夏の行方。

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1章 波紋

3話 命を落とした幸せ

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「人殺し...」

「なんでうちの子なの?貴方だったら良かったのに!娘を返して!」

「あいつ彼女死なせたらしいぜ。どうせ殺したんじゃねぇの?」


激しい発汗と悪夢にうなされ飛び起きた月也は呼吸が荒ぶるままに力任せに扇風機の頭を蹴り上げた。カタカタと異音を上げながら横たわる扇風機の音が部屋に響き渡り、時計の針は頂上から下り始め辺りは暗闇に包まれている。時折犬の鳴き声が遠くから聞こえる。枕元に転がるペットボトルを手に取りキャップを転がした。月也の喉を生ぬるく撫でる水は一瞬で消えていった。

しわくちゃのTシャツに短パン姿のままサンダルを履くと家を飛び出した。行く宛も無く頼りなく歩みを進めるが、まるで足枷を付けているかのようだ。月也を見下ろす街灯は相変わらず寂しく頭上を照らす。いくつもの街灯は月也を手招きするように続く。

しばらく歩き、疲労を感じた月也はベンチにドスンと腰を下ろした。ここは武道館。広い駐車場があり、武道館を囲うようにベンチや小さな公園がある。夜間は昼間の勇ましい掛け声も無く、時が止まっているような静寂だ。

ポケットから携帯電話を取り出し、ぼんやりと待ち受け画面を見つめると1つ、そしてまた1つ頬を伝う感情が画面に落ちていく。そこには満面の笑みの月也。そして寄り添うように月也に頭を付ける女の姿。

画面いっぱいに広がった感情を手のひらで拭い、ポケットに入れた。

月也と一緒に写っていた女は九条夏美(くじょうなつみ)そう、今はいない大切な恋人だ。

中学1年生の時から月也は夏美に片想いをしており、中学3年生の夏に思いを告げ、恋人同士になった2人だが、楽しい日々は一瞬で奪い去られたのだ。

あれは中学生最後の夏休みのことだった。月也は初めての恋人に浮かれ気分で夏美との待ち合わせ場所に早めに着いていた。この日は夏祭りで、月也の近所の商店街を抜けた先にある深森神社(みもりじんじゃ)が会場となる地域では1番大きな夏祭り。

しかし待ち合わせの場所に夏美が来ることはなく、連絡もつかない夏美を夏祭りが始まってもただただ待っていた月也は海斗からの電話を取り、そこで夏美が現れない理由を知った。

海斗「いまどこだ!すぐに帰れ。すぐお前ん家行く。聞け、夏美が消えた」

あれから約1年が経とうとしている今でも月也はいつか夏美が現れると心のどこかで信じている。何故いつか現れると信じているのか。その理由は夏美の失踪はあまりにも不可解であったからだ。連日報じられたニュースでは【女子中学生失踪事件】として扱われていたが日が経っても手がかりも無く、遺体も死因も不明のまま死亡いう判断になり捜査も断念されたからだ。

この事件はクラスメイト全員の心に深い傷を残した。学校側の配慮により月也が夏美と交際していた事は外部には一切漏れないようにされていたが、海斗と晴雄とそして数名の生徒は知っていた。海斗と晴雄はそれ以降夏美の件には触れずにいたが一部の生徒は月也に全責任があると責め立てていた。あれから1年の時が流れ、次第に夏美の事件が過去のものとなり事件を語る人は減ったが稀に心無いセリフが月也の胸を貫く。

月也の時間はあの日から止まっていた。
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