蘭と蕾

伊東悠香

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1章

4話 喧嘩(3)

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 窓から涼しい風が入ってくる。
 そろそろ秋なるかなーっていう季節だ。
 私のダメダメな夏も終わろうとしている。

 17歳の貴重な時間が、嫉妬と失恋で終わる。

「こんなんで高校生活を終わっていいんだろうか」

 ふとそんな事を思って、私は自分には目標とするようなものが何も無い事に気付いた。
 学校で友達と楽しくやってるけど、それだけだ。
 蘭のように自分の学力を高めようとする努力もしてないし、綺麗になるような肌のケアもしてない。
 こんなんだから、いつも蘭に負けた気分なのかもしれない。

 制服に着替えて階段を降りると、蘭が洗面所の鏡の前で髪をブローしていた。
 これを毎日やる事で、彼女はサラサラの綺麗なロングヘアになる。
 まさに「美少女」は努力のたまものなのだ。

 私も髪は伸ばしてるけど、ブローとかは嫌いだからブラシでといてゴムでポニーテールにするか、左右にふたつにしばる事が多い。

「おはよ」
 喧嘩の後は2・3日口を利かなかったけど、この日は私は心を改めていた。
 少し自分が大人になったつもりでドライヤーを止めた蘭にそう声をかけた。
 すると、蘭は少し驚いた顔をして、そのまま「おはよう」と普通に答えた。
 私はそれ以上話す気にはなれなくて歯ブラシに手をかけたんだけど、蘭の方から私に話しかけてきた。

「蕾……私、木内くんと付き合う事にしたんだ」

 ブラシに絡んだ髪の毛をティッシュに抜き取りながら、蘭がボソッと言った。
 私は驚きでチューブから歯みがき粉を大量に出してしまった。
「え、木内くんって……あのクラス委員長の?木内幹人くん?」
 学年には木内という名前の人は、私のクラスにいる委員長しかいない。
 蘭は特別うろたえる事も無く、そうだと頷いた。
「何で?」
「え、好きだって言われたし。私も結構好きだし……学校の行き帰りぐらいなら一緒でもいいかなって思って。OKしたんだけど」
 そうか。
 蘭はモテるから、学校の行き帰りだけでも一緒に過ごせるっていうのは、男子側からしたら相当なプラスポイントなんだろう。

 にしても、今まで誰の告白も受け入れなかったのに……どういう事なんだろう。
 木内くんは別に悪い人じゃない。
 どちらかというと、メガネが似合う好男子だ。
 ちょっと他の生徒とは隔たりを持っていて、何だか一人で高い場所にいるような…そういう圧力を感じるところもあるけど、私は嫌いじゃない。

「へえ……それ、マーくんには伝えたの?」
「伝えたっていうか……家の前まで木内くんが立ち寄ってくれたから。偶然顔を合わせたよ」
 その時のマーくんの反応が知りたい。
 どうだったんだろう。
「何て言われた?」
 そこまで言うと、蘭は私から目線を逸らした。
 私との喧嘩以外に、マーくんとの間に何か相当嫌な事があったに違いない。
 そうじゃなかったら、自分の気持ちが向いてもいない人の付き合いをOKするわけがない。

「マーくんは大学で彼女できたって言ってたよ。だから私の恋も応援するって言ってた」
どんよりした顔で、蘭はそれだけ言って洗面所を去った。
「……」

 マーくんに彼女。
 今まで一度も出来た事がないのに。
 何で突然、このタイミングなの?

