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本編

62.二度目のスタート(side.タツ)

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一度経験のあることだからと、タカをくくっていたのがまずかった。
端的に言うならば二度目のデビューは想像以上に大変だった。

今まで音を追いかけることに必死で、俺の頭から抜けていたのだろう。
ここがどういう世界か俺はすっかり失念していた。
同じアーティストとしてのデビューでも昔と今では俺の立ち位置が全く異なること。
歌い手の魅力を最大限表現することを主軸としたアイドル時代と、歌の魅力を最大限表現することを主軸とした今。
その違いを理解しきれていなかったのだ。

俺がこの世界で培ったものは表現力や人間力、いかに自分を魅力的にみせるかというところだった。
だが今求められるのは、いかに素晴らしい歌を魅力的に聴かせることができるかだ。
どちらも極めるのは大変なものであり、方向転換した俺が振り回されてしまうのは仕方がないかもしれない。
が、ここはそんな甘えなど許されない芸能界だ。
結果を残さなければいけない厳しいプロの世界。

前とは違う需要と、高いハードル。
前までは多少許されていた事が許されなくなり、前までは厳しく言われていた事が今回はそこまででもない。
そういうことの連続で、なかなか切り替えが難しい。

「お前は詰めも考えも甘いんだよ、ボケ」と、昔シゲに何度も言われていた事をこんな時に思い出す。
人間やっぱりそう何でもかんでも変われるものじゃないのだ。
相変わらずな自分の甘さを反省しながら、俺はシュンと向き合う。

「……お前、なんで淡々としてるんだこんな時でも」
「別に普通だ。何故、お前がこんなにいっぱいいっぱいなんだ」
「……うっさい、お前ほど俺は器用じゃねえんだよ」

シュンは表情一つ変えずに曲を作り続けていた。
淡々と、周りの声など一切聞こえていないかのように。
本当鋼の精神力だと思う。
本人は「別に普通だ」と相変わらず言うが。
これではどちらが年長者か分かったものではない。

「俺はお前に助けられっぱなしだな」
「……どうしたんだ、急に」

シュンが手を止め俺の方を見た。
心底分からないという表情で。
本当こういう所、昔から変わらない。
すごい技術を持っているくせして全く奢らない。
奢らないどころか少々自己評価が低すぎると感じるほどだ。
俺が言うのも何だが、もっと自分に自信を持てばいいのにと思う。

「ただの独り言だ、気にすんな。俺はお前がいなきゃこんな舞台に上れなかったんだろなと思っただけだよ」
「何言ってるんだ、今さら。そんなのお互い様だろ。僕だって、タツがいなければこんな積極的にはなれなかった」

そうして返った言葉が予想外で思わず目を見開いた。
シュンは呆れたようにため息をつく。
分かっていなかったのかと、言って。

「僕の音は、機械的すぎてつまらない。人を動かす音がどういうものか、僕には分からなかった。正直、人を動かす音どころか音楽の何が楽しいのかすら。僕は、ただ周りに認められるためだけに音楽をしていただけだ」

シュンが昔有名なピアノの奏者だったことは知っている。
ケンさんに少しだけ教えてもらった。
家が有名な音楽一家で、父は指揮者で母はピアニスト。
兄は母に師事して腕を上げた今ピアニストをしていて、姉は現在バイオリニストだという。
そんな環境で当たり前のように音楽と触れあって育ってきたシュン。
そしてピアノに素養があると分かると本人の意志では受け止めきれないほどに周囲からの期待が膨れ上がったらしい。
手に負った怪我が先だったのか、折れた心が先だったのか、きっかけは分からない。
だがどの道長くは続かなかっただろうと、それはシュンが一度だけ言っていた。
だから言うのだろう、自分の音を機械的だと。
他者の希望だけを吸いこんで自分の意志など一切ないつまらない音だと。

