鏡の世界に居る女

絵馬堂双子

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16、甦る闇

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「さて」
 懐中電灯で見ながら、ほじくり返された跡の奥へ行こうかと思ったが、
「こっちからがいいか」
 と、全体を見渡せるように入り口の戸を背にあぐらをかき、黒布を腿に載せ、両手で丸鏡を持つと、おっと、と、懐中電灯を消した。
 見事な暗闇になった。内も外も真っ黒に塗った木材で作られたこの部屋は、よほどしっかり外光が入らないよう工夫した作りをしているのか、ほんの一条の光も射していなかった。
 全く何も見えないまま、御堂は鏡を掲げてみた。
 紫恩のサポート無しに、自分に何か見えるのか、何か起こるのか、まるで自信はなかったけれど。
 じっと見れば見るほど、自分の腕がそこにある実感さえ乏しくなってくる。
 今自分が掲げている鏡には何が映っているのだろう? と不思議に思う。
 光がなく、何も見えなくても、律儀に自分の姿を映しているのだろうか? と。
 鏡が見えるのは光を反射するからで、光がないのでは何も映っていないのが道理だろうが。しかし。

(闇が映っているのでは)

 と思ってしまう。
 今自分は何も見えないと思っているけれど、実は、鏡に映っている闇を見ているのかも知れない、と。
 闇の中に、自分は溶け込んでいる。
 鏡も何もかも、四角く封じられた闇の中に、渾然こんぜん一体となっている……
 ………………
 どれくらい経ったか、
 鏡を掲げている辺りに、ざあっと、暗い銀色の粒子が流れているのが見えてきた。
 目の錯覚だろうかと思ったが、いや、と、何も考えないようにした。
 ざあっと、鏡から溢れ出したように、部屋全体に暗い銀の粒子が流れ出した。
 映画館で、CMが終了してスクリーンが広がったようだと感じた。これから本編が始まる。
 流れる粒子の中に人影のような物が動き出し、本当に映画のように、ある情景を演じ出した。

