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おまじない
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「パパ、つぎの新月っていつ?」
夕食の後、のんびりテレビを見ていたら、娘が急に聞いてきた。
「あさって。なんで?」
私は釣りのアプリで調べて答えてやった。
「ありがと。あのね、お花が枯れちゃったの」
変なことを言うなと思ってくわしく聞いてみると、学校から持って帰って育てていた花が枯れてしまったので、ネットで調べたおまじないをしたのだという。それが効果をあらわすのが次の新月なのだそうだ。
ばかばかしいと思ったが、親として気になる点がないではない。
ひとつは命についてだ。死んでしまったら元にはもどらないと教えたほうがいいかもしれない。
もうひとつはそういうオカルト系の怪しいサイトを見るのはやめた方がいいのではないかという心配だ。しかし、妻は、小さい女の子にはありがちなんだから、もうすこし様子を見たら、と言った。
その夜、娘が寝た後、履歴を調べた。これは娘がネットを使いたいと言った時の約束で、当分はパパとママが利用の仕方をチェックすると言ってあるのでのぞき見ではない。
そのサイトは古臭い作りだった。たしかに小学校低学年の女の子が好みそうな色づかいや書体だったが、サイト作成ソフトのひな型をそのまま使ったようだった。おまじないも成績が上がるものや、先生に怒られないもの、好きな男の子の隣の席になれるものなど、たわいないものばかりだった。
その中に「よみがえりのおまじない」があった。ほかのとおなじで大した手順ではない。砂糖や塩のように家庭で簡単に手に入るものを使い、色鉛筆でなにやら模様を描く。呪文も単純で可愛らしい言葉だ。それをすると、次の新月の時によみがえるのだという。
くだらない。だが、「よみがえり」というのがいやな感じだ。やはり親として、命について話をした方がいいと思った。
しかし、それから仕事の忙しさなどにまぎれ、きちんと話ができないまま、新月の夜は明けた。
「やった! パパ、ママ、見て! おまじないきいたよー」
植木鉢には枯れた草が植えてあったが、その真ん中からあざやかな緑色の芽が出ていた。
私は苦笑いした。それはおまじないのおかげじゃなくて、その草は本当は枯れていなかっただけなんだと、どう説明しよう。
「もともと枯れてなかったのよ。根が生きてたんじゃない?」
妻があっさり言った。
「ええー、そうかなあ。あたしはおまじないがきいたんだって思うけどなぁ……」
娘は納得していないようだったが、とにかく生き返ったので喜んでいた。それは一月後に小さな黄色い花をつけた。
「パパ、きょう新月だよね」
その花も落ち、草を植木鉢から庭に植え替えてやったころ、娘がまた聞いてきた。
「そうだよ。どうしたの?」
「金魚がね、さかさまになって浮いたまま動かないの。だからおまじないしたの」
娘の机には、プラスチックの水槽があり、金魚が一匹入れてある。そう言われて見てみると、腹を上にして浮いていた。指先でつついてみても反応がない。
「かわいそうだけど死んじゃったんだよ。このままにしておけないから埋めてあげよう」
「だめ、おまじないしたから」
妻のほうを見ると、首をふった。おなじことを昼間から言っているのだが聞かないらしい。
私はいい機会だと思った。どうせ明日になればわかる。それから今までしなければと思って放っておいた命の話をきちんとしようと決めた。それで、そのときはそれ以上なにも言わなかった。
新月の夜が明けた朝、私も妻も驚いていた。はじめは妻がひそかに入れ替えたのかと思ったが、妻も私がそうしたと思っていたらしい。
「温度か酸素か、なにかのせいで仮死状態だったのかな」
「たぶん、そうよ。でも、私、つっついたりして何度も確かめたのに」
「おれもだ。たしかにつついてもぴくりとも動かなかった。えらだって全然……」
