上 下
1 / 5
第Ⅰ章 奴隷の王国編

第1話 No.14328

しおりを挟む
 話をしよう。何者にもなれなかった、ある人族の少年の話だ。

 少年の名は……。そうだな、今は№14328と云ったか。赤い砂漠に存在する人間の王国の、どこかの奴隷小屋。その隅にうずくまり、鉄格子の小窓からぼんやりと夜空を眺める人間である。
 少年は転生者だった。『ロウニンセイ』と云って、まあそういう社会的な立場をもって勉学に励んでいたという訳だ。何のためかって? 大学に行くためだよ。医学を学ぶためのね。ああ、医学? まあ、治癒魔法の類だと思ってくれればいいさ。
 そんな少年が、どうやってこの世界に来たのかって? 暴走して歩道に突っ込んできたトラックに轢き潰されたんだよ。ああ、トラック? まあ、うん。そうだね、馬がなくても動く馬車だとでも思ってほしい。え? 意味が分からない? ……面倒だからいつものように心読めば?
 ああ、ごめん。悪かったって。で、少年はとある商人の次男坊としてこの世界に転生した。生まれてしばらくは可愛がられていたと思うんだけど、そうだな、多分5歳くらいの頃だろうか。その頃から両親に気味悪がられるようになった。可愛そうだって? 何を言う。半分くらい君たちの所為だろう? 
 まあ、半分くらは僕自身の所為なんだけどね。分かっているさ。分かっているから耳元で呪詛を囁くのはやめてくれ。死んじゃうから。
 で、嫌われた少年は8歳の誕生日に売られた。商売が上手くいかなくなって、借金の形として真っ先にね。真っ先だよ? ペットのピーちゃんはおろか、父親の愛人よりも先だよ? 母親のネックレスよりも先だよ? 酷いよね、まったく。前世の両親とは大違いだ。もっとも、前世の母親の愛は重すぎたんだけどね。
 話を戻そう。で、少年はこの王国の、この奴隷小屋に放り込まれた。以来こき使われ、碌な食事も与えられず、どんなに鞭に打たれようとも、少年は健気にも労働に従事している。11歳となった今も、ね。
『めでたし、めでたし』
 めでたくないめでたくない。ともかく今晩は寝かせてくれ。寝坊したら拷問の練習台にされるのは、君たちもよく知るところでしょう。面白おかしく鑑賞していやがったのは許すから、さっさと失せることだ。
『おやすみなさい』
 おやすみ。……いたずらしたら、わかっているよね?
『……』
 おい、何か言え。都合が悪くなったら黙るとか卑怯だぞ!
『……』
 一つ、ため息。まったく、あんたたちが『昔話をして』と嬉々として懇願するもんだから貴重な睡眠時間を削ったというのに。
「……おやすみなさい、妖精さん」

 ***

「お前ら、さっさと運べ!」
 照りつける太陽の下、不毛の大地にて多種族の奴隷たちは労働に従事する。王都の外壁に沿って堀を築くという、簡単なお仕事。その簡単なお仕事で、夥しい数の奴隷が命を落とした。ああそう、死んだ奴隷を埋めるのも奴隷の仕事だった。
 人間、獣人、エルフ、ドーワフ。奴隷みな兄弟。あはは。
『大丈夫? そんなにやせ細っちゃって』
 同情するなら水をくれ。兵士と他の奴隷にばれないようにね。
『空の高さと同じだけ、地面を掘ってみるといいよ』
 それはひょっとして、ギャグで言っているのか? だとしたら笑えないよ、それ。
『……?』
 おいおいマジですか。まあ付き合いも短くないし、何となく察するところではあったけどね。……一応、あんたらに地下水の汲み上げ、頼んでもいい?
 うん、だめか。知ってた。
「おいそこ、ぼさっとするな!」
 はいはい。えっと、「選ばれし、うんたら王国民」とかなんとか、だっけ? まあ、抵抗する体力も気力も余っていない訳ですし、素直に従いますよっと。従うから、鞭で叩かんでくれ。
『もしかして、ドM?』
 誰が好きでこんなこと、と言いたいところだが、これまた大真面目に言っているんだよな。皮肉じゃなくてね。残念なことに。
「これ、どうしますか?」
 赤い砂埃の向こうへ目を凝らす。若い雑兵が剣先でつつくのは……、何の死体だろうか。ともかく、見慣れた光景である。慣れたくはなかったが。
「いつも通り埋めさせておけ。おい、そこのお前!」
 偉そうな雑兵が唾を飛ばす。あ、僕ですか。そうですか。
 歩み寄る。獣人の女の子だった。僕はいつも通り彼女を抱え、奴隷たちが「墓場」と呼ぶ場所へと向かう。雑兵たちは「ゴミ捨て場」とか笑っていたが、あくまでそこは「墓場」である。
 そこは、一見ただの穴であった。屍が重なっているだけの、穴であった。しかしそこは奴隷たちにとっての墓場である。本来なら一人ずつ丁寧に埋葬すべきところではあるが、やはりそんな体力も気力も残っていない。
「ごめんなさい。どうか、安らかに」
『そう言う割には、放り投げるのですね』
 だから、余裕ないんだって。滑り降りて、そっと置くの余裕とか、残ってないんだって。あんたらが回復魔法でも掛けてくれるなら、話は別なんだけど。
『……』
 うん、知ってた。それならそれで変な口は挟まないで欲しいのだが。
 