「タツは正直お世辞にも技術があるとは言えなかったし、音楽方面の才能もあるようには見えなった」
「おーい……、本当容赦ねえなお前」
「でも、僕に持たないものを多く持っていた。タツと共に音楽をすれば、不思議と楽しいとすら思えた。そういう力は、目には見えにくいけど唯一無二のものだ」
「……シュン」
「だから、お互い様だ。タツは技術を上げた、僕は音に楽しみを見いだすことができた。まだまだ、これからだ」

やっと俺は、何でシュンがこんな俺にここまで付いてきてくれたのかを理解する。
組もうと言いだした俺が言うのも何だが、正直この技術差でここまで続くとは思わなかったのだ。
それでもシュンが何かを俺に見い出し、評価していくれていたことは知っている。
シュンはチエと同様に、俺のことをそうやってずっと認めてくれていたんだろう。
相方のはずなのに、俺の方が年長なのに、そのことに気付けていなかった自分が情けない。

けれど良かったとも同時に思う。
シュンの顔を見ていれば分かるのだ。
そうだ、シュンだって大きく変わった。
音楽をするということに積極的になった。
こいつももがきながら、必死に模索し続けて、やっと自分なりの答えに辿りつけたんだろう。
俺が何か出来たのかと聞かれれば何とも言えないのが情けなくはある。
それでも、俺達は2人で着実に前に進んでいる。
今はそう迷いなく言える。

「そう、だな。俺も早くお前の技術力に追いつかないと」
「……それは無理だと思う」
「……お前、相変わらず淡々と酷いこと言うよな。もう少しくらいは気遣えよ」

俺達はそうやって音楽を作り上げていくのだ。
これからも変わらず、上を目指して。
勝負はこれから。

俺達の過去が過去だから今は随分とそっち方面でも話題になり盛り立ててくれていはいる。
有難いとは思っている。
だが、俺達が目指す場所はあくまでも音楽だ。
音楽で、のし上がるのだ。
俺達を支えてくれた多くの人達と、そう誓った。
そうして瞼の裏に浮かぶ顔に、苦笑してしまう。

「あー、チエに会いたい」

思い出せばもうどうしようもなくなる。
欠乏症だなどとこの歳になって色ボケじみたことを考えるとは思わなかった。
声を聞きたい、あの頭を撫で回したい、滅多に見れないチエの笑顔を見たい。
いまこの一番大事な時期にそんなこと出来るわけないのは分かっているから、必死に抑えているが。
どうにも欲というものは強くて厄介だ。

「……タツが犯罪者に」
「待て、コラ。誰が犯罪者だ。第一、チエはもう19歳だろが」
「……いつの間に年齢正確に把握してるんだ」
「だってチトセと双子なんだろ? 調べようと思えば簡単にわかるっつの」
「……ストーカー」
「…………お前、一体俺を何だと思ってるんだよ」

そんな馬鹿みたいな話をしながら、それでも頭からチエのことが離れない俺は重症なんだろう。
チエへの気持ちに自覚したと同時に、会う機会も激減した。
チエに想いを伝えるには、俺の立ち位置があまりにも曖昧だったからだ。
20代半ばで夢を追い続ける男。
正直世間一般から見ればひどく怪しい存在だろう。
ちゃんと想いを告げられるだけの立場になって胸を張ってチエに言いたい。
それは俺の中の下らないかもしれないが大事にするべきプライドだ。

チエが俺を好意的に見てくれているのは知っているが、それが恋愛方面だとどうなるか分からない。
もしかしたら受け入れてくれないかもしれないし、他に優しく尽くしてくれる良い男が現れるかもしれない。
だが、それでもだ。
チエが好きだと言ってくれた俺の音楽を広げて、約束の地で正面から向き合いたいと思う。
少しでもチエに誇ってもらえるような俺になって。

「……奏、アルバム出すと聞いた」
「ああ、知ってる。正直めっちゃ楽しみなのが悔しい」
「芸音祭で感想、言ってやれば?」
「そう、だな。でも負けねえよ、俺も」
「……だな」

気合いを入れ直して、俺達は再び楽譜に意識を落とした。
その言葉を叶えるために。



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