アイルーミヤの冒険

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四、目覚め

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 城は変わりなく、少しばかり片付けが進んでいたが、食堂はまだ使えなかった。と言うより、あの天井の大穴はどうしようもないかも知れない。
 アイルーミヤ将軍は執務室に入ると溜まっている通信紙の発信人と件名だけ見たが、緊急の件はなかった。本当に緊急なら転送されるしな、と頷く。

『にゃー』
「いい子で留守番できた?」

 クツシタは、彼女の顔を見るなり耳を伏せ、尻尾を膨らませた。
『しゃー』
 生意気に、小さいなりで威嚇する。

「どうした? 私だよ」
 声をかけたがクツシタはどうしようか迷っている様子だった。
 そこで彼女は気づいた。まだ戦化粧を落としていない。そういう事か。

 アイルーミヤ将軍は戦化粧を落とすついでに体を拭こうと思い、召使に命じて湯を桶いっぱい持ってこさせた。
 油で戦化粧を落とし、汗と埃を拭い、髪をほどいて櫛を入れた。

「今度はどう?」
 清潔な服に着替え、腰掛けて茶を飲む彼女の膝に、機嫌を直したクツシタが跳び乗った。そこから胸に上がり、頭をこすりつけ、喉を鳴らす。
「くすぐったい」
『みゃ』

 いつもの日課が始まった。将軍の戦う相手は積み上がった書類だった。その一件一件が判断と決断を求めている。その結果は彼女の肩にかかってくる。

 第一と第二軍の連合は終了し、個別に統治に当たらせる。第三軍は農業技術指導など、一歩踏み込んだ教育を始めさせる。人口を増やすため、まずは農業生産性を上げなければならない。それと医学知識の普及だ。

 さらに、数は少ないが、人間以外の知的な存在を味方につける必要がある。山や森の奥の巨人、獣人、様々な妖精などだ。人間に比べるとごく僅かな勢力だが、無視はできない。前の失敗は繰り返せない。
 これについては各軍、余裕ができ次第交渉部隊を派遣するよう命じた。

 それらとは別に、寺院の詳細な調査を指示した。闇の王と我々四将軍が異次元に封印されていた五百年の間、何があったかをもっと細かく、正確に知りたい。寺なら記録が残っているかも知れない。

 アイルーミヤ将軍は封印次元での五百年を思い出す。頭の中に仮想世界を作り、戦術や統治方法、様々な技術を研究し、発展させてきた。
 今、理由は不明だが封印が解け、現実の世界で研究結果を試している。上手く行けばいいが。いや、成功させなければ。

『みー』
 猫は研究対象ではなかった。仮想世界の仮想農場に存在はしていたが、背景のようなものだった。
 彼女はちょっと後悔している。こんなに暖かくて柔らかな存在と遊んでいれば、五百年はもっと短かっただろうに。

 復活してすぐ、廃墟となった城周辺の人間を支配下におき、他の三将軍と連絡を取った。徐々に支配地域を拡大し、闇の王の信者を増やした。
 それでも、強大な闇の王をこの世に引っ張り出すには不足だ。現在の支配地域の人間の信仰の力を注ぎ込んでも王の完全復活にはまだ足りない。かと言って無計画に領土を拡張すると統治しきれなくなる。
 ゆっくり急ぐと言う矛盾が将軍の目の前にそびえ立っていた。

 クツシタが胸から降り、テーブルの上で伸びをした。背中を丸めてそらし、後足、前足の順に伸ばす。

 それを機に一休みしようかと思ったアイルーミヤ将軍に波動が走った。それが何かを悟った彼女の目にうっすらと涙が浮かぶ。

 目覚めた。完全ではないけれど、復活への第一歩。
 目覚めた。闇の王が大きく胸を膨らませ、封印次元の裂け目からこの世の空気を呼吸した波動。

 アイルーミヤ将軍は椅子に深く掛け直し、ためた息を勢いよく吐いた。

 水晶玉が呼び出しをかけている。ローセウス将軍だった。緊急会議の開催を呼びかけている。

「ごめん、クツシタ。会議だから」
『にゃ』
 彼女はクツシタを追い出し、執務室を締め切った。

 いつものように水晶玉を配置する。右手のローセウス将軍が口を開いた。

「急な会議ですまないが、皆も感じ取ったと思う。まずはめでたく祝おうではないか」
 四人はしばらく目を閉じ、目覚めを祝う。
「さて、これで陛下復活は次の段階に入った。さらに信者が必要となる。積極的に討って出なければならないだろう」
 皆がローセウス将軍に同意した。彼女は言葉を続ける。
「しかし、一方で五百年前のような過ちを犯してはならない。個々の戦闘で勝っても、最後にひっくり返されては何もならない」