 そんなこんなで、淡々と、今日も残酷な一日は過ぎていった。18時間労働がようやく終わり、ちょろっと夕食を取ったら、あら不思議。もう寝る時間である。
「今日、何人死んだ?」
『人間が13人、獣人が8人、エルフが21人、ドワーフが10人の計52人です』
 そんな淡々と言わんでも。
『でしたら、どのように言えばよかったのでしょうか』
 えっと、もっと、こう……。ああ、そう、もっと悲しそうに。
『人間が13人、獣人が8人、エルフが21人、ドワーフが10人の計52人です』
 変わっていないですよ妖精さん。
『しかし、我々は悲しくなどありません。どうして悲しそうに言う必要があるのでしょう?』
 ……もういい。頼んだ僕がバカだった。それに僕だって、悲しいという感情がパッと浮かんでこなかった。
「それは……」
 最後に悲しいと思ったのは、いつだっけ。見知った顔を見送ったとき? この世界の両親に売られたとき? 悪魔の烙印を押されたとき? 前世で死んだとき? 受験に失敗したとき? 模試で結果が出なかったとき? それとも……。
「母さんを、失望させたとき?」
 寒い。寒いよ母さん。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。こんなに謝ったんだから、許してくれるよね? 2,3度ぶつだけで、許してくれるよね? まさか、100点に足りない分だけ、殴ってきたりしないよね?
『なぜ、ここで前の世界のことを思い出すの?』
「……なぜって、それは……」
 本当に、何故だろう。前世のことなんて、考えたってしょうがないはずなのに。
『だれか、近づいてきます』
 もう黙ててくれ。僕はもう寝る。
『エルフの、女の子ですね。一体どうしたのでしょう』
 確かに、それらしい足跡は気かづいてくる。しかし僕はもう疲れた。狸寝入りさせてくれ。
「……あの」
 無視だ無視。こうして話しかけられること自体は初めてではないが、ずっと無視している。ここで誰かに情が沸いたところで、その誰かはすぐに失われてしまうのだから。そしてその誰かが彼女のような優しい声の持ち主だと、失われたとき正気でいられるかどうか……。
「おきて、いますよね」
 つんつんと。ゆさゆさと。さすがに、無理があったか? いや無理があったとしても、今更起きて話す気力はない。すまないが、本当に疲れているんだ。
「……わかりました」
 つんつんとゆさゆさを止めてくれた。見逃してもらえたか?
「では、今から見張りの憲兵に体を売ってきます」
 は?
『わお』
「私は感じやすいんです。声、我慢できないと思いますよ」
 こ奴、いきなり、何を……。いや、声色は至って真面目だ。まずい。非常にまずい。
 一つ、ため息。
「……よかった。起きておられたのですね」
「あなたこそ、こんな時間に何の用です?」
「……ごめんなさい。その、突然で悪いんですけど」
 顔はよく見えないが、なんとなくもじもじしているのが見て取れる。まさか、トイレに……。
「一緒に、寝てください!」
「……は?」
 声に、出てしまった。いや、え? あの憲兵さんとなんとやらの下り、冗談ではなかったとでもいうのだろうか。
『何を驚いているの?』
 妖精さんよ、これは驚かないという方が無理だろう。妖精さんの感性をもってすれば、驚かなくてもいいのかもしれないけど。
「だめ、でしょうか」
 やめて! そんなうるうるした目で僕を見るのは止めて! 
 うん、なんかもう、疲れた。
「……わかりました、勝手にしてください」
 僕が折れるなり、彼女は隣に滑り込んできた。そして、すぐ寝た。
 まるでそれは、飼い主の膝の上で寝る猫のようだと、勝手に思った。
 
しおりを挟む

処理中です...