蘭と蕾

伊東悠香

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1章

4話 喧嘩(1)

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 蘭が合宿から戻り、2学期も始まって、すっかり夏休み前の生活に戻った。
 その間、私は家の中にいるのがつらくて毎日のように水上くんと過ごした。
 彼が教えてくれた洋楽を聴きまくったり、その感想を言いながら自分の好きな最近の曲とかも彼に教えたりした。
 外から見たら、当然付き合ってるんだろう…って見えるほどの近い付き合い。
 でも、私達はあまりそういうのを意識しない程度に心の距離は保っていた。
 水上くんの中には由美子さんがまだまだ生きているんだろうなと思わせられる場面が何回かあって、それは彼にとっては無意識なんだろうけど、傷の深さを連想させられた。

「ねえ……誰にメール打ってるの?」

 夜私の家まで送ってくれると言って一緒に電車に乗ってると、彼は必ず誰かにメールを打っている。
 何となく気になってそう聞いてみたら、水上くんはハッとした顔で携帯をパタンと閉じる。
「別に。ちょっと過去メール削除してただけ」
「……そうなんだ」
 あまり追求できなかったけど、多分あれは由美子さんにメールを打つ癖が抜けないって言ってた例の行動に違いない。

 返事の来ないメール。
 返事の無い電話。

 言葉は悪いけど、彼は由美子さんという存在に縛られている感じがした。
 やっぱり亡くなったという事は受け止めて相手をちゃんと成仏させてあげないと、水上くんは一生由美子さんの幻影を抱いて生きていかなければいけない……。
 でも、まだまだそんな言葉を言う事が出来るほど私は水上くんを知らない。
 彼はいつでも明るく積極的に私と接してくれてる。
 それが多少無理をした演技な事も、私は察知していた。
「私……何も話さなくても過ごせる人だから。水上くんのペースでいてほしい」
 そんな事を言った事もあった。
 すると、それに対しても彼はビックリした顔をして私の顔を見た。
 何で私が彼の無意識の演技に気付いてるのか、不思議だったみたいだ。
「俺、何か不自然だったか?」
「ううん。少しね、無理してるのかなーって思って」
 そう言うと、彼は髪を掻き上げながら頭を左右に振った。
「蕾は、やっぱり感受性鋭すぎだよ。普通俺のこの微妙な不自然さには気付かない。親ですら俺の様子が少し変化した事には気付いてないんだ」
 私が気付いている彼の多少の不自然さ。
 それに気付いている事すら内緒にした方がいいのかな……と思ったけど、近くにいるとどうしても気になってしまう。
「ごめんね。もし傷を深めてるようなら私、水上くんと会うの少し控えるよ」
 私が何気なく言う言葉が少し彼を傷つけている感じがして、いたたまれない気分になる。
 でも、水上くんはとっさに私の手を握って慌てた顔をする。
「違う、蕾がいてくんなきゃ俺の方が困る」
「水上くん?」
 綺麗なブルーに縁取られた瞳。
 彼の顔を近くて見るのは初めてじゃないのに、何故かドキドキする。

「外からどう見えてるのか分からないけど、俺……蕾に会うまで半分死んでたような感じがしてた。でも、何かこうやってお前と一緒にいるようになってからすごく気持ちが楽になった。蕾さえ嫌じゃなければ今の状態で付き合い続けて欲しいんだけど」
 真面目な顔でそんな事を言われて、私も戸惑う。
 恋愛感情があっての言葉なのか、寂しさを埋める存在に対する言葉なのか。
 彼が私に向けてくれる好意の種類が分からない。
 でも、会いたくないって思うほどでも無くて……私も水上くんと一緒にいる事でマーくんから逃げていられたから、お互い様だったのかもしれない。


 ずっと私が家を空けてたから、マーくんも私のさり気ない拒否の行動を感じているようだった。
 家の中でバッタリ会うとお互い気まずい雰囲気が流れる。
 会話をしないで、「おはよう」とか「おやすみ」ぐらいしか出てくる言葉が無い。
 そんな私達の様子を見ていて、蘭も何か思うところがあったみたいだ。
「ねえ……夏休みにマーくんと何かあったの?」
 めずらしく、蘭の方から私に彼の事を聞いてきた。
「別に。1回だけ花火大会に一緒に行ってもらったけど……それだけ」
 私がそう答えると、蘭は少し驚いていた。
 まるで何でマーくんが私なんかと花火大会に行ったのかって感じだ。
「蕾が誘ったの?」
「そうだよ。悪い?」
 無意識に棘のある言い方になってしまう。
 蘭が軽く傷ついた顔をするから、余計ムカムカとする気持ちになってしまって、自分で抑えられない。
「蘭が合宿行ってるから悪いんでしょう?」
「別に悪いなんて言ってないよ……」
 しょんぼりした蘭を見て、私はどうしてもっと攻撃してこないのかと思ってしまう。
 これじゃあ、私が蘭をいじめているみたいじゃない。
「……マーくんは私達のお兄ちゃんなんだからね。血は繋がってなくても、お兄ちゃんなんだよ」
 蘭は自分の感情を必死で抑えるような仕草をして、そんな事を言った。
「知ってる。でも、それを踏み超えた意識を持ってるのは私だけじゃないでしょ?」
「違う。私はマーくんをお兄ちゃんだと思ってるよ」
 どこまでもいい子を演じようとする蘭に、私もとうとう我慢ができなくなった。
「いい子ちゃんぶるの止めて、もういい加減に本心暴露しちゃえば?」
 私の剣幕に、蘭が怯えた目で見る。

(どうしてそういう反応なの……)

