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耳を澄まして、
耳を澄まして、#02
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◇◆◇
いくつかの角を曲がり、香りだけを頼りにようやく一軒の 見世の前で足を止める。
「……ここ、は……」
聞いたことだけはあった。けれど、実際にその目で見るのは今日が初めてだった。
――花街には女だけではなく、男が男の客を取る、 陰間茶屋なるものが存在する、と。
どうやら、自分は陰間茶屋街に迷い込んでしまったらしい。辺りを見回すと、同じような見世が何軒も並んでいる。その中でも、特に目を引いたのが、今自分が立っているこの見世だ。周りの 男娼たちが男の着物を着て 張見世の中で座って客を誘っている中、その見世だけは男娼たちに女性の着物を着せ、客を取らせていたからかもしれない。
その中で一人の男娼と目が合う。赤みがかった短髪に、一目で分かるさらりとした髪質。どこか憂いを含んだ、悲しげで大きな瞳。髪の色と同じく、赤い女用の着物。わずかに覗く、肌は白く透き通り、まるで穢れを知らないようだった。ごくり、と唾を呑む。
「……!」
大通りで感じた香り。無意識に香りに引寄せられ、その香りが一層濃くなった時、まさに夢から覚めたような心地だった。これは夢ではなく、現実なのだと、雨月の鼻をくすぐる香りが物語っている。一瞬目の合ったあの赤髪の男娼は、すぐに他の男娼の後ろに隠れてしまったのか、姿が見えなくなってしまっていた。
「お客様、お決まりですかな?」
見世の奥から、 楼主が顔を出す。別に自分は、男娼を取るためにここへ来たわけではない。慌てて断ろうと口を開いて、出てきた言葉に自分でも驚いてしまう。
「……そこの彼を。そこの赤髪の彼を……お願い出来ますか?」
「…………」
雨月の言葉に一瞬、楼主は何とも言えぬ複雑そうな表情を浮かべるが、すぐにそれは影を潜め、商売用の貼り付けたような笑顔を浮かべながら雨月を中へと案内したのだった。
◇◆◇
『いやだ…っ、離して! オレは……客なんて……っ』
『いい加減にしろ……ッ、身寄りのない貴様を引き取ってやった恩を忘れたか!』
部屋に通され、こんなことになってしまった自分の愚かさを嘆いていると、何やら廊下が騒がしい。気になって襖に手をかけた――その時。
「「……っ!」」
部屋に入ってきた……というより、無理矢理押し込まれたらしい男娼と派手にぶつかり、そのまま体制を崩し、結果として雨月は彼に押し倒されるような格好になってしまう。
「……っ、あなたは……」
一瞬、驚いて姿を確認することが出来なかったが、彼は自分が指名した男娼だと気付く。
「そ、それでは……お客様、ごゆっくりどうぞ」
逃げるように楼主は部屋を出ていく。
「…………」
「…………」
「……あんなに嫌がっていたのに……、私の上はそんなに心地がいいですか?」
楼主が去った後も、顔を上げず雨月の上に覆いかぶさったままの男娼に雨月は優しく声をかける。
「あなたが私に〝なにもしてほしくない〟と言うのなら、私は何もしません。だから……いい加減、そこからどいていただけませんか?」
『身動きが取れなければ、何もされない』とでも思っているのだろうか。頑なに退こうとしない男娼。やがて男娼はゆっくりと顔を上げると、涙を溜めた瞳で雨月を見つめながら、ようやく言葉を発する。
「……ほんとう?」
(……ッ!)