 私は何か納得できない気分で食卓についた。
 マーくんはいつも通りコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
 別に彼女が出来てウキウキっていう様子は見えない。
 私が食パンをかじっていると、マーくんが新聞からふと顔を上げてお母さんに言った。
「あ、母さん。俺……今日の夕飯いらないから」
「めずらしいわね。何、彼女とデートなの?」
 マーくんに彼女が出来たのはお母さんにも知れていて、初めての事だから何故かお母さんの方がウキウキしている。
「まあ、そんな感じだよ」
 言葉を濁して、マーくんはまた新聞を読み出した。

 本当に彼女が出来たらしい。
 蘭が木内くんと付き合うタイミングと、マーくんに彼女ができるタイミングが合いすぎている。
 私は何だか置き去りにされたような気分になっていた。
 もしかしたら、私が二人に好きだと認めてしまったら…とか迫ったせいで、必死にその思いから逃げる為に別の人を好きになろうとしてるんだろうか。

 また私だけが悪い子だ。


 どうしても納得がいかない日々を送っていたある日、私はたまたま木内くんから蘭の様子を聞く機会があった。
「蘭と付き合ってるんだって?」
 眼鏡の奥にある瞳を光らせて木内くんは私をチラッと見た。
「まあ、付き合ってるっていうか……単に登下校を一緒にしてるだけだよ」
 明らかに不満そうな様子だ。
 やっぱり蘭の心が彼に無いのが、伝わってしまってるのかもしれない。
「でも、色々話できるんでしょ?あの子テレ屋だから、多少強引にいかないと」
「強引にいって、泣かれたらどうすんだよ。手を繋ごうって言っただけで泣かれそうだったし」
「……そうなんだ」
 私は落ち込んだ顔の木内くんにかける言葉も無くなって、それきり黙ってしまった。

 蘭は明らかに恋愛感情の無い相手を「一緒に歩く」という条件だけクリアさせて、それを「お付き合い」という枠にはめようとしている。
 どれだけ木内くんを傷つけているのか分かってるんだろうか。

 大人になろうと我慢していたけど、蘭の半端な態度に腹が立って、私はまたその日の夜喧嘩を売ってしまった。

「木内くんの事好きでもないくせに、心をもてあそぶの止めたら?」
「そんな事蕾に言われる筋合い無いよ」
 あからさまに私の言葉が勘に障ったような顔で、蘭はそう答える。
「自分の地位を守る為なら、他人を踏み台にしてもいいっていうの?」
 マーくんを好きだと認めてしまえば、家族がギクシャクするだろう。
 しかも背徳感の中で生きる覚悟も必要だ。
 でも…好きな人の為なら、そのくらいの非難は覚悟してもいいのではないかと思ってしまう。
 私の恋愛観で言えば、世界中を敵にまわしても…たった一人の愛する人に思われていればそれでいい。
 家族や世間っていうのは二の次だ。
 自分勝手かもしれないけど、恋愛感情をごまかして他人を傷つける事だって相当罪深い気がする。

「蕾はストレート過ぎる。マーくんがどれだけ私達に気を使ってるか分かってない」
 蘭が、まるでマーくんの事は自分が良く分かってるとでもいうような雰囲気でそう口にした。
 私はそれを聞いて、心がどんどん狭くなるのが分かった。
 水上くんの“いい女になる”というアドバイスが効力を失った。

「分かってないのは、蘭とマーくんでしょ!?そうやって嘘つきごっこやってさ……自分に好意を持つ人たちを傷つけてさ。それが正義なの。それが正しい人間の道なの!?」

 私が強い口調でそう言うと、蘭はとたんにその場に座り込んで泣き出した。
 こんなに大声を出して泣く蘭を、私は初めて見た。
 私は……蘭をとことん傷つけたらしい。
「何で……お前達……何でこうなんだよ」
 様子を見ていたらしきマーくんが部屋から出てきて、ガッカリした顔をした。
 彼なりに家族がうまくいくように神経をすり減らしているのは確かだろう。
 でもね、それがまやかしだっていう事に、もう気付いてもいいんじゃないのかな。

