暗香浮動 第二章

澪汰

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零れた感情は溢れるばかりで、

零れた感情は溢れるばかりで、#03

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◇◆◇


 あれは雪がしんしんと降りしきる、冬の寒い日のことだ。
 弥彦の父親でもある歌舞伎座〝京屋《かなぐりや》〟の先代が、酒に酔って帰って来た事があった。普段は厳格な父親であったけれど、酒がまわると途端にその様は一変した。酒はその人本来を引き出すというし、これが彼の素なのかもしれないがそれは当時まだ幼かった弥彦には知る由もなかった。

「やひこぉー、土産があるぞー……ヒックッ……」

 近寄っただけで分かる酒臭さ。親父は大きな演目を成功させる度に、こうして飲み明かす。いつもは若い弟子達が親父を介抱しているのだけれど、その日は珍しく見知らぬ人物だった。

(……女……? いや……女にしては、身体つきが……)

「えっと……、怪しい者じゃないからお父さんの部屋、教えてくれないかな」

 それが今や京屋の女形に欠かせない存在となっている、千景との初めての会話だった。『腕が限界なんだ』などと言う、弥彦の父親に肩を貸す千景の腕はぷるぷると震えていた。

 後になって知ったことだが、千景は陰間茶屋で働いていたそうだ。歌舞伎界では度々、演目に欠かせない〝女形〟を育てるために顔の良い若い者をその手の茶屋に預け、修行させることがあった。そして、頃合いを見て身請けさせる。逆に元々男娼だった者を身請けして、女形に育てることもある。こちらは極稀なことだが、千景は後者だった。先代が、身内を引き取りに行った際、ついでに身請けしてきたらしい。


 それから少しして、京家への正式な入門が決まると、千景は女形としての修行を積みながら、弥彦の付人も兼任するようになった。その人柄からか、千景はすぐに京屋の者達と親交を深めているようだった。

(……少し、羨ましい)
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