鈍器で頭を殴られたような衝撃。今まで生きてきて、一度も感じたことのない感情。
元より隠してはいるが、雨月は小動物や愛らしい小物には目がなかった。人目を忍んで目ぼしい小物を買いに行っては、部屋の奥底にしまってある。彼との出会いは、新しく愛らしい小物や小動物を見つけた時のそれによく似ているのに、それとは比べものにならない程の感覚。
これを雨月が恋だと知るのは……、もう少し先のお話――。
いくつかの角を曲がり、香りだけを頼りにようやく一軒の 見世の前で足を止める。
「……ここ、は……」
聞いたことだけはあった。けれど、実際にその目で見るのは今日が初めてだった。
――花街には女だけではなく、男が男の客を取る、 陰間茶屋なるものが存在する、と。
どうやら、自分は陰間茶屋街に迷い込んでしまったらしい。辺りを見回すと、同じような見世が何軒も並んでいる。その中でも、特に目を引いたのが、今自分が立っているこの見世だ。周りの 男娼たちが男の着物を着て 張見世の中で座って客を誘っている中、その見世だけは男娼たちに女性の着物を着せ、客を取らせていたからかもしれない。
その中で一人の男娼と目が合う。赤みがかった短髪に、一目で分かるさらりとした髪質。どこか憂いを含んだ、悲しげで大きな瞳。髪の色と同じく、赤い女用の着物。わずかに覗く、肌は白く透き通り、まるで穢れを知らないようだった。ごくり、と唾を呑む。
「……!」
大通りで感じた香り。無意識に香りに引寄せられ、その香りが一層濃くなった時、まさに夢から覚めたような心地だった。これは夢ではなく、現実なのだと、雨月の鼻をくすぐる香りが物語っている。一瞬目の合ったあの赤髪の男娼は、すぐに他の男娼の後ろに隠れてしまったのか、姿が見えなくなってしまっていた。
「お客様、お決まりですかな?」
見世の奥から、 楼主が顔を出す。別に自分は、男娼を取るためにここへ来たわけではない。慌てて断ろうと口を開いて、出てきた言葉に自分でも驚いてしまう。
「……そこの彼を。そこの赤髪の彼を……お願い出来ますか?」
「…………」
雨月の言葉に一瞬、楼主は何とも言えぬ複雑そうな表情を浮かべるが、すぐにそれは影を潜め、商売用の貼り付けたような笑顔を浮かべながら雨月を中へと案内したのだった。
◇◆◇
『いやだ…っ、離して! オレは……客なんて……っ』
『いい加減にしろ……ッ、身寄りのない貴様を引き取ってやった恩を忘れたか!』
部屋に通され、こんなことになってしまった自分の愚かさを嘆いていると、何やら廊下が騒がしい。気になって襖に手をかけた――その時。
「「……っ!」」
部屋に入ってきた……というより、無理矢理押し込まれたらしい男娼と派手にぶつかり、そのまま体制を崩し、結果として雨月は彼に押し倒されるような格好になってしまう。
「……っ、あなたは……」
一瞬、驚いて姿を確認することが出来なかったが、彼は自分が指名した男娼だと気付く。
「そ、それでは……お客様、ごゆっくりどうぞ」
逃げるように楼主は部屋を出ていく。
「…………」
「…………」
「……あんなに嫌がっていたのに……、私の上はそんなに心地がいいですか?」
楼主が去った後も、顔を上げず雨月の上に覆いかぶさったままの男娼に雨月は優しく声をかける。
「あなたが私に〝なにもしてほしくない〟と言うのなら、私は何もしません。だから……いい加減、そこからどいていただけませんか?」
『身動きが取れなければ、何もされない』とでも思っているのだろうか。頑なに退こうとしない男娼。やがて男娼はゆっくりと顔を上げると、涙を溜めた瞳で雨月を見つめながら、ようやく言葉を発する。
「……ほんとう?」
(……ッ!)
鈍器で頭を殴られたような衝撃。今まで生きてきて、一度も感じたことのない感情。
元より隠してはいるが、雨月は小動物や愛らしい小物には目がなかった。人目を忍んで目ぼしい小物を買いに行っては、部屋の奥底にしまってある。彼との出会いは、新しく愛らしい小物や小動物を見つけた時のそれによく似ているのに、それとは比べものにならない程の感覚。
これを雨月が恋だと知るのは……、もう少し先のお話――。
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