 着物にはかま姿の男たちが部屋の中央に四角く黒い布を張っている。天井や壁のフックは、布を吊る紐を通す為の物だった。
 吊るす布は向こうとこっち、「コ」の字型の三面を開いた口を向かい合わせ、真ん中に部屋の左右の壁を結んでもう一枚黒布を張り、向こうとこっち、布で仕切った小部屋が二つ出来上がった。
 気になっていたのが、天井からぶら下げられていた黒い輪だった。
 あれが紫恩の言っていた「このくらいの丸い鏡」ではないかと思うのだが、鏡がはまっておらず、丸い枠だけだ。
 それが、天井から壁を伝って留められた紐が、緩められ、下へ下り、幕の中に消えていった。
 影が不規則に揺れている。
 幕を張る作業を、左右に控えた男たちが手燭てしょくを持って照らしていた。
 表と裏の観音開きの戸が開け放たれていて、映像に色は無くざらざらした銀の粒子で出来ているのではっきりしないが、外は暗く、夜中だと思われる。
 作業は着物袴の六人の男たち……その着物も袴も真っ黒と思われる……がしていたが、その他に、軍服を着た男が三人と、裾の長い学生服のような服を着た男が、入り口側の隅に固まって作業を見守っていた。
 軍服の男たちは変型学生服の男に何やら訊いて、男が答えている。かすかに声らしきものが聞こえるのだが、何重にも幕を隔てたみたいに遠く、不明瞭で、言葉は聞き取れない。
 御堂の印象では、軍人たちは今立ち会っているイベントに対して懐疑かいぎ的で、馬鹿にしている風でさえある。
 答えている男は、小柄で、年齢は二十半ばくらいだろうか、オールバックの髪を首の後ろで束ねている。狐みたいなつり目で、軍人たちの質問にかしこまって答えながら、どうもその表情は、彼もまた、軍人たちを馬鹿にしている風に感じられる。
 六人の和装の男たちは作業を終えると、戸惑った表情で学生服の男に指示を求めた。
『やってください』
 と言われたようで、手燭がそれぞれ左右の壁に掛けられ、リーダー格らしき一人を残して、表の入り口から出て行った。
 入れ替わりに、白い着物を着た娘が入ってきた。
 その顔を見て御堂は心臓が躍り上がった。
 あの、赤い顔の女だ。
 年はやはり十八、十九。完全に大人ではない印象が強くする。
 おひな様のようにお上品で大人しそうだが、彼女もこの状況に強い不満を持っているようで、リーダー格の男に目で訴えるのだが、リーダーは仕方がないといったように小さく首を振り、彼女もそれ以上抗議はしなかった。
 不満そうな彼女の表情に、御堂は彼女の本当の性格を見たように思った。決してお飾りのお人形ではない、様々な感情を持った、普通の十代の娘なのだ。
 彼女は幕で作られた小部屋に入っていったが、その時、強い恐れを御堂は感じた。
 表の観音開きが閉められた。
 裏の戸も閉められたのを感じた。
 リーダーは部屋を前後に分けた幕に、小部屋を向いて寄り添い、何かお経のようなものを唱え出した。いや、祝詞のりとだ、神に捧げる。
 御堂は小部屋の中を見たいと思った。すると、動く床に運ばれるようにスーッと視点が移動し、幕を通り抜けて中に入った。
 幕は下は床にぴったり付いているが、上は開いていて、壁に掛けたろうそくの明かりが天井に反射してほんのり降り注いでいる。
 娘は正座して中央を隔てる幕に向き合っている。ちょうどその目の高さぴったりに、あの黒い輪っかがあって、今はそこに鏡がはまっていた。
 張りつめた表情の娘の顔が映っている。
 でも、何か変だ、と御堂は思った。なんだろう?
 幕の外の祝詞が終わって、鏡が消えた。
 どういうことなのだろう?、と、御堂も状況が分からなかった。
 幕に、鏡の黒い枠は残っている。けれど、そこにはまって、娘の顔を映していた鏡が、突然、パッと、消えてしまったのだ。
 まるで手品を見ている気分だ。
 御堂は小部屋の中で辺りを見回して、あ…、と思い至った。
 さっきまで見えていた向こうの天井が見えない。中央の幕が天井まで引き上げられて、隠してしまったのだ。
 同時に、御堂は鏡のからくりに気づいた。
 一枚と思っていた中央の幕は、実は二重、いや恐らくは三重になっていて、裏の(間の)一枚が天井まで引っ張り上げられたのだ。
 無くなってしまったと思った鏡は今もある。いや、本当は最初からなかった。
 黒い輪っかが宙に浮いているだけ。その部分の幕に穴が開いていて、向こうの方に、目をうんと凝らせば、闇の中に暗く彼女の顔が映っている。いや、闇の中に彼女と同じ顔がある。
 つまりは、鏡に見立てた穴を通して、同じ顔の娘が二人……おそらくは双子の姉妹が、向かい合っているということだ。
 左右の手燭は幕のこちら側に掛けられている。だから幕を引き上げると、向こうの小部屋に降り注いでいた明かりはさえぎられてしまったわけだ。
 なんでこんな手の込んだことをするのか? それが儀式なのだろう。
 そしてこれから何が起こるというのか?
 再びリーダーのおごそかな声がした……
 ここで、異変が起こった。
 何かを察知した娘が慌てて何か叫び、正座から立ち上がると、強引に二人を隔てた幕を引き下ろした。
 紐を通した部分がびりびりに裂け、幕が腰の下まで落ちた。しかし、やはりまだ二枚、幕がある。娘はそれもびりびり引きずり下ろした。
 慌てて止めに入ったリーダーと、そして後ろで軍人たちも、わっと驚いた。
 幕の向こうで、ろうそくの明かりに照らされて、二人同じ娘がいた。
 三つ子なのか? しかし、一人は正座をしてこちらを向き、もう一人は、そのかたわらで気を失ったように倒れている。
 こちら側の一人が、正座をしてこちらを見ている一人に向かって叫んだ。
『おまえは、何者だ!?』
 と言ったようだ。すると、
 正座の一人が、なんとも形容のつかない不気味な……人間離れした顔になり、ふっと、消えてしまった。
 驚きは御堂だけではなかった。登場人物一同驚愕し、はっと我に返った娘が、倒れている妹にかがみ込もうとした。
 その瞬間、再び異変が起こった。
 キシッ、という不穏な空気を御堂は感じた。
 この後何が起こるのか、御堂は全身の毛が逆立つのを覚えた。

「危ない!」

 バアンと、明るい光がなだれ込み、同時に、御堂は、空間にビシビシッと太いひびが走り、パアンッ、と砕け散るのを見た。
 そこにいた者たちが全員、ひび割れ、真っ赤に、砕け散った。
 御堂は、後ろにものすごい勢いで吹っ飛んだ。



「わっ」
 戸を開けた途端、御堂が背中から跳ねるように転げ出てきて、紫恩は慌てて受け止めると、一緒に地面に転がった。
「いたたたた」
 紫恩は打った腰をえび反らせ、
「これっ、大丈夫か? おい!」
 と御堂に呼びかけた。
「う、ううん……」
 御堂はうめきながら体を起こすと、顔をしかめながら目をパチパチし、建物を見上げた。
「……ウェルカム、トゥ・ザ・リアル・ワールド」
「この馬鹿たれがあ!」
 紫恩は御堂の頭をパチンと叩いた。
「無茶もたいがいにせえっ! おまえ、下手するとあのまま……」
 御堂が「しっ」と言うように指を立て、建物の、中を指差した。
「ああっ!・・」
 梅雨時の湿った外気が入り込んで活性化したのか、壁から床から天井まで、黒色が溶けたように汗をかき、内部から次々水分がしみ出すように盛り上がると、赤く、真っ赤に変色すると、壁から流れ落ち、天井から大きなしずくとなってぶら下がり、一斉に、ざああっと、降ってきた。
 床にびちゃびちゃ跳ね、濡れ縁に流れ出てきて、ざあああっと、真っ赤な滝になって流れ落ちた。
「うわああっ」
 御堂も紫恩も悲鳴を上げ、びちゃびちゃ地面を広がってくる赤い液体に触れないように飛び起き、メインストリートまで走った。
 振り返ると、赤い液体を吐き出した黒い社は、ほんの数十秒の間に、すっかり体液を失ったように、白っぽく、干涸ひからびて見えた。
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