島流しの姫と雷さま

絵馬堂双子

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10、雷山

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 冬が近づいてきて、空の荒れる日が多くなってきました。

 学のある姫は、寺の本堂を教室にして、村の子どもや大人たちに、かな字を教えたり、面白い物語を聞かせたりしてくれました。

 ある時、表が暗くなって、手習いに使っている薄く砂を敷いた箱板がよく見えなくなり、
「ああ、これはザアッと来そうだなあ」
 と思っていると、案の定、空の上からゴロゴロと、大きな獣が喉を鳴らすような、恐ろしげな音が聞こえてきました。
 すると、何を思ったか、姫がすっくと立ち上がり、裾をつまみ上げると、ダッと、表へ駆け出していきました。
 小春が驚いて追いかけて、すぐにザアッと雨が降り出したもので、村人も慌ててかさみのをひっつかんで追いかけました。
 小春が袖を広げて覆う下で、姫は草履ぞうりもはかずに土の上に立って、一心に黒雲に覆われた空を見上げています。
 ゴロゴロ雲の中で鳴っていた雷が、ピカッと光り、ゴロゴロゴロゴロ、と、山から岩でも落ちてきたような物凄い音を立て、本堂にいた子どもたちは「ひやっ」と声を上げて頭を抱えてちぢこまりました。
 大人たちが笠と蓑をかかげて屋根を作り姫をお守りしましたが、そんな中でも姫はまんじりともせずに一点を見上げて、ピカッと光ると、普段は細い目を、まん丸く見開いて、天を割って走る恐ろしい雷の筋を見つめていました。
「ああ、すっかり濡れてしまわれて。お風邪をめします」
 と、恐れ多くも村人たちに抱き上げられ、急ぎ屋根の下へ運び込まれました。

「姫さまや。いかがなされましたか?」
 小春に濡れた頭と着物を布でふかれながら、突然のふるまいに驚いた和尚おしょうに聞かれて、姫は、狐にでも取り憑かれたかとおびえた目で見ている村人たちを見回して、言いました。

「光る鬼どもを捜しておったのじゃ。そなたら、見たことはないのか?」

 村人たちは顔を見合わせて、
「そんただけったいなもの、見たことございませんがなあ」
 と答えました。

「そうなのか?」
 姫はあきらめかねる難しい顔で言いました。

「わらわがこの島へ参ったとき、たしかに、稲光いなびかりの落ちた山で、光る鬼どもが踊り騒ぐのを見たのじゃ」

 それ、あっちの山じゃ、と、姫は外海そとうみの方を指さしました。

 このサドという島は、それぞれ山のつらなる二つの大きな細長い島が斜めに並んだような形をしていて、二つの島のつなぎの所に広い平地があり、そこに田畑が広がり、村々があるのでした。
 二つの山の連なりのうち、陸側がちょっと低くて、サドの尾根おね、と呼ばれ、外海側がちょっと高くて、おおサドの尾根、と呼ばれていました。
 姫が指さしたのは、大サドの尾根の中で、村からほぼまっすぐの所にある、一番高い山でした。

 それを聞いて村の年寄りは、ああ、とうなずきました。

「そりゃ本当かもしれねえな。その山は、雷山かみなりやま、と呼ばれておってな、やたらと雷が落ちるんだわ。だから雷といっしょに雷さまが下りてきなさっても不思議はねえだな」

「そうか、雷神らいじんさまか」

 姫は年寄りの話にうなずくと、いたく感じ入って、微笑まれました。

「何やらずいぶん楽しそうでのう。鬼どもがおるなど、ずいぶんと恐ろしい所じゃと思うたが、こちらは流されてきた身ゆえ、できるなら仲良うしていただいて、楽しく暮らしたいものじゃと思うたのじゃ。そうかそうか、わらわはてっきり山に住む鬼どもが、稲妻いなづまを浴びて浮かれ騒いで、さすがは鬼じゃ、剛毅ごうきなものよなあ、と感心しておったのじゃ」

 姫の話を聞いて、それはわしらも見てみたいのう、と子どもたちが嬉しそうに騒ぎましたが、年寄りが言いました。

「いかんぞ、わらしども。姫さまも、よくお聞きくだせえ。
 あの雷山は昔から化け物が住んでおると言われておりましてな、決して近づいてはなんねえと、きつく言われておる山なんですじゃ。
 それですけ、雷さまも仲間の所に降りてきなさるんかも知れねえども、もし見つかったりしたら、それこそ目をつぶされてしまうかもしれねえですだ。
 ええですか? 雷さまやら化け物なんぞの姿を見てえなど、めったに思っちゃなんねえですぞ?
 和尚さまよ、そうだな?」

 和尚も、うむ、とうなずいて、姫と子どもたちに言いました。

「人には人の、里には里の暮らしがあるように、山にも山の、鬼にも鬼の暮らしがありまする。それぞれがそれぞれをたっとんでこそ、共に上手に暮らしていけるのです。まずまず、妖しいものを好むお気持ちは、ほどほどにとどめ置くがよろしかろう」

 せっかくの珍しい物を見ることを禁止されて、子どもたちはがっかりして、姫も、

「あい分かりました」

 と神妙しんみょうに言いました。
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