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人生は自分ではどうにもならないことばかりだ
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私は新卒で入社したテレビ局を3年ほど勤めて退職した後、1年半ほど療養期間という名の「ニート期間」があった。
当時は25歳になったばかりの頃、多少精神的な不調はあったものの、身体的には1、2ヶ月も休めばかなり回復しており、事情を知らない人から見たらただのニートと変わらなかっただろう。
幸い私はひとりでいることも好きだし、暇なことが苦痛にはならないタイプだったのでこの期間がものすごく幸せな時間だったと今でも思う。
人生で初めて見つけた自分の才能がまさかニートだったとは思いもよらなかったが。
ただそんな才能あふれる私でも、多少辛かったことがある。
それは働いていたときのつらかった経験がたまにフラッシュバックしてしまうことだ。
大学卒業後、憧れのテレビ業界へ飛び込んだはいいものの、そこは私にとっては地獄だった。
先に言っておくと会社や同僚がひどかったとかではなく、仕事の内容が圧倒的に向いてなかった。
私は人とコミュニケーションを取るのがとても苦手だ。
ある程度関係が築けた人とはだんだん普通に話せるようになるのだが、初対面の人と話すとき心臓がバクバクし、とても緊張してしまう。
さらに機能性発声障害を患っており、喋るとき声が詰まってしまったり、うまく発音できない症状が出てしまうので喋ることに対して苦手意識がある。
当時はそのことを他の人に知られたくないと思っていたため、うまく喋ろうとすると緊張してしまい、緊張すると発声障害の症状が出やすくなってしまうという悪循環を生み出していた。
私はテレビ局にディレクター職として入ったため、ほとんど毎日取材という名の苦行を強いられることとなる。
就職活動を真面目にせず、楽しそうという安直すぎる理由で入社したため自業自得なのだが…
取材をするときまずは電話で少し話を聞かせてもらい、それが企画になりそうであればアポを取り、直接会って話を聞かせてもらうという流れだった。
しかし私は電話をかける直前になると心臓がバクバクし、軽いパニック状態に陥ってしまう。
なので事前に聞くことをまとめたメモを作りはするのだが、電話を切った後確認するとなぜかそのメモに書いた内容を聞くことができておらず、再び電話をかけるという失敗を繰り返し取材先を何度も困らせてきた。
それ以外でもたくさんの失敗をし、企画の制作が間に合わず放送日を変えてもらうことが何度もあった。
私はまともに仕事ができない、いわゆる無能社員というやつだった。
上司もある意味、とんでもない大型新人が来たと頭を抱えていただろう。
そんな状態だったが1年目は新人ということで大目に見てもらえていたのだと思う。
2年目になり後輩が入り、教える立場にもなった私の仕事っぷりは特に変わっておらず、相変わらず取材もまともにできないような状態だった。
そんな私に対しても上司は「後輩のお手本として頼むぞ」、と励ましの言葉をかけてくれた。
その年の夏頃、なかなか企画のネタを見つけられずにいた私は焦っていた。
放送日は先に決まっているため、期限までになんとしてもネタを見つけ、ロケ、編集まで行わなければならない。
そんなとき芸術をテーマにした大型のイベントが開催されることを新聞で目にした私は直感的にこれだ!と思い情報を集め始める。
緊張し手を振るわせながらもなんとか電話をかけ、そのイベントに出展するアーティストの1人の方に取材することができた。
私は取材した内容をもとに企画書を書き上げ上司に提出すると、
「アーティストを扱うのは難しいからリスキーかもしれない」
と言われ別の企画にしないか提案された。
しかし期限も迫っている中で、取材の苦手な私が他の企画のネタなど持ち合わせているはずもなかった。
また今年入ってきた後輩にまだいいところを見せられてなかったこともあり、「ここらで先輩の威厳をそろそろ見せつけておかないと」という謎のプライドから私は、「難しくても最後までやり遂げます!」と力強く宣言した。
そこまでいうならと上司も渋々、企画を通してくれた。
そのアーティストの方はとても優しく、取材にも丁寧に対応してくれた。
過密なスケジュールの中でも最後までロケに協力してくれたおかげで、ここまでは順調に進めることができた。
「アーティストの企画は難しい」と言われたがそこそこうまくいったため、「もしかしてやっと一人前に成長できたのでは」、と誇らしく思いながら編集作業をしていた私だったが、現実はそう甘くはなかった。
取材メモやインタビューの内容を確認すると、アーティストの作品の意図やこだわりについて毎回言っていることが違うため、どれが正しいものなのかわからなくなってしまった。