金魚はうれしそうに微笑む娘に見守られて水草の間を元気に泳ぎ回っていた。
そんなことがあったものだから、言おうと思っていた話もできずに様子を見ているうちに半年ばかり経った。もうおまじないのことは忘れていた。娘もそうだっただろう。それに、それどころではないことが起きた。
ある日、不幸が娘の友達を襲った。最初は風邪だと思っていたそうだが、あっという間に小さな命が奪われた。だれのせいでもなかったが、親として、娘と同年代の子が亡くなったのはつらい。とくに、葬式でその子の両親の顔を見た時は思わず涙がこぼれた。
しかし、娘は泣かなかった。無表情だったが、涙はこぼさなかった。それがかえって心配だったので、帰宅後、大丈夫か聞いてみた。
「だいじょうぶ。あたし、しらべたの。あした新月でしょ」
妻と顔を見合わせた。それから親子三人で話をした。これはもうほかの場合とちがう。すぐにでもわからせなければならない。命がどれほど尊いものか。失われたら取り返しはつかない。そして、今日行った葬式とはどういうもので、なぜ行うのか話し、よみがえりだのなんだのといった怪しげな行為で冒涜してはいけないということを、子供に分かりやすい言葉を選んで、長い時間かけて説明した。
もう友達は帰ってこないとわかったのか、娘は泣き出した。おまじないなんかでたらめで、花も金魚ももともと死んでなかったんだと納得してくれた。私たちは泣いた娘にほっとしていた。やさしく背中をなで、思う存分涙を出させてあげてから、泣きつかれた娘を寝かせた。寝る前に、もうおまじないはしないと約束をした。
なのに、なにが引っかかってるんだろう。
私は自分をどうかしてると思いながら、またあのサイトを開いていた。「よみがえりのおまじない」を見る。よく読むと下のほうに小さい字で注意書きがあった。前は読み飛ばしていたが、今度はじっくり読んでみた。
「よみがえり」には呪文を正しく唱えることが必要とある。そして、その下に、新月の夜が明けるまでは、死体を切ったり埋めたり燃やしたりして壊してはいけないとあった。
だから金魚を埋めさせなかったのかと思いながら、さらに読み進めると、とんでもない警告があった。
もし、死体がもとの形を保っていなかった場合、よみがえってきた命が入る体がないので、呪文を唱えた者の体を乗っ取ってしまうと書かれていた。そして、もし死体が損なわれた場合、おまじないを取り消す方法というリンクがはってあった。
悪趣味な脅しだな、とリンクをクリックすると、おそろしい手順が書いてあった。
取り消すには、おまじないをした本人か、その親兄弟といった血の濃い家族が、新月の夜になる前にどの指でもいいから一本切断し、出血しているうちに以下の呪文を唱えよとあった。呪文は古代の言葉で、切る、という意味だそうだ。それは一音節で、特殊な発音ではなく、すぐに覚えられた。
これはひどいな。遊びの範囲じゃない。抗議しようとしたが、作成者は連絡先を記載していなかった。ふざけた奴だと舌打ちしてURLを見ると、大手のプロバイダのサービスを使っていたので、そこの問い合わせ先に、危険な行為を行わせようとしているサイトがあるという旨のメールを送っておいた。
しかし、どうももやもやする。私は花と金魚、とくに金魚について思い出そうとしていた。たしかに死んでいた。植物の生死についてはきちんと判定したと言えないが、金魚は確実だった。あのときは仮死と理屈をつけたが、自分では納得していない。
「よみがえり」なんてあるのだろうか? いや、いま考えるべきは仮にこのサイトの記述が正しかった場合についてだ。その場合、娘を失ってしまう。
くだらない、と笑い飛ばせないなにかがあった。花、金魚。
もし指を切断するのなら私がやる。会社の工作機械を使えば痛みもなしに一瞬でできる。やるなら明日しかない。
いやいや、なにを考えているんだ。私は。いい大人なのに。
娘の部屋のドアを細目に開ける。金魚が水草の間でじっとしている。そこから娘に目を移した。この子のためだったらなんでもできる。
