めて月姫が星奈のフィールドに入ってくる。なんの前触れもなく突然仕事帰りに月姫は姿を現した。そして星奈はアパートに招き入れる。
「そこ座って」
「うん」
 青いコットンのクッションに月姫は胡坐をかいて座る。(横座りじゃないんだな)
ふふっと笑って星奈は冷えた麦茶を出してから、さっき月姫からもらった白い薔薇を志野焼の一輪挿しにさし、テーブルに置いた。
「スーツ脱いだら?ハンガーに掛けとくよ」
「お、サンキュ」
 月姫は細身の紺のスーツを脱ぎ、同じく紺に白のドット柄のネクタイを緩めた。ネクタイは星奈が以前プレゼントしたもので使ってくれていることが嬉しかった。

「姫、いつこっち来たの?」
「ん?朝から。いいとこじゃん、ここ。途中で水まんじゅう食った」
「そうなんだ」
 星奈は自分の住む街を月姫が褒めてくれたので、なんとなく誇らしくなる。海の見える町に住む月姫が羨ましいと思っていたが案外ないものねだりなのかもしれない。
「一人暮らししてたんだな。早く言ってくれたらよかったのに」
「ごめん。練習のつもりで。続くか不安だったから」
「一人暮らしの練習ってなんだ」
 笑って言う月姫に「ううん、ちがうよ」と告げて、星奈は彼のはす向かいに座って麦茶を飲んだ。
 きょとんとしている月姫にゆっくり話す。
「いつでも姫と暮らせるようにシミュレーションしてたの」
「え」
「実家住まいで、いきなりじゃ無理かもと思って」
「ほんとに?」
「うん」

 真顔でじっと星奈の顔を見つめた数秒後、月姫は星奈の手首をつかみ自分の胸に引き寄せ口づけをした。
「もう少しキリをつけたら姫のとこ行ってもいい?」
「待ってる。慌てなくていいよ。俺にはきっと乙女だけだから」
「ありがと。わたしも姫だけだよ」
 強く抱きしめ合いながらも長く親しみ馴染んだ身体に溶け込んでいくような気持ちになる。(初めて会った時から結ばれてた)
 星奈は本当に欲しいものは最初から近くにあって、やっとそれに気づけるくらい成長ができたと思った。ここにたどり着くまでにいろんな人に出会っていろんなことを教わった。自分を取り巻くすべての善良な人々に感謝の念を送る。そして自分の唯一のつがいである月姫を得る。
 これからは自分だけのことではなく、二人のことを考えて生きていくのだ。
 二輪の白い薔薇が一輪挿しの中で寄り添い合うように見えた。やがて二人を包み込むような芳香が夜の闇に漂った。



 ☆乙女☆の希望で挙式は神前で執り行った。正樹の身近な知り合いは皆、教会式だったので意外性に驚いたが、☆乙女☆の白無垢姿を見たときに神前で良かったと思った。
綿帽子から覗く白い肌に赤い紅は正樹の目をくぎ付けにする。

「きれいだ……」

 思わずつぶやくと☆乙女☆はさっと頬を染めた。

 緊張する式の中、男の嗚咽が聞こえてくる。☆乙女☆の父親がむせび泣いているのだ。
その声を聴きながら正樹は彼女を再度特別で大事な人だと認識する。白い指に指輪をはめたとき、この手を一生繋いでいこうと心に誓った。

 聴き慣れない美しい雅楽の音が二人をまるで異世界にいざなうようだ。

(一緒に行こう。いつまでもどこまでも)

 初めてゲートを飛んだ時の様に新しい世界へ出発する高揚感が正樹を満たしていた。



「贅沢だよなあー」
 月姫が満足そうに言う。
「そう?」
「だってさ。俺、毎日外食ってことじゃん。しかも三ツ星のな」
「おおげさだなあー」
「ほんとだって」
 二人は長い遠距離恋愛の末、結婚した。そして半年が過ぎ星奈は自分の身に起こった変化を話す。
「あのね。正樹。わたしね」
「ん?なんだあ?」
「えっとね。妊娠したみたい」
「えっ!?まじか!」
「う、うん。今日病院行ってきた」
「ほんとかよー。子供かあ」
 月姫は箸を空中に止めたまま、驚いている。

「あの。嫌じゃない?」
「嫌なわけなじゃん。どっち?男?女?」
「えっ、やだぁ。まだまだわかんないよ」
「そ、そうなのか。え?俺、父親になんの?」
「ん。そういうことだね」
「えーっと。ここに三人って手狭だよな。えーっとアパート検索、いや家買うかな。まてよ?」

 驚愕の中に喜びが感じられて星奈はほっとした。
 少年少女時代を過ごし、青年期を経て、妻と夫になり、これから母と父になるのだ。

(姫はいつもあたしに新しい世界をくれる)

 星奈は月姫に手を引かれ今度はどんな世界へ誘ってくれるのだろうと、まだ平坦な腹をさすり期待に胸を膨らませた。


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みんなの感想(1件)

2021.09.09 ユーザー名の登録がありません

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はぎわら歓
2021.09.10 はぎわら歓

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