上司からアーティストの方に確認するよう言われ連絡を取り話を聞くが、私自身の理解力の乏しさと、焦りからのパニック状態のダブルパンチで何度説明を聞いても理解ができなかった。
そして連日何度も連絡をしたことでついに堪忍袋の緒が切れたアーティストの方から、「もう二度と連絡をしてこないでほしい」と言われてしまった。
自分一人ではどうにもできない状況だったので、急いで上司にことの顛末を説明した。
そして上司に自分の失態を報告している最中、これまでの数々の失敗が頭をかけ巡り、あまりの仕事のできなさに自分が情けなくなりつい大泣きしてしまった。
いい大人が本気で泣いている様子に上司は困惑しながらも、「とりあえず落ち着いて泣きやんだら、まずはご飯でも食べなさい」と優しく慰めてくれた。
30分ほど泣いていたのだろうか、こんなに大泣きしたのは久しぶりだ。
「泣くというのも案外疲れるもんだ、赤ちゃんも大変なんだな」と赤ちゃんにとっては余計なお世話なことを考えているとお腹も空いてきた。上司も「ご飯食べなさい」と言ってくれたことだし何か食べようとコンビニへ買い出しに行き、さっきまで大泣きしてた人が選ぶとは思えないカツカレーを買い会社へ戻った。
私が大盛りのカツカレーをモリモリと食べていると心配し再び様子を見にきた上司もさすがに呆れ果てていた。
最終的に今回の企画は上司や他の部署の方々が尻拭いをしてくれたおかげでなんとか放送することはできた。
「偉い人たちが本気を出すとこんな悲惨な状況でもなんとかなるもんだなあ」と感動しつつも、一連の出来事は私にとってはとても苦い経験となった。
他にもたくさんの失敗を積み重ねてきた私だったが、3年目になると自分の仕事のできなさに悩み続けていたところ過呼吸を起こし、パニック障害を発症してしまった。
その後仕事中に何度もパニック障害を発症するようになり、まともに働けないような状態となってしまい、何度も放送日を飛ばしてしまった。
自分の体調への不安とこれ以上職場の方に迷惑をかけたくないという理由で最終的には自分から退職を申し出た。
今思い返しても当時の上司や同僚の方々にはたくさん迷惑をかけ、本当に申し訳ないと思っている。
今でも時々こうして辛かった経験がフラッシュバックする。
と、同時に私の面倒を最後まで見てくれていた上司はもっと大変だったのだろうな、と申し訳なさに苛まれながら当時の上司に思いを馳せる。
どんなに一生懸命教え、面倒を見てフォローしても、なかなか仕事ができるようにはならない、それでもなんとかしようとするも、最終的には仕事を辞めてしまう部下。
人生は自分ではどうしようもないことばかりだ。
そんな人生の理不尽さを学んだニート生活でもあった。
当時は25歳になったばかりの頃、多少精神的な不調はあったものの、身体的には1、2ヶ月も休めばかなり回復しており、事情を知らない人から見たらただのニートと変わらなかっただろう。
幸い私はひとりでいることも好きだし、暇なことが苦痛にはならないタイプだったのでこの期間がものすごく幸せな時間だったと今でも思う。
人生で初めて見つけた自分の才能がまさかニートだったとは思いもよらなかったが。
ただそんな才能あふれる私でも、多少辛かったことがある。
それは働いていたときのつらかった経験がたまにフラッシュバックしてしまうことだ。
大学卒業後、憧れのテレビ業界へ飛び込んだはいいものの、そこは私にとっては地獄だった。
先に言っておくと会社や同僚がひどかったとかではなく、仕事の内容が圧倒的に向いてなかった。
私は人とコミュニケーションを取るのがとても苦手だ。
ある程度関係が築けた人とはだんだん普通に話せるようになるのだが、初対面の人と話すとき心臓がバクバクし、とても緊張してしまう。
さらに機能性発声障害を患っており、喋るとき声が詰まってしまったり、うまく発音できない症状が出てしまうので喋ることに対して苦手意識がある。
当時はそのことを他の人に知られたくないと思っていたため、うまく喋ろうとすると緊張してしまい、緊張すると発声障害の症状が出やすくなってしまうという悪循環を生み出していた。
私はテレビ局にディレクター職として入ったため、ほとんど毎日取材という名の苦行を強いられることとなる。
就職活動を真面目にせず、楽しそうという安直すぎる理由で入社したため自業自得なのだが…
取材をするときまずは電話で少し話を聞かせてもらい、それが企画になりそうであればアポを取り、直接会って話を聞かせてもらうという流れだった。
しかし私は電話をかける直前になると心臓がバクバクし、軽いパニック状態に陥ってしまう。
なので事前に聞くことをまとめたメモを作りはするのだが、電話を切った後確認するとなぜかそのメモに書いた内容を聞くことができておらず、再び電話をかけるという失敗を繰り返し取材先を何度も困らせてきた。
それ以外でもたくさんの失敗をし、企画の制作が間に合わず放送日を変えてもらうことが何度もあった。
私はまともに仕事ができない、いわゆる無能社員というやつだった。