私はじっと娘の寝顔を見たまま立っていた。
(了)
夕食の後、のんびりテレビを見ていたら、娘が急に聞いてきた。
「あさって。なんで?」
私は釣りのアプリで調べて答えてやった。
「ありがと。あのね、お花が枯れちゃったの」
変なことを言うなと思ってくわしく聞いてみると、学校から持って帰って育てていた花が枯れてしまったので、ネットで調べたおまじないをしたのだという。それが効果をあらわすのが次の新月なのだそうだ。
ばかばかしいと思ったが、親として気になる点がないではない。
ひとつは命についてだ。死んでしまったら元にはもどらないと教えたほうがいいかもしれない。
もうひとつはそういうオカルト系の怪しいサイトを見るのはやめた方がいいのではないかという心配だ。しかし、妻は、小さい女の子にはありがちなんだから、もうすこし様子を見たら、と言った。
その夜、娘が寝た後、履歴を調べた。これは娘がネットを使いたいと言った時の約束で、当分はパパとママが利用の仕方をチェックすると言ってあるのでのぞき見ではない。
そのサイトは古臭い作りだった。たしかに小学校低学年の女の子が好みそうな色づかいや書体だったが、サイト作成ソフトのひな型をそのまま使ったようだった。おまじないも成績が上がるものや、先生に怒られないもの、好きな男の子の隣の席になれるものなど、たわいないものばかりだった。
その中に「よみがえりのおまじない」があった。ほかのとおなじで大した手順ではない。砂糖や塩のように家庭で簡単に手に入るものを使い、色鉛筆でなにやら模様を描く。呪文も単純で可愛らしい言葉だ。それをすると、次の新月の時によみがえるのだという。
くだらない。だが、「よみがえり」というのがいやな感じだ。やはり親として、命について話をした方がいいと思った。
しかし、それから仕事の忙しさなどにまぎれ、きちんと話ができないまま、新月の夜は明けた。
「やった! パパ、ママ、見て! おまじないきいたよー」
植木鉢には枯れた草が植えてあったが、その真ん中からあざやかな緑色の芽が出ていた。
私は苦笑いした。それはおまじないのおかげじゃなくて、その草は本当は枯れていなかっただけなんだと、どう説明しよう。
「もともと枯れてなかったのよ。根が生きてたんじゃない?」
妻があっさり言った。
「ええー、そうかなあ。あたしはおまじないがきいたんだって思うけどなぁ……」
娘は納得していないようだったが、とにかく生き返ったので喜んでいた。それは一月後に小さな黄色い花をつけた。
「パパ、きょう新月だよね」
その花も落ち、草を植木鉢から庭に植え替えてやったころ、娘がまた聞いてきた。
「そうだよ。どうしたの?」
「金魚がね、さかさまになって浮いたまま動かないの。だからおまじないしたの」
娘の机には、プラスチックの水槽があり、金魚が一匹入れてある。そう言われて見てみると、腹を上にして浮いていた。指先でつついてみても反応がない。
「かわいそうだけど死んじゃったんだよ。このままにしておけないから埋めてあげよう」
「だめ、おまじないしたから」
妻のほうを見ると、首をふった。おなじことを昼間から言っているのだが聞かないらしい。
私はいい機会だと思った。どうせ明日になればわかる。それから今までしなければと思って放っておいた命の話をきちんとしようと決めた。それで、そのときはそれ以上なにも言わなかった。
新月の夜が明けた朝、私も妻も驚いていた。はじめは妻がひそかに入れ替えたのかと思ったが、妻も私がそうしたと思っていたらしい。
「温度か酸素か、なにかのせいで仮死状態だったのかな」
「たぶん、そうよ。でも、私、つっついたりして何度も確かめたのに」
「おれもだ。たしかにつついてもぴくりとも動かなかった。えらだって全然……」
金魚はうれしそうに微笑む娘に見守られて水草の間を元気に泳ぎ回っていた。
そんなことがあったものだから、言おうと思っていた話もできずに様子を見ているうちに半年ばかり経った。もうおまじないのことは忘れていた。娘もそうだっただろう。それに、それどころではないことが起きた。