「陛下が目覚めたからには、女王も黙ってはいないでしょう」
 フラウム将軍はもう厳しい顔をしている。

「その通りです。そこで提案があるのですが、我らそれぞれの支配地域内の寺院の徹底した再調査を行ってはどうでしょう」
「理由は? アイルーミヤ将軍。我々には時間はないのだが」
ローセウス将軍が聞く。
「分かっています。しかし、陛下が目覚めたからこそ、一旦落ち着いて足元を固めたいのです。そろそろ謎を解いておきたい」

「封印に関係する謎ですね」
 フラウム将軍が身を乗り出した。

「そうです。光の女王はなぜ、陛下や我らを滅ぼさず封印だけに留めたのか。なぜ我らの封印が解けたのか。今でも陛下を封印する実力はあるのか。疑問ばかりです」

「たしかに、敵を知らずして戦に挑むのは愚かだな」
「ルフス将軍らしくない。女王も力で圧し潰すのでは?」
「からかうな。フラウム将軍。ローセウス将軍の交渉術やアイルーミヤ将軍の寺院攻略を見て学んだのだ」
 小規模反乱によほど手を焼いているらしいな、とアイルーミヤ将軍は察した。

「話がそれているぞ。私はアイルーミヤ将軍に賛成だ。情報を事前に集めて悪い事はない」
「だが、そんな人手がどこにありますか」
 いつものように三角に手を組んだフラウム将軍が、賛意を示したローセウス将軍に言う。
「陛下を完全に目覚めさせ、力を維持させるだけの信者を集めつつ、調査を行う。どこかで無理が出ますよ」

「それが狙いかも知れないな。女王が一切の変化や発展をさせずに安定した世界を作ったのは」
 いまいましそうにルフス将軍が唸って言った。それを受けて同じく苛立っているローセウス将軍が言う。
「陛下の完全なる復活までどれほどの時間がかかる事か。光の女王はじっと監視だけしていればいい。我々がどこかで致命的な間違いを犯して自滅すれば良し。そうでなければその時初めて腰を上げればいい。そういうつもりか」
「想像が多すぎます。とにかく事実を調べないといけないでしょう」
 アイルーミヤ将軍は皆を見回して言った。

『それは、アイルーミヤ、お前の、役目だ』
 全員の頭に、低く、太い声が響いた。まだぎこちなく滑らかではないが、懐かしい声だった。

 四将軍は目を閉じ、頭を垂れた。闇の王の呼びかけに体が硬直する。

『皆、よくやってくれた。久方ぶりにこの世の空気を吸った。良い気分である』

 闇の王は言葉を続け、四将軍それぞれをねぎらった後、こう付け加えた。

『しかし、アイルーミヤ。お前は将軍としてはまだ少し修行が必要だ。記録を確認したが、寺院攻略に時間をかけすぎ、かつ、援軍を要請しながら僧三十五人をこの世から取り逃がした。将軍と言うにはあまりに力不足ではないか』
 通信紙や水晶玉を使った会議など、闇の王由来の魔法を使った場合、当然ながら何をどうしたのかは王に筒抜けになる。目覚めてすぐそういった記録に目を通したのだろう。王の事務処理能力は将軍たちを遥かにしのいでいる。

 アイルーミヤ将軍は硬直したままだったが、頭の中では詫び続けていた。
『至らぬ点は改善致しますゆえ、お許しを』

『だが、先程の提案。もっともである。調査は必要だ。そこで、お前に修行の機会を与えよう。将軍から降格する。東部の支配地域は北部と合わせてローセウス将軍が統治する』

 闇の王は苦しげに言葉を切った。荒い呼吸音がする。

『お前は、各支配地域を回り、自分が言った調査任務を果たせ』

 言葉が皆の頭に染み込んでいく。

『アイルーミヤ。お前は余の直属となる。世界の謎を調べる道具となれ。そして、今後、お前は自分の物を持たない。領土も、城も、装備も、執事や召使や領民もだ。お前は余の世界の物を借りて生きるのだ。その点を心して修行せよ』

 闇の王は大きく息を吐いた。

『疲れた。余はしばらく休む。皆、働きに期待しているぞ』

 全員の硬直が解けた。さっきの王のように、ほうっと息を吐く。
 それから、三人は同時にアイルーミヤを見た。最初に口を開いたのはローセウス将軍だった。

「アイルーミヤ、部下には話をしておく。任務に必要であれば使ってくれ」

「残念だが、陛下の命令だからな。しかし、寺院攻略に学ぶ所があったのは嘘ではない。それと、私の部下も使ってくれていい」

「むしろ、良い機会と捉えてはどうでしょう? 色々と調べる事が好きなのでしょう。アイルーミヤしょ……。失礼。私も話はしておきます」

 アイルーミヤは下を向いたまま聞いていたが、三人の言葉の後、顔を上げた。口を結び、さっぱりとした表情だった。

「皆さ……、閣下、お言葉ありがとうございます。アイルーミヤ、陛下の期待に添えるよう、この身を粉にして働きます。願わくば、今後も変わりなくご支援賜りますよう伏してお願い申し上げます」

 三将軍は頷き、水晶玉は暗くなった。アイルーミヤは窓の外に広がる世界を眺めた。
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