「蕾はどうしていつもそうやって私に敵意を向けてくるのよ」
「私は蘭みたいに要領が良くないんだよ。だから本心を丸ごとぶつけるしか方法が分からないの」
 そこまで言ったところで、マーくんが何事かと廊下に現れた。
「何言い争ってんの。二人で話してるのめずらしいなと思ったら……」

 全ての原因はあなたなの。
 あなたさえ私達を同等に見てくれてたら、こんな事にならなかった。
 私は理不尽な怒りがこみ上げるのを抑えられない。

「マーくん、ここでハッキリさせようよ。夏休みも終わったし。私も覚悟できてるから」
「何言い出すんだよ、蕾」
 うろたえながら私の感情をなだめようとするマーくん。
 でも、私はここで決着をつけたかった。
 家に居づらくなって、どうしようもなくなるかもしれないけど。
 高校生活を全て息苦しいまま過ごすのも耐えられない感じがした。
「マーくんは、蘭を好きでしょう?それをここで認めて」
 私がそう言うと、蘭も慌てだした。
「何言ってんの?私はマーくんがお兄ちゃんだから勉強とか聞いたりしてるけど、何もないよ?」
「当たり前でしょ。何かあるとしたらこれからなんだろうし……」
 嫉妬むき出しの自分が猛烈に情けなかったけど、しゃべり出した口は止まらない。
「私はマーくんが好きだった……ずっと。でも、マーくんが私を見てくれた事なんか一度も無い。それを今まで嫌ってほど思い知ってきた。もちろん義理の兄だという事実はあるけど、蘭だって私と同じ感情を抱いてきたはずだよ」
 そこまで言ったところで、蘭がパシリと私の頬を叩いた。
「蘭!」
 マーくんが驚いて蘭の手を止めた。
 そうしないと私の事を連続でぶってきそうな勢いだったのだ。
「ルール違反だよ……蕾。口にしていい事と駄目な事があるでしょ?」
「何のルール?血の繋がらない異性の兄を好きだっていう気持ちが、どう駄目なのか教えて」
「駄目だよ!」
 とうとう蘭も本心からの声で私に向かって大声を出した。
「二人とも、落ち着けよ」
 もう取っ組み合いになりそうな私達の間に入って、マーくんが喧嘩を止めに入る。
 それでも私達は彼の肩ごしに睨みあったまま、生まれて初めての大喧嘩をした。
「嫌い…いい子ぶってる蘭が、ずっと嫌いだった」
 私がそう言うと、蘭は目に涙をためて私を睨み返してきた。
「そんなの、知ってるよ。私だっていつも私に敵意しか見せない蕾なんか好きじゃない。双子だっていうだけで何でも行動一緒にさせられて……耐えられないよ」
 蘭の中でも私と双子である事が疎ましく思うところがおおいにあった様子だ。
 お互いライバルという意識を超えて、血が繋がってるからこそのいまいましい気分を抱えていた事が分かった。
「もうやめろよ。せっかく縁があって俺達は兄妹の関係になってるんじゃんかよ……何で関係壊すような事言ったりするんだ」
 マーくんがふと私達を静止する手を緩めた隙に、私は蘭の頬をパシリと叩き返した。
 すると、とっさにマーくんが蘭の前に立ちはだかった。

「あ」

 自分の行動に、彼自身が驚いている。
 私はその様子を見て、肩の力がガクンと抜けるのが分かった。
「マーくん、何で蘭の事庇うの。さっき私がぶたれた時は蘭の手を止めたよね。なのに…今はどうして私の手を止めないで蘭を庇ったの」
 もう逃げられないほどの気迫で私は二人に迫った。
 それが結果的に自分をどん底に追い込む事だと分かってたけど、どうにもならなかった。
「それは……」
 言葉を失って、マーくんは言葉をつなげられないでいる。

 どうしようもない。
 彼はもう無意識の状態で蘭を愛しているのだ。
 私から攻撃された蘭を、とっさに庇う行為をしてしまったのは…その気持ちの表れだ。

「血が繋がってないんだから…別に恋愛関係になったっていいんじゃないかな」
 私が穏やかにそう言ったのを聞いて、二人で私の顔を見る。
 こんな場面になっても、私は泣いたりしない。
 涙は簡単に出ない仕組みになってる。
 でも、水上くんの前では恥ずかしいぐらい泣けたりする。
 私にもどこか逃げ場が欲しかった。だから、彼といると安心できる。
 そういう存在なのだ……水上くんは。
 彼がいてくれるから、私はここまで強く二人に真実を迫っている。
「もう私、二度と二人の心を詮索する気は無いよ。今は無理だけど二人の事、応援できる日もくるかもしれないし……じゃあ、まあ…そういう事で」
 何が“そういう事”なのか自分でも分からなかったけど、その場のしらけた雰囲気が耐えられなくて、私は自分で勝手に締めの言葉を口にした。
 そして、一度自分の部屋に戻ってからカバンだけひっかけて家族に知られないよう外に出た。

 あてなんか無くて、とにかく蘭とマーくんのいる空間から逃げたい一心だった。

 蘭は最後までマーくんを好きだとは認めなかった。
 でも、彼らのアイコンタクトを私は見逃していない。
 どうしてこんなに細かいことに目がいくのか自分でも嫌になる。

 最悪だ。

 自爆的な失恋を終了させ、私は次のステップはどっちの足で踏めばいいのかすら分からなくなっていた。
 このままどこか知らない場所に旅に出たい。
 高校生っていう立場じゃなかったら、もう二度とあの家には戻りたくない。

 蘭とマーくんが必死で兄妹演じようとしている中、私一人でムキになってしまった事を思い返して、私は猛烈な自己嫌悪に襲われていた。
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