ある日、不幸が娘の友達を襲った。最初は風邪だと思っていたそうだが、あっという間に小さな命が奪われた。だれのせいでもなかったが、親として、娘と同年代の子が亡くなったのはつらい。とくに、葬式でその子の両親の顔を見た時は思わず涙がこぼれた。
しかし、娘は泣かなかった。無表情だったが、涙はこぼさなかった。それがかえって心配だったので、帰宅後、大丈夫か聞いてみた。
「だいじょうぶ。あたし、しらべたの。あした新月でしょ」
妻と顔を見合わせた。それから親子三人で話をした。これはもうほかの場合とちがう。すぐにでもわからせなければならない。命がどれほど尊いものか。失われたら取り返しはつかない。そして、今日行った葬式とはどういうもので、なぜ行うのか話し、よみがえりだのなんだのといった怪しげな行為で冒涜してはいけないということを、子供に分かりやすい言葉を選んで、長い時間かけて説明した。
もう友達は帰ってこないとわかったのか、娘は泣き出した。おまじないなんかでたらめで、花も金魚ももともと死んでなかったんだと納得してくれた。私たちは泣いた娘にほっとしていた。やさしく背中をなで、思う存分涙を出させてあげてから、泣きつかれた娘を寝かせた。寝る前に、もうおまじないはしないと約束をした。
なのに、なにが引っかかってるんだろう。
私は自分をどうかしてると思いながら、またあのサイトを開いていた。「よみがえりのおまじない」を見る。よく読むと下のほうに小さい字で注意書きがあった。前は読み飛ばしていたが、今度はじっくり読んでみた。
「よみがえり」には呪文を正しく唱えることが必要とある。そして、その下に、新月の夜が明けるまでは、死体を切ったり埋めたり燃やしたりして壊してはいけないとあった。
だから金魚を埋めさせなかったのかと思いながら、さらに読み進めると、とんでもない警告があった。
もし、死体がもとの形を保っていなかった場合、よみがえってきた命が入る体がないので、呪文を唱えた者の体を乗っ取ってしまうと書かれていた。そして、もし死体が損なわれた場合、おまじないを取り消す方法というリンクがはってあった。
悪趣味な脅しだな、とリンクをクリックすると、おそろしい手順が書いてあった。
取り消すには、おまじないをした本人か、その親兄弟といった血の濃い家族が、新月の夜になる前にどの指でもいいから一本切断し、出血しているうちに以下の呪文を唱えよとあった。呪文は古代の言葉で、切る、という意味だそうだ。それは一音節で、特殊な発音ではなく、すぐに覚えられた。
これはひどいな。遊びの範囲じゃない。抗議しようとしたが、作成者は連絡先を記載していなかった。ふざけた奴だと舌打ちしてURLを見ると、大手のプロバイダのサービスを使っていたので、そこの問い合わせ先に、危険な行為を行わせようとしているサイトがあるという旨のメールを送っておいた。
しかし、どうももやもやする。私は花と金魚、とくに金魚について思い出そうとしていた。たしかに死んでいた。植物の生死についてはきちんと判定したと言えないが、金魚は確実だった。あのときは仮死と理屈をつけたが、自分では納得していない。
「よみがえり」なんてあるのだろうか? いや、いま考えるべきは仮にこのサイトの記述が正しかった場合についてだ。その場合、娘を失ってしまう。
くだらない、と笑い飛ばせないなにかがあった。花、金魚。
もし指を切断するのなら私がやる。会社の工作機械を使えば痛みもなしに一瞬でできる。やるなら明日しかない。
いやいや、なにを考えているんだ。私は。いい大人なのに。
娘の部屋のドアを細目に開ける。金魚が水草の間でじっとしている。そこから娘に目を移した。この子のためだったらなんでもできる。
私はじっと娘の寝顔を見たまま立っていた。
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