上司もある意味、とんでもない大型新人が来たと頭を抱えていただろう。
そんな状態だったが1年目は新人ということで大目に見てもらえていたのだと思う。
2年目になり後輩が入り、教える立場にもなった私の仕事っぷりは特に変わっておらず、相変わらず取材もまともにできないような状態だった。
そんな私に対しても上司は「後輩のお手本として頼むぞ」、と励ましの言葉をかけてくれた。
その年の夏頃、なかなか企画のネタを見つけられずにいた私は焦っていた。
放送日は先に決まっているため、期限までになんとしてもネタを見つけ、ロケ、編集まで行わなければならない。
そんなとき芸術をテーマにした大型のイベントが開催されることを新聞で目にした私は直感的にこれだ!と思い情報を集め始める。
緊張し手を振るわせながらもなんとか電話をかけ、そのイベントに出展するアーティストの1人の方に取材することができた。
私は取材した内容をもとに企画書を書き上げ上司に提出すると、
「アーティストを扱うのは難しいからリスキーかもしれない」
と言われ別の企画にしないか提案された。
しかし期限も迫っている中で、取材の苦手な私が他の企画のネタなど持ち合わせているはずもなかった。
また今年入ってきた後輩にまだいいところを見せられてなかったこともあり、「ここらで先輩の威厳をそろそろ見せつけておかないと」という謎のプライドから私は、「難しくても最後までやり遂げます!」と力強く宣言した。
そこまでいうならと上司も渋々、企画を通してくれた。
そのアーティストの方はとても優しく、取材にも丁寧に対応してくれた。
過密なスケジュールの中でも最後までロケに協力してくれたおかげで、ここまでは順調に進めることができた。
「アーティストの企画は難しい」と言われたがそこそこうまくいったため、「もしかしてやっと一人前に成長できたのでは」、と誇らしく思いながら編集作業をしていた私だったが、現実はそう甘くはなかった。
取材メモやインタビューの内容を確認すると、アーティストの作品の意図やこだわりについて毎回言っていることが違うため、どれが正しいものなのかわからなくなってしまった。
上司からアーティストの方に確認するよう言われ連絡を取り話を聞くが、私自身の理解力の乏しさと、焦りからのパニック状態のダブルパンチで何度説明を聞いても理解ができなかった。
そして連日何度も連絡をしたことでついに堪忍袋の緒が切れたアーティストの方から、「もう二度と連絡をしてこないでほしい」と言われてしまった。
自分一人ではどうにもできない状況だったので、急いで上司にことの顛末を説明した。
そして上司に自分の失態を報告している最中、これまでの数々の失敗が頭をかけ巡り、あまりの仕事のできなさに自分が情けなくなりつい大泣きしてしまった。
いい大人が本気で泣いている様子に上司は困惑しながらも、「とりあえず落ち着いて泣きやんだら、まずはご飯でも食べなさい」と優しく慰めてくれた。
30分ほど泣いていたのだろうか、こんなに大泣きしたのは久しぶりだ。
「泣くというのも案外疲れるもんだ、赤ちゃんも大変なんだな」と赤ちゃんにとっては余計なお世話なことを考えているとお腹も空いてきた。上司も「ご飯食べなさい」と言ってくれたことだし何か食べようとコンビニへ買い出しに行き、さっきまで大泣きしてた人が選ぶとは思えないカツカレーを買い会社へ戻った。
私が大盛りのカツカレーをモリモリと食べていると心配し再び様子を見にきた上司もさすがに呆れ果てていた。
最終的に今回の企画は上司や他の部署の方々が尻拭いをしてくれたおかげでなんとか放送することはできた。
「偉い人たちが本気を出すとこんな悲惨な状況でもなんとかなるもんだなあ」と感動しつつも、一連の出来事は私にとってはとても苦い経験となった。
他にもたくさんの失敗を積み重ねてきた私だったが、3年目になると自分の仕事のできなさに悩み続けていたところ過呼吸を起こし、パニック障害を発症してしまった。
その後仕事中に何度もパニック障害を発症するようになり、まともに働けないような状態となってしまい、何度も放送日を飛ばしてしまった。
自分の体調への不安とこれ以上職場の方に迷惑をかけたくないという理由で最終的には自分から退職を申し出た。
今思い返しても当時の上司や同僚の方々にはたくさん迷惑をかけ、本当に申し訳ないと思っている。
今でも時々こうして辛かった経験がフラッシュバックする。
と、同時に私の面倒を最後まで見てくれていた上司はもっと大変だったのだろうな、と申し訳なさに苛まれながら当時の上司に思いを馳せる。
どんなに一生懸命教え、面倒を見てフォローしても、なかなか仕事ができるようにはならない、それでもなんとかしようとするも、最終的には仕事を辞めてしまう部下。
人生は自分ではどうしようもないことばかりだ。
そんな人生の理不尽さを学んだニート生活でもあった。
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