 呆然としている私の肩に軽く手をかけ、それから座り込んで泣いている蘭を彼は優しく抱きしめた。
「俺達……完璧な他人だったら良かったな。俺が守りたいのは家族っていう形なんだよ。でも、俺がいるせいで、蘭と蕾は苦しまないといけないなら……出て行くよ」
 思いがけない言葉に、私も蘭もマーくんを見た。
(家を出る……?マーくんが、この家を出てしまう?)
「ちょうどアメリカ留学も考えてたんだ。1年休学してアメリカで勉強してこようと思う」
「嘘でしょう?」
 蘭が涙目のまま彼を見上げる。
 私は言葉も出なくて、そのままマーくんを見ていた。
「俺は蘭も蕾も……本当に大事な妹だと思ってる。本当に、それだけだよ」
 あくまでも私達を平等に「妹だ」と主張するマーくんに対して、蘭も我慢の限界がきたようだった。
「私はマーくんしか見てない。あなた以外の男性なんか、考えられないよ!」
 彼の腕の中で泣き続けながら、蘭が初めて自分の本音を吐き出した。
 蘭もマーくんの心が見えなくて、私と同じぐらいずっと不安で怖かったに違いない。
「蘭……」
 愛おしそうに蘭を抱きかかえるマーくんの姿。
 兄として……朝比奈家の長男として色々な責任感で、彼だって押しつぶされそうだったのかもしれない。
 蘭を好きだと言えないから、とりあえず距離を開けようと思ったのかもしれない。
「マーくん。距離が離れても、好きな人を思う気持ちは薄まらないんだよ」
 私は水上くんが言っていた言葉を、思わず口にしてしまった。
 つまり、アメリカ留学したって、この家に戻ってくれば恋心は再燃する可能性が高いという事だ。
 だから、少し離れるのは逆に会いたい気持ちを余計につのらせるだけのような気がする。
「……」
 抱き合う二人を残して、私は自分の部屋に戻った。
 何だか涙も出てこない。
 私は…どうすればいいんだろう。

 授業をサボって屋上でぼんやりしている私を見つけ、水上くんが駆け寄ってきた。
「何やってんだよ。急に消えるからどこ行ったのかと思って、随分探したよ」
 息を弾ませながら、彼は私の隣に座った。
「水上くん。私…やっぱりいい女にはなれそうもないよ」
「あ?何だよ、まだ兄貴の事引きずってんの?」
「忘れようと思うし、気持ち切り替えたいんだけど…うまくいかない」
 私が表情も無くそう言ったのを聞いて、彼は唐突にピシリと私の頬を叩いた。
 決して強くは無かったけど、目を覚ますには十分な痛みだった。
「水上くん?」
「蕾……お前、何の為に高校生活してるんだよ。進まない恋愛だけに囚われて、自分の可能性つぶしてるんじゃねえの?」
 そこまで一気に言ってから、彼は澄んだ瞳で真っ直ぐに私を見つめる。
「蕾……もう1回走ってみれば?」
「え……」
「俺も他人の事どうこう言える立場じゃないけど、一応自分のやりたい事は何なのかって考えてる。蕾も中学まで走るの好きだったって言ってたじゃん。だから……走ってみろよ」
 厳しい口調だったけど、彼に言われた事はとても正しかった。
 私は大事な高校生活を、虚しい片思いだけで終わろうとしている。
 努力は嫌いだけど、走るのは嫌いじゃない。あれは頭の中が真っ白になる、とても気持ちのいい競技なのだ。
「うん……走ってみようかな」
 素直にそう答えた私を見て、水上くんは嬉しそうに笑った。
「その方が、絶対蕾らしいよ」
「そうだね……ありがとう、水上くん」
 私がお礼を言ったとたん、彼はそっと顔を近づけて軽く唇を重ねてきた。
「な、何すんのよ!」
 あっけないファーストキスの略奪に、私は真っ赤になって思わず彼の頭をパカンと叩いてしまった。
「キスはするから、用心しとけって言っただろ。今の蕾…スキだらけだったから」
「……やらしい」
「男はみんな、やらしいさ」
 そう言って、笑顔のまま彼は両手を高い空に伸ばした。
 こんな時ですら、水上くんの言葉も態度も……清々しく見えてしまう。

 水上くんにキスされたのがそれほど嫌な事では無かったのが、少し不思議だった。
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