勉強しながら小説Now

ふがぁ

文字の大きさ
上 下
8 / 8
第一次世界大戦と日本

7話 新しい文化と生活

しおりを挟む
明治時代末期に小学校での義務教育がほぼ行きわたったのを受けて、大正時代には、中等、高等教育が広がった。
中学校や高等女学校(現在の高等学校)への進学率が高まり、大学や専門学校も数が増えて、多くの知識人が生まれた。
小学校では、個性を大切にし、自主性を重視する自由教育の運動も始められた。
都市の発展と知識人の増加を背景に、活字文化が広がりを見せた。
新聞では発行部数が100万部をこえるものも現れるようになり、週刊誌や、月刊の総合雑誌の発行部数が急速にのびていった。
1冊1円の文学全集(円本)や、さらに低価格の岩波文庫などが出版され、文化の大衆化に大きな役割を果たした。
子供向けの雑誌が発行され、ヨーロッパ風の童謡や童話が広まったのもこの時期だ。
国産の活動写真(映画)も製作され、多くの観客を集めた。
また蓄音器やレコードが広まると、歌謡曲が全国に流行するようになった。
1925年に東京、名古屋、大阪で始まったラジオ放送は全国に普及し、新聞と並ぶ情報源になった。
こうしたメディアの発達とともに、大衆小説、映画、歌謡曲や野球などのスポーツが大衆の娯楽として定着していった。
学問や芸術にも新しい傾向が生まれた。
学問では、東洋と西洋の哲学を統一しようとした哲学者の西田幾多郎や民芸運動を起こした柳宗悦など、独創的な研究者が現れた。
文学では、自然主義に反対して個人を尊重した、志賀直哉などの白樺派をはじめ、谷崎潤一郎や、知性的な短編小説で人々に新鮮な印象をあたえた芥川龍之介などが、優れた作品を発表した。
また、小林多喜二などが労働者の生活をえがき、プロレタリア文学も流行した。
美術では洋画の岸田劉生や竹久夢二などが活躍し、音楽では、童謡に多くの作品を残した野口雨情をはじめ、日本で最初の職業オーケストラを組織した洋楽の山田耕作や邦楽の宮城道雄などが新風をふきこんだ。
ガス、水道、電気などの広がりによって、都市では欧米風の生活様式が広まった。
欧米風の外観や応接室を持った「文化住宅」が流行し、ライスカレー、トンカツ、コロッケなどの洋食が広まった。
洋服はまず男性に普及したが、バスガールや電話交換手などの働く女性が増加し、高等女学校の制服に洋服が採用されたことなどから、女性にも広がりはじめた。

____________________

今回は、ありがとうございました。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...